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隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1427.不連続の世界

2014年01月10日 | ファンタジー
不連続の世界
読 了 日 2014/01/06
著  者 恩田陸
出 版 社 幻冬舎
形  態 単行本
ページ数 289
発 行 日 2008/07/30
ISBN 978-4-344-01539-5

 

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更津市内をはしる国道16号線沿いに、精文館という郊外型の大型書店がある。多分市内および近隣でも最多の品揃えを誇る書店ではないか。店舗の一角にはDVD・CDのレンタル店・TSUTAYAや、子供の遊び場なども併設している。
元々は忠実屋という中堅のスーパーマーケット(後にダイエーに吸収合併されて忠実屋の名称はなくなり、バブル崩壊後不振店となって撤退した)の跡地で、広い店舗面積と駐車場を有し、多くの来店客で賑わいを見せている。
僕は時々はこの店を訪れて、新刊書籍の動向や、新しく文庫化された作品などを見たり、時にはコンピュータ関連の書籍を確認したりしている。しかし、広大な店舗面積を誇るとはいえ、品揃えには当然限度があるから、 すべての本があるわけではないのは勿論だ。
例えば文芸書の棚を見ても、担当者の好みからか、あるいは当然売り上げを優先させることからだろうが、見 当たらない作家はいくらでもあって、僕の好みの本がないときなど(いや、別に買おうと思って探すわけではないが)「あれっ!あの作家の本は入れてないのか?」と思うこともある。
また、TSUTAYAの方にも入って、同じく豊富な品揃えにどんな映画やドラマがDVDやブルーレイになっているのかを見て歩く。そんな風にして歩いていると、1時間やそこいらは直ぐに過ぎてしまうから、時間つぶしにも格好な店なのだ。

先ごろ僕はそのTSUTAYAでDVDを2枚レンタルしてきた。前々から気になっていた映画で、一つは中山七里氏の原作になる「さよならドビュッシー」、もう一つは「ストロベリー・ナイト」で、こちらは誉田哲也氏の警察小説、姫川玲子シリーズの1篇で、「ブルーマーダー」が原作だ。
あっ、余分な話が長くなるから、この話はまた別の機会にしようか。恩田陸氏の本のところで、他の作家の作品について書くのは、失礼だしね。

 

 

ヶ浦市のBOOKOFFにCDなどの処分に行ったとき、単行本の105円の棚で本書の背表紙タイトルを見て、ずっと前に読んだ「月の裏側」を思い出して、内容はすでに記憶の彼方だが、そのとき受けたなんとも不思議な感覚がよみがえった。
恩田陸氏の作品はわかりにくい、という読者もいるが、僕はそうしたところも含めて好きな作家の一人だ。
ファンタジーのような、不思議な感覚を抱かせる作品や、そこはかとなく怖い作品など、恩田ワールドはバラエティーに富んだ楽しさを味わえる。
だが、此の作品のように、前に読んだ作品に登場した人物が、再度登場するいわばシリーズとも言える作品を読むとき、はてこの人物はどんな人物だったのか、と思い出せないことも多いのだ。そんなときはまた改めて前の作品を、パラパラとめくり返すこともあって、結構時間のかかる読書となる。いや、別に前の作品を読み返さなくとも、支障はないのだが時々僕は、そうした無駄な時間を費やすことで、より充実の読書を楽しもうとするのだ。
もっとも、読み終わった本の大半は処分してしまってるから、どうしても確認したいときは図書館に行くことになる。著者の短編のには他の作品に出ていた主人公ではない人物がまた出てくるといったことがあって、いくつもの作品を読んでいると、「あれっ!この人物は何処かに出ていたな?」と、僕は頼りない記憶の底から懸命に探り出そうする。そんなところも著者の作品を読む楽しさに繋がるのだ。

 

 

んな負け惜しみを言いつつも、本当は頭の回転がよく理解力に富んでいたら、もっともっと読書が楽しくなることは必至だろう。しかし、それこそ考えてどうにかなることではないから、僕のつたない能力で精一杯楽しむしかないのだ。
僕が著者の作品について言うときは、勿論今までに僕が読んだ作品だけに限っての印象なのだ。すべての作品を読んだわけではないから、誤った感じを抱いていることも有るかもしれない。

この連作短編集は、下の初出誌でもわかるように、一貫して書かれたものではないが、それでも続けて読んでいると、あたかも順序良く書かれたような印象を受ける。
多分、ここに登場する主人公・塚崎多聞のストーリーを書く時に、著者の頭には彼の行動を言動をトレースする引き出しがあるのだろう。だから、どの話の後にどの話が繋がるのかといった事も、常にわかっているのではないか、そんなことさえ思わせる。
今回は、最後の「夜明けのガスパール」の終結で、アメリカ映画「エンゼル・ハート(ANGEL HEART)」(1987年)を連想した。この点についてあまり書くと、ネタバレになりかねないから、特にこの映画を見た人にとれば、この映画を連想したと言うだけで、わかるかもしれない。
それでも僕は、「木守り男」から「砂丘ピクニック」までの4作が全て、夜明けのガスパールを読み終わったとき、この作品の前奏曲だとさえ思えたのだ。こういう作品を読むと、続けて著者の作品を読みたくなる。

 

