森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

実習中のみんなへ

2014年02月27日 21時56分25秒 | 日記
今、畿央大学の2年生、3年生は実習まっただ中。それぞれがそれぞれのステージでひたむきに自己と社会に向き合っています。自己の脳の中では、依存と自立の葛藤に向き合っているわけです。そこには脳内の矛盾が生まれます。けれど、それが心を強くするかけがえのない認知・情動プロセスというわけです。

実習生のみんなは、最初から記号として記憶することを強く意識することなく、身体を通じた経験から、様々なものへ置き換えることのできる概念形成をしていってもらいたい。それが来るべき別の環境に適応するための大切な認知プロセスです。子どもが自由と安全のバランスの中で、社会的遊びという行為を通じて、抽象的な物事の思考ができるように。下頭頂小葉の出番ですよ!!

そして、臨床の曖昧さを身体を通じて感じ取ってもらいたい。曖昧であるがゆえに、自己の類推や意思決定をしていく「決断・行動」プロセスが大切だと、そしてそれを養うことが大切だと。。。社会的行動に関わる内側前頭皮質の出番ですよ!!!アナロジカルな思考も身につけないといけません。現代教育(狭義の学校教育だけを指していない)は十分に足りていない気がします。

ある病院で1つの経験が起こることで、2つ目の経験に意味ができる。すなわち、誤差を検出することができます。辛い?経験も次の良き経験のための誤差のためのプロセスなわけです。それが報酬価値や社会的コミュニケーションと言う人間にとって最も大切な機能を養うプロセスになります。僕は人間の強さや優しさは、このプロセスからはかっています。

曖昧さや矛盾は、自己を成長させるプロセスにとってかけがえのないもの。だから、それらは人間にとって素晴らしきものでもあると思います。だから、、、僕は曖昧さが残る医療や教育が好きです。

人の思考や感情が落ちるのは、この曖昧さや矛盾、葛藤が社会的関係性から少なくなってしまうからだと思っています。世間の偉そげな人をみれば経験則ですが根拠はあると思います。そんな人は扁桃体が過活動し、内側前頭前野や前帯状回の容積は減少しているかもしれません。。。

高齢者医療、在宅医療、リハビリテーション医療。依存と自立の葛藤。曖昧と矛盾のプロセス。いろいろ考えることがあるんじゃないですか。。脳科学はそのヒントを与えてくれていると思います。療法士には重箱の隅をつつく神経科学の研究よりも、マクロな脳機能を活かした研究の方が良いのではないかと思っています。それが我々にしかできない我々のため、かつ社会のための研究であることから、それによって国がうごかされると思うからです。

実習前、最終メッセージ

2014年01月16日 08時50分18秒 | 日記
昨日の授業は、理学療法技術実習で脳卒中片麻痺に対する平行棒内での歩行をどのように治療的介入していくか、脊髄CPG、基底核、小脳、大脳皮質、それぞれの機能特性から、そして、それに歩行の運動学(歩行周期、筋出力、関節運動、モーメント等)を含め、その実際を実技演習しました。療法士の手は難易度を調節するためにとても大切です。2月からの実習でいろいろ考えながら行動を起こしてください。ただ練習させるだけなら、誰でもできるので。

そして、実習前、これが最後の授業。彼ら彼女らには先週レナードの朝をホールにて大画面で鑑賞してもらいましたので、それをふまえて、以下のメッセージを贈り、最後の授業をフィニッシュさせました。

1. 患者の可能性を信じて行動にうつせ。医療者があきらめたときが限界である。
2.何をもっても治療に置き換えよ。環境には治療のヒントになることが大いにある。
3.それぞれの人生の履歴を治療に使え。脳にはそれぞれの履歴が記憶として刻印されている。そのひとらしさを引き出そう。
4.ひとりの人間としてかかわれ。いつか自分も老い病気になり死にゆく。たとえ動かなくてもその人自身は生きている。
5.自分の人生、その毎日毎日をかみしめろ。つらいこと嫌な事そうしたことを感じられる事は人間としてとても幸せなことである。
6.利他的に生きてみろ。親近者以外へ奉仕することは人間しかできないものである。
7.患者とともに自分の人生を歩め。そして患者に学べ。それが医療者の姿である。

みんな実習での経験、自己の履歴にとって、かけがえのないものにしてくださいね。

アイデンティティ??

