隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1214.京都祇園迷宮事件

2012年01月07日 | 警察小説
京都祇園迷宮事件
読 了 日 2011/11/28
著  者 海月ルイ
出 版 社 徳間書店
形  態 新書
ページ数 281
発 行&nbsp:日 2006/08/31
ISBN 4-19-850710-4

けて早くも1週間となってしまった。暮れからいろいろと慌ただしく正月の挨拶も抜きとなってしまった。暮れからカミさんの具合が悪く、息子の施設からの正月帰省もままならず、仕方なく31日、正月元旦、2日と毎日施設から息子を半日ドライブに連れ出すということが続いた。

そんな中で、豊岡光生園(僕が監事を務める社会福祉法人薄光会の中核的な存在である知的障害者入所施設)で、ショートステイ(親族等、保護者の都合で、一時的に入所者として預かる制度)として預かっていた利用者が31日、大みそかの未明、施設から飛び出して行方不明となる事故が発生したのだ。
地元自治会のメンバーをはじめ、警察や消防の協力を得て、大がかかりな捜索を行ったにも拘らず、未だ発見できないまま1週間が過ぎ去った。いろいろと考えられる要因はあると思われるが、当人に関するデータがあまりにも少なかったという点が大きい。
それはあくまで僕の個人的な思いであるが、捜索が困難を極めているのは、もう一つ地域(地理)的な問題と、時期的な問題もあるのだ。周辺の人家が少ないことに伴い交通量も少なく、目撃者がいないことだ。そのために当人の歩いたと思われる経路の確定が出来ないことは、致命的な欠陥である。

施設から脱出した31日の午後8時過ぎまでの移動経路はかろうじて確認できている。途中ガソリンスタンドを経営する商店の店先に設置された防犯カメラの映像や、ゴルフ場に出勤する社員の目撃情報、あるいは学校への子どもを送った方の見かけたという情報により、早朝7時20分までは、歩行速度の点からも納得できる経路が確認できている。

 

 

その後、そこから2㎞ほど先で、31日午後8時30分頃見たという情報が入ったのは1月3日の午後だった。
その先は道路工事が行われており、工事区間は片側交互通行となっているので、両端には交通整理の警備員が立っている。そこで、31日に担当していた警備員に、その夜該当人物がそこを通過したか否かを確認したのだが、残念ながら通過していないということだった。

情報はそこで途切れてしまった。
しかも、朝7時20分に目撃された場所から2㎞先の目撃地点までの間に、13時間ほどのタイムラグがあるのが、難題だった、歩けば1時間もかからない距離に13時間もかかっているのはどういうことなのか?という問題だ。事業所の一つである湊ひかり学園のブログ
(http://minato-bloger.blogzine.jp/blogerminato/)
に詳細な捜索経緯や、場所などについての報告がある。心当たりのある方はぜひご連絡をお願いしたい。

 

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

ろいろあって少しの間中断してしまった。昨年8月に読んだ「京都迷宮事件簿-薄い月-」のシリーズ前作にあたる本だ。たびたびここにも書いているように、僕の読書は手当たり次第に近いから、シリーズをランダムに読むなんてことは日常茶飯事だ。
そんなことで、本書も先に読んだ2作目が面白く読めたから、その第1作はどんなものだろうとAmazonで古書を探したのだが、たぶん昨年の9月初旬のころだったのではないかと思う。すぐに読もうと思いながら、1年以上も積ン読状態になっていた。手に入れて、安心して、忘れていたのだろう。
この読書記録を始めてから1200余冊も読んでいながら未だにそういうことがあるのだから、困った性格だ。
そうだ、この海月ルイ氏の本は、斎藤澪氏の著作と同様に刊行されている本を全部読んでおこうと思ったのだった。斎藤氏の本はほとんど読んだのではなかったか?海月氏の本もそれほど残っていないはずだ。
海月ルイ氏の作品は、サントリーミステリー大賞受賞作の「子盗り」で、胸の痛くなるようなサスペンスに踊らされて、ファンになったことはどこかで書いたような気がするが、大団円でその緊迫感から解き放された時の解放感が何とも言えない快感につながるようで、そうした感覚が得たくてすべての著作を読もうと思ったのだった。

 

 

しかし、作者はいつでも同じような作品を書くとは限らないから、したがって僕の期待に沿える作品ばかりに出会えるとも思えない。それでもファンとしてはやはり期待してしまうのだ。
本書の主人公は、フリーライターの夏目潤子。彼女は京都祇園のお茶屋に棲み込んで、ルポを書いていくというストーリーだ。 前に読んだものはすでに遠い記憶のかなただから、初めて出会うキャラクターと同じ感覚。
京都祇園のお茶屋と言えば、一元の客を迎えることなしないという習わしがあるということは、本で読んだか話に聞いたかして、頭にあったが、これを読んでいるといろいろとそうした古くからの習わしも、次第に形を変えていくのではないかというような思いもわいてくる。
サブタイトルに謳っている旅情ミステリーに相応しく、そうした京都の風習や、しきたりとともに古都の日常、舞妓の修行と言ったことが、折に触れて事細かく紹介されていく中に、事件が描かれていく。

 

 

目潤子の棲みこむお茶屋・「北尾」に遊んだ客の一人が全身を刺された死体で発見される。第一発見者となったのが夏目潤子と、見習い舞妓の美代鶴だった。そして事件の解決を見ないままに、第二の事件が発生する。被害者はやはり北尾の客で、最初の被害者と一緒だった客だった。
記述の上手さか、事件の模様が淡々と描かれていく中で、先述のごとく京都の風情が語られていくから、読んでいると事件よりもそちらの方がテーマであるような錯覚を起こすほどだ。しかも、読み終わって驚くのは最初からそこここに伏線が張られていたことに気付くことだ。
旅情ミステリーにまんまと騙されてしまったことに、初めて気付く僕の鈍感さにも・・・。

 

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