初出誌
# タイトル 紙誌名 発行月・号
1 木守り男 ポンツーン 2000年6月・7月号
2 悪魔を憐れむ歌 ポンツーン 2005年4月・6月号
3 幻影キネマ パピルス 8・9号(2006.10・12)
4 砂丘ピクニック パピルス 15~17号(2007.12~2008.4)
5 夜明けのガスパール パピルス 2号(2005.10)

 

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1419.かもめのジョナサン

2013年12月12日 | ファンタジー
かもめのジョナサン
JONATHAN LIVINGSTON SEAGULL
読了日 2013/11/28
著 者 リチャード・バック
Richard Bach
訳 者 五木寛之
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 140
発行日 1977/05/30
ISBN 4-10-215901-0

 

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ログのプロフィールの自画像のイラストをしばらくぶりに描き変えた。
イラストを描くために改めてデジカメで自分を撮った。僕はその画像をパソコンに移して見て、その見るからに老人と言った風情に驚いた。過ぎた11月2日の誕生日で、74歳を迎えた僕は老人には違いないのだが、普段はあまり意識していなかった自分の顔が、これほど年老いた顔になっていることに、いささかながらがっくりした。「写真は嘘をつかない」などというが、まったくその通りだ。
気持ちの上ではまだまだ若さが残っていると思っていただけに、その落差に驚いたと言うわけだ、まあ、歳相応の顔になったと思って納得するしかない。これからは、そんな驚きを味合わないために、年一回はプロフィールの画像を描き換えようか。

昔を思い起こした前回の余韻が残った、と言うほどのことでもないが、僕が千葉市の京葉産業と言う会社の営業マンだった(ことによったらもっと前の事務職だった頃かもしれない)頃だが、はっきりした時期は忘れた。
この本(単行本の方だ)が出たのと相前後してナンセンスクイズが流行った。会社の近くにアートサロンと言うスナックがあって、(多分今でもあるのではないか?)税理士だったか会計士だったか(覚えてないが)のご主人と、その奥方が運営していた。(音大を出た声楽家の奥方はずっと後に離婚してしまったが・・・)
4-5階建てのビルの1階部分は半分駐車場となっており、2階部分が店だった。県庁の直ぐ近くと言う地の利もあって、ランチタイムや五時以降のオフタイムには、サラリーマンと思しき人種で賑わいを見せていた。
僕も会社の近くだったから、ランチを食べに行ったり、終業後の夜1杯飲みに出かけたりした。
しばらくして、3階部分にテナントとして、麻雀クラブが開店したので、後にそこによく出入りするようになった。
名前は忘れたが若い物腰の柔らかな店主もメンバーがそろわないときに誘ったりして、週に2―3回は行ってたかな。麻雀をしながら、「カモメが3羽飛んでいました。一番後ろがかもめのジョナサンです。前の2羽は何と言う名前でしょう?」などというナンセンスクイズを口にして、のんきなものだった。
他にも「かもめの団体さんが飛んでいます。そのうちの1羽はかもめのジョナサンです。他のカモメはなんと言うのでしょうか?」なんていうのもあった。とにかくナンセンスクイズによく引き合いに出されたのがこの「カモメのジョナサン」だった。
「カモメのジョナサン」を題材にしたクイズはもっとたくさんあったはずだが、時の流れと共に僕の記憶も薄れていった。

 

 

だからと言うわけでもないが、この物語を読む前からもう読んでしまったような、何とはなしに知っているような感覚を持ってしまった。

そういうことはこの「かもめのジョナサン」に限らず、人々のうわさや世間の評判、あるいはメディアの批評などを見聞きしているうちに、あたかも自分も知っているような気になることはよくあることだ。
つい先だって、ナンセンスクイズが頭をよぎり、本書のことを思い出して、ずっと以前に買ってあった本書を引っ張り出して改めて読んでみた。

 

 

もめのジョナサンの正式な名前(と言うのもおかしな話だが)は、ジョナサン・リヴィングストンという。
彼―話の進み具合からも名前からも男性、すなわち雄だろう―は、他のカモメたちとは一線を画す独特の思いを持って、生きている。“孤高のかもめ”と言ったところか。
このかもめの人生?を描いたストーリーが一時期話題になって、もてはやされたのはやはりジョナサンというかもめの生き方を、自分の人生に置き換えたからだろうか?直木賞作家にして、多くの多彩な著作を著している五木寛之氏が翻訳を手がけたことも、話題をさらった原因かもしれないが。
勿論僕もその一人で、ナンセンスクイズばかりが僕の興味を惹いたわけではない(なんて言い訳する必要もないのにバカだね)。

 

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1404.英雄の書

2013年10月27日 | ファンタジー
英雄の書
読了日 2013/10/07
著 者 宮部みゆき
出版社 新潮社
形 態 文庫2巻組
ページ数 (上)431
(下)414
発行日 2012/07/01
ISBN (上) 978-4-10-136933-4
(下) 978-4-10-136934-1

 