2014年01月16日 08時48分05秒 | 日記
昨日の人間発達学が最終章.感覚統合(作業療法がよく使うものではありません。。。)と概念形成、身体イメージ、そして、ピアジェ、エリクソンの理論を使い、これまでのサイエンスとその認知・知能発達図式の接点を考えるつもりで授業に臨みました.

さきほど授業終了.感覚統合から概念形成は詳しく説明でき、五感を使う経験がいかに発達にとって重要か、認知科学、心理学、教育学、神経科学を織り交ぜながら説明できましたが、ピアジェの発達理論の時間が、FDの授業アンケートや試験の方向性の解説などで、十分な時間がとれなく,感覚運動期,表象思考期の深い解説まで到達できなかったことが悔やまれます.

しかし,彼らへのメッセージは,最終的に人間としての自己(self)(Identity)とは何かだったので,それを少し端折っても,アイデンティティ形成の利点,欠点を含め説明できたから良かったのではないかな...これまでの情緒や社会能力の発達に時間がとられ、認知・知能が走ってしまいました.次回への持ち越しです.エラー学習したいと思います.

アイデンティティは人間の能力の多様性や細分性において必要なものであり、今日の文明形成上とても大切なものであるのは間違いありません.しかしながら、それを意識しすぎれば、自分とは?私に何ができるんだろうか?私がすべきものは?などと表象思考するばかりで、実際の行動を感覚運動的になかなか起こすことができません.そもそも、人間は狩猟・農耕と限られた仕事(アイデンティティ)の中で暮らしてきました.つまり、共存して生きることです.それは自分らしさを意識するということではなく、生きるために動く(みなで働く)という行動優先の生活です.この世界観では戦争は起こりません.自分らしさを意識するがあまり、行動を起こすことができず等、そうした迷いの際には、原点に立ち返り、生きるために働く、つまり豊かに生きるというよりは、たくましく生きるほうを彼らには選択してもらいたいと思います.

成人式を迎えた皆様へ

2014年01月13日 08時49分05秒 | 日記
概して自分を大きく見せる必要はないのです。

今の自分自身の存在やその些細な幸せは、多くの先人達の犠牲によって成り立っています。だから、「自分も名もなきその一人として犠牲になり、次の世代の土台となる」ただそれだけでいいのです。その肉体で生きることができる。これだけで十分に幸せなはずです。

情報という名のもと、グリーバリゼーションというかっこのよい言葉に翻弄されず、ただ、その身体を生きる。そういう人生の方に美しさを感じます。

日本人であり、その生まれた環境を愛するという。だから、そういう信念をもった人間に学生達を育てたいですよね。患者を治すとか、何かをつくりたい、という前に、それはとても大切な信念であり、そしてそれは大切に守っていかなければならない日本人(地球人)としての文化・心でもあります。

成人するということは、自己の犠牲を伴い生きるという覚悟を意味していると、僕は思います。

「待つことができる関係」古き良き我が国の美学なわけです。少々古いと思われるかもしれませんが、、、本学も色々な教育改革が新年度より行われるようです。しかしながら、古きは新しき、いや、「大切なものは、目に見えない。」 そうした原点回帰を考えて教育をしたいと思っています。私がやれることは、彼ら彼女らへの(良き方向へ?)橋渡し、ただそれだけなわけです。

成人式を迎えた皆様へ

新年の起動

2014年01月07日 18時47分51秒 | 日記
昨日は法人全体(大学、高校、幼稚園)の仕事始め式を終え、急ぎ本年度修了予定の修士課程の院生の修士論文6編を校閲しました。中野、大住、植田、大松の研究室のすばらしい面々の校閲が第1関門でしたので、いずれも体裁がちゃんと整えられています。彼らに感謝するわけです。

