Simplex's Memo

鉄道と本の話題を中心に、気の向くまま綴ります。

樽見鉄道に乗る。(その3)~「うすずみファンタジア号」は今~

2005-12-11 07:11:04 | 鉄道(地方・専用線など)
本巣駅の構内は広い。
その片隅に客車が4両留置されている。
かつて北方真桑の主であった「うすずみファンタジア号」だ。
以前の留置場所から姿を消していたが、いつの間にか、ここに移動していた。
早速、留置場所へ行ってみた。

「うすずみファンタジア号」は元JR東海の12系客車であるオハ1000形・スハフ100形がトキ25000を改造したトロッコ客車、うすずみ1形2両を挟む5両編成だった筈。
その大垣方に連結されている筈のスハフ1101の姿はなく、代わってオハ1002の連結面が顔を出している。


編成の一両一両をじっくり見て回る。
窓枠の一部が外されていたり、内装が一部剥がされていたりと何とも中途半端な状態になっている。

陸橋を渡り、今度は反対側から編成を見る。
大垣方から順に見ていく。
まずはオハ1002(元JR東海オハ12 102)。

窓枠が一部外されている事がおわかりだろう。

続いて、うすずみ2(元国鉄トキ29107、1989製)。

うすずみ1形には客用扉はなく、前後に連結された客車から乗降する形を取る。

うすずみ2とペアを組んでいる、うすずみ1(元国鉄トキ29102、1989製造)

塗装の剥離も著しく、この編成が営業線上を走る事はその姿が雄弁に物語っている。
それにしても、中途半端な解体状況が気になった。

後でその辺りを調べてみると、「NPO法人樽見鉄道を守る会」がこの「うすずみファンタジア」編成を利用して「樽見鉄道マイレールミュージアム」を作る構想を持っていた。
その矢先に会社側が客車の解体を始めた。
それをNPO法人側が止めさせた事で現在に至っているらしい。
「らしい」というのは、同法人のサイトも見たものの、断片的な情報しかなかったので、その全容が掴めないというのが正直な所だった。

もう一つ、「樽見鉄道マイレールミュージアム」とはどういった構想なのだろうか。客車を展示物とする事は理解できたが、具体的に何を展示するかといった情報もない。その辺りを目下調整中ということなのか。

一番気の毒なのは中途半端に放置されている「うすずみファンタジア」だろう。
そんな事を思いつつ駅へ戻る。帰り道、14系客車を撮った。
かつて臨時特急にも使用された客車もこうやって見ると、落ちぶれた感じが強い。


その傍らを単行の列車が走り抜けていく。


空が曇ってきた。
そろそろ先を急ごうと、樽見行に乗る。
実を言うと、本巣~木知原間が未乗車になっている。
今回はそれを埋めておきたい。

この区間がどうして未乗車になっていたのか、少し説明する必要がある。
樽見鉄道にはしばしば乗りに来ていたが、よく来たのはこの本巣まで。
車両見物だけなら本巣までで大体事足りるのが一番の理由だった。
その結果、本巣以遠はなかなか乗車機会に恵まれなかった。

では、樽見までどうやって行ったのか。
自分が樽見まで乗った2001年は名鉄谷汲線が最後の年を迎えていた。
ヒマを見つけては谷汲線の赤い電車を撮りに来ていた。
そのついでに、赤石駅から徒歩で木知原まで移動し、ここから樽見まで一往復して再び赤石駅へ戻るという、今から見れば夢のような方法で行ったのだった。

という訳で、路線の中間に当たる本巣・木知原間は乗車せぬまま現在に至っている。

本巣を出ると、山間に入る。
木々は色づいていて、その様子にしばし酔う。
その内に木知原に到着。
あっさり、未乗車区間の乗車を達成すると共に、全線乗車を達成した。
あっけない物である。

木知原から先は再び既乗車区間に戻るが、ゆっくり車窓を楽しむのも久しぶりだ。
何せ、「桜ダイヤ」期間中は満員で景色を楽しむどころではなかったから。

神海から樽見までは樽見鉄道に転換された後、1989年に開業した区間に入る。
これまでは集落に沿う形で走ってきたが、ここからはトンネルで突っ切る線形に変わる。
「景色を楽しむ」という意味合いから考えると、少々興ざめではある。

終点樽見に到着。
「桜ダイヤ」の時は観光客でごった返すホームも、駅もひっそりとしていた。

これが日常の姿という事なのだろう。

少し駅前を歩いてみたが、こちらもウソみたいに静まりかえっていた。
次第に暗くなってきたし、折り返し列車の発車時間も迫ってきたので慌てて樽見駅へ戻った。


最新の画像もっと見る