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僕などの読書は経済的な面からも、すべて図書館の本で間に合わせるべきなのだが、読みたい本は誰しも同じと見えて、いざ借りようとすると貸し出し中なのだ。むかし話題になった「マーフィの法則」は、今でも僕を悩ませる。
先日他の用事があって、図書館に寄ったら幸い棚に本書があったので、借りてきた。此の読書記録の中で、最も多く読んでいるのが宮部みゆき氏の作品で、僕に読書の面白さを再認識させてくれたのも著者で、本書で40冊以上になるのではないか。それでもまだ全部は読みきれて居ないのだ。
手持ちの中にも、「ブレイブ・ストーリー」、「孤宿の人」、「あかんべえ」、「ICO」などがあり、早く読もうと思いながら、積ン読となっている。にもかかわらずこうして新しい本を借りてくるのが、自分でも理解できないところなのだ。

 

 

まあ、そんなことはともかくとして、本書は宮部ワールドの一角を押さえるファンタジー・ストーリーだ。
僕はR.P.G.などのゲームはしないので、今日(2013年10月23日)もNHKテレビでオンラインゲームに熱中する、ネット依存症の実例について放送しており、結構中学生などには多く居るらしいことを知って、考えさせられた。
というのも本書の内容は、そっくりそのままゲームとしても成り立つのではないかと思われる内容なので、また更には著者がそうしたゲームにはまっていることなどを以前聞いたことがあることから、連想した。
本書は宮部版ハリー・ポッターか、ロード・オブ・ザ・リングといったところなのだ。と、偉そうなこっとを言っても僕は、ハリー・ポッターもロード・オブ・ザ・リングもテレビで放送されているのは知っているが、あまり見ないしよくは知らないのだ。

 

 

イトルからして、中世ヨーロッパの物語と思いきや、主人公はれっきとした日本人で、しかも小学5年生の女の子だ。少女の名前は森崎友理子。
彼女には、三つ違いで中学二年生の大樹という兄がいた。
ある日、友理子はまだ授業の終わってない学校で、先生から帰宅するようにと、言われる。わけのわからないまま帰宅すると、その日兄の大樹がクラスメイトをナイフで傷つけた上、行方不明となったことを知らされる。 成績もよくクラスの仲間からも信頼されていたはずの兄、妹思いのやさしい兄が、何故そんなことをしたのだろう? そして、どこへ行ったのだろう?
心当たりを探し回るも、弘樹の行方はようとして知れず、悲しみにくれる両親。さらには友理子も次第にクラスの皆から白眼視されるようになり、登校できなくなる。そんな中、友理子は兄の部屋で見慣れない本から呼びかけられたのだ。

そんなスタートで始まる友理子の冒険譚は、幾度もくじけそうになりながらも、本の精などに助けられながら兄を探す異郷へと旅立つのだった。

僕は正直こうした冒険物語をあまり好きではない。しかし、長い物語の最後を締めくくるエピソードに、僕は好きな映画「ファイナル・カウントダウン」(1980年 米)とか、「デジャヴ」(2006年 米)の感動的なラストシーンを連想した。どちらも僕が初めて読んだ宮部作品「蒲生亭事件」と共通するところがあってか、余計にそんな感じを受けたのかもしれない。

 

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1367.時をかける少女

2013年07月14日 | ファンタジー
時をかける少女
読 了 日 2013/07/08
著  者 筒井康隆
出 版 社 角川書店
形  態 文庫
ページ数 238
発 行 日 1976/02/28
ISBN 4+04+130521-7

 

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画やドラマになって、後にはアニメにもなって多くのファンに愛されたこの作品。いまさらという感じだが、なぜ今頃になって僕が読もうと思ったのか、は後述するとして・・・。
巻末の解説(二松學舎大学文学部国文学科教授・江藤茂博氏)で見ると最初に映像化したのはNHKで、1972年に島田淳子主演でドラマ化がされている。原田知世さんを一躍スターダムに押し上げた、角川映画が製作されたのはそれから11年も後の1983年となっており、すでに30年もの年月が過ぎ去っている。そしていまだにドラマやアニメになっていることに驚きを感じる。
主演の彼女が歌った主題歌もヒットして、その後の歌手活動にも拍車をかける要因となった。
このところ僕の読書記録にはたびたび登場するBSイレブンの「宮崎美子のすずらん本屋堂」だが、僕が本書を読もうと思ったのも、先日、同番組のゲストに著者の筒井康隆氏が出演して、宮崎MCとの話の中で、本書も話題に上ったからだ。



 

小松左京、星新一両氏とともにSF御三家などとも称される筒井康隆氏と、宮崎美子女史の話の中で、本書の書かれた頃は、ジュブナイル小説しか受け入れられない時期だったので、これを書いたと言うことだった。
僕が思っていた少女向けの小説ではないかと言うことが、半ば当たってはいたが、逆に僕はそこでどんな内容なのかと思い、読んでみようと思った。天邪鬼も極まれり、と言ったところだ。
たまたま今月(7月)初めに、豊岡光生園(僕が役員を務める社会福祉法人の入所施設)の保護者の会合があったので、その帰り道君津市のBOOKOFFによって105円の棚から本書を見つけて買ってきた。
映画にもなっているから、僕は長編だとばかり思っていたら、下記のように中篇3作が収録された中編集だった。
そういえば僕はあまり興味がなかったので、見てないのだがその頃NHKテレビでも「七瀬ふたたび」(筒井氏がこれを書いたのは3-4年後だと思うが)が放送されていたことを思い出した。これも「少年ドラマ」と言う枠だったから、僕が「時をかける少女」もずっと子供向けの作品だと思い続けていたのも、先述のとおり半分は当たっていたわけだ。