製本する修士論文は少々回りくどい表現の仕方になっていますが、提出後、急ぎ改変し、しかるべき雑誌への投稿準備をさせるようにします。だいたいここで放置すると結局のところは投稿せずに、その情報が闇に葬られるのです。鉄は熱きうちに打て。これ論文を書くための鉄則です。放置すれば、そのものに対する愛着や欲求がさめてしまうのです。人間の興味とは移り気なわけです。

私の方は外部から委嘱されていたお仕事を年末年始コツコツと励んだことで、無事に90%終了(あとは微調整)し、明日からの授業体制にのぞみます(本日よりカリキュラムはスタート)。そしてPTジャーナルの今月〆切の依頼原稿をすませ、脳を学ぶ(改訂版)の原稿を済ませ、原著に向かう訳です。平行で授業だけでなく、講演、そして研究センター開設に向けての備品などをメンバーで検討し、年度内予算を執行するわけです。

ちなみに今週末の土曜日は実習指導者会議ですが、翌日は関西のリウマチ医の会「ロイマ会」で講演します。「ロイマrheuma」とは古代ギリシャの言葉で「リウマチ」の語源のようです。ニューロリハビリテーションのことについて話してほしいとのご要望がありましたので、神経科学を出来る限り少なくして、その手続きについて「疼痛に対するニューロリハビリテーション」と題して、1時間、整形外科医やリウマチ医の諸先輩の方々に話題提供させていただきます。少し前まではあまり興味を持っていただけなかった整形外科の医師に興味をもってもらえること、少しずつですが、動いている実感がわくわけです。


さて,新年の初授業は人間発達学でした.今日は乳幼児~児童に至るまでの言語の発達でした.

少々遅れているため,厳格なムードを装ってスタートしましたが,最後にはやはり脱線脱線で壊れてしまいました.けれど,最終的な着地はさせています.これを授業のハンドリングといいます.スライドは使わず,板書も限られれた中で,1時間半注意を集中されるテクニックです.たまにはゆらぎを与え,ドリフト走行にようにしないといけない時も大いにあります.この感覚と情動を揺さぶられる時間と空間を与えることが,のちの記憶の引き出しにおいて,彼ら自身に活かされてくると思っています.記憶や概念形成にとっては意味知識だけでなく,その時のエピソードも引き出しとして活かさないといけませんから.

とはいうものの国家試験にも対応させないといけないため,月齢と能力(クーイング,喃語,共同注意,文法形成,他者理解,修飾語,語彙,比喩の理解等まで)を教えないといけないけど,言語は身体(五感・行為)と共同注意(環境)を通じて発達するという視点を発達神経科学(脳機能連関)から話しました.なぜ日本語が私たちにとってネイティブか,この身体性を理解すればわかると思います.

間もなくこの科目の終着点.神経系,そして情緒からスタートしたこの科目,知覚,イメージ,知能,セルフ・アイデンティティの発達でフィニッシュします.

あとは彼ら自身の言語の発達にも期待します.微妙なニュアンスを細分化するために,これだけの「語彙数」を獲得してきました.それがすべて「やばい」の一言で片づけられるようでは,脳機能を守るためにも良くないわけです.

言語はうつりゆくもの,だからどんどん変化して構いません。新しい言葉もつくられるべきです.文化なわけですから,その一方で,母国語を大切にすることも文化的側面からも意味があります.人間の発達は多様性なわけですから.

これネイティブとしての種の保存です.日本人の心の発達と言語の発達は密接に関わるわけです.心‐身体‐言語というわけです.

形ばかりのグローバリゼーションによって細分化・多様化を失ってしまえば,人間は進化でなく,退化していっていると表現しても良いのではないでしょうか.これからの英語教育の本質を問っていきたいですね.


