残暑お見舞い申し上げます。
毎日どっと暑いです。
朝夕、ほんの少しですが、あれっ、前と違うな…と思うことがあります。すこーし涼しいような。
発表会と発表会の間に、演奏経験を積むことを目的として始めたのが、夏はお楽しみ会、冬はクリスマス会だ。
初めは、ある先生がやってらした。
生徒たちの演奏が終わると、先生自ら目隠しをして生徒をつかまえたり、とても賑やかにやっていたのを覚えている。
そのうちに私もやるようになって。
あの頃は生徒がたくさんいたので、先生5人とその生徒でやっていた。
みんなの演奏が終わると、生徒の1人がバチッと電気を消す。
私が怖い話をするのが恒例になっていたから。
クリスマス会の時だけ、プレゼント交換をしたが、そのうち夏にもプレゼント交換するようになった。
あの頃は、35人から40人くらい集まっていた。だんだん少なくなって、20人くらいでも楽しかった。
今日は生徒は6人だけ。講師が3人。
ほんとに少なくなりました。
私の音楽教室人生は50年以上経つが、小さなやる気はもっともっと昔からあった気がする。
あの時代だから、子供の頃はオルガンだった。
ピアノが家に来たのは高校生の頃。
なのでよく、井の頭線沿線の貸しピアノ、渋谷の楽器店の貸しピアノを利用していた。
そこには高齢の女性がいて、たくさんの鍵をガチャガチャさせながら、狭いピアノ室の鍵を開けてくれた。
その時のおばさんのようなことを、今私がしている。
自分が生徒のレッスンをするほかに、別の先生のレッスンのために教室を使ってもらっているから、そんな時はなるべく家にいて、始まる前に教室のエアコンをつけておいたりしている。
やりたかったことを仕事にして、いつも人の出入りがあるのが、私は幸せなことだと思う。やりたかったことをやれているのが幸せだと思う。
発表会やお楽しみ会、レッスンも気に入っている仕事だし、こういう人生を送りたかった私が続けて来たことだ。
この教室を開設してゼロから始めて今日に至っていて、この教室の責任者としてもうしばらく、この人生を楽しんでいたい。
25年ほど前に長女が音大を卒業して、講師になったが、しばらくは結構大勢の生徒を持たせることができた。
しかし10年ほど前から、徐々に生徒が少なくなって来ました。
少ないながらも、今日もお楽しみ会は楽しくできました。
時代が変わっても、音楽を通じて子供さんや大人の生徒さんはかけがえのない大切な友人のような気がします。
今通って来てくださる生徒を指導して、心に感じたものを作詞作曲して、仲間と歌い、ボランティアコンサートや、仲間とのコンサートを開催する。
ピアノ、エレクトーン、オカリナ、ウクレレ、リコーダー、などなど音楽講師として、また音楽愛好家として、音楽好きな高齢者として、このままやれていれば言うことない人生です。
あ、そうそう、キツいパートで身体を鍛えながらね。
ではまたね。