えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

勝負に出る…

2020-11-28 07:59:00 | Weblog
もう7、8回も観ている映画の話ね。
三浦友和が主演。
鉄道一筋、地方の運転手をしてきて、ここで定年になる設定だ。
定年になったら夫婦で余暇を旅することを決めていた。朝晩夕番とある仕事を支えてくれた妻への恩赦のつもりでいた。

だが妻はそんなことではなく、夫が定年になった暁には自分は昔辞めた看護師をやりたいと思っていた。
で、ある病院の求人を見つけ面接してきた。その時採用側の医師は、夫の協力が得られますかと尋ねる。

妻は、採用の鍵となるこのことは大事なことと思い、まだ話ししていないが、夫は理解を示している…と答える。


夫が仕事から帰宅し、夕飯を済ませた所で夫が旅行のパンフレットを妻に見せようとするが、そこで言う。
「そんなことじゃないんよ、私のやりたいことは。今日仕事、決めてきたんよ」と言う。
夫はしかめっ面をして言う。
「そのことは何回も話し合って決めたことだ。何が仕事決めましただ!」

すると…妻は…

「ちゃんと話し合ったことなんて、いっぺんもありません!」と言う。
そこへ夫の職場から電話。

具合が悪くなった運転手の代わりに、乗ってもらえるかとの電話だった。
「はい、まだ飲んどらん…」
それで再度職場に戻る。

夜の8時半だった。

妻はその間に家を出る。(そうだ、やれやれ!)

再び夫が帰宅すると、電気がついてはいるが妻は居なかった。
妻はもう翌日から仕事が始まるのだった。
看護師と言っても、治る見込みのない癌の末期の患者を自宅で過ごさせて、それを支援する看護師の仕事だ。
今までのように家事一切をしながらやれる仕事ではない。

妻は一度帰宅するが、家を出てごめんなさいと謝る。夫は散々考えていたが帰ってきた妻に、看護師の仕事やりかけたならやってみれば良い。家に戻って家から通えば良い。と言う。そして「今は周りが見えなくなってるだけだ、少し頭を冷やしたらわかるはずだ」という。

妻「私はこの仕事をずーっとやるつもりよ。」と。

夫「そうか、ならやってみろ!出て行け!
2度とここへは帰ってくるな!」と怒鳴る。

三浦友和でもどなるのか?うちの夫よりは品があるが、怒鳴っている!と私は思った。
あの2枚目でも怒鳴るの?
怒鳴ると、どーなるの?なんてギャグを思いつきながら感心した。

そこで妻は、あらかじめ用意していたあることをする。
茶封筒と持っていた結婚指輪を外し夫の前に差し出す。(クーそうだ!やれやれ…)と私は喜んだ。

夫は唖然とする。(この顔が見たかった私だ)
そして妻は何か渡してから、「長いことお世話になりました。」と言う。

夫は妻がさっていってから手に持ったものを見た。バンドエイドだ。妻は夫の手に血がついてるのを瞬時に見たのだった。
家に電気がついていたので、公園を突っ切るときに走ってフェンスを飛び越えられずに転んだのだった。その姿は無様で可哀想なくらいだった。

茶封筒の中には、記名した離婚届が入っていた。妻は決心したのだ。

アパートを借りたと言うあたりから、夫は麺食らっていたが、とうとうこうなってしまった。
自分は一生懸命家族のために働いてきたのに、それだけではダメなのだと言うことを思い知らされていた。

鉄道事故と妻の患者さんの絡みで、妻の仕事ぶりを目の当たりにし、少しずつ変わっていく夫。離婚届を出し、2人の結婚指輪を山の上から投げ捨てる。そして最後は…

最後の勤務の日、終点の駅に来て欲しいと頼む。
任務を終えてホームにいるたまに言う「もう一度終点からやりなおしたい。結婚してください」(私なら、もう一度はいらないけど…)
娘に子が産まれて孫のためにもおじいちゃんとおばあちゃんでいてちょうだいと言われた通り元の鞘に戻り、ハッピーエンドだった。

