東鶴さんと同様ですが、とある福祉施設に私の書も飾らさせていただいています。
実に恥ずかしながら・・・です。
今日のタイトルは「海を渡った書」にさせていただきました。
書かれているのは「淵黙雷聲」(えんもくらいせい)です。
単純に言えば、“静かな川の淵があるが、遠くに雷の音が聞こえる”です。
、
永平寺の傘松閣(さんしょうかく)の正面の床の間掛けられていた解説がありましたので紹介します。
“悟りとはどういうものか?と質問してきた者に対して、深く黙した(淵黙)。
しかし、その淵黙が雷のような大きな声を発したように聞こえた・・・”との内容です。
ここで本題です。
福祉の先進国フィンランドのタンペレ市の方々が、武蔵野市の福祉施設を視察することにも驚きを感じますが、その施設の床の間に掛けられれいた書に関心を持たれたことにも、不思議さを感じます。
このアートはなんですか?と質問され、通訳より書け軸の説明をしたそうです。
更に、この意味は?と言う質問から、同行した担当者から私に問い合わせが入りました。
書は、心・インサイド(内面)を表現するものですから、情景だけでは説明しずらいところもあります。
通訳さんもかなり苦労して説明したと伺いました。
フィンランドの方は本来の視察もさることながら、日本のカルチャーの一つでもある書にかなり興味をもたれたようです。
最初の問い合わせの時に、軽い気持ちで“よろしければ差し上げますよ”と担当者に伝えましたが、2度目の問い合わせでは、本当にあげても良いのかとの確認が入りました。
“どうぞ”と言うことで、私の書がフィンランドへの贈り物となりました。
その方は“アンビリーバブル”(信じられない)と大喜びしたそうです。
このような縁があって、私の作品(書)が海を渡ることになりました。
習い始めたばかりの拙い書が、遠い国「フィンランド」で飾っていただけることで、励みにもなり、私の書道の一頁 になることでしょう。
この書軸は昨年の墨華展で、何かの賞をいただきました。
「淵黙雷聲」のごとく、深く黙しても(淵黙)、その淵黙が雷のような大きな声を発したように聞こえる・・・。
そんな人になるのは到底(絶対)無理なことですが、4文字の奥深さを感じます。
言葉の意味と生活の実態は合いませんが、書道の魅力に深くはまり込みそうです。
萬鶴
昨夜お包みになった餃子。
とっても美味しそうでした。今夜あたり食卓にのぼるのでしょうか?ふふふ。
萬鶴さんの「淵黙雷聲」(えんもくらいせい)
私が申し上げるのも烏滸がましいのですが
とっても心豊かに、書かれているように感じます。
私なんぞは、なんだか「必死になって書きました」みたいな作品にしかならず、心の豊かさであるとか、表現の奥深さであるとか、どうしたら身につくのかこの先が思いやられます。
書に関する造詣が浅いフィンランドの方の目に留まったのも
萬鶴さんの書から、そんな豊かさや、楽しさが自然に伝わったのではないでしょうか。
まさに「書も体を表す」ですね。
萬鶴さんの「淵黙雷聲」はタンペレという市に
あると思います。
タンペレ市からの視察をお受けした時、さる施設を見学されるので、そこの床の間に飾ってあ
る書をぜひ見てほしいと申し上げたのは私です
...。
でも、まさかおみやげにお持ちになるとは、予
想外でした。
それだけ萬鶴さんの字に心を打たれたのでしょ
う。
墨友会のメンバーの書も海外に飛躍していま
すよね。こんどは皆でそれらのビフォア&アフ
ターを確かめに行かなければいけませんね。
ちょっとおそろしい感じもしますけど....。
やはり、黒幕?がいたのですね。
私の書に目を止める訳ないと思っていました。
「タンペレ市」ありがとうございます。
加筆しました。
さて、我が墨友会も海外遠征を計画しなくてはなりませんね。
ルーマニア国ブラショフ市・フィンランド国タンペレ市、そしてテキサス州ラボック市です。
先ずは、年明けにでも海を渡って、熱海の向こうの初島で、会合?を開きましょう。
パスポート(=スコッチウィスキー?)は忘れずに
持っていきましょう。
千羔
翠邨
聴泉
麻希子
楽しみました