今日は午後のすべてを利用して、4年生が実習のときに担当させていただいた症例を通じて、3年生、2年生、1年生に対してレクチャーする会でした。それぞれ2~3名の1年生や2年生、そして3年生に対して、用語や内容をその理解度から使い分けながら説明するというものです。むろん、1年生と3年生は授業の進行度が違うために、同じ資料を用いても、しゃべる内容を変え、そのスピードも考慮しなければなりません。ここにメタ認知能力がいかされるのです。メタ認知能力は社会的行動を支える人間の機能ですが、それは自然に行動し考える自己に加えて、自己の認知や行動をチェックする機能を備えなければなりません。すなわち、モニタリング能力です。しかしながら、これだけではメタ認知能力は完成しません。下級生の視線、表情、理解度の類推などから、その都度状況や対象者にあわせて行動を修正するコントロール能力を養わなければなりません。その際、やはり重要になってくるのはアイコンタクトです。そして、すべてを理解させようという一方向性でなく、向こうからはどのように見えているだろうか、何を感じているだろうか、そして2年前の自分はどうだっただろうかという、他者視点プラス自己の回帰が必要になってきます。こうした能力は患者さんをみたり、学生をみたりする私たちの仕事には直接的に関係します。むしろ効果はここできまるといっても過言ではありません。脳でいうと前頭前皮質だけでなくTPJも大きく関与しています。
そして、もう一つ、現4年生は1年生のときの自分、2年生のときの自分を回帰しながら、あのときは全く理解できていなかったが、今は違う。自己は成長できているのだと、自己を強く自覚することが大切です。そしてその成長は自己の意識だけでなく、他者の援助によってつくられているものだと思うことです。そして1年生は2年生、3年生、4年生になるにつれ、自分がこのように成長して行くのだとイメージしながら、先輩達に尊厳を持つこと、それが技術を伝承して行く心を形成していきます。だから、細かい知識や記憶の形成は、この会の本質的な目的ではありません。なぜなら、リアリティのない記憶に対しては重みづけられないからです。むしろ、この上下の関係による過去–現在–未来の自己の想起を意識できること、この事自体が教育的本質の意味なのです。そこに気づけるか、気づけないか、それがメタ認知能力でもあるかもしれません。教員はファシリテーターなのですが、その教員をみてもそう感じるわけです。
そして、もう一つ、現4年生は1年生のときの自分、2年生のときの自分を回帰しながら、あのときは全く理解できていなかったが、今は違う。自己は成長できているのだと、自己を強く自覚することが大切です。そしてその成長は自己の意識だけでなく、他者の援助によってつくられているものだと思うことです。そして1年生は2年生、3年生、4年生になるにつれ、自分がこのように成長して行くのだとイメージしながら、先輩達に尊厳を持つこと、それが技術を伝承して行く心を形成していきます。だから、細かい知識や記憶の形成は、この会の本質的な目的ではありません。なぜなら、リアリティのない記憶に対しては重みづけられないからです。むしろ、この上下の関係による過去–現在–未来の自己の想起を意識できること、この事自体が教育的本質の意味なのです。そこに気づけるか、気づけないか、それがメタ認知能力でもあるかもしれません。教員はファシリテーターなのですが、その教員をみてもそう感じるわけです。