谷津・奏の杜の鎮守「丹生神社」の歴史とは?
【習志野市】谷津・奏の杜の鎮守「丹生神社」の歴史とは? | 千葉県、埼玉県中心の口コミ情報、地域の声がみえるチイコミ!
JR津田沼駅の南側、高層マンションや商業施設が立ち並び、新しい街づくりが進む谷津・奏の杜地域。 その谷津、奏の杜の鎮守である、京成線の線路沿...
千葉県、埼玉県中心の口コミ情報、地域の声がみえるチイコミ!
JR津田沼駅の南側、高層マンションや商業施設が立ち並び、新しい街づくりが進む谷津・奏の杜地域。
その谷津、奏の杜の鎮守である、京成線の線路沿いの小さな森にたたずむ「丹生(にう)神社」をご存じでしょうか。
宮司の金子裕子さんに地域と神社の歴史について話を聞きました。
60年前の谷津地域は漁業と農業の集落
「私が幼い頃、谷津2丁目の辺りはノリの養殖が盛んで、国道14号沿いには、ノリがずらりと並んで干してありました。谷津1丁目は田畑が広がり、漁業と農業を営んでいる集落でした。どちらも自然の影響を受けるために、天候や安全を願い、丹生神社を信仰してくれていたようです」と金子さんは話します。
夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)という、人型(人の形に切った白紙)を用いて、身についた半年間のけがれをはらう神事では、宮司が先頭に立ち、後には太鼓や笛を鳴らす人たちが続いて海まで練り歩き、船で沖に出て、人型を流したそうです。
「ピーヒャラと楽しい音がするので、子どもたちが面白がって付いて行きました。その頃は、谷津小学校からも海が見えました」とほほ笑む金子さん。
その後、東京湾の埋め立て工事が始まり、漁業を営むことが難しくなったことから、1971(昭和46)年に谷津地域の漁業組合が解散。
社務所に集まり何度も話し合いがもたれていた縁で、神社の敷地内には、組合員234人の名前が刻まれた「漁業協同組合解散の碑」があります。
御祭神は女神 歴史ある丹生神社
丹生神社は、承応3(1654)年に創建。
和歌山県に鎮座している丹生都比売(にうつひめ)神社の御祭神の御分霊をお祀りし、谷津の守護神として受け継がれてきました。
文化8(1811)年に建立された本殿には、立派な彫刻が施されており、当時の宮大工の技術の高さを知ることができます。
神事以外は無人の神社でしたが、御朱印の問い合わせが増え、現在では月に2回、授与所を開いて御朱印やお守りの頒布を行っています。
「丹生神社の御祭神は女神で、交通安全、家内安全、安産、子育てにも御利益があります。新しく移り住んだ若い人たちも、気軽に神社を訪ねていただけたらうれしいです」と金子さんは話してくれました。
これからも変わらずに、街を見守ってくれることを願いたいです。
問い合わせ 047-472-7638(丹生神社)
(編集部より)
丹生神社の元になった和歌山の神社の祭神、丹生都比売(にうつひめ)が空海(弘法大師)に、高野山に修行所を建てることを許した、という伝説が伝えられています。
コメントをお寄せください。
<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す