森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

マシン人

2008年03月01日 14時52分49秒 | 過去ログ
一昨日は箕面市立病院へ。
実習生もいろんな経験をしているようだ。

予測が不可能だと、フリージングする。
それは精神的緊張だろうが、身体的緊張だろうが、
同じだ。

筋緊張という一つの現象の解明に、
その神経科学は役に立つ。

しかしながら、目にみえる「行動」を
どうしてそんなに単純に「出力」系だけに置き換えるのだろう。
それに学生も気づいているようだ。

その経験が重要だ。

学校で習ったことが通用しないことを肌で感じている。
「片麻痺」とは実に難解な「怪物」だ。
適当に「コジツケ」は簡単にできる。
その視点は、自分自身しか存在していない。

その難解さを感じる。

それが成長の道しるべとなることもある。

「笑い」とは、精神的緊張からの解放かもしれない。
学生が「笑う」という現象を見て、
それは、わからないという不安を解消する「生体」の仕組みなのかと思った。

人間は、予測が立たないとき、なぜか、変な「笑」をしてしまう。

これも緊張を解き明かすヒントになる。

そんなことを考えながら、懇親会へ。
SVの遠近先生と同級生談議を行う。

土佐の「いごっそう」論に発展した。
彼は、土佐清水出身である。

夢を語る、その思想は、文化・伝統で染み付いている。

昨日は、新しいPCのセッティングを行い、
いくつかの書類を書き、

府立大の伊藤先生、野村先生、
呼吸器アレルギーセンターの相田先生、
勤労者予防医療センターの浅田先生と会食する。

久しぶりの再会に、これまた「高知」談義になる。

業界を支える人材と感じ、

先日のNHKスペシャルの「情けなさ」について、どう思うかといわれ、
それもこれも、所詮「マシン人」の関係性しかすぎないといった。

目先のことばかり考え、
もっと先の本当の幸せを考え、
求めていない結果が、
こういう制作になる。

「人間復権」という視点からは程遠い。

マシンになること、それは自己意識を発生しなくても済むこと。
そしてそれは目先の「楽」を求めること。

それは「個性」を除去した、
なんて一律的社会構造なのか。

「リハビリテーション」にはまだまだ希望がある。

そう思いたい。

そのように心は強いが、飲み会続きで、身体は「悲鳴」か?

明日は愛知県安城市で講演です。

今年度最後の講演!

夏休み後、9月からの毎週講演出張も、
とりあえず、4月まではない。

なんとなく、うれしい。