えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

湯楽の里に行って来ました

2024-01-12 00:04:00 | Weblog
昨日はレッスンの日でした。
最後の生徒が20時15分に終わったので、湯楽の里に行って来ました。

21時からお風呂に入って、22時からマッサージを受けました。
10年以上やってもらっている人がいたので、昼間のうちに予約しておきました。

私と同じか1つ下だと思っていたその人は、なんと4歳も若いのでした。

10年以上前からおじいさんだったので、年上と思っていたがある時の話から1つ下なのかなと思っていたが、4つも下なのかー。

私も長生きしているのだな。

力は昔に比べると弱くなっているが、強ければ良いわけではないので、この人にやってもらいたい。
5年前に大病した話は聞いていたし、私のこともそれとなく話してはいたが、たまーーに行く私のことなど詳しいことは忘れているだろうな。

あちこち痛いのは仕方ないという話をしていた。
ただ、定期的なメンテナンスは必要だろう。

私の友人の1人に、節約家がいるがその人でさえ月に2回のマッサージはずーっと続けている。結局、この人は良いことを実践してるんだな。
どこに行くにも常温の麦茶を持って行くから、私みたいにすぐに自分を甘やかしてコンビニで飲み物買ったりしない、そういった強さがあるのだ。

私は弱い甘やかし人間だ。

もう1人の友人が物忘れや認知症気味になって来て、彼女の家で始めた教室を辞めたが、もうその彼女とは距離を置いている。

無駄なことはしないということだ。

確かに私たちはその友人に振り回されすぎた。だから自分のエネルギーの残量も顧みず、関わり続けるような無駄はしないのだ。

自分以外に、大切な人が少ないこともその理由だろう。
気が多くて欲張りで、寂しがりやの弱虫な私とは違い、筋金入りの人だ。
強くて頑固で、常識があって欲張らない。

結局彼女の続けていることが、安定して安全なのだ。

物忘れの認知症気味の友人のことは、とても気になっている。
今日はどうしているのだろう、寂しくないのかな?ご飯作って食べたのかな?と思うが、私が心配しても仕方のないことだ。

3人のグループLINEがあるが、そちらにもメールが入らなくなりました。

節約家の友人に合わせた感じと、暮れまでに振り回されて疲れた分が癒えるのを待って、私は私の付き合い方をやっていこう。

夫は元気です。

あれから毎日、私に急かされて本当は言われたくないのだと思うが言われてから、捨て台詞を言いながらウォーキングしている。

ただ夫は私よりももっと、甘くてご褒美がないとダメらしく途中で、きなこ餅とあんこ餅をひとパックずつ買って来て、なんだか外で食べたらしくきなこ餅は食べかけて持ち帰って来た。

歩きに行ってお餅を食べたらダメでしょうと、わかっていると思うが。
そんな歩き方をしているから、多分血糖値は下がらないだろう。

食事はできるだけ気をつけているが、留守中にパンを1枚食べたりしているようだ。

⭐️糖尿病、治すの忘れて溺れてる。
⭐️ウォーキング、ピアノの稽古と似ているね。
⭐️言われても、すぐに行かない男意地。

ではまたねー。
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師走第五弾

2023-12-28 20:39:00 | Weblog
今日で夫の喉の放射線科は卒業しました。
「今日で、卒業です」と放射線科の先生から言われました。
とても人柄の良い、誠意のある先生でした。

今朝は本当はもっと早起きして、私の実家のお墓参りを先にして、それから病院に行きたいと思っていましたが、朝方また寝てしまい、何本立てもの夢を見ていたら、起きたら8時過ぎていました。
それで慌ててご飯食べて夫を急かして、8時45分に家を出発しました。だから予定通りいきませんでした。

夫は自分の家のお墓参りは、自分から行かなきゃとか行こうよとか言ったことはない。うちの仏壇にもお線香一本あげたことがない。

でも私が行こうよと言えば、来るのですけどね。

私は、結婚して子育てして、コバちゃんや義父とも暮らして、仕事して先が見えない、どうなるのだろうと思いながらも、子供の将来が楽しみでそれで頑張ってきました。もちろんたくさんコバちゃんのお世話にもなりました。

