森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

合同会社gene主催セミナー

2009年07月18日 00時10分36秒 | 過去ログ
合同会社gene主催セミナー

題  目 リハビリテーションのための脳・神経科学入門~名古屋会場~
講  師 森岡 周先生(畿央大学 健康科学部 理学療法学科・教授)
日  時 平成21年10月4日(日) 10:00~16:00
    (受付9:30~)
場  所 名古屋市中小企業振興会館 メインホール(吹上ホール)
     名古屋市千種区吹上2-6-3
対 象 者 PT・OT・ST・NRS・柔道整復師・その他(定員200名)


※脳から見た評価(動作分析)を提案したいと考えています。



東京臨床理学療法研究会第10回研究会

2009年07月18日 00時07分21秒 | 過去ログ
東京臨床理学療法研究会第10回研究会

日 時 平成21年9月12日(土)受付10時開始

テーマ 「ニューロリハビリテーションと理学療法」

会 場 首都大学東京荒川キャンパス講堂

講 演 「大脳皮質機能からみたニューロリハビリテーションの展開」
    10:30〜12:20 畿央大学 森岡 周先生
   「脳科学の研究成果に基づく理学療法介入(仮)」
    14:30〜16:10 杏林大学 潮見泰蔵先生

問い合わせ 〒279-8567了徳寺大学健康科学部 松田雅弘
TEL 047-382-2598FAX 047-382-2017
Eメール matsuda@ryotokuji-u.ac.jp

文化を超えて

2009年07月17日 23時59分56秒 | 過去ログ
今日は午前中に来週の講義資料を完成させ
10時よりゼミを行った。
3年生のゼミがスタートする。
今日はリーダー決めや
みんなの興味をうかがう。
キーワードが飛び交うがその次は関係性を考える。
思考は関係性から生まれる。
システムとはそういうことだ。
要素だけでは思考は生まれない。
細胞一つでは何の意味もない。
軸索と樹状突起が結合する関係性から
脳は発達するように。
もちろん身体もシステムであるから
膝だけでは何も行為は生まれない。
その関係性を理解するということは
研究だけでなく臨床の視野を拡げる意味でも大切である。
どうしても要素に向かられるし、
今度は関係性を通り越して、行為全体に飛躍してしまう
動作分析が飛躍するのも研究の考察が飛躍するのも
実は視点は同じなのかもしれない。
この意味を理解できれば、
人間を科学する第一歩になるかもしれない。
研究者とは絶えず思考を鍛える必要がある。
紋切型・ステレオタイプとならずに、
自らの思考をdeepにする。
今の理学療法に関係する研究者を眺めても
データをとってから考察する(思考する)ものが多い。
思考とは自らの脳のなかで企てるものでもある。
もちろん真理をつかもうとするためにデータをとるが
出たデータを幾通りも料理でき、
さらに仮説(想像)をふくらますという思考の循環を続けられる者は果してどのくらのPT、OT教員がいるのだろうか。
応用ばかりに走ってもその思考は鍛えられない。
応用をやるのなら、臨床という現場がいちばん適している。
大学という場は、知を創造し生産していく場である。
その混同が続けば、臨床はカオスから抜け出せれない。

11時半に大学を出て、
一路、大阪女子短大へ。
今日は育児と脳についての授業である。
あと1回でここの講義も終わる。
新鮮さもかけ始め、彼女たちの注意の持続も減退し始めてきた。
人間とは先入観(自らの経験の呪縛)から抜け出せれない動物である。
デジタル脳になればなるほどその傾向が強い。
自らが信じている世界でしか生きられないのか。
その呪縛から解き放たれるためには、相当の強い経験が必要である。

