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内山田洋とクール・ファイブ宮本悦朗さん 習志野でスナックを(日刊ゲンダイ)

2020-06-22 14:36:33 | 報道

日刊ゲンダイDigitalで、クール・ファイブの宮本さん(実籾でスナックを経営)の近況が紹介されました。

内山田洋とクール・ファイブ宮本悦朗さん 習志野でスナックを|あの人は今こうしている

 ミリオンセラー「長崎は今日も雨だった」で知られる歌謡グループ「内山田洋とクール・ファイブ」。前川清をメインボーカ...

日刊ゲンダイDIGITAL

 

 ミリオンセラー「長崎は今日も雨だった」で知られる歌謡グループ「内山田洋とクール・ファイブ」。前川清をメインボーカルに紅白歌合戦には11回も出場しているが、本日登場の宮本悦朗さん(72)はキーボードとバックコーラスを担当する一方、ニコやかな笑顔と“ハゲ”キャラで数々のバラエティー番組でも人気だった。さて、今どうしているのか?   

◇  ◇  ◇  

 千葉県習志野市。宮本さんと会ったのは京成本線実籾駅から徒歩10分弱のスナック「クール101」だった。

「ここは1988年7月7日にオープンしましてね。女房の栄子がママで僕はスタッフなんですよ(笑い)。来月には丸32年になるんですから、ホント、早いものです」

 営業中の店内は8坪・20席ほど。常連客で半分ほど埋まっていた。

「本音は、もう少し来ていただきたいんだけど、このご時世だから密になりすぎてもね。難しいところです」

 新型コロナウイルス対策のためGWから5月末まで自粛休業。6月1日に再開した。

「3月からカラオケの熱唱は控えめ。歌唱する人が代わるたびにマイクを拭き、おしぼりをマイクカバーにして歌ったり……。けっこう気を使っているんです」

 ところでなぜ都内ではなく、遠い習志野市へ?

「萩本欽一さんが司会の『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(75~80年、フジテレビ系)で、僕らクール・ファイブはレギュラーだったでしょ? おかげさまで収入がドン! と増えた(笑い)。それで都内の賃貸から、まずお隣の八千代市勝田台の分譲マンションへ。それが75年でした」

 その後、87年に前川清さんがグループを脱退。

「音楽志向の違いとはいえ、メインボーカルの離脱ですからね。大変なことです。やむなく安定収入を得るために1階はスナック、2階を住居にできる一戸建てを買い、オープンしたってワケです。今も2階に長男と3人暮らしですよ」

 リーダーの内山田洋さんが2006年に亡くなって以降は「前川清&クール・ファイブ」を結成。テレビ出演や、年に数回のコンサート、そして宮本さんは独自に音楽活動をしてきた。

「ご多分にもれず、8月までコンサートなどのステージは全部中止。9月26日に都内・新宿文化センターで予定してる恒例の『前川清&クール・ファイブ』コンサートは微妙……ってところです」

 と、そこへお客さんがクール・ファイブのサードシングルでミリオンセラーの「逢わずに愛して」をカラオケに入力。もちろん、バックコーラスは宮本さん。前川さんの気分で歌えるのは同店ならではだ。

「大学に合格していたら、クール・ファイブに入ることはなかった」

 宮本さんは1948年1月15日、長崎県対馬に生まれた。

「父はイカ釣りの得意な漁師でした。僕は音楽の教師を目指し、長崎大学教育学部を第1志望にピアノを習い猛勉強。ところが高3の秋、父が急逝。受験も失敗続きで2浪したのに不合格。実家に帰るに帰れず、長崎のラウンジで弾き語りをしていた時に内山田先生に出会い、67年9月の『クール・ファイブ』結成時のメンバーに加えていただきました」  

 そして長崎市内の高級クラブ「銀馬車」で歌っていたところ、スカウトされて上京。69年2月に「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビューし、累計150万枚超のビッグヒット。この年の日本レコード大賞新人賞を受賞、第20回NHK紅白歌合戦に初出場と、一気にスターダムにのし上がった。

「もし、大学に合格していたら、クール・ファイブに入ることはなかった。ご縁って不思議なものです」  

 しかも、奥さまとは68年に結婚し、上京した時は長男の出産直後だった。

「女房は実家でシングルマザー同様に子育てをしていたんです。だから今でも頭が上がりません(笑い)」  

 当時はムード歌謡の全盛期。テレビ・ラジオ局をハシゴする毎日だった。NHK紅白歌合戦にも11回(他に番外が3回)出場し、知名度は高い。

「転機は、やはり『欽ドン!』。バラエティー番組、テレビCMへのオファーが急増し、顔を覚えてもらえたのは歌手としてラッキーでした。髪の毛? 20代から薄かったから、僕のキャラ。全然気にしてません。アハハハ」  

 前川さんは九州のテレビ局でレギュラー番組を持っており、時々、ゲストで呼ばれることも。

「健康法は楽しくお酒を飲んで歌うこと。声が出る限り、現役で頑張りますよ」  

 お子さんは2男1女で孫が5人だ。  (取材・文=高鍬真之)

(編集部より)
 宮本さんは、前川清さんのそっくりさん、後川清(うしろかわきよし)さんの「長崎の今日は晴れだった」のバックコーラスも担当。後川清とホット・ファイブとしてCDも出しました。


 その他「恐怖のヤッちゃん」という映画に出たり、国会議員選挙に出たり(惜しくも次点)と、多方面で活躍されています(^_^)

 

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-06-23 15:57:45
面白い内容でした。
実籾が急に明るい町になりました。
こういう話題。もっともっとほしいです。
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