音楽教室が盛況だったのも、コバちゃんや義父が真面目に暮らしてらしたおかげと、心から感謝しています。
決して私の頑張りだけではなかった。
良い講師の方々のおかげもありました。

子育てで何時ごろが楽しかったかと言うと、子供の進路を決めるあたりの頃だな。

1度目は、長女の高校進学。次女が中1長男が小1の頃。

2度目は、次女が高校大学と音楽を目指した頃。長女も大学生だったし、長男は小3から小6だった頃。

3度目は、長男の高校進学と、大学進学の頃。その頃長女は音楽を教え始めてから結婚する頃。次女はミュージシャンとして活躍始めの頃だった。

面白かったなー。
何と贅沢なことかしら?
3人の子供の将来、この子はどうしたら輝けるかしら、どうしたいと思っているのかしら?といつも考えていたなー。
3✖️3🟰9だね。面白かった。

今も面白い。

かといって、若い頃に戻りたいとは思わない。
あの頃精一杯やったし、あの頃に戻るとコバちゃんもいるんだよね。
そ、それは、勘弁してほしい。

今が1番いいかな。
みんなが揃っているからね。

今日は午後、夫も連れて年末の買い物をしてきました。夫は松葉杖をしながらついてきました。

スーパーに入ってからは、松葉杖をカートに立てかけて、カートを押して歩いていました。カートを押すのは、楽そうでした。

松葉杖での生活はまだまだ続くと思う。
時々咳き込むこともある。誤飲に気をつけなければならない。

この歳にならないとわからないと思うが、生きるとは、大変なことだな。

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師走第四弾

2023-12-25 19:10:00 | Weblog
今年ももう、残り少なくなってきましたね。
今年はいろいろなことがありました。
ここにきてまた一つ心配なことがありましたが、それも解決に向かっているので、何とかみんなが無事に新年が迎えられそうです。

私は習い事を一つやめましたが、別のことを始めるから±0というところ。

パートの仕事も辞めたいと思うこともあるが、こんなことも出来なくなったらおしまいだろうと思うので、意地でも続けると思う。
仕事の時間は若い方のようにフルタイムではなく4時間だけ。前後1時間加算しても5時間の拘束である。

だから午前中に練習もできるし、曲ができたら楽譜を起こす時間もたっぷりある。

今年も忙しくても、発表会もできたし、コンサートもできた。そのための練習もコツコツ取り組めた。

いつも動いてるのが好きなんです。

東條さんのような70過ぎの人は見たことも聞いたこともないと言われるが、だからほらパートの時間も短いからできているのです。

朝から夕方までの仕事なら、とてもとても無理です。

今年頑張ったことは、ダイエットです。
発表会の頃は凄く体が重かったのです。

7ヶ月かけて5.7キロ落としました。
とても身体が軽ーくなり、動きやすいし股関節も治したからいくらでも歩けます。

あの手術は正解でした。

このまま持続していきたいと思っています。

来年は夫の病気を治して、もっと良い年にしたい。

夫は骨折のリハビリも、放射線治療もやりましたが、性格は治りませんでした。笑笑

夫のような女版の友人がいて、そのほうでもいろいろと振り回されていましたが、引き続き付き合うなら、そちらもこちらも工夫が必要です。

友人は家族ではないので、工夫というよりは、自分の心身の安定を最優先すれば良いことですよね。
友人には立派なお子さんがいるのですからね。

あと10歳も若ければ無理も効くのですが、もう無理は効きません。
人のことでは、無理できない年なのだということが、今年はよーく解りました。

来年も、楽しいことをたくさんやって仲間と集って音楽をしていたい。
練習→発表会→練習→ボランティア→練習→コンサートで一年を締めくくれるようにしよう。

あとわずかですねー。
あそことあそこの掃除をしようっと。

それではまたね。
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師走第三弾

2023-12-18 21:24:00 | Weblog
まだ病院通いがありながらも、少しずつ落ち着いてきました。
あとは来年に託すことになりそうです。

職場に心配をかけていたので、一段落したことの報告とお詫びの意味を兼ねて、お菓子を持っていきました。
職場では、コロナやインフルエンザその他の事情で働く仲間の皆さんに迷惑かけたら、それが一段落するとお詫びの意味でそうしているので。