2014年を迎えて

2014年01月03日 00時29分36秒 | 日記
謹賀新年
本年もよろしくお願い申し上げます。また、皆様にとっても愛に溢れる年になるよう祈念いたします。

今年は外国にも行かず、帰省もせず、ある仕事、そしてプライベートな事柄から、至って普通に奈良の自宅にいます。適度に休みながら、自分の仕事や執筆等を封印して、ノルマの大事な大事なお仕事をしています。今日はこの辺にしたいと思います。一応、1月5日あたりの終了を目処に毎日コツコツと。同時に院生の修士論文も校閲しないと。。。

さて、今年は大学の方ではニューロリハビリテーション研究センターの建物が完成いたします。洒落た空間で快適な時間を、学生や院生、そして関連・連携研究者、さらには地域住民などが過ごせるようなムード溢れる場所にしたいと思っています。事務の方々とのつばぜり合いが待っています。負けません。妥協しません。笑。妥協こそ、普通こそ、形ばかりの協調こそ、意欲をそいでゆくものであることはわかっていますから。

とても楽しみな1年です。楽しみたいと思います。



そのためには健康第一と思い、今日は書斎にこもって査読をしている合間に近所の橿原神宮に行ってきました。初めてです(いつもは帰省の時に氏神である朝倉神社に行きます)。神武天皇御陵には驚きました。ここから始まったんだなと。。。仕事成就や学業成就のお守りを横目に健康祈願なるお守りを買ってしまいました(いつもは全国からありがたいことに送ってくれます、笑)。自らがこのような形で健康お守りを買うなんて。。。よっぽど弱っているのか。。。いや、ここで止まる訳にはいかないという強い想いがあるからでしょうか。最後は神頼みです。それが人間の最高次な脳機能なわけです。昨年は凶でしたが、今年は大吉でした。こちらは実はなんとも思いません。笑。







さて、1月パリで迎えた昨年のはじまりでしたが、昨年の講演は60本にのぼりました。中でもシンポジウム講演として、第90回日本生理学会、そして第48回日本理学療法学術大会はよき思い出になりました。生理学会は金子研究科長の取り計らい、理学療法学会は鈴木大会長の心遣いによるものです。お二人には感謝いたします。学者として仕事ができたことを誇りに思います。

学会発表はEuropean Stroke Conferenceのみで、いつもの心通わしているメンバーとのロンドン珍道中をしました。前岡氏をみんなで毎晩「おまえは頑固だ!」といじめ抜いてしまいました。。笑

一般講演では、gene、senstyle、TAPでは複数回講演をさせていただきありがとうございました。どの講演も主要都市では200名を超える受講生に聴いていただきました。少しずつ、療法士にも運動学のみならず、神経科学が治療を構築する上でのベースになってもらえればと思っています。また、Active Step、岩手運動療法研究会なども含め、よさこい「ミヤタジュク」にまで協力していただき、感謝の念で一杯です。

出版は2月に単著で「リハビリテーションのための神経生物学入門」を発刊し、5月に「標準理学療法学 神経理学療法学」を編著として出しました。いずれも、今の自分を出したつもりです。分担執筆はすみません。何を書いたか。。忘れました。。笑。和文総説論文もすみません。。。忘れました。。。一方、今年は、英文原著はなく総説とエディトリアルだけになってしましました。今書こうとしているものを出すつもりでしたが、こればっかりは時間を見つけられず少々後悔です。年度末までには投稿します。

しかしながら、院生はまあまあ(笑)論文を書いてくれました。来年もこのペースをベキ関数的にあげていきたいですね。賞もよくとってくれました。中野君が国際姿勢歩行学会でPatla賞、総合リハビリテーション賞、大住君が日本疼痛学会で優秀論文賞、そして今井君が日本ペインリハビリテーション学会で優秀賞、今井君は来年日本理学療法学術大会でも優秀賞を受賞することになります。中野君はうまく僕の研究を引き継いでくれましたし、大住・今井は疼痛のニューロリハ研究を今後進める基盤をつくってくれました。今後が楽しみです。他の院生も国際学会等を含めよく発表してくれました。



さてさてさて、今年も達成すべき目標・事柄が大いにあります。研究センターの事業としてのセミナーに加え、フォーラムの成功、そして研究センター事業として研究会の設立、さらには教材開発や、地域住民に対するリカレント教育等、その他10ほどの事業を具現化し、スタッフ一同進めていきます。

