昨日は大学院FD委員会があり,
現状の問題点を改善すべく委員会のメンバーと議論した.
懸案なのはネット授業システムの固定化がはかれないことであり,
どのシステムも一長一短あり,院生への負担をかけている.
しかしである.
ネットで授業を受けれるだけでも幸せなことなのである.
大学,大学院は顧客のためのサービスでもあるが,
教育機関でもある.
ニーズにこたえることが必ずしも教育でないことが多くある.
これはわれわれの学部教育にもいえる.
臨床実習に耐えれる学生を養成するという視点は
臨床実習施設,指導者のためであり,
必ずしも教育効果を上げることにならない場合がある.
その典型が,発展のないこの業界である.
SVを楽させるために教育しているのではなく,
未来を一緒に築くことができる同僚をつくっていくことであるし,
常に日進月歩を続けている科学に敏感なセラピストを送り出そうとしている.
そこでは,現役のセラピストと解離が生じること本来あるはずだが,
それがない.
教育が負けている.
顧客のニーズにこたえることを意識しすぎるあまりに.
教員が実習施設が足りないあまりに,
なんでも受容していく態度,これは負のスパイラルにもなりかねない.
まだ若い臨床実習指導者(キャリア)であるのに,
強圧的,威圧的なセラピストを作ってしまうことにもなりかねない.
それは学生教育だけでなく,新人教育でも問題が発生している.
まだ,5年や6年のなんもわかっていないものが,
それだけで,威圧的に新人を指導する.
20代やそこらで,相手の気持ちを本当に汲み取り,
自らの態度を改めることなんぞ出来ないと思う.
絶対的な脳のなかの経験が少ないのである.
けれども,それが30代,40代であるかというと,
そういう年輪ではない.
経験である.
それは無が続いた年数ではない.
威圧的な態度・行動の裏には,
意識の下の「恐怖」が存在している.
他を知らずに,それを否定するその態度は,
情動的防御態度であり,
まさに,人でなく,動物だ.
まあ,そんなに嘆いてもしかたない.
そういう業界になったんだから.
そういう業界に私も含めてしてしまったのだから,
それを受け入れ,卒後教育を充実するしか方法がないが,
がんばろうとする者を,とめてしまう邪魔するやつらが多い.
免許更新制度か・・・
そんなことを理学療法士で大学教授の私が書いたら無責任と思われるであろう.
それでも時代は回る.
私は私なりの「らしさ」を追及したかかわりをしていこうと思う.
夜は,D1の藤田,M2の熊谷,それに事務補佐員の千賀さんとそういう話にもなった.
熊谷は修士論文の追い込みである.
他の論文も添削しないといけないが,もう少しお待ち下さい.
本日は,来年度企画している畿央大学ニューロリハビリテーションセミナーの企画書を書き,明日の授業準備をしつつ,今日の大学院の授業,先端バイオサイエンス技術特論のスライドを調整しつつ,脳を学ぶ(2)を少し書き,メールのやりとりをした.
そして3年生のゼミでは,上肢の到達把握運動時の前頭-頭頂ストリームの時間的な機能に関する論文が学部生から取り上げられた.
2007年の生理研の仕事である.
ゼミは双方向性であるからこそ,いろんな思考が生まれる.
すべてゼミで構成したいぐらいだ.
現状の問題点を改善すべく委員会のメンバーと議論した.
懸案なのはネット授業システムの固定化がはかれないことであり,
どのシステムも一長一短あり,院生への負担をかけている.
しかしである.
ネットで授業を受けれるだけでも幸せなことなのである.
大学,大学院は顧客のためのサービスでもあるが,
教育機関でもある.
ニーズにこたえることが必ずしも教育でないことが多くある.
これはわれわれの学部教育にもいえる.
臨床実習に耐えれる学生を養成するという視点は
臨床実習施設,指導者のためであり,
必ずしも教育効果を上げることにならない場合がある.
その典型が,発展のないこの業界である.
SVを楽させるために教育しているのではなく,
未来を一緒に築くことができる同僚をつくっていくことであるし,
常に日進月歩を続けている科学に敏感なセラピストを送り出そうとしている.
そこでは,現役のセラピストと解離が生じること本来あるはずだが,
それがない.
教育が負けている.
顧客のニーズにこたえることを意識しすぎるあまりに.
教員が実習施設が足りないあまりに,
なんでも受容していく態度,これは負のスパイラルにもなりかねない.
まだ若い臨床実習指導者(キャリア)であるのに,
強圧的,威圧的なセラピストを作ってしまうことにもなりかねない.
それは学生教育だけでなく,新人教育でも問題が発生している.
まだ,5年や6年のなんもわかっていないものが,
それだけで,威圧的に新人を指導する.
20代やそこらで,相手の気持ちを本当に汲み取り,
自らの態度を改めることなんぞ出来ないと思う.
絶対的な脳のなかの経験が少ないのである.
けれども,それが30代,40代であるかというと,
そういう年輪ではない.
経験である.
それは無が続いた年数ではない.
威圧的な態度・行動の裏には,
意識の下の「恐怖」が存在している.
他を知らずに,それを否定するその態度は,
情動的防御態度であり,
まさに,人でなく,動物だ.
まあ,そんなに嘆いてもしかたない.
そういう業界になったんだから.
そういう業界に私も含めてしてしまったのだから,
それを受け入れ,卒後教育を充実するしか方法がないが,
がんばろうとする者を,とめてしまう邪魔するやつらが多い.
免許更新制度か・・・
そんなことを理学療法士で大学教授の私が書いたら無責任と思われるであろう.
それでも時代は回る.
私は私なりの「らしさ」を追及したかかわりをしていこうと思う.
夜は,D1の藤田,M2の熊谷,それに事務補佐員の千賀さんとそういう話にもなった.
熊谷は修士論文の追い込みである.
他の論文も添削しないといけないが,もう少しお待ち下さい.
本日は,来年度企画している畿央大学ニューロリハビリテーションセミナーの企画書を書き,明日の授業準備をしつつ,今日の大学院の授業,先端バイオサイエンス技術特論のスライドを調整しつつ,脳を学ぶ(2)を少し書き,メールのやりとりをした.
そして3年生のゼミでは,上肢の到達把握運動時の前頭-頭頂ストリームの時間的な機能に関する論文が学部生から取り上げられた.
2007年の生理研の仕事である.
ゼミは双方向性であるからこそ,いろんな思考が生まれる.
すべてゼミで構成したいぐらいだ.