私に1番初めの孫ができたのは、今から14年ほど前。
ま、その頃と今は違うから、その頃なら孫のためなら家に戻るかもなあ。

孫のためというか、子供のためだろうな。

昨日はみんなが家に来て夕食を共にした。
これも孫のためというのは少しで、子供のため、子供の伴侶のための方が大きいだろう。あ、でもそうでもないかな?孫の喜ぶ顔は好きだからね。

子孫のためかな?ウンウン。

順繰りだな…

2020-11-28 01:01:00 | Weblog
昔コバちゃんは私に対して、こう言った。
「何の先生だか知らないけど、草の一本もむしりやしないで先生が呆れるよ」

突如、そう言うことを言う人だった。初めは麺食らったが、学習するたびに動じなくなっていた。

言われた私だが、子育てと仕事と家事をしていて精一杯で、草はむしらなかった。

うちにはコバちゃんの庭があって、コバちゃんは山に出かけて、珍しい植物をよく植えていた。
山で草木を取ってはいけないのですけどね。

コバちゃんの庭にはだから、カタクリや福寿草などもあった。
私は庭にはあまり興味もなかった。
家族にご飯を食べさせることの方が忙しかったからだ。

コバちゃんはよく家の周りに車のタイヤや部品を置く夫に、文句を言っていた。それでいつも喧嘩していた。

今のうちの周りにも、息子の物や夫のものが溢れて置いてある。
だが私にはコバちゃんほどのパワーが無いし、捨てたかったら勝手に捨てることができるタイプなので、何も言わない。

夫のスプレー缶などたくさんあってどうするのかなと思うが、言った所でやる気のない人に言うエネルギーもない。

でも試しに言ってみた。

夫は「そんなんだ、あるんだよスプレー缶がな、そのうちやるよ」

やっぱりな。

裏庭に教室の小さな看板を作って、下げた。遠慮がちに。

そして小さな花壇も作った。
この歳になって、コバちゃんほどでもないが、お花が🌸可愛く思えて育てている。

草も生えていたら取っている。

人はその時、やれない事情がある。

コバちゃんの庭には息子が家を建てた。
私はしばらくは、玄関先にプランターに植えた花を置いたが、車を停めるにも邪魔だと言われどうしようと思っていたが、移動させたり工夫をしてみたが、しっくり美しくいかなかった。

表はあきらめて、裏に少し土地があったのでそこを花壇にしたのだった。

私の家の表は、教室だからね。

表の教室の宣伝を裏にもやることにした。それは手書きで書いた簡単なもの。
そして看板をかけるからには家の周りも片付けたくなって、見苦しいものをきちんと置きぼろ隠しをした。

裏には9階建てのマンションがあるので、上から見れば、どんなふうに住んでいるのかがバレバレだ。

家の周りをぐるぐる回って綺麗にする役が回ってきた。北側を汚くしてると病人が出る。北側は鬼門と言って大事な所、そこを汚くしていてはいけない。よくコバちゃんが言ってたことだ。

私の番だな。

ちゃっちいペラペラの看板を見て、息子がちゃんとしたのを作ってくれると言った。

良かったわ!

わーいわーい!