大学・大学院教育では、新しく教育学部の発達支援教育に関する授業、大学院教育学研究科での発達脳科学特論の授業がはじまります(増えます)。その準備・運用にてんやわんやになるでしょう(今でも前期はバタバタしていますので)。もちろん従来の仕事はたんたんとそして質をあげて行きます。これは院生の論文も同じです。修士論文から英語での投稿を積極的にすすめます。おそらく今年は数編、博士課程の院生も含めばトップジャーナルに掲載されることでしょう!笑

個人の教育・研究では、5月に「脳を学ぶ(改訂版)」の発行、10月頃「発達に関する教科書」刊行、その後、「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」の改訂に入ります。発達を教えている身、もう自分が使いやすいように教科書をつくろうと思っています。単著で。あとは依頼されている分担が数編ですか。。。原著はデータをとっているいくつかから、2編は投稿を済まし、いずれにしてもどこかでアクセプトをと考えています。忙しさに負けず。。。毎年どこかにfirst authorでとは考えております。。しかしながら、前半は科研費研究をfinishさせないといけません。。。う~~ん。。。あとはいくつか考えている実験を院生とともに。

さらには9月には大阪で第19回日本ペインリハビリテーション学会を主催しないといけません。1月下旬にはプログラムを完成させ、ホームページで告知ができると思います。11月には東北学会や九州PT・OT学会で特別講演があります。もちろん、一般講演を含めすでに12月までスケジュールは満杯です

そして、そして、11年目を迎えた「ミヤタジュク」のよさこい祭りへの参加に向けて、できる限り高知に帰って準備ができればと思います。さらには、協賛の方々へお礼をかねて挨拶に伺いたいと思います。これに関しても、今年も変わらずのご協力、なにとぞよろしくお願いいたします。

The Cortexの活動もぼちぼちやっていきます。2月(高知)、3月(大阪)のライブはもう既に決まっています。スタジオに集中して入ります。

ま、職場の仲間、よさこいの仲間、バンドの仲間、こいつらとの団結力をいかして、楽しい、楽しい1年にしたいと思います。ただでさえ、笑い溢れる関係なのに、この上を目指します!!


また、また、、皆さんのご協力をいただくと思いますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。皆さんにとってもよい年にしてください!

人間を放棄してないですか?

2013年12月17日 00時59分20秒 | 日記
東京でのTAP(よさこいのスポンサーです!)での講演を終え、無事に奈良に帰ってきています。今回は200名ほどの方々の前でUSNとapraxiaに関する病巣、神経メカニズム、そして臨床手続きについて話しました。新しいデータを含んだことや、失行のオンライン、オフラインにおける治療介入を詳しく説明したことなど、私にとっては新規性がある講演になりました。5時間講演の長丁場の場合は、シミュレーションはほとんどしませんので、その流れでいろんな方向に行くのが逆に面白いです。いろんな言葉が出てきた事から、スライドにない情報が口から溢れたため、初学者に取っては難しかったかもしれませんが、難しいことを知るという入り口こそが学問をはじめる意味でもあります。医療はとかく安易な方向に流れやすいですが、医療者としては時間をかけ腰を据えて問題について考えることも大切です。また情報の多さがエビデンスを完成させるわけではありません。レオナルド・ダ・ヴィンチのように生涯作品が少なくても、大事なものは残りますし、ゴッホのように貧しくても、その信念は残り続けます。

さてさて、今回の会場ではマイクの不調から、少し大きな声を意識の下で調整しなければならず、時に意識として顕在化する際、私の脳内で不快の情動がつくられる瞬間に遭遇しました。感覚フィードバックが少ない場合、ついつい出力をあげて、よりフィードバックを起こそうとします。すなわち、知覚をつくりだそうとします。今回は、意図とフィードバックの解離といった誤差を修正しようと、小脳と運動関連領域がその講演のオンラインでの最中に関連し合って働いていました。しかしながら、それにも関わらず、自分の意図とは裏腹に機械的・物理的に勝手に調整(変化)されてしまうと、自分の意図でせっかく修正したにも関わらず、再度修正を試みようとします。この繰り返しで何回もエラーが起こってくると、結果として運動出力をあげて、あげて、最大の出力で望もうとします。運動の出力は大きくなるのですが、このシステムは最終的には痛みや疲労、さらには緊張を増強させてしまうのです。結果として、喉は痛くなり、そして頸部筋は過緊張になりました。なんか、運動麻痺に似ていますよね。実はこの神経メカニズム、運動麻痺、運動学習、痛み、身体イメージ、病態否認、すべてを説明できるものなんです。

