「白い城」オルハン・パムク著(宮下遼訳)藤原書店を読みました。
17世紀、オスマン帝国で奴隷の身となったヴェネツィア人の「わたし」。
自分と酷似したトルコ人学者「師」に買い取られ、奇妙な共存関係を結ぶことになります。科学的知識を共有するのみならず、「自己とは何か」という西洋人の根源的な問いを通じて互いの全てを知り合うようになった二人の行方は。
ノーベル賞を受賞する20年以上前に書かれた、著者の出世作です。
内容について触れますので、未読の方はご注意ください。
題名の「白い城」(日本語だとダジャレみたいですが、トルコ語だともちろんそんな韻ではなく原題はbeyaz kale)はオスマン帝国がヨーロッパ側との戦争で攻めたドッピオ城のこと。この戦いで帝国側は敗走し、「わたし」と「師」は互いの素性を入れ替えることになります。
訳者あとがきではこの場面はふたりの結節点であるとともに、歴史の節目でもあると語られています。長年東欧諸国を軍事的に圧迫してきたオスマン帝国が戦争に大敗し、その後徐々に西欧との力関係が逆転していくできごとであると。
個人の物語に歴史的背景を連想させる、パムクの巧みな小説的技巧だと思います。
そして「わたし」と「師」は外見は相似していながら、資質は違うというのも印象的です。「わたし」は既知のものごとを増やして、生活に安心を求める。本人は幸せだと思いますが、師から言わせれば凡人の生き方。身分は約束されるがこれから斜陽を迎える帝国に残る。
「師」は未知のものごとを求めてひたすらに追求する。彼に安寧は訪れないでしょうが、常に世界のへさきに立っている様な非凡人の生き方。オスマン帝国では学べない技術や文化、思想を持つ欧州に向かう。
ふたりはお互いの過去を知りつくし、生活を入れ替える。
この物語は個人の生き方を描きながらも同時に、東と西がせめぎあう大きな物語でもあります。
つけたしですがこの本は共訳ということになっていますが、あとがきによると、数人のオスマン帝国の著名な研究者に翻訳を固辞され、宮下遼さんが翻訳を引き受けることになり、訳者のお父様である宮下志朗さん(トルコ語はできません)がこの小説の仏訳で翻訳チェックなさったそうです。訳自体に不満はないのですが、ノーベル賞作家なのに、あんまりな気が・・・。トルコは日本ではマイナーな国だから?
17世紀、オスマン帝国で奴隷の身となったヴェネツィア人の「わたし」。
自分と酷似したトルコ人学者「師」に買い取られ、奇妙な共存関係を結ぶことになります。科学的知識を共有するのみならず、「自己とは何か」という西洋人の根源的な問いを通じて互いの全てを知り合うようになった二人の行方は。
ノーベル賞を受賞する20年以上前に書かれた、著者の出世作です。
内容について触れますので、未読の方はご注意ください。
題名の「白い城」(日本語だとダジャレみたいですが、トルコ語だともちろんそんな韻ではなく原題はbeyaz kale)はオスマン帝国がヨーロッパ側との戦争で攻めたドッピオ城のこと。この戦いで帝国側は敗走し、「わたし」と「師」は互いの素性を入れ替えることになります。
訳者あとがきではこの場面はふたりの結節点であるとともに、歴史の節目でもあると語られています。長年東欧諸国を軍事的に圧迫してきたオスマン帝国が戦争に大敗し、その後徐々に西欧との力関係が逆転していくできごとであると。
個人の物語に歴史的背景を連想させる、パムクの巧みな小説的技巧だと思います。
そして「わたし」と「師」は外見は相似していながら、資質は違うというのも印象的です。「わたし」は既知のものごとを増やして、生活に安心を求める。本人は幸せだと思いますが、師から言わせれば凡人の生き方。身分は約束されるがこれから斜陽を迎える帝国に残る。
「師」は未知のものごとを求めてひたすらに追求する。彼に安寧は訪れないでしょうが、常に世界のへさきに立っている様な非凡人の生き方。オスマン帝国では学べない技術や文化、思想を持つ欧州に向かう。
ふたりはお互いの過去を知りつくし、生活を入れ替える。
この物語は個人の生き方を描きながらも同時に、東と西がせめぎあう大きな物語でもあります。
つけたしですがこの本は共訳ということになっていますが、あとがきによると、数人のオスマン帝国の著名な研究者に翻訳を固辞され、宮下遼さんが翻訳を引き受けることになり、訳者のお父様である宮下志朗さん(トルコ語はできません)がこの小説の仏訳で翻訳チェックなさったそうです。訳自体に不満はないのですが、ノーベル賞作家なのに、あんまりな気が・・・。トルコは日本ではマイナーな国だから?