映画ばかりの日々です…

2020-11-24 17:12:00 | Weblog
49歳でエリートのキャリアを捨てて、電車の運転手になった映画を見ました。

故郷の母親が末期の胃がんになったこと、子供の頃に電車の運転手になると言っていたことを思い出し、郷里に戻る決心をしたのでした。

今年は初めてこのようなコロナによって、今まであった仕事がなくなったり、リモートで仕事をする人も多くいる。

若い人は、転職する人も多いのでは無いだろうか。
またお店などやっていた方など、閉店して就職したりなどあるでしょうね。

息子…という映画では、大学出の兄、姉といて次男の息子が主役だが、父と息子の会話がよくあるパターンだ。

父「仕事は、面白いかどうかというより、長く勤めて腕に職を持つことが大事だ」

息子「じゃあ俺みたいな頭悪い奴は、農業を継いだら良かったっていうのかよ」

父「頭悪くて農業がやれるってか!」

息子「じゃあ頭良い兄ちゃんが農業を継げば良かったじゃ無いかよ」

父「…なぬ?!」

息子「父ちゃんは兄ちゃんばかりめんこいがって、兄ちゃんにお世辞だっていうんだからな。そんなに兄ちゃんがめんこいか?!」

父「おまえには兄ちゃんの大変さはわからねえ、あんなで都会の大きな会社で、どんだけ苦労してると思ってるんだ!」

ああ言えばこう言う、兄と露骨に比較されて馬鹿呼ばわりは辛いですね。

この父親が数ヶ月後、戦友会のために上京するが、ついでに長男が買ったマンションのお祝いと次男の住むアパートを訪ねる。

長男の嫁は美人だが心から優しく父親に接するわけでもなく、まあ当たり障りなく長男の嫁の役割をする。
長男も田舎の家を畳んで、このマンションに住むよう勧めるが、その際、俺たちだって我慢するんだからなどと言う。

父はその気は毛頭無い。

戦友会を終えて、次男の住むアパートを訪ねる。
次男は、今お付き合いしている人を紹介し結婚するのだと言う。この女性は耳が聞こえず言葉も発さない方だったが、心根の優しい美しい人だった。

次男は「だからよお、どんだけ親父や兄ちゃんが反対したって、俺の決心は絶対変わらない❗️んだからな❗️」と言う。
父はその次男の気持ちを汲み、その女性にその気持ちを確認したあと、「ありがとう」と礼を言う。

次男はその女性と、ファクスでやりとりすることが多い。文字を書いて送れば話をするのと同じなのだ。
2人と父は次の日、電気屋に出かけ、父のファクスを買った。

父は優しいその次男の女性とのやりとりを思い出し、心温まる思い出ができたこと、これからの2人の幸せと自分との関わりを楽しみに生きられる予感などを思いながら、帰路に向かう。

その後のことは想像だが、次男は郷里で結婚式を挙げ興味津々の親戚の人々にお披露目をし、彼女を見た者たちから、心からのお祝いをいただいたことだろう。そして時折次男夫婦は、郷里にも頻繁に足を運ぶことだろう。
時には父は次男夫婦の狭い家にも出向いて、楽しい日々を過ごすことができただろうと思う。

古い映画を見ると、今はもう亡くなっている俳優ばかりだが、心打たれる作品だ。
プライムビデオやYouTubeなどを見て、コロナの自粛生活が楽しくなって来た。

これは、うちの息子に感謝しなくちゃ。


映画はいいね

2020-11-15 23:31:00 | Weblog
この頃は家族のことや息子娘という関連の映画を見ています。
いつだったか朝の4時まで起きていました。でもその後が大変。
調子を戻すのに2日かかりました。

西武線を走っていたレッドアローが、富山の方で普通電車として走っているんですね。その運転手の話を映画でやっていました。
三浦友和主演です。夫が定年を迎えたら妻は看護師の仕事をやりたいと、夫の定年を楽しみに待っていました。しかし話をしてみると夫は不機嫌になり、静かに話し合うことは難しく家を出るという話です。

癌の末期患者さんの最後を自宅で看護する看護師です。そこの患者さんがこう言います。「お、だと思うから腹が立つのよ。ぺ、だとおもえばいいのよ。」

夫だと思うからダメで、ペットだと思えば可愛いもんだと言うのです。
笑ってしまいました。

今日は子守りでした。

2人のおチビに、じいじの部屋で遊んでもいいよ。と言ったら、しばらくじいじの部屋で遊んでいました。その間夕飯の支度などしました。

じいじは、部屋に孫たちが来て遊んでいたことに気を良くして、居間に戻って遊んでいた孫を後ろからハグしたのです。

孫は、じいじ辞めて!と言って起こりました。
ほんとにそうですとも。
怒って然るべきです。
いろいろ都合もあるし、ペットでは無いのだから。
ペットのわんちゃんだって、迷惑です。

好かれるためには、それ相当の時間と労力と愛が要るんですからね。そしてそれは、計算してやってもダメなこと。

少しじいじはショックだったようですが、仕方ないですね。
普段から何もしていないしね。
私はじいじがかわいそうなので、見ないふりをしました。
もう夕飯にする?と聞いたら、うんと言いました。