結果として、マイクはなおらず(?)、そして最終的に自己の意図によって修正できない(かった)場合、それはあきらめになるわけです。学習性の無力感というものです。これは痛みの場合も同じで、自分自身でコントロールできると学習すれば腹外側前頭前野が作動し、痛みを抑制しようとしますが、他人のコントロールでしか抑制されない場合、さらには物理的に抑制される場合においては、結果として腹外側前頭前野が作動せず、痛みは最終的に抑制されません。そして最終的には側坐核すらも萎縮させ、ドーパミン作動システムに障壁を来します。療法士の治療を今一度見直す必要があるでしょうね。

話は戻って、今回のマイクの一件もしかり、その日その日の現象は実に面白い。私はそういうオンラインの際にいつももう1人の自分が出てきて、今自分はこうなっているな、この脳システムが作動しているな、と思っています。自分自身を知ろうとすること、これ格好の脳の実験であり、脳の勉強であるんですよね。そして、それを思い、記憶を再生し、今、こうして文字を打っている自分。これらはメタ人間、メタメタ人間ってわけです。メタメタって「メタメタにされる」みたいですね。。この比喩も面白い。

今回の講演は、実は僕自身は納得のいかないものとなりましたが、それは自分の評価であり、他者評価は必ずしもそうではないことも知っています。だから、脳間操作系で考えることも大切です。シングルブレインの分析だけでなく、ソーシャルブレインとしての分析になります。必ずしも一致しない場合はしばしばあります。その誤差を意識することは認知的な学習にとって意味あることになります。

5時間講演の後、5時から10時半まで懇親会。そこでは(も)ずっとしゃべってました(下8割ですが。。)。講演より長い事に今気づきました。けれども心理的時間は圧倒的に短いです。そこでは脳のこと、人生のこと、履歴のこと、男として、などをかっこ良く話すとともに、恋愛の相談、男と女の駆け引き、そして彼氏、彼女の言動、行動からいったいどのように思っているのか、といったクリスマス前の話題について脳科学、心理学の面から、意見を求められました。。。けれども、そうやって悩める人生を生きている今の自分自身(彼ら、彼女ら自身)はとても大切だと感じてもらえればよいかなと思います。葛藤こそが、脳にとってかけがえのない経験・脳内現象でもあります。若いときの葛藤は他人に依存する場合が多いですが、年齢とともに、自己の履歴が長くなると、自己に依存してくるんですよね。これが終わりのない旅になります。そうした苦しみの旅に生きることこそ、人間が人間たらしめる理由でもあると思います。動物の中でここまで自分を苦しめるものはいないでしょう。その先に本当の人間としての優しさがあるのかもしれません。その最中に逃げるのは、人間失格、いや人間放棄かもしれませんね。障害を生きるっていうのも人間らしいじゃないですか。

いずれにしても、人間の器を大きくするために、そしてもっと賢くなるために、未だ自分を追い込み、ストイックに一線で戦うことが種を保存していくためにも大切です。自分自身を馬鹿といって振る舞い、他人に教えをこうばかりは、逃げ道に逃げているだけでしかありません。自らの意思でコントロールしようとせず、自らの葛藤や不安を他者に解決してもらおうとする試みは、最終的には痛み、あるいは無力感を起こしてしまう。。。先に示したように今日の科学はそれを分かりやすく説明してくれているのです。

年内、残り1本の講演です。今度の日曜日、今度は基本動作(座位・立位バランス、歩行)のニューロサイエンスです。

運動器疼痛学会にて

2013年12月08日 00時52分24秒 | 日記
今日は日本運動器疼痛学会会場内で、次年度大阪で開催する日本ペインリハビリテーション学会の打ち合わせを松原会長、沖田副会長、ならびにプログラムをコントロールしている大住君を交えて行うことができました。微調整を加えながら良き方向に進めることができたと思います。





