少し活気が戻ったような那珂湊の駅舎を出て左手へ歩く。
そこは旧型気動車好きにとってはある意味、桃源郷が広がっている。
自分にはそう思えてならない。
国鉄準急色に塗られたキハ2004の反対側にはキハ223が連結されている。
正面窓の回転窓がその出自を物語っている。
キハ2000形が留萌鉄道出身なのに対し、キハ223は羽幌炭鉱鉄道の出身。
どちらにしても「道産子」だ。
さらに勝田方へ歩く。
二両のディーゼルカーが留置されているのが見える。
キハ203。
阿字ヶ浦駅に留置されていたキハ201の同系列の車。
車籍はあると記憶していたが、車体には錆が浮かんでいたりして休車状態にあるように見えた。
駅構内を巡る小散歩もそろそろ終わり。
駅へ戻ろうか・・・と思ったとき、見ておかなければならない車両(と言っても「なれの果て」だが)があることを思い出した。
ケハ601。
1960年製の日本初のステンレス気動車として好事家の間では知られた存在。
1992年まで現役で使用され、廃車後は倉庫として使用されている。
最初は足回り付の倉庫だったが、いつしか車体だけになっていた。
それでも、このような形であっても車両史に記録されるべき車両が残っていることに価値があると個人的には思っているのだが。
そこは旧型気動車好きにとってはある意味、桃源郷が広がっている。
自分にはそう思えてならない。
国鉄準急色に塗られたキハ2004の反対側にはキハ223が連結されている。
正面窓の回転窓がその出自を物語っている。
キハ2000形が留萌鉄道出身なのに対し、キハ223は羽幌炭鉱鉄道の出身。
どちらにしても「道産子」だ。
さらに勝田方へ歩く。
二両のディーゼルカーが留置されているのが見える。
キハ203。
阿字ヶ浦駅に留置されていたキハ201の同系列の車。
車籍はあると記憶していたが、車体には錆が浮かんでいたりして休車状態にあるように見えた。
駅構内を巡る小散歩もそろそろ終わり。
駅へ戻ろうか・・・と思ったとき、見ておかなければならない車両(と言っても「なれの果て」だが)があることを思い出した。
ケハ601。
1960年製の日本初のステンレス気動車として好事家の間では知られた存在。
1992年まで現役で使用され、廃車後は倉庫として使用されている。
最初は足回り付の倉庫だったが、いつしか車体だけになっていた。
それでも、このような形であっても車両史に記録されるべき車両が残っていることに価値があると個人的には思っているのだが。