森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

三つの知

2008年03月11日 23時03分52秒 | 過去ログ
昨日は、本学の一般後期試験。
大阪の会場に向かう。
入学試験監督は、高校生、浪人生たちの鼓動が、
乗り移るので、こちらもある意味緊張する。
表情を真剣に見ないように、事務的に対応する。
そうすれば、こっちも感情を表出せずにすむ。
なんだか、いやな人間関係だが、
どの会場も共通に、同じにしないといけないため、
このような感情を殺す仕事になる。

滞りない、まさに滞りないように終わり、
今年最後の入学試験が終わった。

年々、少子化のあおり、
そして、何よりも「リハビリテーション」の業界においては、
学校の乱立により、受験生が減った。

全国各地の情報を聞くと、
定員に達さない学校も増えてきたようだ。
学科試験なしの、そして、定員割れの追加募集・・・

昔は社会の科目以外はすべてだった。
理科も二科目選択しなければならなかった記憶をしている。

時代が変われば、生物も物理もいらない。
そして、英語も国語もいらない。
それでも「知」を育成できるのだろうか。

基盤の上に、「応用」であるならば、
なかなか難しいと思うが、
トップダウンに「楽しさ」を教えることができれば、
基盤のそういった人体の仕組みの基本や、
あるいは、国際感、あるいは、読解へと進むか・・・

学問、それには未来がある。
そう思ってくれればいいが。

知には、認識の知、経験の知、創造の知があるが、
このどれもが欠落してもよくない。

なかでも、日々の経験の知が、
認識の知と、創造の知を接着させる。

普段の机上や情報の伝えによる認識の知は、
自らが感じ、そして考える、経験の知により、
次なる、未来のための創造の知を産生する。

一方、想像を膨らますことは、
認識の知を得ることを楽しくさせ、
そして、経験の知に花を咲かせる。

臨床経験が意味あるものとなるよう、
この三者の知の形成を絶やしてはならない。

そして、医学にいる以上、

あきらめてはならない。

患者の障害が改善しないのは、
自らの知識(認識の知)、技術(経験の知)、介入手段(創造の知)が、
まだまだ不十分であるのだ。

死ぬまでそう思い続けることが、
医学にいる者の「責任」だ。

今日は、会議プラス大学院生の4つのWSO演題の英語化の仕事などなど、
この時期にスパートしておかない仕事がまだまだ山積みだ。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
全くです。 (kawano)
2008-03-16 18:54:23
看護の人間でです。
先生のブログにいつも感動してます。
「三つの知」、I think so,too.

今は教育の場にいます。
「答えは患者の中にある!」
答えがでないのは、自分の努力が足りないからだと、、、
なかなか学生に分かってもらえませんが、
私も、「教育の答えは学生の中にあるのか!?」
と思いながら努力しております。

返信する