今、畿央大学の2年生、3年生は実習まっただ中。それぞれがそれぞれのステージでひたむきに自己と社会に向き合っています。自己の脳の中では、依存と自立の葛藤に向き合っているわけです。そこには脳内の矛盾が生まれます。けれど、それが心を強くするかけがえのない認知・情動プロセスというわけです。
実習生のみんなは、最初から記号として記憶することを強く意識することなく、身体を通じた経験から、様々なものへ置き換えることのできる概念形成をしていってもらいたい。それが来るべき別の環境に適応するための大切な認知プロセスです。子どもが自由と安全のバランスの中で、社会的遊びという行為を通じて、抽象的な物事の思考ができるように。下頭頂小葉の出番ですよ!!
そして、臨床の曖昧さを身体を通じて感じ取ってもらいたい。曖昧であるがゆえに、自己の類推や意思決定をしていく「決断・行動」プロセスが大切だと、そしてそれを養うことが大切だと。。。社会的行動に関わる内側前頭皮質の出番ですよ!!!アナロジカルな思考も身につけないといけません。現代教育(狭義の学校教育だけを指していない)は十分に足りていない気がします。
ある病院で1つの経験が起こることで、2つ目の経験に意味ができる。すなわち、誤差を検出することができます。辛い?経験も次の良き経験のための誤差のためのプロセスなわけです。それが報酬価値や社会的コミュニケーションと言う人間にとって最も大切な機能を養うプロセスになります。僕は人間の強さや優しさは、このプロセスからはかっています。
曖昧さや矛盾は、自己を成長させるプロセスにとってかけがえのないもの。だから、それらは人間にとって素晴らしきものでもあると思います。だから、、、僕は曖昧さが残る医療や教育が好きです。
人の思考や感情が落ちるのは、この曖昧さや矛盾、葛藤が社会的関係性から少なくなってしまうからだと思っています。世間の偉そげな人をみれば経験則ですが根拠はあると思います。そんな人は扁桃体が過活動し、内側前頭前野や前帯状回の容積は減少しているかもしれません。。。
高齢者医療、在宅医療、リハビリテーション医療。依存と自立の葛藤。曖昧と矛盾のプロセス。いろいろ考えることがあるんじゃないですか。。脳科学はそのヒントを与えてくれていると思います。療法士には重箱の隅をつつく神経科学の研究よりも、マクロな脳機能を活かした研究の方が良いのではないかと思っています。それが我々にしかできない我々のため、かつ社会のための研究であることから、それによって国がうごかされると思うからです。
実習生のみんなは、最初から記号として記憶することを強く意識することなく、身体を通じた経験から、様々なものへ置き換えることのできる概念形成をしていってもらいたい。それが来るべき別の環境に適応するための大切な認知プロセスです。子どもが自由と安全のバランスの中で、社会的遊びという行為を通じて、抽象的な物事の思考ができるように。下頭頂小葉の出番ですよ!!
そして、臨床の曖昧さを身体を通じて感じ取ってもらいたい。曖昧であるがゆえに、自己の類推や意思決定をしていく「決断・行動」プロセスが大切だと、そしてそれを養うことが大切だと。。。社会的行動に関わる内側前頭皮質の出番ですよ!!!アナロジカルな思考も身につけないといけません。現代教育(狭義の学校教育だけを指していない)は十分に足りていない気がします。
ある病院で1つの経験が起こることで、2つ目の経験に意味ができる。すなわち、誤差を検出することができます。辛い?経験も次の良き経験のための誤差のためのプロセスなわけです。それが報酬価値や社会的コミュニケーションと言う人間にとって最も大切な機能を養うプロセスになります。僕は人間の強さや優しさは、このプロセスからはかっています。
曖昧さや矛盾は、自己を成長させるプロセスにとってかけがえのないもの。だから、それらは人間にとって素晴らしきものでもあると思います。だから、、、僕は曖昧さが残る医療や教育が好きです。
人の思考や感情が落ちるのは、この曖昧さや矛盾、葛藤が社会的関係性から少なくなってしまうからだと思っています。世間の偉そげな人をみれば経験則ですが根拠はあると思います。そんな人は扁桃体が過活動し、内側前頭前野や前帯状回の容積は減少しているかもしれません。。。
高齢者医療、在宅医療、リハビリテーション医療。依存と自立の葛藤。曖昧と矛盾のプロセス。いろいろ考えることがあるんじゃないですか。。脳科学はそのヒントを与えてくれていると思います。療法士には重箱の隅をつつく神経科学の研究よりも、マクロな脳機能を活かした研究の方が良いのではないかと思っています。それが我々にしかできない我々のため、かつ社会のための研究であることから、それによって国がうごかされると思うからです。