森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:連チャン続きのフィナーレ

2011年05月11日 23時29分35秒 | 日記
新緑がいい季節と,自分の部屋から眺めれば,
あっという間にじめじめ季節.
日本は春が短くなった・・・

さて,GW前の福岡よりはじまった,飲みロードは月曜日の長崎でフィナーレを迎えました.
その前に,実習地訪問での学生指導.
そして,実習先での症例検討会でのアドバイザーという仕事はしています.
2症例の検討に入り,
注意障害と運動麻痺に対するアプローチを少しだけ助言しました.
おこがましいです...いつも長崎記念病院は良くしてくれます.
バイザーの片岡先生に感謝するとともに,何よりも科長の山下先生にお礼をいいたいです.
私よりも8歳も上ですが,本当にあたたかくむかえてくれます.


症例検討を終え,20時よりおおよそ0時まで長崎での夜.
長崎大学の沖田先生,そしてカナダから帰国したばかりの中野先生,そして付属病院に異動になった坂本先生も合流し,
梅景君だけのために飲み会が開かれました...
彼は気が利き,灰皿などをさっと初対面の先生に渡すなど,
社会性が優れたところをみせてくれました.



空気を読むってほんとうに大事です.
若い人が少々苦手な空気,状況を読む力です.
ここでその対応はないだろう?
ここで,その発言はないだろう,とかよく最近あります.

私は大学では「周さん」と学生に呼ばれていますが,
これはこれで率直に嬉しいのですが,
外で,なれなれしく「周さん」はない場合があります.
その瞬間,バイザーの先生たちは硬直します.
ある意味,純粋なのですが,
場を読む力は,将来,いろんな場面で活かされます.
気を使うのではなく,場を読む能力です.

さて,長崎ないとの写真をUPしたことですのでので,先日の高知も.
手間に今岡君,向こうに筆保君がいます.


このときは皆が場を読まなかったために...私が飲み会の席で「キレ」てしまいました.
陳謝です.
久しぶりに,ヤンキー魂の暴言になりました.

自分でもこわいです.
人格は変わらないものです.
この場を借りて反省です.


脱アンチシステム

2011年05月11日 22時34分43秒 | インフォメーション
つまらない職業はない,つまらない人々がいるだけだ.ランシーの言葉ですが,
最近よくこれを思います.
自分のしている仕事,自分のついている職業を平気で否定する人,
自分の勤めている施設を平気で否定する人,など,そういう人は数多くみられます.
一種の絶望を感じている類で,
負が強化されてしまっいる典型です.
自分ではよくわかりません.
自覚できないのです.

学生の愚痴もその類で,自己解決できない場合,
メール,twitterなどを通じて,指導者や施設の批判が飛び交います.
2chなんかはその典型です.
理学療法士はだめだの,
どこどこの大学はだめだとか.
理学療法士にしろ,何の仕事にしろ,
つまらないものはありません.
つまらない職業はなく,つまらなくしているのは,その人々なのです.
つまり,つまらないのは人であり,職ではないのです.
同じく,つまらないのは大学ではなく,人々なのです.

裏切られた期待というか,
自己の主張が強かったり,
過大に期待してたりすると,それを余計に感じてしまうのでしょう.
誤差が負になり,
ドーパミン神経細胞の反応はどんどんなくなってしまいます.

一方,様々なテクニック,治療,主義,主張,思想が展開されていますが,
自分の主張にそぐわない場合は徹底攻撃してしまうというのも,
一種の負の強化システムです.
人間はある意味,絶望を感じると,
回避,攻撃システムが無意識に作動し,思想や主張に対して攻撃したり,
無視したりします.
知らないうちに,脳幹が自己防衛システムとして働いているのです.
その際,科学や根拠を用いて論破しようとしてきます.
他人や別の考え方を批判することで,
矛盾を解くというものです.
つまり,脳の中では「おれはこんなに頑張っているのに」とか,
「おれはこんなに優れた研究しているのに」とか,
「私はこんなにあなたにつくしているのに」などと,
期待すると,それ相応の報酬をもらわないと人間はつじつまがあわなくなり,
その矛盾を解く意味で,
攻撃にでるか,回避(抑うつ)あるいは人格解離にでるかになります.

つまり,別の主張を批判したり,攻撃したり,
あるいは,「何をやっても無駄だ」という抑うつ的志向を形成していきます.

ネット上で飛び交う批判の嵐は,そういう人間の縮図を示しています.
批判を続け,それでも自分に注目されなければ,
それはねたみや,うらみ,憎しみになっていきます.
前帯状回がそのように反応してしまうのです.
しまいには,それが偏見になっていきます.

アンチからは何も生まれません.
憎しみからも何も生まれません.
批判する前に,まずは相手を理解することからはじまるのです.

まことのよき生理学者はまったく別の主張をしている人達に敬意をはらいます.
また,自然科学者は芸術家や人文科学といったいわゆる狭義の科学的でない人たちに敬意を表し,尊重します.

医療は狭義のサイエンスではありません.
サイエンス(エビデンス)を応用するものです.
そして,サイエンスだけでなく,アートやヒューマニティも理解し,
それを取り込み,学際的に個人(患者)をとらえます.
教育もいっしょです.

人が人に接するというかけがえのない医療と教育.
攻撃・回避といった爬虫類脳からは何も生まれません.

まずは理解・尊重することから始めるべきと思うのです.
そこから批判的吟味はスタートします.
先人の科学者に常に経緯を払う.
それが紳士的な学者であり,
一方,先人の方々を尊重する,それも一つです.
あ~だこ~だ言う前に,
自分がやるげきことを確実に行動に起こす.

他人を外から批判しても何も生まれない.
その人の本当のここをは何も見えないのだから.
書いている本,やっていることだけから,
その人を評価することはできません.

膝と膝をつきあわす,その人間らしさから,
新しい発展的なものが生み出されるのです.
人間にはそういう力があるのです.