洗い場と調理場に1人ずつ新人が入った話も聞いていたので、今までの人数に2人分足した数のお菓子を用意しました。

そして1月のシフトの休み希望を、提出しました。

職場に着いてから支度をしていると、早番の人が通りかかって「東條さん、よろしくお願いします」
「はい、おはようございます。本日、よろしくお願いします」と挨拶。

掲示板に、洗い場の人数が4人から5人に変わっている12月のシフト表が数枚あったので、変更したシフトだからもらって良いのかを聞きました。

「それがね東條さん、私はこの新しい方に仕事を教えたんです。決して虐めたりはしなかったんだけど、次の日から勤務という朝になって母親の介護の為仕事ができなくなりましたと断ってきたの。がっかりしたわー。確かにここの仕事は片手間ではできないほどキツいけどね。教えてもらってみて、これは無理だなと思ったのかもね」

そ、そうなんだ。

「残念ですね」

「ほんとによー。一生懸命教えたのに」

私も仕事を教わった時、これはキツい仕事だなと思いましたから。
でもあの頃70歳になっていた私にはこれを逃したら仕事はないと思ってやってきた。

57歳のその方だったら、まだまだ他に違う仕事は探せるでしょう。
母親の介護の合間に4時間ぐらいならできそうと思ったが、教えてもらううちに結構大変だと思ったのかな。

ま、いいや。私にとってはかえって良いのだ。なんか、自分の価値が少し上がったかのような感がする。

話は変わりますが前のブログで確か、夫は結婚にも、子育てにも、私にも、仕事にも取り組みが不真面目だと書きましたね。

まだまだありましたよ。

病気にも不真面目。

先日は血糖値が高いからインスリンの量のことで先生に急いでお願いしないと…と言っていたので、いつ行くのか、明日はどうかと聞いたら「べつにいいかな」と言う。
夫は毎日暇だから良いが、私は日々忙しいのだ。その中を縫ってあの病院この病院と連れて行くのだぞ。

マイペースで腹が立つのですよ。

友人にもよく似た女版がいるのですが、その人にも結構このところ振り回され、2人に振り回されていました。

コバちゃんはよく自分の息子である夫のことを、フーテンの寅さんみたいだと言っていたが、本当にそうだと思う。

フーテンの寅さんは結婚もしてないし、なので子育てもしてない。
奥さんも子供もいないから身軽だ。
そしてやはり仕事にも寅さんも真面目ではない。

長続きしない。
人とすぐ揉めてしまう。

そっくりー。

これからは「トラ」と呼ぶことにする。

12月に入って、もう半ば過ぎましたね。

1月は、とりあえずちゃんと仕事します。
勿論レッスンも頑張ります。

来年、発表会の日程が決まりました。
頑張ります。

それでは今日はこの辺で。
おやすみなさい。

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師走第二弾

2023-12-06 19:55:00 | Weblog
夫の喉の治療は、今日で終わりました。
この後は経過観察になると思いますが、まだ何も決まっていません。
でも終わって、ホッとしています。

この治療のことで、パートの仕事を減らしてもらっていました。なのに11月などはそれでも決まっている勤務の日に行かれず、2日もまた代わってもらいました。

12月のシフトを出す時に、本当は休み希望を4日提出するのですが、私の場合は勤務可能な日を出してと言われていました。
迷惑かけた分を取り戻そうと、13日を書き出したら「こんなに無理でしょう、確実に出られる日を書いてきて」と言われてしまった。

信用無くしたなーと思った。
で、それから1週間後に出られる日を9日提出しました。
「これだけ書いてあっても、全部が出勤にはなりません。他の人の兼ね合いもあるから」と言われてしまった。

そればかりか、最近求人を出したらしく、もう6人もの応募者が来て、どんどん面接をしていると言う。

私は焦った。しかし自分が悪いのだから、どんな思いをしても平静を装って、精一杯真面目に仕事するしかないと覚悟する。

たまーに仕事しに来てみたら、募集していて面接している。そして新たに応募者からの電話に対応しているのだ。


たったの4日間の勤務を何とか無事にやり終えて、後は12月のシフトができるのを待つだけだなと思いながら、11月最後の仕事を終えようとしていた時店長が来て…
「東條さん、ご主人はどうですか?順調に治療は進んでいますか?」

