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光州事件、弾圧の現場 元朝日新聞記者撮影フィルム、247コマ見つかる(5月27日朝日新聞夕刊)

2021-05-28 08:53:29 | 報道

「タクシー運転手」「光州5・18」などの映画で改めて注目されるようになった、1980年の光州事件。
当時の韓国軍事政権が民衆の民主化運動を武力で鎮圧し、多くの犠牲者が出た事件ですが、今のミャンマーの状況はこの光州事件の時と同じ、ということでも注目を浴びています。
当時、命の危険を冒して現地に入り、朝日新聞の記者が撮った247枚の写真が見つかった、という記事をご紹介します。

映画「タクシー運転手」



映画「光州5・18」



(以下、朝日新聞記事から)

光州事件、弾圧の現場 元朝日新聞記者撮影フィルム、247コマ見つかる:朝日新聞デジタル

光州事件、弾圧の現場 元朝日新聞記者撮影フィルム、247コマ見つかる

 41年前の5月、韓国で民主化を求めるデモが軍に弾圧され、240人以上が死亡・行方不明になったとされる「光州事件」が起きた。事件のさなかに2度、封鎖された街に入って実態を報じた朝日新聞記者撮影の写真フィルムが大量に見つかった。今も、ミャンマーなど世界各地で民主主義が脅かされる出来事が相次いでいる。記者の家族は「様々な形で役立ててほしい」と話している。(武田肇)

 バスから市民を引きずり出し殴りつける兵士。負傷した仲間を運び出す若者。霊安室に置かれたひつぎ――。

負傷した仲間を運び出す大学生とみられる若者


撮影したのは、大阪本社写真部員だった故・青井捷夫(かつお)記者(2017年に死去)。社会部員の故・斎藤忠臣(ただおみ)記者(14年に死去)とともに1980年5月19~23日、ソウルから約270キロ南にある光州(クァンジュ)市に入った。朴正熙(パクチョンヒ)大統領が暗殺され、18年間の軍事独裁政権が倒れた翌年。光州には空挺(くうてい)部隊を含む軍隊が投入され、孤立した状態だった。

 見つかったフィルムは247コマで、うち57コマが当時の報道写真では珍しいカラー。連続したコマも多く、学生や市民の抗議活動やむき出しの暴力を受ける様子が写っていた。

 青井さんらは夕刊の企画取材で偶然訪韓中、当時の藤高(ふじたか)明ソウル支局長(87)から連絡を受け、バスで現地入りした。斎藤さんの回想録によると5月20日、市内の目抜き通りで何十台ものタクシーやバスがヘッドライトをつけ、クラクションを鳴らしデモに加わる様子を目の当たりにした。軍隊はバスの1台に催涙弾を撃ち込み、むせびながら出てきた若者に兵士が飛びかかり、こん棒でめった打ちにした。青井さんはその様子を建物の上から撮影した。その後、軍隊の声明を流していた光州MBC(文化放送)から火の手が上がり、全焼する姿もカラーフィルムで記録していた。

デモ隊による放火で炎上する放送局、光州MBC(文化放送)の社屋

 ■「外国記者だけ、実態伝えられた」

 「当時、韓国メディアは厳しい検閲のもと『暴徒化した学生や市民の内乱』とする軍の発表をそのまま報じざるを得ず、現地に入った外国の記者だけが実態を伝えられた」。韓国の民主化運動を研究する東京大の真鍋祐子教授は当時の状況を解説する。

 事件発生翌日の5月19日時点で現地入りできた日本メディアは、朝日新聞と共同通信が確認されている。光州事件の写真に詳しい梁羅允(ヤンラユン)・韓国現代社会研究所研究委員は「5月19~23日は、軍隊の暴行の激しさに憤った市民が次々と抗議デモに加わった重要な時期で、1枚1枚が貴重だ。特に放送局が燃える場面のカラー写真はなかったのではないか」と指摘する。

 2人が手がけた現地ルポは80年5月24日付朝刊と29日付朝刊にそれぞれ「怒りの光州 血と破壊と」「息ひそめる“軍都”光州」の見出しで掲載され、青井さんの写真が8枚使われた。未掲載のフィルムは青井さんの長女の中塚真理さん(53)=大阪府吹田市=が自宅で遺品を整理していて見つけた。「大変な状況で写真を残した。様々な形で役立ててほしい」

 真鍋教授によると、光州事件を伝えた外国の記者の存在は17年、ドイツ人記者とそれを助けたタクシー運転手の実話を基にした韓国映画「タクシー運転手」のヒットで注目が集まった。肉親や親友を失った人々が事実をありのまま外に伝えてほしいと記者に託す場面が出てくる。「命がけで取材した外国の記者とそれに呼応して起きた市民の支援活動は、孤立した人々を海外からどう支えるかという現在の課題にヒントを与えてくれる」と話す。

 <光州事件> 1980年5月18~27日、韓国南西部の光州で民主化を求めて立ち上がった学生や市民を軍が武力弾圧した事件。特別法で設置された独立調査機関「5・18民主化運動真相究明調査委員会」によると、死者は167人、行方不明者78人に上ったが、全容は今も明らかではない。責任者の全斗煥(チョン・ドゥファン)国軍保安司令官(のちに大統領)は90年代後半になって事件をめぐる内乱罪に問われて服役した。韓国では「5・18民主化運動」と呼ばれ、87年の民主化につながったと位置づけられる。
(以上、朝日新聞記事から)

動画:光州事件の道

動画:名も残すことなく※

※動画のタイトル「名も残すことなく」は、光州民主化運動の歌「イムのための行進曲」の中の歌詞「愛も名誉も名前も残さず 사랑도 명예도 이름도 남김 없이」からつけられたようです。(動画の中でもこの歌が歌われています)

イムのための行進曲:韓国の民主化運動で歌われた民衆歌謡。 (kampoo.com)

 

 

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