先日、誕生日でした。
思いもかけずみんなに祝ってもらえて、こんなに嬉しいことなんだと思いました。
北海道からみえていた息子の嫁のご両親も、祝ってくださって何より嬉しかった。
と同時に、熊本の今は亡き長女の旦那のご両親も思いました。
そして次女の義理の両親のことも。
私は3人の子供を持つことができたが、その連れ合いたちももらった気でいる。
だからその親御さんも大切な人たちだ。
こんな絵に描いたような、穏やかな良い人たちでほんとに良かった。
心から思う。
心配事はあるが、家族みんながわかっていることだから相談もできるし、最善の知恵を持ち寄って協力してくれると思うから、乗り越えられると思う。
こんな中、私は気になる他人の心配もしていた。
コバちゃんや、介護の仕事を通じて経験した認知症というものが、親しい人の問題となっていたのです。
それを間近でみて、翻弄されたり巻き込まれてクタクタに疲れたりしていました。
親身になって考えすぎると、昔と違いとても疲れやすくなっているなあと、老いも強く感じるようになりました。
人のお家の問題を目の当たりにすると、いかに我が家は愛に満ちた暖かい環境なのだということがわかります。
ただ何とか友人が心穏やかに過ごせたらと思うものだから、ああしたらこうしたらと気を使い、試みますが、どうもうまくいかなくてただ疲れてしまうのが残念です。
今日は、やっと、どう接したら疲れないかを、もう1人の友人と話し合いました。
それは…
決して、本気にしないことだとわかりました。
認知症だから。
SOSがメールや電話で来ると、飛んで行ったこともありました。
私は車で、もう1人の友人はバイクで。
しかしもう、私たちがどうすることもできないし、揉めているよその家のことに、私たちは責任もないし、関わってはいけないことだと思いました。
何と言っても、私たちも歳をとっているし自分のことを守ることで、精一杯なのです。
2年前、友人の誘いで彼女の家で音楽教室がはじまりまして、そこには生徒が3人だけですが居られます。
友人の認知症が進んだら、教室を辞めれば良いのです。
無理をすることはありません。
教室を続けるために、巻き込まれて翻弄されることはないはずです。
自分の家族たちとの、小さな幸せが続いていくことを願いながら、心穏やかに暮らせれば…と思っています。
疲れただよー。
クタクタさあー。
湯楽の里のお風呂にゆっくり入りたい。
そして、マッサージを受けたい。
心配事の、けりをつけたい。
はーやーくー!はっきりしてーー!
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