「はい、お陰様で順調です。11月は大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。」

「順調で良かったですね。東條さんがご主人のサポートを心置きなくやってもらうためには、どうしても頭数揃えないとならないので求人を出していますが、東條さんに辞めて欲しいわけではないですからね。喫茶部の〇〇さんが退職することもあり、ついでに洗い場でももう1人いてもいいなと思っています」

「あ、ありがとうございます」

私、いらない子じゃなかったんだ。

私はだいたい天秤にかけていたな。
このパートがなくたって、教室があるからいいもん。とか、こんなキツい仕事はずーっとやる仕事じゃない。とか。

洗い場の中の食器洗いの回数のことを考えて、不満に思ったりしていたのも事実。
おごった考えで生意気だった。

今年の4月から入った人は早番専門だったが、11月末に2日ほど遅番の仕事を教えて、私の穴埋めに動けるようにすると言っていたことも、気になっていた。

ある日行ってみると箱にお菓子が入っていてメモが添えてあった。
「洗い場の〇〇です。この度遅番の仕事もやることになりました。よろしくお願いします」と書いてあった。

この洗い場の仕事をコツコツ覚えて、遅番もやることになったことを嬉しく思い、この後も仕事を頑張ろうとしているのだと思った。

私は以前この人に「早番も朝から大変だとは思いますが、遅番は2時から1人になって食器洗いを4回から5回やるので、1時に来て2回も食器を洗うと6.7回洗うことになるのだけど、早番の人は食器洗いを2回するだけだから平等ではないと思う。このことを〇〇さんに言ったけど取り合ってもらえなかった」と言った方があった。

その人は「私と一緒の時は、私が食器を洗います」と言ったのです。
もちろん、そう言う意味ではないと言い、仕事は普通にやりましたが、自分はわがままだなと思った。でも不満は不満であった。

12月からその人は早番と遅番がシフトに入っていた。
私は9日提出したうちの8日間、勤務が入っていた。

先日の日曜日仕事に行った時、一緒に仕事した人が、「〇〇さん遅番の仕事が帰りまでに終わらず、パニックになっていたらしいの。次の日来なくなっちゃうかと心配したわ」と言った。

私は「たった2日間教えてもらっただけでもう自立して遅番の仕事をするなんて、凄いことですよ。私などは6日間教わってもなかなか大変でしたから。お若いから大丈夫ですよ。あの方はやる気で前向きな人ですから」と言いました。

「〇〇さんは、遅番やってみて東條さんが言っていた食器洗いの回数のことが、やっとわかったとも言ってましたよ。遅番はキツいですねとも…」

そうか、わかってくれたんだ。うんうん、わかってくれるだけでうれしい。

今度57歳の人が洗い場に来るそうです。
若いなー、57歳かー。

私も、わがまま言わないで、教室と天秤にかけたりしないで純粋に頑張ろうと、心を入れ替えたところです。

では、またね。
読んでくださって、ありがとうございます。


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いよいよ師走ですね

2023-12-01 23:15:00 | Weblog
気がついたら今日から12月です。

今年は一言で言うと、キツい一年でした。
なんといってもこの夏は半端ない暑さで、キツい仕事が何重にもキツかった。

まず職場までたった8分歩くのでも、着いたら大汗で息も上がってハアハアいっていた。
食器洗いを早番と遅番で同じ回数にして欲しいと、本気で思った。
仕事に慣れてきて、わがままが出たのかもしれません。

6月に骨折した夫は、3ヶ月リハビリで入院して9月半ばに退院しましたが、声枯れが気になり耳鼻科に行きましたら、病気が判明。
検査検査でまた新たな病がみつかりました。

声枯れが原因の治療が10月末から始まりました。
職場にその旨話して、出勤日数を減らしてもらうことに。
食器洗いの回数で不満を持っていたその人に、助けられる羽目になりました。

夫は順調です。
妹曰く、ラッキーボーイだから。

しかし可愛くないラッキーボーイだ。

6月から休んでいたジムの退会届を、私は忘れていてしていなかった。
自分の分は済ませたが、夫は同列の他のジムを使っていたのでそちらに退会届を出さなければならなかったのに、忙しさで忘れていたのです。

