鳴門市が習志野ドイツ俘虜収容所の写真18枚を保管
2月1日発行の鳴門市ドイツ館官報に、習志野ドイツ俘虜収容所の写真のことが載っています。
以下の画像は「鳴門市ドイツ館」が発行している官報 Ruhe(ルーエ:やすらぎ)です。
その中にドイツ人捕虜が習志野収容所にいた時の写真18枚を鳴門市で保管している、という記事があります。
「クロップは最初大分その後習志野に収容されていた捕虜です。…このクロップの娘ルイーゼ・ヴァルナッケ=ハルトゥングさんおよびエンネ・ヘセさんから...彼の捕虜時代の写真アルバムが鳴門市に寄贈されたのです。
…一番枚数が多いのが大分(とその周辺)で105枚、次いで中国が27枚、習志野18枚、その他7枚です。」
更に、習志野ドイツ人俘虜収容所の写真や日記を、「習志野市役所の代わりに」、千葉県日独協会が購入、保管してくれています。
ドイツ人俘虜収容所については、習志野市の歴史の大きな1ページですし、そこから「習志野ソーセージ」も誕生しています。
ところが、残念ながら習志野市が歴史保存に不熱心なため、
千葉県日独協会
http://jdg-chiba.com/index.html
が習志野市役所の代わりに
ドイツ兵士「エーリッヒ・カウル」の日記を翻訳・ホームページで公開してくれ、(以下千葉県日独協会ホームページより引用)
(1)「カウルの日記」の翻訳活動
習志野俘虜収容所にいたドイツ兵士「エーリッヒ・カウル」が手帳に綴った日記をボトルシップ研究会として翻訳することになりました(枚数はA4版で134枚)。 具体的な活動は、初回の「『カウルの日記』を翻訳する会」を1月11日(金)に開催し、2月1日(金)以降、第1・第3金曜日に実施し、今年中に完了する予定です。現在、同会は応募された8名(会員7名、非会員1名)が分担して進めています。 また、平日に参加できない人のために、土曜日の午後も開催する予定です。詳細は『アイヘ117号』及び『アイヘ118号』をご覧下さい。
(この翻訳は既に、下記のとおり完成しています)
http://jdg-chiba.com/pdf/ErichKaulsTagebuch_Jp.pdf
同じく、習志野市役所の代わりに収容所の写真115枚を購入してくれています
(2)2018 年入手した習志野俘虜収容所の写真115枚の調査活動
入手した写真のなかに兵士とともに日本人が一緒に写っている写真が9枚あり、写真入手後、これらの撮影場所と写真のなかの日本人の身元を探し当てる活動をしています。この活動にご参加・ご協力をいただけるかたを常時募集しています。
添付写真は「E・グローセ氏の収集写真のうち曾祖父W・ザッセの遺品より」
また、「ドイツ兵士の見たニッポン」執筆者の講演資料もホームページに掲載してくれています
研究会活動にて、星 昌幸氏の講演資料(4回分)を入手しました。歴史上の大変貴重な資料と思い、これらの資料を本協会のホームページの「ボトルシップ研究会」に添付することになりました。興味のある方は是非お読みください。 ボトルシップ研究活動講演資料(PDFファイル)
《習志野市の歴史を守り、伝える》という作業を鳴門市や日独協会に任せている現状。習志野市民としては、とても恥ずかしいですね。
習志野市が、歴史を大事にする「あたりまえの」市政に変わっていくことを切に願います。
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