僕にとってはそれは12年前の留学だったのかもしれない。
イギリス、フランス、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、イタリア、
そのすべてでセラピストがADL練習・訓練(歩行訓練)や狭義のROM訓練をしているのはなかった。
僕は今の急性期・回復期・維持期システムを作った近森リハの出身。
病棟配置や病棟訓練のさきがけを作ったメンバーの一人であり、
毎日のように見学客を迎え、
厚生省のモデル病院として、PTをしていた。
ADLというのは自らのリハビリテーションの根幹であった。
それが、上の国のあわせると30以上の病院を観察し、
横断的にもそして長くいた病院を含めると縦断的にも
見た(経験した)うちにはない。

この経験がまさしく回復とは何なのか?
人間の行為とは何なのかを、を考えるきっかけとなった。

それ以来、行為障害からの回復は紋切り型ではないと思っている。
行為のとらえ方をもっと多様にみなければらないとも思っている。
どのようなかたちであっても回復する人は回復するし、
そうでない人はそうでないのであれば、
その共通項を探ることが患者の行為を改善させていくための方法でないかと
研究しているのである。

大学に在籍しているPT、OTはその知識・知恵を磨かないといけない。
それにはデカルトのように思考を巡らせることが必要だと思う。
研究データは情報の一つにすぎない。
僕もそうだが、まだまだ未熟な者が多い。
教育とは未来に向かわないといけない。
現実がまったくなければ地に足がつかないが、
地に足をつければ、前に歩きださないといけない。
いろんなデータが脳イメージング研究から出ているが、
最近の研究、特にリハから出ているのは全く驚かない。
これは停滞期の様相が見えてきた。
機械が発達しても思考が変わらなければ、
なんも変わらない。
ただ、データをとって焼き直ししているのにすぎないように思える。

そう嘆いてもはじまらないので、
ブレークスルーも期待したいものだ。


大阪女子より畿央に17時に帰り、
看護学科の学生の質問を受ける。
痛みを有する事例に対するケアをどう考えるかというテーマで彼女たちはレポートを書いている。


その後、理学療法学科の学生たちが質問に来る。
21時前までagnosia、apraxia、ataxiaの内容を議論する。
脳は実に不思議だ。

不思議かつ魅惑なる脳の世界を知ろうとする脳はとても頼もしい。
脳を知るための脳。
それは人間を知るための人間である。
人間科学こそがリハビリテーション科学でもある。
人間復権という尊厳は人間を知ろうとしないことには、
その意味を見いだせないかもしれない。

理学療法という言葉の知名度は低い(理学療法士になって18年、いつまでたっても低い)がリハビリという言葉は誰もが知っている。
その理由が少しながら僕は最近わかりはじめてきた。


霊長類としての人間

2009年07月17日 08時04分29秒 | 過去ログ
一昨日は看護学科の講義の大詰め。
脳卒中、自閉症、骨折、認知症の事例の感情の変化を
脳科学からとらえ、そしてどのようにケアを提案するかについて議論した。
そのうち、1事例を選んで、課題レポートを提出してもらう。
脳を知ることで、対象者のこころを知ろうとする。
科学的な対応をナースが持つことで、
人間性をさらにUPしてもらいたい。

午後は来週に出向く文部科学省の履行調査について確認会議が行われる。

会議とはアナログであるが、
人の表情が見れるこのアナログ的関係性はいつまでも残すことが大切であるかもしれない。
ただ、デジタル的会議であるなら、メールでよい。

新型プリウスが売れているようだが、
その背景にある機械産業は電器産業にとってかわられているだろう。
時代の流れは速いし、その流れについていくだけで必至な感じがある。
ふと、パソコンのとなりには私の4代目ベースがあるが、
彼とは20年の付き合いになるが、
少々、故障気味だが、このような楽器は30年たっても変わらないであろう。
文化とは変わらないものだ。
絵筆が変わらないように。

脳はデジタルに向かっているが、身体は文化と同じでアナログのまま。
現代人がかかえているストレス社会はこの解離現象なのかもしれない。

昨日は、つくだクリニックの井口さんと自閉症の子どものケース会議を行う。
2週間に1度であるが、7月頭が忙しかったので1か月ぶりである。
面白い現象に考察を加える。