あと、息子…と言う映画も見ています。
何度見ても飽きないんです。
あ、こんな場面気がつかなかったな…と思ったりもするくらい、見てない場面に出会えます。

おチビ孫たちは、プリキュアが好きで今日もひとつ見せました。
5歳の孫が、あっ、これ見る、これにして…と言うのでつけました。

今話題の鬼滅の刃です。

途中どぎついところがあったので、やめようと言ったら大丈夫だからいいの。さいりは見ないほうがいいというので、長女に電話したら消したほうがいいと言うので、消しました。
そしてプリキュアにしたのでした。

プリキュアにしても鬼滅の刃にしても、自分には理解できないと思うが、少しずつ見てみようかと思います。

映画は心を救ってくれるし、気持ちを強くしてくれます。
これからも楽しみたいと思う。

定年がない

2020-11-13 00:50:00 | Weblog
62歳から音楽以外の仕事のパートをしたりしました。
はじめのは病院のヘルパーだった。そこは4年半続いた。コバちゃんの容態が悪くなったので、夜勤もあったので辞めました。
続いてファミレスの朝食のキッチンを1年半程。
大変だったけど面白かった。

朝早くの仕事は、起きれないことが緊張だったので次はデパートで仕事を始めた。

心配があった。

それは辞めていく時に同僚たちからお疲れ様と言われて辞めるということ。

そしてその先はもう、新しい仕事はないというほどの歳だということだ。
シャイな私はね、そういうのが苦手だ。
多分そんな時、私は泣いたりはしない気がするが、寂しいのは確かだ。でもシャイだから寂しいとも言わず、ニコニコしてお別れできるだろう。

暇なもんでね、また履歴書を出した。
そうしては面接に行って後日採用の通知がきて、さらによく考えましたと言ってお断りしてる。

採用の通知が来ない場合は年齢的に、もう賞味期限が切れてるからだな。で、ちょこっと落ち込んではまたどこか探すか…となる。

もう46年やってきた音楽教室は定年が無い。もっと前からのレッスンを入れたら50年にもなる。

50年にもなるのか。

いつの間にかどんどんどんどんとコバちゃんの年に近づいていく。

最近はウクレレの師匠を見つけて、師事していることは言いましたね。
それが楽しい。
仲間との練習も楽しい。

そんなこんなで1日があっという間。
1週間があっという間。
1年があっという間に過ぎていく。

このところ急に寒さが増して来ました。
日も短くなって来た。

ではね、もうそろそろ寝ます。

おやすみなさい。☺️



それぞれの冬が来る

2020-11-11 23:22:00 | Weblog
先日の歌声喫茶は全部で8人でした。マスクしてフェイスシールドつけて歌ったり、おしゃべりをしました。

新しい方見えて、楽しい会になりました。

私などは過去に何回も手術をしていて、全身麻酔の経験がある。
その後遺症かわからないが、平に上向きで寝るのが苦しい。まるで亡くなる時に家族みんなに囲まれて、覗き込まれてる気分なのだ。

介護ベッドで上半身を30度くらいに起き上がって寝るのがやってみたい。まるで平は苦しい。というか夢見が悪い感じだ。

歌声喫茶の中のメンバーが、そんなことを言っていたが、私もその気持ちわかりますよ…と共感した。

とてもよくわかる。
その方は心臓の手術の後遺症のようだったが、そうか心臓の問題なのだな。

心肺というから肺も関係しているのだろうな。
ま、でも同じような経験をしてる方がいるということがわかって、自分だけでは無いのだと少しホッとした。

昨日は合唱合奏仲間の練習日だった。
静岡のメンバーともビデオ通話にして、みんなで練習した。

メンバーは大半が70代で、2人ほど60代がいます。なので冬に向かって健康に留意する必要がある。

このメンバーに準会員として参加している方は84歳。そして今月からこの方のご主人がピアノを始めたところです。
88歳。すごいですね。

研究熱心な方なので、バイエルから入ることにしました。一度目のレッスンで右手を宿題にしてあります。
しかしピアノがないので、どのようになさるか次回相談されるかもしれません。

なので、70代で弱音を吐くわけにはいかないですね。とても良い刺激になりますね。

88歳からバイエルを始めるのです。それに立ち会えることが、私の誇りです。これは中途半端な気持ちではやれません。

それと2歳8ヶ月の孫も始めたばかり。これまた凄いこと。
まだオムツしているんですよ。当然ですね。

楽しみいっぱいです。

これからどんどん寒くなります。コロナも第3派がきたと言われています。

この生きづらい未知の冬、気をつけて生きなければなりません。


楽しいことを考えて、頑張ろうっと!