「何やってんだ、6月から半年以上も引き落としになってたなんて、五万円以上もの損だぞ。判ってたはずだろ!」と激怒。

「うるさいっ!お前がやれっ!」と、私もキレた。

キレるのは、面白い。

ぜーんぶ人のせいにして、清々する。

夫に対して、最悪な言葉で傷つけるための訓練を私はしていたから、とっさにすぐ出る言葉が「うるさい!、お前がやれ!」なのだ。
短くて、男言葉で、夫の口真似だ。

夫の治療中待ちながら、携帯のメモに悪口をいっぱい書いた。

性格的に結婚が向いてない男、性格的に愛の少ない男、自分が1番大事なドラ息子男、両親の欠点だけを受け継いだ男、包容力の全くない男、一度も家を出て一人暮らしをしなかった男、不真面目な男、仕事ができない男、やりっぱなしのとっちらけ男、などなど。
また夫は病院通いしている時に、看護師にくってかかったことが5回ある。どこかにあるスイッチが入ると、キレるのだからタチが悪い。

そばにいる私も、とても恥ずかしい。

すぐにジムに行って、退会届を出してきたが、夫とは口をきかないでいた。

それでその話になると私は「お前が行け!」と手短に言った。

次の日「退会届出してくる」と言うので
「松葉杖ついて行ってこい!もう済んでる」と言ってやりました。

そんなこんながありましたが、治療はあと3日で終わります。その後も通院があるが、一段落します。

それと、10日にコンサートがあります。
こんな時にと思いますが、半年前から決めて場所もとってあるのでやってみます。
私は伴奏も含めて、10曲ほど弾きます。
そのうちの5曲は私のオリジナル曲で、練習もしてきました。

今年の総決算コンサート🎹です。

お客様はいなくても良いつもりで、仲間たちと楽しみたいと思っています。

ではまたね。


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あら、たいへん

2023-11-06 01:18:00 | Weblog
音楽以外のキツい仕事は、社員食堂の洗い場のパートですが、始めて2年はキツいキツいと必死だった。
そしてこの夏は猛暑だったので、70歳過ぎの私には通うことから大変だった。

私に仕事を教えてくれた人は、よく動いて働き者だが私はその人に不満だった。
早番と遅番があるが早番の人は9時から仕事に入って2時まで。遅番は1時に出勤して5時まで。1時から2時までの1時間を2人で仕事するのです。

私は遅番の仕事しか教わっていないので遅番専門です。

1時少し前に洗い場に入りますが、今年の猛暑の中ふうふう言いながら着いてすぐに食器を洗ってと言われる。
洗い物はトレーと箸スプーンフォーク、ナイフそして食器があります。
中でも食器洗いが労力が要ります。様々なサイズのお皿やどんぶり、湯呑み、小鉢などなど。

遅番は食器洗いは2時からは4、5回洗う。なのに1時から2回洗うと合計で6、7回、洗うことになる。

早番の人は2回ほど洗うだけだ。上の人から食器を洗って下さいと言われれば嫌ですとは言えない。
そのことに気がついたのはこの夏のこと。
それまではこの人と組むと疲れるなあと思ってはいたのだ。でも、ゆとりもなく気がついて、これっておかしいと思ったのは最近だ。

1時から2時までの間、1回目の食器洗いは早番の人がやり、2回目のは遅番の私が洗い、3回目のをその先輩が洗い、4回目はまた私が洗う。

食器を洗う回数を早番と遅番で同じ回数にしてもらいたいのだ。
中には食器は2時まで何回でも洗う人がいる。「私洗いますよ」と言うと「遅番は2時から1人になってずっと洗うのだからいいです」とその人は言う。私はそれが正しいと思うのだ。

私に仕事を教えてくれた人が遅番の時は、1回は洗っているようです。早番の人にそれとなく探って知りました。
自分は遅番の時、食器は1回しか洗ってないんだ。

こんな不満を家でも言っていたら夫が「いいじゃ無いか、食器洗うのに頑張ることはないんだ、のんびり時間かけて洗ってりゃいいんだ。食器を洗ってる間は他の仕事はできないんだから、頑張ってさっさと洗おうとするから疲れるんだ」と言う。