スーパーやコンビニで何でもモノがそろう時代。
人の顔を見なくても生きていける現代。
以前の八百屋や、魚屋であれば、
自然と非言語的コミュニケーションや言語コミュニケーションが生まれたが、
今は必要ない。
その時代の若者がいきなりコミュニケーションをとれ!といわれても、
図式化されていないからフリーズを起こしてしまうのかもしれない。
ヨーロッパには朝市がいまだに立つ。
そこでは人の顔を見るという
生物的な現象が続いている。
アナログ脳の再興が教育でも求められるのかもしれない。

午後は学科会議、教授会、大学院研究科委員会、リサーチカンファレンスと続いた。
学科会議では実習のこと
教授会では後期授業体制のこと
研究科委員会では博士論文の審査体制のこと
リサーチカンファではfNIRSの解析のこと
などを話あった。

その後、博士課程の信迫君と修士課程の清水君と研究の打ち合わせをした。


顔を見るという霊長類固有のコミュニケーションはこれからも伝承していかなければならない。


peaceful day

2009年07月15日 06時48分13秒 | 過去ログ
昨日は久しぶりに大学で仕事をする。
イタリアから帰国して2週間
遠征に次ぐ遠征で、ほとんど不在であった。
試験前の学生から、
「先生いつ行っても部屋にいません現象」が再来した。

年々、講演、出張講義が増加している。
どこかで歯止めをと思うが、
何を基準に歯止めをすればよいか、
その認知機能が難しい。
会の大きさや報酬の量ではない。
報酬は相手あってのことであるが、
相手側もTPOをわきまえた量であることも言っておく。
特に「県士会」での長丁場講習会は身体の拘束性が高いので。


昨日はAM、授業の準備を行い、
PM授業を行う。
昨日の発達系は、道具操作の発達と歩行の発達を取り上げた。
12か月かかってやっと「よちよち歩き」ができるそのプロセスが重要だ。
介助歩行を企てても、6か月で歩けることはない。

また、発達は運動、知覚、言語、感情、それぞれが独立して起こるのではなく、
相互に連関しあいながら発達するプロセスを具体例をあげながら説明した。
どれかの経験が欠けることによって障害構造は複雑化する。
単純に障害が「運動」だから手段も「運動」で、という公式には当てはまらない。


夕方から23時までは大学院生の研究計画を検討した。
M2平松くんによる「擬態語と上肢運動制御の関係」
M1末吉さんによる「皮質活動による脊髄シナプス抑制機構」
M1榊原さんによる「ビデオ観察学習に基づく自己組織化プロセス」
M1佐藤くんによる「脊髄損傷者の運動イメージの特性」
M1脇田くんによる「膝OA患者の運動イメージと運動機能の関係」
M1木くんによる「模倣行為における神経活動」
M1清水くんによる「キャノニカルニューロンシステムにおける神経活動」
について討議した。

M1若田くんが来ていたが、終電を逃すために検討できずに帰った。
申し訳ない。
次回はワーキングメモリを作動させてくれ。

あとは、M1上原君、大槻君、河石君、金谷君、柴田君。
無理のない範囲で。進捗はテーマによっても異なる。
焦りは禁物でもある。しかし、切迫感をもった焦りも必要である。

脳はそのはざまで生きている。

しかし、腰痛が消えない。

一人では治療は難しい。
外部観察から、私の知りえない現象について、
教え援助してもらいたい。
微妙な何かが変容しているはずである。

社団法人熊本県理学療法士協会第2回学術研修会

2009年07月13日 23時49分48秒 | 過去ログ
社団法人熊本県理学療法士協会
平成21年度 第2回学術研修会のおしらせ

テーマ:脳科学からみた神経リハビリテーション
講 師:森岡 周 (畿央大学大学院健康科学研究科)
日 時:平成21年7月26日(日) 9:00~15:00(受付開始8:30~)
会 場:熊本保健科学大学 2号棟 (地図は下記ホームページをご参照ください)
    住所)熊本県熊本市和泉町325  TEL)096-275-2111(代表)
    URL)http://www.kumamoto-hsu.ac.jp/

