東鶴師範にお教えいただいた「名僧のことば 禅語 1000」早速調達して参りました。
先ずは、禅語の中から気に入ったものをいくつか覚えたいと思いまして・・・
何かを語るときに少しでも引用できたりしたら格好いい!
動機は不純です。
でも・・・読み。 漢字を見ただけでは・・・う~んです。
そして、その読み方を見てなるほど。 解説を読んで・・・う~んです。
でも、毎晩少しずつ勉強したいと思います。
ついでにこんな本にも手を出してしまいました。
いつも先生にお手本を書いていただくのですが、お手本に書かれている
字やその言葉をあまり理解せずに、ただお手本を真似て書くことに
専念していました。
でも・・・なんか今一つわかって書いていないなあとも。
で、草書を書く際の参考になればと思い調達してきました。
それから、9月の雙暢展に出品した「啐啄同時」 ”そったくどうじ”という言葉との
出会いについて少し書かせていただきます。
この言葉との出会いは次のとおりでした。
確か8月の半ば頃のお稽古の日だったと思います。吉野大巨先生が突然
「桃太郎さん雙暢展に出品する作品書いてきました?」との問い???
ドキツ! 何を言われているのか???
あれ?お手本入れてなかったっけ?
「あ~ じゃ今すぐ書きますから次回までに頑張って書いてきてください」とのこと
それから何やら分厚い辞典のようなものを開いて、桃太郎さんに合うもの、合うものと
よしこれにしよう。
そして書き始めていただいたお手本が「啐啄同時」だったのです。
これどういう意味なんですか?
との私の問いに、その日教室でご一緒だった墨友会のR.Kさんが卵の事よねと
あっさりとお答えになられて。 う~・・・・・
大巨先生曰く、「桃太郎さんも会社などで部下の方たちと阿吽の呼吸っていうか
そういうのがすごく大事でしょ。そんな意味ですよ」と
お教えくださいました。
以上が この言葉との出会いでありまして、いい言葉をお教え頂いたと感謝しております。
東鶴さんと同様ですが、とある福祉施設に私の書も飾らさせていただいています。
実に恥ずかしながら・・・です。
今日のタイトルは「海を渡った書」にさせていただきました。
書かれているのは「淵黙雷聲」(えんもくらいせい)です。
単純に言えば、“静かな川の淵があるが、遠くに雷の音が聞こえる”です。
、
永平寺の傘松閣(さんしょうかく)の正面の床の間掛けられていた解説がありましたので紹介します。
“悟りとはどういうものか?と質問してきた者に対して、深く黙した(淵黙)。
しかし、その淵黙が雷のような大きな声を発したように聞こえた・・・”との内容です。
ここで本題です。
福祉の先進国フィンランドのタンペレ市の方々が、武蔵野市の福祉施設を視察することにも驚きを感じますが、その施設の床の間に掛けられれいた書に関心を持たれたことにも、不思議さを感じます。
このアートはなんですか?と質問され、通訳より書け軸の説明をしたそうです。
更に、この意味は?と言う質問から、同行した担当者から私に問い合わせが入りました。
書は、心・インサイド(内面)を表現するものですから、情景だけでは説明しずらいところもあります。
通訳さんもかなり苦労して説明したと伺いました。
フィンランドの方は本来の視察もさることながら、日本のカルチャーの一つでもある書にかなり興味をもたれたようです。
最初の問い合わせの時に、軽い気持ちで“よろしければ差し上げますよ”と担当者に伝えましたが、2度目の問い合わせでは、本当にあげても良いのかとの確認が入りました。
“どうぞ”と言うことで、私の書がフィンランドへの贈り物となりました。
その方は“アンビリーバブル”(信じられない)と大喜びしたそうです。
このような縁があって、私の作品(書)が海を渡ることになりました。
習い始めたばかりの拙い書が、遠い国「フィンランド」で飾っていただけることで、励みにもなり、私の書道の一頁 になることでしょう。
この書軸は昨年の墨華展で、何かの賞をいただきました。
「淵黙雷聲」のごとく、深く黙しても(淵黙)、その淵黙が雷のような大きな声を発したように聞こえる・・・。
そんな人になるのは到底(絶対)無理なことですが、4文字の奥深さを感じます。
言葉の意味と生活の実態は合いませんが、書道の魅力に深くはまり込みそうです。
萬鶴