えいえいおーーー!

死にたくなるって、ちょっとわかる

2020-11-05 14:05:00 | Weblog
昨日の夜中、もう寝るのが嫌でね。
こんな時間だからって寝なくちゃいけないと言うのがなあ。

たくさん歩いたので、ちょっと昼寝したからか、眠れない。
足も痛いし眠れなかった。

それでも朝方寝たようで
7時頃起きた。

朝も気分がすぐれなかった。でも友人と会う約束だったから会った。
私を元気にしてくれるかもと、期待して。


びょーーーん!

ランチしてるうちに元気になった。

ランチを早く切り上げて、所沢駅の方に2人で出かけた。

そうか、歩くのはいいんだね。

彼女は狭山市に住んでいる。

入曽にある自宅から一駅歩いて新所沢に着き、そこから電車に一駅乗って所沢で降りて、待ち合わせのお店までまたまた歩いたのだった。

彼女とは20歳の頃からの知り合い。
夕飯の買い物を一緒にしたのは、初めてだった。そしてユニクロや色々ぐるぐる歩き回った。

この人もB型。

B型の人には振り回されることがあるが、癒されることもあるのだと、発見した。

びよーーーん!
びよーーーん!

ほら、元気になった。

びよーーーーーーーーーん❗️

毎日が、ほぼ日曜日…

2020-11-04 20:13:00 | Weblog
教室の生徒は少ないので、しかも大人の生徒さんは月2回とかなので、ますます少なめになっています。
ただちょこっと知り合いの方が習いたいと言ってきたりはあるのですが…。

この暇な感じ、そしてストレスのない毎日にだんだん慣れて来ました。
テレビ見てゴロゴロして、日に一度はピアノやエレクトーンを弾くくらい。

時間があるからって4時間も5時間もひくのでもないんですね。

第一体力が持たない。

細切れにちゃっちゃとあれやったりこれやったり、そんな毎日です。

今日は7,000歩歩きました。
しかも歩きながらはあはあふうふう言いながら。コロナのせいにしてはダメだろうが、家に篭るようになり音楽以外の仕事をしないので、体力は落ちています。

そして体重は測ってないが、確実に増えている。

今日の7,000歩は2回に分けてだ。
午前中銀行を回って、髪をカットしてもらって買い物して娘の家に寄り、お昼を食べた。
その後一旦家に戻り、また夕方お弁当のおかずを買いに出かけた。それで7,000歩になったのだ。

今日は少し股関節が痛かったが、知らん顔して歩き回った。気づかないふりが大事なのよ。
痛みと向き合うと、負けてしまうから知らん顔して歩くうちに少しずつ筋肉ができる。

体重が減ればほんとにいいのですが…。

これが課題なんです。笑

明日の朝早く起きなくても良い日々。こんなこと無かった。朝は忙しいものだった。
よく、七人家族をやっていたなあと思う。

若い頃、子供も小さい頃、親と同居は大変だった。一番の怪物はコバちゃんだった。
ご機嫌損ねると、頼んでいた子守りも蹴飛ばされてしまう。家の中じゅうを仕切って指図して、命令してみたいな。

夏になるとその一家で旅行に行く。
いつも一緒に住んでいて大変なのに旅行も一緒なのは嫌だったが、そうやっていた。
つまらなさそうにしていると、つまんなさそうね…と言われる。

だってつまんなかったんだもの。夫婦と子供だけで行きたかったんだもの。

あの頃、不自由な日々だった。

今は2人暮らしで、私の天下になった。

夫に不満があっても構わない。自由にしている。会いたい友人と時には会い、自粛しながらも自由だ。

気持ちが自由だ。

とっても楽ちんである。

昨日も友人と会った。

明日もまた別の友人と会う。

マスクして気をつけてやっている。