そうか、そうだね。わかった。

真面目に効率よく張り切って洗うから疲れるのだ。
それと、洗う回数など気にしないようにしようと思った。

10月から夫の病院通いが始まりました。
出勤の予定だった日を他の人に代わってもらうことが何回もあった。

食器洗いで不満だったその人が、ピンチを引き受けてくれた。
悪口言ってた人に、何回もお世話になった。

11月は勤務を6日間にしてくれたのに、また急きょ代わってもらうことになった。
いつでも言ってね、なんとかするからと言われていたので甘えた。

1週間ぶりで今日仕事でした。

10年以上もいる人、6年いる人、そして私が2年半と4月からの新人さんの4人でやっているのです。

今日は私に仕事を教えてくれた人と組みました。「ご主人大変ね、身体に気をつけてやってね。新人さんは早番専門だったけど今月中に遅番の仕事も教えて、東條さんがいつ休んでも対処できるようにするつもりで、リーダーと仕事を教える日を2日決めたんですよ」と言う。

そうか、私がそんな仕事の仕方をしてるから、私以外の人数で回していけるように考えているのか。

生意気に、食器の洗う回数がどうだとか不満だとか言ってるうちに、私は必要のない人になってしまうかもしれない。

仕事はなんでも惜しまずやるつもりだったではないか。
ゆとりができたら不満が生まれて、なんと愚かなことだ。
心を入れ替えて、謙虚に、食器は7回でも8回でも文句を言わずに洗わなければ、おごった考えは良くない。

大いに反省。

この年で仕事があるだけラッキーなのよ。

何日でも休ませてくださるのに、恩を仇で返すことは慎むのだ。と思いました。

検挙を忘れた、生意気な70過ぎのお婆さん。これからは心を入れ替えるんだよ。

わかったかね?

はい、心して頑張ります。

では、おやすみなさい。

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小さな幸せがあれば

2023-10-15 21:34:00 | Weblog
先日、誕生日でした。
思いもかけずみんなに祝ってもらえて、こんなに嬉しいことなんだと思いました。
北海道からみえていた息子の嫁のご両親も、祝ってくださって何より嬉しかった。

と同時に、熊本の今は亡き長女の旦那のご両親も思いました。

そして次女の義理の両親のことも。

私は3人の子供を持つことができたが、その連れ合いたちももらった気でいる。
だからその親御さんも大切な人たちだ。

こんな絵に描いたような、穏やかな良い人たちでほんとに良かった。

心から思う。

心配事はあるが、家族みんながわかっていることだから相談もできるし、最善の知恵を持ち寄って協力してくれると思うから、乗り越えられると思う。

こんな中、私は気になる他人の心配もしていた。
コバちゃんや、介護の仕事を通じて経験した認知症というものが、親しい人の問題となっていたのです。
それを間近でみて、翻弄されたり巻き込まれてクタクタに疲れたりしていました。
親身になって考えすぎると、昔と違いとても疲れやすくなっているなあと、老いも強く感じるようになりました。

人のお家の問題を目の当たりにすると、いかに我が家は愛に満ちた暖かい環境なのだということがわかります。
ただ何とか友人が心穏やかに過ごせたらと思うものだから、ああしたらこうしたらと気を使い、試みますが、どうもうまくいかなくてただ疲れてしまうのが残念です。

今日は、やっと、どう接したら疲れないかを、もう1人の友人と話し合いました。

それは…

決して、本気にしないことだとわかりました。

認知症だから。

SOSがメールや電話で来ると、飛んで行ったこともありました。
私は車で、もう1人の友人はバイクで。
しかしもう、私たちがどうすることもできないし、揉めているよその家のことに、私たちは責任もないし、関わってはいけないことだと思いました。

何と言っても、私たちも歳をとっているし自分のことを守ることで、精一杯なのです。

2年前、友人の誘いで彼女の家で音楽教室がはじまりまして、そこには生徒が3人だけですが居られます。

友人の認知症が進んだら、教室を辞めれば良いのです。
無理をすることはありません。

教室を続けるために、巻き込まれて翻弄されることはないはずです。

自分の家族たちとの、小さな幸せが続いていくことを願いながら、心穏やかに暮らせれば…と思っています。

疲れただよー。
クタクタさあー。

湯楽の里のお風呂にゆっくり入りたい。
そして、マッサージを受けたい。

心配事の、けりをつけたい。
はーやーくー!はっきりしてーー!




