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住みたい習志野

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祖国へ募る思い:船橋市のミャンマー女性(報道)

2021-05-21 08:47:14 | ミャンマー

「47news」にこんな記事が紹介されています

緊迫する祖国へ募る思い「できること諦めない」 千葉のミャンマー人女性、バイト代で抗議活動を支援 | 47NEWS

迫する祖国へ募る思い「できること諦めない」

千葉のミャンマー人女性、バイト代で抗議活動を支援

(自宅の仏壇に食事を供える金子ティンギウィンさん。ミャンマーでは仏教徒が多数を占める)

 軍事クーデターが起き、市民が弾圧され緊迫するミャンマー情勢。遠く離れた日本に住むミャンマー人たちは抗議デモや支援の募金を続けている。「どんな小さなことでも、私にできることは諦めない」。日本人男性との結婚を期に来日した金子ティンギウィンさん(49)=千葉県在住=もその1人だ。祖国の現状に対する思いを聞いた。(共同通信=永井なずな)

 「自分の国でやって」

 最近、大手チェーンのラーメン店でアルバイトを始めたというティンギウィンさん。給料は抗議活動の資金に寄付すると決めている。「たくさんあるメニューを覚えるのが大変。でも頑張らないと」。昼時になればサラリーマンらでごった返す店で、注文取りや習いたてのレジ打ちを懸命にこなす。

 予定が合えば東京都内で開かれるデモやビラ配りに出掛ける。「『自分の国でやって』と言われることもある。一緒に活動する若い子には、こうした反応に傷ついてしまう人も少なくない」。ティンギウィンさん自身はつらくないのか。「外国人が声を上げることに、いろいろな受け止めがあることは仕方ない。悲しい気持ちにはなるが、なるべく相手の立場になって理解するように心掛けている」

(ミャンマーの親族や友人からスマートフォンに届くメッセージを確認するティンギウィンさん)

 プラカードが収まる大きな手提げには、お茶とおにぎりも欠かさない。「休憩を取るのがもったいない。1人でも多くの人に関心を持ってほしいから」。現地と連絡を取り、寄せられた動画や写真の撮影場所や日時を確認した上で、SNS(会員制交流サイト)による発信も続けている。今後は、地元の千葉県内でもビラ配りなどの活動を始めるつもりだ。

 ▽非国民

 1972年、ヤンゴンに生まれた。5人きょうだいの次女で、教育熱心な家庭に育った。民主化運動がうねりをあげた88年、高校生でデモに参加した。政情不安で休校が続き、自宅で過ごすしかなかった時、書棚で見つけた日本の本が面白く、日本語の勉強を始めた。大学卒業後、語学を生かしてホテルに就職し、その後日本大使館に勤務。仕事を通じて知り合った日本人と交際を始めた。

 当時、ミャンマーでは外国人との結婚は「非国民」とされた。周囲が反対する中、味方してくれたのは国家公務員の父親だった。父親は農業技術者で省庁の幹部だったが、娘の結婚を認めたことで出世の道を絶たれた。近所から嫌がらせも受け、挙式は公にしなかった。出国時の飛行機は、夫と離れた座席を予約した。「結婚で国を出る女性が、軍の支持者に空港で捕まって連れ戻されることがあった。無事に離陸した時はほっとした」

(自宅の玄関前で「パダウ」の花を持つティンギウィンさん)

 2002年秋に来日。数カ月後、父親が事故で急逝したが、日本に戻れなくなる恐れから帰国を諦めた。「自由な行動を許されず、父に別れを言えなかった。思い出すと今も悲しい」。英国人男性との結婚を理由に政治から長年排除されてきたアウン・サン・スー・チー氏は自らと重なる。

 その後息子が誕生。地元の国際文化大使に就き、学校訪問やイベントにも関わってきた。持ち前の明るく人なつっこい性格。息子の学校のPTA活動に積極的に参加し、友達も増えた。漢字の多い保護者向け配布物の解読など苦労も多かったが、夫がサポートしてくれた。国際結婚がミャンマーでも珍しくなくなった近年は帰国しやすくなり、年に1度の帰省が一家の幸せな時間だった。

 ▽欠かさぬ読経(どきょう)