 

宅後早速読んでみると、中学生の少女・芳山和子の不思議な体験を描いたストーリーで、それほど複雑な内容でもなく、普遍的な筋書きだから、いつの時代にも適合して、また、脚色により登場人物を増やしたり、環境を変えたりすることで、いろいろと変化させることもできるから、今でも映像化作品が生まれるのではないか、という気がする。
若い頃僕も一時期SF作品には興味を持って、小松左京氏や星新一氏の作品を続けざまに読んだこともあったが、何度も言うように筒井氏の作品には残念ながら出会う機会がなかったのだ。
これを機会にまたいつか筒井塩ほかの作品にも目を通してみようか。BSイレブンの番組に出たのも、新作の「聖痕」という作品の紹介で、解説によればちょっと興味を惹かれるような内容だったから、またいつの日か。。。。

 

収録作
# タイトル
1 時をかける少女
2 悪夢の真相
3 果てしなき多元宇宙

 

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1363.煙とサクランボ

2013年06月22日 | ファンタジー

 

煙とサクランボ
読 了 日 2013/06/22
著  者 松尾由美
出 版 社 光文社
形  態 単行本
ページ数 300
発 行 日 2011/11/20
I S B N 978-4-334-92788-2

 

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者のデビュー作はまだ読んでなく、そのうちに読もうと思いながら、タイトルや内容の紹介を読むと、何となく好みではないような気がして、ずるずると時間ばかりが過ぎた。
それでも本書でもう6冊目となる著者の作品だ。ファンタスティックな連作短編集が多く、何となく気になる作家のひとりとなっており、中には安楽椅子型のミステリーもあって、読み継いでいる。
本書もタイトルから、そうした連作ではないかという期待で、確かAmazonで手に入れたものだ。
ところが読み始めたら、というよりその前に目次を見たら、どうも連作短編ではなく長編のようだ。こういうタイトルがどんなことを連想させるかと言えば、僕は今まで読んだ作品の中から、似たようなタイトルで例えば「象と耳鳴り」(恩田陸著 新潮文庫)などを思い浮かべるから、ついついこれも連作短編集だ、などという思い込みに陥ってしまうのだ。
どうもいつものごとく僕の早とちりというか、内容も確認せずに思い込みで物事を進めてしまう、最も悪い僕の性質(たち)だ。たちが悪いとはこのことだ。別段金に余裕があるわけでもなく、どちらかと言えば貧乏に属する方のくせに、衝動買いや目的外の無駄遣いをするのは、頭が悪いとしか言いようがない、マッタク。
そんな例を挙げれば―どうも本書と無関係の話が続くが―前回読んだ「一九三四年冬―乱歩」で、昔のことを思い出したついでに、ヤフオクで雑誌「宝石」を探したら、昭和33年3月号の出品があって、たまたま僕が高校を卒業した時期の号だったので、手に入れた。これも、衝動買いの一つと言えよう。

 

 


ところで、もう少し無駄話を続ければ、その頃は僕もこの雑誌を定期購読していた時期で、特にこの時期は、雑誌の不況を建て直そうと江戸川乱歩氏が編集に乗り出していた時期で、新しい企画のもとに雑誌が変わるのではないかという期待も持っていたことを思い出す。また、連載されていた横溝正史氏の「悪魔の手毬唄」を楽しみにしていたことも。
送られてきた雑誌を開くと、まさに「悪魔の手毬唄」は連載の第3回が載っている。
さらには、この時期は探偵小説界に新風を巻き起こした松本清張氏の「点と線」を読んだ時期でもあって、探偵小説は推理小説へと呼び名が変わっていった時期でもあった。
そしてこの「宝石」に後に松本清張氏の代表作の一つともなる「ゼロの焦点」の連載第1回が掲載されている。
(小さくて見にくいが、これを見ると当初は「ゼロの焦点」ではなく、「零の焦点」だった。
写真を参照)




半世紀以上の昔の雑誌は、一つ一つあげていけばキリがないほどの思い出が、言ってみれば切ないほどの万感の思いが蘇る。

 

 

をもどそう。本書は切ない結末を迎える幽霊を主人公とした話だ。
交通事故で図らずも命を落とした中年の男性が、この世に未練を残しているために、幽霊としていまだにこの世にさまよっているという設定なのだが、話はそれほど単純なものではない。
今まで読んだ著者の作品には、死者が何らかの形でこの世の人とかかわりを保つ、という話がいくつもあって、僕はそうした話も、抵抗なく読んできたのは、それが荒唐無稽の印象を持たせなかったからだ。この作品の中でもそれは活きていて、なるほどと思わせる設定で幽霊たちを登場させている。
だが、物語の面白さはそんなところにあるのではなく、やはり、人の結びつきの不思議さが描かれているところなのだ。炭津と名乗る中年男性が、実は42歳で交通事故で死亡した西島という男で、今も生きていれば70歳近くになるのだが、幽霊だから死んだときの姿―すなわち中年の姿のままだった。
若い女性漫画家の立石晴奈が、酔っ払いに絡まれているところを、助けたのが炭津だった。炭津に連れて行かれたバーで、何度か逢って話すうちに晴菜は次第に炭津に惹かれていくのだが・・・・。
映画や、ドラマでもよく見られるシチュエーションのようだが、炭津―実は西島―が立石晴奈を救ったのは偶然ではなく、彼の過去―そして彼女の過去でもあるのだが―に係る秘密を伴った、彼の意思がもたらしたことだったのだ。
立石晴奈は炭津とバーで会ううちに、子供の頃自宅を火事で失ったことに関する、一つの謎を炭津に話す。それは一枚の写真にまつわることで、どうということのないような話だったのだが・・・・・。