※ 応募者が多数のため会場を変えたようです。まだ申込受付中のようです。

heal the world

2009年07月13日 22時56分08秒 | 過去ログ
今日は久しぶりに8時前に大学の研究室につく。
以前は毎日7時半に出勤していたが、
この1年半ほどは10時前になっている。
夜の仕事?(大学院の授業や研究指導)が2年前から始まり、
日8時間労働であるならば、大学院の授業がある日は13時出勤となるが、
そうもいかない。
授業が9時からスタートでない日はすっかり10時出勤が習慣化されてきた。
しかし、今日は仕事が立て込んでいたために、8時前に出勤すると、
10時前に授業の準備などが終わり、
結構朝早くスタートするのは1日が有効に使えると再認識した。
最近は外回りが多く、デスクに座ることが少ないのだが、
このパターンで1か月に1論文(本1章)なんかも可能ではないかと思えてきた。
草案で止まっている書きたい本は5つ以上はある。
40歳までにと思っていたが、それも難しくなった。
今は軌道修正し42歳までにはとしている。
その後の人生はその時になってみて考える。

11時半に大学の研究室を後にする。
13時より大阪女子短期大学の講義に向かう(補講である)。
しかし・・・途中で気づく、今日は14時半スタートだったと。
しばし、休憩タイムとなり、休めた。
14時半に藤井寺に向かい、
「脳の活性化とトレーニング」の授業を行う。
今日は「記憶力を高めるための脳科学入門」を中心に話す。
感情をどのように使うか、そしてワーキングメモリ的生活への転換を話した。
試験前で大変なようである。
エアロビが必修科目らしい。

次回は育児する脳がテーマになる。

短大の講義を終え、大学院生が所属する東朋香芝病院に向かう。
M2の河村君と平松くんが在籍する病院である。
しかし、勉強会の時間とブッキングしたために、近くの電気店で時間を潰して、
19時前より彼らの研究に関して指導を行う。
河村君は今度の日本認知心理学会で「ワーキングメモリ容量と注意制御および聴覚意味処理能力の関係―両耳異聴課題での検討―」について発表する。
20時過ぎ、何だか呂律が回らないため、帰宅する。
帰宅するとしらないうちに寝ている。
どっかでおもいっきり休みをとらないといけないと真剣に思うが、
メールを開くと、高校出張講義や、講演依頼があとを絶たない。

それでも私は書くことだけはやめない。
書いて、書いて、時代を創りたいから。
そのような「使命感」にかられている。

いろんな治療法が批判の矢面に立たされているが、
ステレオタイプ(パタナリズム)療法よりはましかもしれない。

時代は動いている。
このときに船を出さずしていつ出す。
評価や他人の意見など気にせず、帆を立てるのみである。
「世の人は我を何とも言はば言へ 我がなすことは我のみぞ知る。」

私は誰にも負けるつもりはない「想い」がある。
高校時代にたてたささやかな「人々を助けていく」ための組織や建物をつくるという目標である。
バブル全盛期に親に反対され、苦肉の意見で、5階建てのビルを建て、病院・フィットネスクラブをつくる!と豪語し、この道が許された。
現在は違う方向で動いているが、将来どうなるかはわからない。


I have a dream.
「障害者や子どもが最良の"治療"を受けられ幸せになる世の中がつくられていくことを」


田中先生、ブログに「Re-body/Re-brain」という言葉を引用してくれてありがとう。とっさに出た言葉でした。言葉は創発する。
このような少人数の場所で行うと表情が見え、言葉も紡ぎだされる。
この前の学会での講演のように2000名の前ではそのような言葉は出ない。

もちろん、行為も創発する。