 今年2月、突然のクーデターで日常が一変した。現地のきょうだいや友人から「家の前に軍人がいる」「発砲音が続く」「身内が拘束された」といった電話やメッセージが昼夜を問わず届く。犠牲者を思うと眠れず、呼吸が浅くなった。「このままでは命を落とす人がどんどん増えていく。一刻も早く軍は市民への攻撃をやめてほしい」

 いつまで続くか分からない緊迫した情勢に、新型コロナウイルスの影響も重なり、次回の帰省のめどはまったく立たない。仏教徒のティンギウィンさんは、自宅の仏壇に毎日向き合い、読経を欠かさない。「最近は読経中でも静かな気持ちを保つのが難しい。だけど、現地の人たちはもっとつらい思いをしている」

 記者が取材で訪ねた4月中旬は、ミャンマーの正月休暇に当たる。自宅玄関には新年を祝う生花が生けられ、その中に、黄色く咲いた造花が紛れていた。この季節だけ咲く「パダウ」と呼ばれる植物で、ミャンマーで親しまれている美しい花だ。「日本での桜みたいな、ミャンマーの人にとって特別な存在」。日本では見かけないため、帰省時に買った造花を大切に飾っている。「愛する国を軍に奪われたくない。自由を求める人たちの声は、誰も止めることができない」

(自作の手提げを見せるティンギウィンさん)

 最近は得意な手芸を生かし、ミャンマー産の布地で手提げやポーチを作って知り合いに販売している。売り上げを抗議活動の資金に寄付する。購入など問い合わせ先は、ティンギウィンさんのメールアドレス。k.theingiwynn@ezweb.ne.jp
(以上「news47」の記事より)

ティンギウィンさんを紹介した記事、ほかにもあります。

金子ティンギウィンさん(ミャンマー) Part1 | My Eyes Tokyo

金子ティンギウィンさん(ミャンマー)Part2 | My Eyes Tokyo

 

 

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ミャンマー、逮捕された17歳の女性が国軍による拷問と性暴力を告白

2021-04-29 23:09:54 | ミャンマー

COURRiER Japonの記事より

ミャンマーで次々と拘束される市民、その後に待つのは残酷な拷問と性暴力 | 逮捕後に解放された17歳の女性の勇気ある告白

 

クーリエ・ジャポン

 

逮捕後に解放された17歳の女性の勇気ある告白

ミャンマーで次々と拘束される市民、その後に待つのは残酷な拷問と性暴力

2月1日のクーデター以降、ミャンマーでは、4月28日時点で750名以上が殺害され、3500名近くが拘束されている。

拘束された人々の多くを待っているのは拷問だ。そして性暴力に遭っている女性もいることが、逮捕後に解放された女性の勇気ある告白によって明らかになった。

抗議する者を次々に逮捕するミャンマー国軍

ミャンマーの人権団体政治犯支援協会(AAPP)によると、2月1日以降、4月28日時点で3449名が拘束されている。

ここ数週間に限って見れば、都市部での国軍による発砲での死者数は減少したが、軍に対する抗議の意を示していた多くの人々が、4月の半ばから自宅などで相次いで拘束されている。4月19日の週には6日程度で110名以上が逮捕されたと、ミャンマーメディア「イラワジ」は報じている。

逮捕されているのは抗議活動をしていた主に若者で、ジャーナリストも多い。抗議の意を示していた芸能人や教員などもいる。国軍は反対派を殺害するのではなく、逮捕して一掃しようとしているかのようだ。

多くの人々が日々、正当な理由もなく拘束され、連れ去られているが、逮捕された人々の多くは、その後に暴力を振るわれることがある。

カタールメディア「アルジャジーラ」によると、3月の初め、アウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)の党員が相次いで拘束され、その翌日に家族に死が告げられる事態が相次いだ。戻ってきた遺体には激しい暴力を振るわれた痕跡があり、激しく損傷した状態の遺体の写真が出回り、衝撃を与えた。拘束後に亡くなっても、遺体の引き渡しすら受けていない家族もいる。

4月17日、最大都市ヤンゴンで爆発事件が発生し、兵士1人が死亡、数人が負傷した。その後、ミャンマー国軍は近隣の民家から少なくとも10名を証拠もなく爆破事件の犯人だとして連れ去ったと「イラワジ」は報じている。