 

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1196.きのうの世界

2011年11月02日 | ファンタジー
きのうの世界
読了日 2011/10/20
著 者 恩田陸
出版社 講談社
形 態 文庫
ページ数 302/357
発行日 2011/08/12
ISBN 978-4-06-277037-8
978-4-06-277038-5

 

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日11月2日で、僕は満72歳を迎え、この読書記録もまるまる12年となった。
年を経るにしたがって、集中力も記憶力も衰えていくことは、ある程度仕方がないが、このところ気になるのは、時々無力感というか虚脱感に襲われることがあるのだ。
そうすると、この読書記録もブログも、「もうどうでもいいや・・・」というような気になってくることがあるのだ。そうした気持ちは今のところ長く続く気配はないのだが、そうしたことがこれからも続いていくことに危機感を抱いている。

さて、何とか1年100冊のペースを維持しようと、10月は後半になってからあわてて読み終わったほんの紹介をまとめて書こうかと思ったが、それほど簡単にはいかず、1195冊で終わってしまった。
多分これからもペースは次第に落ちていくのではないかと思っている。それもある程度仕方のないことだと、半ばあきらめの境地である。
しかし、読書も記録もこれで終わったわけではなく、これからも少しずつ続くことだから焦ることは少しもないのだが・・・・。

 

恩田陸氏も僕の好きな作家の上位を占める人で、本書で短編を除いて24冊目となる。以前同じようなことを書いた覚えもあるが、著者の作品にはよく分からないところもあって、まあ僕はそんなところも合わせて好きなのだ。
恩田氏独特の世界は、ジャンルを超えて様々なストーリーが展開される。よく分からないところもある、と書いたが、わからないままでなんとなく納得させられてしまうのがすごい。上下2巻にわたる長編の本書は、新聞連載された作品だそうだ。ファンタスティックな部分もあったりして、長い長い話が何とはなしに読まされてしまったという具合だ。
読もう読もうと思いながら、面白そうな作品が次から次へと出てくるものだから、なかなか手が回らないのが柳田國男氏の「遠野物語」で、なぜ読もうと思っているのかと言えば、恩田氏のファンタスティックなところは遠野物語に起因しているのではないかと考えているからだ。
ところが少し前の話だが、NHKのBS放送でドラマ化された「遠野物語」の一部を見て、やはりその雰囲気から恩田作品同様の印象を受けて、なるほどと感じたことがあった。そうした意味からも、僕は著者の作品で「月の裏側」なんかも好きだなア。

 

の物語の舞台は大きな地方都市に隣接した小さな町で、町を囲むような蛇行した川のほとりに位置している町だ。もうそうした舞台から恩田ワールドに取り込まれるようなのだ。
スタートからかなりの部分まで、記述が「もしあなたが水無月橋を見たいと思うなら・・・・」といった具合に、読者をふしぎの世界に導く。
駅前のロータリーに建ったオブジェには「ようこそ塔と水路の町へ」と書かれた看板があるが、塔らしきものはそこから見当たらない。川には中洲があって、小高い丘になっており、そこに建つ小屋の近くが事件の現場となる。
こう書いてくると、何ということはないが、迷路の中を歩かされているようなストーリー展開は、誰しもきっと振り回されるに違いない。(そんなこたあねえか!)
年老いた双子のお婆さんが出てくる所なんかは、横溝正史しの八つ墓村など思い起こされるが、本書ではあれほどの役回りではない(とも言えないか)。
僕からしたら、ちょっと尻すぼみの感もなくはないが(何を言ってんだか分からなくなってきた)楽しめましたよ。

いつもご覧いただいている“根無し草”さんから、樋口有介氏の作者のページにコメントをいただきまして、ありがとうございました。ご指摘のように樋口作品も相当読みましたが、、まだ未読の作品もいくつかあっていずれ読もうと思っております。
この後順次記事を書いていきますが、今小路幸也氏の「東京バンドワゴン」シリーズにはまっておりまして、笑ったり、泣いたりしながらの読書を楽しんでいます。僕のように圧倒的に昭和の時代が長かった人間にとって、懐旧の情をかき乱される作品です。
いつもたくさんのコメントありがとうございます。

 

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0947.四季 冬

2009年01月07日 | ファンタジー
四季 冬
読了日 2009/1/7
著 者 森博嗣
出版社 講談社
形 態 新書
ページ数 240
発行日 2004/3/5
ISBN 4-06-182363-9

 

