キャー!先生 もりたじゅん
1971年 (昭和46年)
私、定期購読はしてなかったけど
「りぼん」は時々買ってたようで
所々のマンガは覚えてたりする。
この キャー!先生 も、そのひとつ。
この、最初の登場シーンなんか
覚えてるよ。
超ミニスカートに
ボイン(死語?)な先生。
たまに見えるパンティー(死語??)
はピンクの花柄。
うみどり の時にも書いたけど、
もりた先生の描く女性は
ボン!・キュ!・ボーン!!な
女性が多くい。
私の思い描く少女マンガは
スラッとしてて、クルクルッ な髪の
女の子 ってイメージだったから
もりた先生の描く 少女マンガは
正直 少々苦手だった。
でも、題名のインパクトと共に
このマンガは頭の片隅に
忘れられずにいた。
「被爆二世」というものを知ったのは
このマンガだった。
でも、当時は小学2年生位だったから
主人公(麻子)の苦しみというものも
よく理解出来ず、
なんとな~~く
「あぁ、この人は自分が病気かもしれないと
思い悩んでるんだなぁ」くらいの感じで
読んでたような気がする。
そして再びこのマンガを手にして
読み直してみたら・・・
私は てっきり 最終回、
麻子は死んでしまった
と ずーーーっと記憶してたんだけど。
違ったよ~!!
幸せな花嫁になってたよ~。
検査の結果、今は悪性貧血だけど、
被爆した両親の遺伝の影響でないとは
断定出来ず、
白血病に変わるかもしれない可能性も。
一生出ないかもしれないが、もしかして
一年後 二年後 あるいは・・・
婚約者に告げる医師の言葉と、
医師と婚約者(鷹)との
重々しいやりとりから
「あぁ、麻子はいつかは白血病で
死んじゃうんだなぁ」
と勝手に思って、それが歳を重ねるごとに
記憶が曖昧になって 死んじゃった
と思い込んでたようだ。
ほんと、記憶って曖昧だよねーー!
(えっ 私だけ?!)
これがりぼんに連載されてたのが
1970年(昭和45年)から
翌年まで。
終戦から25年経った頃だ。
当時の私は、戦争なんて
はるか彼方の遠~~い昔の事・・・
という感覚だった。
でも、その時(連載当時)も こうして
戦後に苦しんでる人たちが
いっぱいいたんだね・・・。
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私も、ブログで取り上げたことがありますが、とても表面的なことしか書かなかった…我楽多さんは深いところに触れていますね。
当時の「りぼん」で、こういうテーマはまず無かったですね。森田先生はかなり、いろいろ挑戦されてましたね。
私は絵柄、好きでした。森田先生の後の、「おとめちっく路線」(陸奥A子さんなどの…)がダメで、だんだん「りぼん「」を買わなくなりました。
我楽多さんは世代的には、おとめチック…世代でしょうか?陸奥A子さんとか…お好きでしたか?
多分、私が りぼん を読まなくなった頃から活躍し出した先生なんだと思います。
陸奥A子先生と言ったら りぼんの付録 というイメージです。
(ひとつも持っていませんが・・・)
一条ゆかり先生、山岸凉子先生、おおやちき先生。。。
今の漫画家の絵ってあの時の先生方に比べると雑だし、主人公もこじんまりしてなんだかなぁと思います。まぁあの頃も普通の女子高生の話とかもありましたが。
今の漫画には外国が舞台になることは少ないんじゃないかな?昔はヒロインの名前がてらいもなくシルビアとかジュリエッタとかビクトリアとか使われてましたよね。
最近のマンガは、可愛い絵で 日常的なマンガが多いような気がします。
と言っても 最近のマンガは良く知らないんですけどね