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オーディション

2023-09-13 01:32:00 | Weblog
まだまだ残暑厳しいが、秋がそこまできている感じはありますね。
朝夕がすずしいですからね。

秋といえば芸術の秋。それに向かって、中2の生徒さんが伴奏曲を仕上げた夏だった。

私のブログは事実、真実を書くブログなもので赤裸々な内容になってしまうことが多い。許してね。

生徒のお母様はこのブログは知らないと思うから、えーいっ、書いちまえー!ということで、赤裸々やります。

この姉妹は初めはお姉さんだけ習っていましたが、妹さんが3歳半くらいの時から2人続いてレッスンでした。
ご両親が共働きのため、赤ちゃんの頃から保育園に通っていた姉妹です。
さあその6歳と3歳の2人が、ある日のレッスンの最中にふざけ始めて、止まらなくなった。
それは、お母さんにも手に負えなかった。私も人の子を叱るわけにも行かず、生ぬるい対応でちゃんと時間までレッスンして、帰しました。

次の週はお父さんが付き添ってきましたが、案の定またふざけ合って笑いが止まらなくなり、暴れる始末。
お父さんはお母さんより何をしたら良いのかわからないようで、これ、やめなさいと小さい声で言っただけでした。
その頃は1人30分のレッスンなので、2人だと1時間いなくてはいけないので、結構大変なのかも知れなかった。

私は過去にも姉妹を教えて、同じようなことがあったのを思い出してみた。

次のレッスンの日、お母さんとその2人は元気にやってきた。
「この前とその前のレッスンの時、あんなふうにふざけてしまうのはどう?変じゃない?先生はああいうことは困るので、もし良かったらもっと他の教室を探して、そちらで習ってくれる?私は教えたくないですよ。ご家族で話し合って、きちんとレッスンが受けられるなら次回来て下さい」と言いました。

それから2人はピアノを続けて、今では高校2年と中学2年になって頑張っています。
2人ともピアノが上手で、エレクトーンのグレードもどんどん取得しています。

私は息子を2歳10ヶ月から、保育園に入れました。3歳過ぎていれば保育園に預ける年齢に達しているが、2ヶ月ばかり早いけど「頑張ってくれよ息子!」と自分に言い聞かせながらも、何か後ろめたい気持ちや、かわいそうと思ったものだった。

そもそもそんな気分でいると、これが子供は見抜くものだ。自分を保育園に預けていることで、ごめんね…という気持ちを持っているのだなと、子供は感じ取る。0歳でもだ。

0歳だからと言っても、子供はすごいのだ。いい加減な保育士を見抜くし、保育士同士の会話だって、言葉はわからなくても感じ取るのだ。
小さい時から保育園にいれば、自分を守ることも覚えるし、大人のこともバカにだってするのだ。人だもの。

そんな子が大きくなったら、どうなるのだろうと思っていた私。

とっても良い子に成長するんですこれが。

そういう姉妹を2組ですが、見てきました。
今からもう5年以上前から、感心することばかりでした。かっこいい!とさえ思えました。

保育園も幼稚園も関係ないのだな。
小学校に入りたてから2年生くらいまでは、何か雰囲気が違う感じはするが、その後はそれらは関係ないのだと、実証済みです。
文部科学省と、厚生省の違いはあるのでしょう。

夏休み中、合唱祭の伴奏と取り組んでいた中2の生徒さん。
二曲と取り組んでいました。
クラスの曲と学年で歌う曲。どちらも仕上げていましたが、弾きたかったクラスの伴奏は、他の子に負けてしまい、学年で歌う曲をお願いされたそうです。

それはオーディションなしで決定だった。

「そうか、もっと上手な子がいたんだね。仕方ない、音楽は厳しいんだよ。でも学年の曲もやっていてよかったね」
「はい」
本番は10月。頑張ってね。

9月に入って小4の生徒が、合唱の伴奏やると手を挙げたそうで、お母さんからメールをもらいました。次の日にレッスンして、さらに5日後に2回目のレッスンをしました。次は土曜日が通常のレッスン日に見えるので、そこで最後まで弾けるように指導します。
オーディションは、10月の体育の日あたりとのことです。