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シリーズ最終作である。本書のラストシーンは、S&Mシリーズの一部分と重なっており、僕は改めて、この好きなシーンを味わって、離れがたい想いで感傷的になったのだが・・・。天才真賀田四季の稚気を描いたこの場面は、従来の流れからすると、ちょっと浮いているような感じがしないでもないが、僕は好きだ。

~~~・~~~・~~~・~~~・~~~

さて、4日をかけてシリーズ4冊を一気に読んできたが、やはり全部を通して読んで、初めて真賀田四季の天才としてのもどかしい想いのようなものが伝わってくるようだ。天才と凡才とは、住む世界(思想の問題で物理的なものではない)が違うということなのだが、それこそ凡才の僕には真の理解には遠く及ばないところだ。判りやすく一言で言えば価値観の違いか?
彼女が「構築知性のゴール」について、質問側の理解の及ばないところに苛立ちを覚えながら幼稚とも思える質問を繰り返すインタビュアーに応える場面に、そうしたことが現れている。この最終作では、そのような大命題に対する哲学的ともいえるような記述もあり、著者がS&Mシリーズで脇役として登場させた真賀田四季を、もう一方の主役として描きたかったのではないかという思いも浮かぶ。

~~~・~~~・~~~・~~~・~~~

天才・真賀田四季を取り込もうとするプロジェクトチームが、ネットのメール交換で創りあげた囮を使って、接触を企てる遊園地の場面は、トマス・ハリス氏のハンニバルを思わせて、興味深い。
ところで、このシリーズの中で、想像もしてなかった登場人物の人間関係が明らかにされるところがあって、このあと読むモリ・ミステリはGシリーズの前にVシリーズだということになった???!!

 


0946.四季 秋

2009年01月06日 | ファンタジー
四季 秋
読了日 2009/1/6
著 者 森博嗣
出版社 講談社
形 態 新書
ページ数 273
発行日 2004/1/8
ISBN 4-06-182353-1

 

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「春」と「夏」はBOOKOFFで、安く買ってきたのだが、さすがのBOOKOFFでもそうそう都合よく僕の読みたい本がほしい値段で見つかるわけでもなく、そんな時は図書館のお世話になる。ところが、木更津市の図書館には生憎と蔵書がなかったので、隣街・君津の市立図書館に赴く。市役所の隣にある図書館は、木更津市立図書館の倍ほどもあるかと思われる大きな建物で、設備も整っているようだ。貸し出しカードを作ってもらい、本書と、最終作「四季 冬」の2冊を借り出した。

~~~・~~~・~~~・~~~・~~~

時代は一足飛びに現在を迎える。短いプロローグでいきなり犀川創平&西之園萌絵が登場して、嬉しくなってちょっと興奮気味に読み進める。この巻ではS&Mシリーズ同様に西之園萌絵や、犀川創平のサイドからの視点が主となってストーリーが展開される。前回で既に伝説の人となった真賀田四季が比真加島に残した手がかりを元に、犀川創平はその謎を解くために懸命に取り組む。まるで、四季があちらこちらに罠(マジック)を張り巡らしたかのような様相に、なぜか動揺する萌絵。この辺はやはり先にすべてがFになるを読んでおくことがこのシリーズの面白さを倍増させるだろう。

~~~・~~~・~~~・~~~・~~~

タイムカプセルを思わせる四季の仕掛けたマジック(謎)はまだ解けておらず、壮大なドラマは終わっていなかった。謎は謎のまま残しておいてほしい、という思いと、この先も大河ドラマを展開し続けてほしいという思いが広がっていく。・・・どうやら著者ならびに真賀田四季の術中に嵌ってしまったようだ・・・
この続きはまた明日。

 


0945.四季 夏

2009年01月05日 | ファンタジー
四季 夏
読了日 2009/1/5
著 者 森博嗣
出版社 講談社
形 態 新書
ページ数 262
発行日 2003/11/5
ISBN 4-06-182339-6

 