そして、軍の所有するテレビ局が、連れ去られたなかの6名の若者を、激しい暴力を受けた後に撮影された写真を用いて、爆発事件の犯人として放送した。見せしめのようだ。

そこに映っていた4名の男性と2人の女性の顔は、傷や血だらけだ。特にその中の一人であるキン・ニャイン・トゥという31歳の女性は、顔が腫れ上がり、本人と認識できない状態になっていた。

拘束後の拷問・性的暴行


(英語字幕しかついていませんが、以下の日本語をお読みいただければ、概略がわかります)

そんななか、デモに参加したことで逮捕され、4月20日に解放された17歳の女性シュエ・ヤミン・テットが、キン・ニャイン・トゥがひどい拷問と性的暴行にあっていると、米メディア「ラジオ・フリー・アジア」に対して語った。2人は、ヤンゴンの取調べセンターの同じ部屋にいた。
キン・ニャイン・トゥは逮捕の瞬間から殴られ続けた。さらに、初めに連行された警察署では、ボーイフレンドが外国人であることを知った警官たちは、彼女に足を開かせ、性器を蹴り、棒で性器を叩いたと、一緒に逮捕された19歳の女性から聞いた。

その後、キン・ニャイン・トゥは取調べセンターに送還されたが、到着した際、彼女は月経中でもないのに膣から出血していたという。
そして、彼女は拷問によって激しい怪我を負い、まともに歩くこともできず、唇が避けていたので食べることもできていなかった。同室にいた女性たちは、彼女に持っていた薬を与え、食べさせて助けようとした。しかし、彼女に対する適切な治療の要求は当局から拒否されつづけた。

さらに、彼女は毎朝6時から午後1時まで、そして夜通しで尋問を受けていたそうだ。

「もしあのまま彼女が暴力を振るわれ続け、毎日長時間の尋問を受けていたら、彼女の命は助からないと思います」とシュエ・ヤミン・テットは語った。
また、拷問を受けてほとんど歩けない状態になっていた男性を何人も目撃したとシュエは言う。勾留された者は、取調べに対して素直に答えないと、目隠しをして手錠をはめられ、別室で拷問を受けるのだが、その男性たちも、別室に連れて行かれていたそうだ。

なお、シュエ・ヤミン・テットは、4月14日に逮捕された際に初めに送られた警察署で、警官からセクハラを受け、命を脅かされたという。

「警察官は、私の肩を2回触りました。私は頭にきて、その手を叩いて止めさせようとしました。すると、その警官はポケットから拳銃を取り出し、テーブルの上に置きました。私を撃って殺し、死体を処分することもできると言われました。誰にも知られずにやれるのだと。

私は、その警官に向かって『撃ちたいなら、私を撃って殺せ!』と叫んだんです。すると、もう一人の警官は彼に向かって怒鳴り、部屋から出ていくように言いました。私は未成年だからトラブルになると言っていました」

彼女は、未成年であることを理由に解放されたが、一緒に逮捕された母親は、国家に対する名誉毀損の罪で起訴され、ヤンゴン郊外のインセイン刑務所に送還された。逮捕された際に没収された母親の携帯電話には、抗議活動をしている様子の写真や映像がたくさん保存され、言い逃れることができなかった。

シュエ・ヤミン・テットは、勾留中の状況を語ったことで、ミャンマーメディア「イラワジ」によると、現在は身を隠している。しかし、母親に危害が及ばないか案じているという。

また、シュエ・ヤミン・テットによる拷問・性暴力の告白を受け、ミャンマーの女性たちの間では、自分の顔を暴力を振われたように殴られたように見せ、国軍に抗議の意義を示す3本指を立てた写真を、ソーシャルメディアで公開する反対キャンペーンが広がっている。

「住みたい習志野」の記事もご参照ください。
「日本のお金で人殺しをさせないで!」ミャンマー国軍支援があぶり出した「平和国家」日本の血の匂い(ニューズウィーク) - 住みたい習志野

 

 

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ミャンマー軍部、若手リーダーを逮捕し、拷問

2021-04-17 08:01:21 | ミャンマー

ミャンマー軍部が学生リーダー「リトル・パンダ」のバイクに車をぶつけて逮捕、拷問

 

民主化運動の若手活動家「リトル・パンダ」はイスラム教徒

ミャンマー(ビルマ)で今もっとも有名な若手活動家が Ko Wai Moe Naingです。
彼はミャンマー中部の都市モンユワの学生リーダーですが、2ヶ月にわたってカリスマ的な指導力を発揮し、連日大勢のデモ参加者を率いてエネルギッシュに演説を行っていました。そのため、国軍による銃撃で死者が出ても、モンユワの士気はやはり高いそうです。

