一昨日は箕面市立病院へ。
実習生もいろんな経験をしているようだ。
予測が不可能だと、フリージングする。
それは精神的緊張だろうが、身体的緊張だろうが、
同じだ。
筋緊張という一つの現象の解明に、
その神経科学は役に立つ。
しかしながら、目にみえる「行動」を
どうしてそんなに単純に「出力」系だけに置き換えるのだろう。
それに学生も気づいているようだ。
その経験が重要だ。
学校で習ったことが通用しないことを肌で感じている。
「片麻痺」とは実に難解な「怪物」だ。
適当に「コジツケ」は簡単にできる。
その視点は、自分自身しか存在していない。
その難解さを感じる。
それが成長の道しるべとなることもある。
「笑い」とは、精神的緊張からの解放かもしれない。
学生が「笑う」という現象を見て、
それは、わからないという不安を解消する「生体」の仕組みなのかと思った。
人間は、予測が立たないとき、なぜか、変な「笑」をしてしまう。
これも緊張を解き明かすヒントになる。
そんなことを考えながら、懇親会へ。
SVの遠近先生と同級生談議を行う。
土佐の「いごっそう」論に発展した。
彼は、土佐清水出身である。
夢を語る、その思想は、文化・伝統で染み付いている。
昨日は、新しいPCのセッティングを行い、
いくつかの書類を書き、
府立大の伊藤先生、野村先生、
呼吸器アレルギーセンターの相田先生、
勤労者予防医療センターの浅田先生と会食する。
久しぶりの再会に、これまた「高知」談義になる。
業界を支える人材と感じ、
先日のNHKスペシャルの「情けなさ」について、どう思うかといわれ、
それもこれも、所詮「マシン人」の関係性しかすぎないといった。
目先のことばかり考え、
もっと先の本当の幸せを考え、
求めていない結果が、
こういう制作になる。
「人間復権」という視点からは程遠い。
マシンになること、それは自己意識を発生しなくても済むこと。
そしてそれは目先の「楽」を求めること。
それは「個性」を除去した、
なんて一律的社会構造なのか。
「リハビリテーション」にはまだまだ希望がある。
そう思いたい。
そのように心は強いが、飲み会続きで、身体は「悲鳴」か?
明日は愛知県安城市で講演です。
今年度最後の講演!
夏休み後、9月からの毎週講演出張も、
とりあえず、4月まではない。
なんとなく、うれしい。
実習生もいろんな経験をしているようだ。
予測が不可能だと、フリージングする。
それは精神的緊張だろうが、身体的緊張だろうが、
同じだ。
筋緊張という一つの現象の解明に、
その神経科学は役に立つ。
しかしながら、目にみえる「行動」を
どうしてそんなに単純に「出力」系だけに置き換えるのだろう。
それに学生も気づいているようだ。
その経験が重要だ。
学校で習ったことが通用しないことを肌で感じている。
「片麻痺」とは実に難解な「怪物」だ。
適当に「コジツケ」は簡単にできる。
その視点は、自分自身しか存在していない。
その難解さを感じる。
それが成長の道しるべとなることもある。
「笑い」とは、精神的緊張からの解放かもしれない。
学生が「笑う」という現象を見て、
それは、わからないという不安を解消する「生体」の仕組みなのかと思った。
人間は、予測が立たないとき、なぜか、変な「笑」をしてしまう。
これも緊張を解き明かすヒントになる。
そんなことを考えながら、懇親会へ。
SVの遠近先生と同級生談議を行う。
土佐の「いごっそう」論に発展した。
彼は、土佐清水出身である。
夢を語る、その思想は、文化・伝統で染み付いている。
昨日は、新しいPCのセッティングを行い、
いくつかの書類を書き、
府立大の伊藤先生、野村先生、
呼吸器アレルギーセンターの相田先生、
勤労者予防医療センターの浅田先生と会食する。
久しぶりの再会に、これまた「高知」談義になる。
業界を支える人材と感じ、
先日のNHKスペシャルの「情けなさ」について、どう思うかといわれ、
それもこれも、所詮「マシン人」の関係性しかすぎないといった。
目先のことばかり考え、
もっと先の本当の幸せを考え、
求めていない結果が、
こういう制作になる。
「人間復権」という視点からは程遠い。
マシンになること、それは自己意識を発生しなくても済むこと。
そしてそれは目先の「楽」を求めること。
それは「個性」を除去した、
なんて一律的社会構造なのか。
「リハビリテーション」にはまだまだ希望がある。
そう思いたい。
そのように心は強いが、飲み会続きで、身体は「悲鳴」か?
明日は愛知県安城市で講演です。
今年度最後の講演!
夏休み後、9月からの毎週講演出張も、
とりあえず、4月まではない。
なんとなく、うれしい。