森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:土佐の高知のはりまや町で(回帰)

2010年11月16日 22時30分50秒 | 日記
先週末は同級生の吉良氏の特別講義を拝聴し,
志をもってこの業界に来なさいという強い彼の思いを受け,
在宅は維持期でなく,急性期でもあり,回復期でもあるという彼の視点に強く共感し,
今後は病院は急性期だけで,回復期というものはもはや病院ではあり得ず,
ずべて在宅に行くのだと,彼と同じく感じ,
実際の法制度にも進むのだろうと思いました.
回復期というのは病院から消えるのも近いのかもしれません.
そもそも,それらの言葉は医療者側の都合で作られた言葉であり,
対象者の視点は全く組み込まれていないのですから・・・

そして,土曜日は特別な思いで,帰郷しました.
土佐の高知は,龍馬の誕生日・命日でもあってか,
行きの飛行機,満席になることはめったにありませんが,
満席で,ホテルを取るのも往生しました.

高知へは第39回四国理学療法士学会の特別講演で帰郷しました.
この学会は21歳の私が,臨床経験6か月足らずで最初に発表した学会です.





当時の私は血気盛んな若者で,右も左もわからないけど,
とにかく前に進もうとする人間でした.





慢性腎不全患者のリスク管理に関する研究を発表しましたが,
内容は今思えば大変恥ずかしい内容でした.




質問はいくつもされ,何を答えているのかさっぱりわからないお粗末なプレゼンでしたが,
あれがあったからこそ,今があると思えば,感慨深いものでした.
あれから,20年近く,脱藩者でありながら,
私を温かく招へいしていただいた高知県理学療法士会の皆様に感謝する次第です.
壇上から見ると,かつての恩師,上司,そして理事の要職をつかれていて,
今は退官された方などが目に入り,
自分の成長している姿(していないと目に映ったかたもおられるかもしれませんが)が届いているだろうかと思いながら話したものでした.

内容は身体知覚に関連する内容でしたが,
できるだけ,ユーモアを交えてと思いましたが,
若干ひかれる場面もありましたが,
本質的には自己の身体を形成していくプロセスについて科学的に述べ,
脳血管障害の治療において,その視点を意識することがきわめて重要であることをセラピスト目線で話しました.
時間の関係上,運動学習について詳しく述べることができませんでしたが,
今度の全国理学療法学会のオープニングでは触れたいと思います.

レセプションに参加し,旧友と談笑し,
恐縮ながら,壇上から挨拶をさせてもらいました.
そこでは「セレモニーでなく,コングレスに」という苦言を述べてしまいましたが,
われわれセラピストは医師の悪いまねごとでなく,
フランクにそしてポジティブに学会で議論していく,
そんな学会になればとおもっています.
学会は出会いの場です.
残念だったのは,演題に対する質問のなさと,
質問の受け答えに「検討していません」「今回は調べていません」というのが反射的に出ていた面です.
調べていなくても,発表者は示唆に富むことを述べ,議論を起こすことです.
それが多いと「気分が悪くなりました」

けれども,持つべきものは郷里の友.
いつかは土佐にと思う次第ですが,かなわぬ恋かもしれません.
レセプション後の夜は長く長く,高知の酒のシャワーは午前様になるのでした.
なにせ,外食における飲みに使うお金が圧倒的に高い県ですから・・・
収入は決してよい県ではないけど,その代金は圧倒的に一位.



写真は樋口先生のスライドの一枚目

日曜日は午前中に同じく特別講演に招へいされていた樋口先生の講演を聞き,
後半の共感,傾聴に関する内容は,もう少し彼の意見を聞き,
そして,自分の考えと解釈したいと思いました.
近々,彼の使った資料に目を通したいものです.
彼とこのように学会の壇上に二人で立つというのにもうれしさを感じました.
「身体運動学」がまさに結実していく思いでした.
しかしながら,私たちにとっては,もうその著作は古く,
またアップデートしたものを書いていきたいという前向きな欲求も生まれました.
人と対話するというのは,そのように前向きな志向を生み出していく.
人間とはいかに,人から後押しされるかが,身をもって体験することができます.

樋口先生を見送り,
皆さんと会話し,
そして,17時にはMIYATAYAに.
ここではよさこいなどのメンバーと会食をしつつ,
講義を行うといった新しい試みで,少し話させていただきました.
「RYOMAの脳を解明せよ!!」という御題でしたが,
そもそものお題は「脳,Know, Now」
脳のこと,脳の学習,そして強化学習,子育て,男と女の脳の違いと進み,
最終的には龍馬の志とは,なぜ大政奉還がうまくいったのか,
などを考えました.

19時に講義をスタートし,20時半まで.
マスターや良子ちゃんの質問を受け,
その後,よさこいの友人たちと,
くだらない話で0時半まで盛り上がり,
そのあと,MIYATAYAのメンバーと近くの居酒屋で2時半までやりました.

そこでは,理由は後付けであるということを話し,
人間の一生とははかないもの,
あと何年生きられるかはわからない.
今なぜ自分が大学教授をしているのかもわからない.
そしてそれを辞める理由もない.
よさこいとて同じ.
人間はある意味宿命を生きなければならない.
龍馬とて同じ,それが宿命を思えば,
逃れられない.
ただ進むのみである.
それは山内容堂とて同じ.
大政奉還の建白書を書くなんていうことを,
当時の武士,大名がするなんて.
自らの職を,自らの手で白紙にするなんて大仕事をと思うと,
その決断・英断に,今この平和なご時世に生きている自分からすれば,
頭を下げるしかない.
大名である彼が,なぜ彼にといって不幸になるかもしれない武士の時代を終わらせようとしたのか.
それは,国を憂う気持ち,そしてなによりも前を向いていたからでしょう.
山内さんに敬意を表します.

今の政治家が自らの手で,それを辞し,そして新しい枠組みの中で生きようとできるのか?
病院,大学,それも同じです.
後ろ向きになっている者に限って,前をむこうと歩く人間に対して,
無意識に恐怖を感じ,回避・攻撃する.
人間の中の爬虫類脳がまさに無意識に反応している者は,この業界にも少なくない.

それはやはり,所属や自尊の欲求でしかないものである.
自己実現だけでなく,コミュニティー発展の欲求を強く思うか,
それに尽きます.
しかし,それを思えるのは自己実現がある程度されている者.
坂本龍馬という人間は,自己実現の前に,コミュニティ発展を強く望んだ男.
これまた頭が下がります.

11月15日,龍馬の誕生日・命日の前日にそのようなことを考え,
彼について,私の専門の脳から語れたことは,
高知人にとって望外の喜びである.
この企画をした宮田博章氏に感謝するしだいです.
彼とは生涯の友になることでしょう.
そして高知・よさこいを支えることになるでしょう.






翌日の月曜日,7時にタクシーに乗り,
8時の高知空港発の飛行機で伊丹へ.
その日は,4コマあり,6時間の講義に声は再びガラガラになったけど,
週末の出来事からか,気持ちは晴れやかです.

望洋の心は今なお私の支えになっています.


皆さんには,とても体の心配をいただきましたが,
健康あっての研究です.
しかし,一番忙しい人間が、一番沢山の時間を持つ.のです.