もう1人、楽しみが増えましたよ。
頑張って欲しいです。

私の娘は2人いるが、2人ともピアノでは表立って凄いことはなかった。伴奏も上の子は一度くらいは挑戦したかも知れないが、ピアノではそれほど目立たなかった。

でも、それが良かったのだ。

音楽教室の家の子供は、あまり生徒さんを差し置いて目立たないほうがいいのだ。
可愛いとか、綺麗では、目立って欲しいけどね。
ピアノの発表会などで、決まってトリを取るような真似は私は嫌なのだ。
「あ、先生のうちのお嬢さん○番と○番なんだ。もっと上手な生徒さんがたくさんいるんだなー」…これで良いのだ。

「先生は、自分の子供はそっちのけで、生徒の指導を一生懸命してるんだ」と知っておいて欲しいのだ。

私は娘2人は、うちの信頼のおける先生にお任せしました。
もし万が一、他の楽器で専門家になるとしても、困らないように。

今小さい方の2人の孫が、ピアノを習っています。発表会にはそれなりの曲を立派に弾きました。

ダンスも習っていて、これには結構力が入っています。

音楽教室の家の子は、ピアノで目立たなくて良い。
可愛いとか、綺麗では目立って欲しい。

これが私の持論です。

よろしくねー。


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お楽しみ会

2023-08-29 21:59:00 | Weblog
残暑お見舞い申し上げます。
毎日どっと暑いです。
朝夕、ほんの少しですが、あれっ、前と違うな…と思うことがあります。すこーし涼しいような。

音楽教室の年に2回のイベント。

発表会と発表会の間に、演奏経験を積むことを目的として始めたのが、夏はお楽しみ会、冬はクリスマス会だ。

初めは、ある先生がやってらした。
生徒たちの演奏が終わると、先生自ら目隠しをして生徒をつかまえたり、とても賑やかにやっていたのを覚えている。

そのうちに私もやるようになって。

あの頃は生徒がたくさんいたので、先生5人とその生徒でやっていた。
みんなの演奏が終わると、生徒の1人がバチッと電気を消す。
私が怖い話をするのが恒例になっていたから。

クリスマス会の時だけ、プレゼント交換をしたが、そのうち夏にもプレゼント交換するようになった。

あの頃は、35人から40人くらい集まっていた。だんだん少なくなって、20人くらいでも楽しかった。

今日は生徒は6人だけ。講師が3人。
ほんとに少なくなりました。

私の音楽教室人生は50年以上経つが、小さなやる気はもっともっと昔からあった気がする。

あの時代だから、子供の頃はオルガンだった。
ピアノが家に来たのは高校生の頃。
なのでよく、井の頭線沿線の貸しピアノ、渋谷の楽器店の貸しピアノを利用していた。
そこには高齢の女性がいて、たくさんの鍵をガチャガチャさせながら、狭いピアノ室の鍵を開けてくれた。

その時のおばさんのようなことを、今私がしている。

自分が生徒のレッスンをするほかに、別の先生のレッスンのために教室を使ってもらっているから、そんな時はなるべく家にいて、始まる前に教室のエアコンをつけておいたりしている。

やりたかったことを仕事にして、いつも人の出入りがあるのが、私は幸せなことだと思う。やりたかったことをやれているのが幸せだと思う。

発表会やお楽しみ会、レッスンも気に入っている仕事だし、こういう人生を送りたかった私が続けて来たことだ。

この教室を開設してゼロから始めて今日に至っていて、この教室の責任者としてもうしばらく、この人生を楽しんでいたい。

25年ほど前に長女が音大を卒業して、講師になったが、しばらくは結構大勢の生徒を持たせることができた。
しかし10年ほど前から、徐々に生徒が少なくなって来ました。

少ないながらも、今日もお楽しみ会は楽しくできました。

時代が変わっても、音楽を通じて子供さんや大人の生徒さんはかけがえのない大切な友人のような気がします。

今通って来てくださる生徒を指導して、心に感じたものを作詞作曲して、仲間と歌い、ボランティアコンサートや、仲間とのコンサートを開催する。
ピアノ、エレクトーン、オカリナ、ウクレレ、リコーダー、などなど音楽講師として、また音楽愛好家として、音楽好きな高齢者として、このままやれていれば言うことない人生です。

あ、そうそう、キツいパートで身体を鍛えながらね。

ではまたね。
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