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(昨日の続き)ということで、このシリーズは続けて読むことにした。 新書一段組みの260余ページは、途中休み休みではあるが、一日かけて読むのに丁度良い長さだ。 本書では真賀田四季の13歳から14歳にかけての一年間が描かれる。簡単に言ってしまえば、思春期を迎え、 天才といえどもコントロールの効かないことがある、ということがテーマ(これは僕だけの捉え方かもしれない!?)なのだが、 前回にも増して、ミステリー味は薄められて、真賀田四季の一大叙事詩のパーツという位置づけとなっている、ようだ。

~~~・~~~・~~~・~~~・~~~

四季の頭脳への投資をしようとする佐織宗尊をスポンサーに迎えて、いよいよ、一大プロジェクトが発足して、比真加島に研究所の建設が始まった。そんな中、四季の両親は離婚の危機を迎えていた。そうした状況の最中、比真加島で催される研究所の落成パーティーが・・・。

 


0944.四季 春

2009年01月04日 | ファンタジー
四季 春
読了日 2009/1/4
著 者 森博嗣
出版社 講談社
形 態 新書
ページ数 265
発行日 2003/9/5
ISBN 4-06-182333-7

 

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間に2冊ほどの他の作品を入れながら、モリ・ミステリを読むというパターンが定着しつつある。それは、有限である僕の読みたいモリ・ミステリを短い期間で読み終わってしまわないための方策だ。ということで、予定では今回「Φは壊れたね」を読むつもりでいたのだが、前回の犀川助教授・西之園萌絵のS&Mシリーズ最終作「有限と微小のパン」で、真賀田四季への想いが抑えがたくなって、寄り道をすることになった。

 

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天才プログラマへの成り立ちがどのような経緯を示すのかが、本書の内容なのだが、タイトルからも想像出来るように、四季のシリーズ4部作となっており、その第1作である。彼女の少女時代を描いた1作目は、多重人格の織り成す幻想的と言ったらいいか? 不思議な感覚のストーリーである。
真賀田四季については、成人してからの真賀田四季博士の事件を描いたすべてがFになるで、その生い立ちなどが簡単に紹介されているが、本書では当然のことながらまだ彼女の両親である、真賀田佐千朗博士と美千代博士も、さらには叔父の新藤清二・裕美子夫妻も登場する。つまり、「すべてがFになる」までの遠くて近い過去の物語だ。

 

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前半の舞台となるのは新藤清二が院長を勤める新藤病院が舞台となっており、病弱だった幼少の四季(僅かにネタを明かすことになってしまう表現だが・・・)の現象を示す描写がある。この病院内で、若い女性の看護士が殺害される事件が発生する。だが、事件そのものはミステリーとしての重要な要素を示すものではなく、四季の一要素を語るファクターとして描かれているところが、今まで読んだS&Mシリーズと違って興味を惹かれるところだ。
一応13歳までの真賀田四季を描いており、そこまでという点では完結らしいのだが、やはりこれは、「冬」まで読まないと真の完結にはならないのだろうな?

 


0874.銀の檻を溶かして

2008年04月01日 | ファンタジー
銀の檻を溶かして
読 了 日 2008/04/01
著  者 高里椎奈
出 版 社 講談社
形  態 新書
ページ数 278
発 行 日 1999/03/05
I S B N 4-06-182059-1

 

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OOKOFFの105円の棚にあったので、買って来た。
この著者の作品は、講談社ノベルスで何冊か出ているのを以前から知っており、どんな内容なのだろうと気になって、機会があったら読んでみようと思っていた。

講談社の文芸誌「小説現代」が別冊として年3回発行している「メフィスト」で選考しているメフィスト賞を受賞した作品だそうだ。
近頃では、ミステリーもいろんなところで文学賞を出しているから、とても覚えきれないが、今まで僕が読んできた中では、森博嗣氏の「すべてがFになる」(101.参照)や、高田崇史氏の「QED百人一首の呪」(97.参照)が同じくメフィスト賞の受賞作のようだ。

 

 

本書は、一応本格ミステリーの形を成しているが、主役の探偵と、それを補佐する2名?の合わせて3人が人間ではなく妖怪という設定だ。読み始めて僕は好みではないので「しまった!」と思ったが、何とか休み休み読み進めると、次第に抵抗なく読めるようになった。
妖怪が探偵といっても、妖術でもって事件を解明していくということではなく、データの収集や、分析、推理による事件へのかかわり方は、なんら人間の探偵と変わることなく進められていくからだ。
彼ら3人?の妖怪たちは人間の姿をして、普段は薬屋として生活しており、合言葉を以て尋ねてきた妖怪の絡む事件の依頼人があったときだけ、探偵活動を開始する。
本作では、全く異なった二つの事件が調べるうちに、繋がりを見せていくというストーリーで、途中で警察の捜査の状況も描かれるが、妖怪たちが必要とした時に、警察の捜査資料をどのようにして引き出すのかというところで、妖怪ならではのテクニックが使われる。
作者の女性・高里椎奈氏は1976年12月の生まれというから、この本が発行された時点ではまだ、若干22歳だったということだ。僕の好みは兎も角として、こうした若い才能は出るべくして出たという感じだ。

 

 

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0786.蚊トンボ白髭の冒険

2006年12月23日 | ファンタジー
蚊トンボ白鬚の冒険
読 了 日 2006/12/23
著  者 藤原伊織
出 版 社 講談社
形  態 単行本
ページ数 587
発 行 日 2002/04/20
I S B N 4-06-211198-5

 

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の前に読んだ著者の「てのひらの闇」(784.参照)が良かったので、 間をおかずに本書をネットで手に入れて読んだ。
この作品のタイトルは、前々から知ってはいたが、タイトルから受ける印象が、なんとなく好みにそぐわず読もうと言う気にならなかったのだが、 僕の数多い欠点の一つ、食わず嫌いがここでも出たのだ。
段組は1段だが、600ページ近くもある重い単行本で、面白くなかったら途中で投げ出したくなるような本だが、そうならなかったのは幸いだ。