時には親しみをこめて「リトルパンダ」と呼ばれることもあるそうですが、幕末の志士を思わせるような独特な風貌と、不屈の闘志を漂わせるこの雰囲気が人々を魅了しているようです。

彼はイスラム教徒なのですが、民族融和が最重要課題であるいま、彼がモスリム(イスラム教徒)であることでさらに人気が高まっているそうです。

軍部の車にぶつけられて逮捕・拷問

4月15日、バイク・デモを行っていたところ、ミャンマー軍部が車をわざとぶつけて転倒させ、逮捕。

(デモ隊が追突の瞬間を撮影したビデオ)

拷問を受けて今はこういう状態だそうです。

「リトル・パンダ」負けるな!

子どもたちも「三本指」でデモ隊を応援^_^

 

 

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「日本のお金で人殺しをさせないで!」ミャンマー国軍支援があぶり出した「平和国家」日本の血の匂い(ニューズウィーク)

2021-04-14 12:06:25 | ミャンマー

(「ニューズウィーク」のこんな記事が注目されています)

「日本のお金で人殺しをさせないで!」ミャンマー国軍支援があぶり出した「平和国家」の血の匂い

「日本のお金で人殺しをさせないで!」ミャンマー国軍支援があぶり出した「平和国家」の血の匂い

<日本が本当に「平和国家」なら、今こそその精神に忠実であってほしいとミャンマー人...

Newsweek日本版

 

「日本のお金による人殺し」とは、日本政府が長年にわたり民主化運動を弾圧する軍政の側に立ち、軍政を民主化へ前進させるためという名目で経済援助をつづけながら、日本の官民連合のODA(政府開発援助)ビジネスが国軍のふところ潤してきたという実態が、クーデター後に明らかになってきたことを指している。

たしかに日本は、クーデターに反対し民主主義を守れと立ち上がった広範なミャンマー国民に血なまぐさい武力弾圧の手をゆるめない国軍に、直接手を貸しているわけではない。しかし、国内外のミャンマー人から見ると、日本の公的資金が国軍に流れていることははっきりしている。日本政府は間接的に軍政の残虐行為に加担している、と映る。だから、日本が本当に「平和国家」であるなら、その精神に忠実であってほしい、と彼、彼女たちは訴えているのである。

日本で3回難民申請が認められなかったら、国に強制送還されて殺されるしかないのか?
日本の「入管法改正」の人権侵害に海外からも批判の声


 ミャンマーでは国軍による弾圧で市民に多数の死傷者が出ています。こうしたなか、日本で難民申請中のミャンマー人の間で「送還されるかもしれない」という不安が広がっています。
 「帰ったら死ぬ」と訴える彼女の国はミャンマー。彼女が住んでいたカチン州では12日、国軍による空爆がありました。幼馴染もデモに参加して刑務所に収容されたそうです。
 人権団体によりますと、犠牲者はこれまでに710人に上るといいます。
 ミャンマーの少数民族・カチン族のラパイさん(仮名44歳)は日本で難民申請中です。
 難民申請中のミャンマー人・ラパイさん:「幼いころ(警察と軍が)玄関を足で蹴っ飛ばして入ってきて銃を向けられて…」
 父親が国軍と対立するカチン独立軍の幹部で子どものころから危険にさらされ、2008年に日本に亡命。
 しかし、救いの手を求めた日本で…。
 難民申請中のミャンマー人・ラパイさん:「(難民申請を)2回も却下されて最後、裁判をしました。私が難民と認められなければ誰が難民と認められるのか…」
 さらに追い打ちを掛けるのが今国会に提出された入管法の改正案。現在は難民申請の手続き中は送還されませんが、改正法案では3回目以降の申請者は手続き中でも原則、送還可能になります。
 難民申請が3回目となるラパイさん。
 難民申請中のミャンマー人・ラパイさん:「(Q.この状況で帰されたらどうなる?)帰って死んでという意味ですね。今、帰されたら絶対、捕まって命が本当に危ないので」
 13日、NGO(非政府組織)団体らが日本政府に対してODA(政府開発援助)などによる援助を停止し、国軍の資金源を断つよう呼び掛けました。