最近(でもないか?)こうしたファンタジック(ファンタスティックというのか)な小説によくあたるみたいだ。 流行と言うわけでもないのだろうが、一つ間違うとこの手の話は荒唐無稽のほら話になってしまうところだが、結構面白く読めた。
好みにもよるのだろうが、小説に対して事実と異なる、などと文句を言う人もいる。 どういう神経をしているのだろうと疑いたくなるが、そんなことを言ったら、大半の小説はフィクションの世界だ。事実と比べても意味がないだろう。
あれ!話が変な方向に行った。
僕はファンだから、好意的に見て、実は主人公の心の持ち方を、形を変えて描いたものだと言えなくもない。

 

 

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0763.銀の犬

2006年08月21日 | ファンタジー
銀の犬
読 了 日 2006/08/21
著  者 光原百合
出 版 社 角川春樹事務所
形  態 単行本
ページ数 354
発 行 日 2006/07/08
ISBN 4-7584-1069-0

 

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きな作家の作品は、次々に読みたくなるのだが、往々にしてそうした作家は寡作なことがある。
この作者も平成13年に最初の1冊「遠い約束」(332.参照)を読んでから、6年で5冊(ミステリー以外ではこの他にも著作はあるのだが)だから寡作家の部類に入るだろう。
つい先だって民放テレビでオムニバスドラマの1篇として、「十八の夏」(429.参照)が放映された。主演があまり僕の好みではない女優さんだったが、ドラマも、女優さんの演技も原作の味を良く伝えており、良かった。そこで、新作が出ているのかどうか、ヤフオクを探して、本書を買ったというわけである。

 

 

だが、案に相違して、本作はミステリーではなかった。
ケルト民族の間で、語り継がれてきた民話をモチーフとした連作で、民話に出てくる楽人(バルドという)・オシアンと同名の主人公とその相棒ブランが旅の先々で、この世に想いを残したままそこに留まる魂を開放していくという物語である。
選ばれし祓いの楽人(バルド)・オシアンは声を持たない。竪琴を奏でることだけが、彼のコミュニケーションの手段なのだが、それは言葉よりもずっと多くのものを伝えるばかりか、魂をいやすのだ。

 

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0717.エンドゲーム 常野物語

2006年03月31日 | ファンタジー
エンドゲーム 常野物語
読了日 2006/3/31
著 者 恩田陸
出版社 集英社
形 態 単行本
ページ数 324
発行日 2006/1/10
ISBN 4-08-774791-3

「光の帝国」(300.参照)「蒲公英草紙」(713.参照)に次いで、3冊目の常野物語だ。
といってもこれらの3つの物語に直接の関連性はない。
特殊な能力を持つ一族を描くファンタジックな「常野物語」は、あたかもそうした一族がある地域に実在するような感覚を覚えるストーリーだ。

今回の物語では、メインキャラクターの一人、拝島暎子は自分たちの境遇がオセロゲームの駒のようだと感じている。彼女たちが「あれ」と呼んでいるものは何なのか?「あれ」に出会った時に、自分と「あれ」の間の力の差によって、オセロの駒のように相手を“裏返す”か、それともこちらが“裏返される”か!
当事者である登場人物たちにも、自分たちの置かれている立場や、環境、自身の能力などについて判っている訳ではないところに、読んでいてもどかしさのようなものを感じるが、それが物語りに引き込まれる要因ともなる。

暎子の娘である、拝島時子はある日、母が勤めている会社・稗田物産で母の秘書を勤めている河合詩織から電話を受ける。母の暎子が出張先で倒れたというのだ。
「母は裏返されたのか?」、 時子の頭に浮かんだのはそうしたことだった。

初出誌 小説すばる
発行月号 2004年3.6.9.12月号
2005年3.6月号




0713.蒲公英(タンポポ)草紙

2006年03月23日 | ファンタジー
蒲公英草紙
読 了 日 2006/03/23
著  者 恩田陸
出 版 社 集英社
形  態 単行本
ページ数 256
発 行&nbsp:日 2005/06/30
ISBN 4-08-774770-0

 

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書は、著者が以前からライフワークのような思いを持っているのではないかと、僕が勝手に想像しているテーマである。
僕はそのうち読もうと思いながら、まだ民俗学者である柳田國男氏の「遠野物語」を読んではいないので、それと恩田氏の“常野物語”を一緒に論ずることが正しいことかどうかは分からない。
だが、不思議な力を持つという常野一族を描いた、著者のいくつかの物語を読むうちに、かつて遠い昔にそんな一族が、隠れるように暮らしていた所に、なぜか懐かしい思いを抱くようになった。
時たま学者が言うことだが、人類も他の動物と同様に、鋭い五感を持ち合わせていた時代があった、という。それが文明の発達とともに次第に薄れていったのだといわれている。そんなことからも、もしかしたら常野一族のような人々がいるのかもしれないと、理屈抜きに考えることはロマンチックではないか。少なくとも本を読んでいる間くらいは、ファンタスティックな気分を持ち続けて、いたのかもしれない一族へ思いを馳せるのである。

 

 

タイトルの「蒲公英草紙」は、物語の語り手であるところの、中島峰子の日記帳のタイトルだ。
大きなお屋敷の槇村家を舞台とする物語である。槇村家の病弱の少女・聡子は外出もままならない状態で、学校にも行けず友達もいない状態が続いていた。そうした少女の話し相手にということで、屋敷の隣に位置する中島病院の一人娘峰子が、屋敷に通うこととなる。物語は峰子が蒲公英草子と名付けた少女時代の日記帳に基づいて回想する形で、進められる。槇村家の屋敷の一角には「天聴館」と呼ばれる建物があって、年に一度村の功績のあった人々を招いて、称える会が開かれていた。
槇村家の当主がその昔世話になったという春田家の家族が訪れて、そこに住まうことになる。夫婦と姉弟の子供の4人家族は、常野一族だった。

ストーリーの進行を語る峰子が現在幾つくらいの年齢なのかは、終盤に至るまではわからないのだが、それも一つのミステリーとして、重要な部分を構成しているのだが…。
昭和の初期から第2次大戦の終了後までの期間の、貧しい中にも古き良き時代を思わせながら、槇村家の少女・聡子と、峰子を中心に置いて物語は、その先に待ち受ける悲劇を感じさせずに進む。

 

 

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