ミャンマー難民を軍事政権のもとに送還する「入管法改正」、ひど過ぎる - 住みたい習志野

市民団体が、ミャンマー国軍への資金源を断つよう国に要請


クーデターで実権を握ったミャンマー国軍に打撃を与えようと、日本の市民団体が財務省など3省庁を訪れて経済協力などを停止して国軍の資金源を断つよう訴えました。
 市民団体のメンバーは13日、財務省、外務省、国土交通省を訪問し、ミャンマー国軍への資金源を断つよう訴えました。
 メコン・ウォッチ、木口由香事務局長:「ただ税金を払ったりですとか、日本に暮らしているだけでも国軍の暴虐行為につながってしまう」
 ミャンマーでは銃撃などの弾圧で大勢の死傷者が出ています。
 市民団体は日本の政府機関や企業が関わるミャンマーでの共同プロジェクトを通じて国軍に資金が流れていると指摘しました。
 16日には総理官邸前で抗議活動をする予定です。

世界一ミャンマーに援助している国が日本。前の軍事クーデタの時も軍事政権への支援を継続した。

ミャンマー特集 - 日本の対ミャンマー支援 | 特集 | 日本貿易会月報オンライン (jftc.jp)
JICA(国際協力機構)の対ミャンマー支援は、援助機関の中でも、際立つ存在である。過去半世紀以上にわたり、日本はミャンマーへの支援を継続してきたが、軍事クーデターによりミャンマーが軍政下に置かれた1988年以降、世界銀行、アジア開発銀行(ADB)、欧米諸国は援助から撤退したが、JICAは一度も撤退しなかった。円借款は中断されたものの、特に人道支援分野(保健、農村開発など)や人材育成分野では、継続して支援を行い、毎年400人近いミャンマー人の留学生、研修生を受け入れてきている。ミャンマー政府の現役の大臣の中にも、日本留学経験者がいる。

そして、2011年のテイン・セイン大統領の就任で、ミャンマーは大きな節目を迎えた。日本の対ミャンマー支援は急激に増え、無償資金協力では2012・13年度共に世界一の規模に達し、円借款、技術協力も急激に援助額が増えた。現在、日本の支援は他のドナーに比べて格段に大きな規模となっている



「日本からの爆撃機でベトナム民衆が殺されている!黙っていれば自分も加害者」と立ち上がった50年前の日本人

50年前、ベトナム戦争(アメリカがベトナムを侵略した戦争)の時、「日本の米軍基地から飛び立った爆撃機や日本の米軍基地から運ばれた戦車で毎日ベトナム人が殺されているのに、黙っていていいのか!」と多くの日本人がベトナム戦争反対運動に立ち上がりました。

オスプレイ、佐賀空港断念!! 木更津はどうなる? - 住みたい習志野
でもご紹介した「戦車闘争」の映画です。


「日本のお金で毎日ミャンマー民衆が殺されている!黙っていれば自分も加害者」、このことが今の日本人にも問われているのではないでしょうか?

 

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土下座をして必死に「ミャンマーを救ってください」と訴える青年

2021-03-29 21:52:13 | ミャンマー

土下座をして必死に「ミャンマーを救ってください」と訴える青年

(青年の全発言)
ミャンマー国民が、300人以上命が失われています。そのうち子どもが20人以上命を失っています。日本は基本的に第二次大戦が終わってから争いがなく平和で、ミャンマーでは2か月前まで日本と同じように平和な国でした。確かに「日本は関係ない」って思うかも知れません。しかし、自分の国が平和であれば、他の国は関係ないんですか?私が知っている日本は、思いやりがあり、優しい国民性がある国だと思ってます。私はADHD(発達障害)を持ってます。今まで10回以上財布を落としたことがあります。しかし、全部見つかっています。この素晴らしい国だからこそだ、と僕は感じています。今日本はコロナで大変な時期だと思います。自分の国を守るのでせいいっぱいだ、と充分知っています。しかし、もしミャンマーを救ってくれたら日本にだってメリットがあります。それは「感謝」です。ミャンマー国民からの感謝です。ありがとう。サンキュー。シエシエ。これだけです。ミャンマー国民を救ってください。お願いします。(と、土下座)

 

大虐殺の直後、タキシード姿でパーティーに興じる軍幹部たち

 

 

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