沖田副会長からはセラピストに対する教育の思いをかいま見ることができました。運動器疼痛学会の教育講演では松原会長はペインリハビリテーションについて話題提供されましたが、整形外科系の医師からも、セラピストの疼痛に関する知識不足が指摘され、実際になかなか担当させることができないという危惧もあるようで。。。そこには疼痛患者にはとりあえず物理療法っていうのが蔓延しているような背景があるようです。せめてでも、疼痛のメカニズム、様々な側面、評価(心理的なものを含む)の詳細な理解をセラピストの教育に盛り込むことが大事です。効果メカニズムだけを理解しても、結局はいろんなメソドロジーの科学的こじつけをつくっているだけに見えます。疼痛のことを勉強すればするほど、そのこじつけが滑稽でしかたないように思えます。日本人の文化や思想、そして言葉も痛みには大いに関係します。だから欧米での効果検証に関する論文もそのまま反映されません。それは神経コネクティビティからも言えます。その辺りの真の理解をしてもらうためにはどうすべきか・・これもまた難題です。どうしましょう。。。

さて、私はメニエール症状や、それからくる自律神経の問題などで、ミーティング後、休ませていただきました。目を開けているとぐらぐら揺れてしまうので、とりあえず数時間は目をつぶって過ごしました。やっと目を開けてメールを確認しつつ、文章を。本来なら、懇親会に出て、きちんとペインリハ学会のことを顧問の先生方を中心に広報活動しないといけなかったのですが、松原会長に託し、大住君に僕の代わりをしてもらうことで、休みをもらいました。僕はいまいち、広報ロビー活動に向いてないですね。。。役職に向いてないのです。たぶん。長とつくものから逃げてきた経緯があるのでしょうね。大住君からは「(今倒れてもらっては困るので)僕たちのためにも休んでください(だから代わりに役割を担ってきます)」という言葉をもらいました。今井君も含めて彼らがこの分野を切り開いていけるよう、もうちょっとはがんばります。笑。

いずれにしても「第19回日本ペインリハビリテーション学会学術大会」は平成26年9月6(土)、7日(日)に大阪産業創造館で「疼痛に対するニューロリハビリテーションの確立」をテーマに開催します。ユニークな講演、シンポジウムを考えておりますので、皆さんの多数の参加をお待ちしております。ホームページ作成後、演題を募集いたします。おってお知らせいたします。

セミナーを終えて

2013年12月03日 12時56分28秒 | 日記





一昨日、今年のニューロリハビリテーションセミナーを終える形になりました。今年度では残るは「研究編」が2月にありますが、少人数でのタスク検証作業になりますので、実質上、座学による大掛かりなセミナーは今年度これで終了になります。全力で今回は質問に答えたため私自身疲労感をもっています。けれども心地よいです。心と身体に若干矛盾を感じる年になってきましたが。。。

さて、4月の頭、応募が始まったとたん、アクセス集中でサーバーが停止するという緊急事態に巻き込まれましたが、20分後復旧し、復旧したとたん、延べ1000名ほどの応募をいただきました。10分で定員に達したため、締め切る形になり、今年も受講できなかった方もおられるかもしれません。

このような期待を我々は真摯に受け止めるとともに、なんらかの情報を持ち帰っていただきたいという一心で講義を構成しています。期待が大きければ大きいほど、そのものを超えないと誤差は生まれません。また報酬予期が高すぎると、それは負にもなります。こんなことも中脳–前頭前野の関係を学ぶことができたから気づくのではないでしょうか。

「講習会やセミナーが楽しかった、わかりやすかった」という報酬は即時的な線条体によるシステムです。しかしながら、我々が期待しているのは「我慢する脳」です。報酬を先延ばし、目標を設定する脳です。すぐさまというのではなく、将来遭遇するであろう事象に対するものです。いずれ出会うであろうその現象が今回の経験によってよき方向に解釈でき、よき関係性を築くことを期待しています。また、わからない
ものこそ、読んでみろという言葉もあるように、「挑戦する脳」こそが学習過程には必須なのです。

「希望」は人間のすべての強さの基本的要素でもあります。将来の自分に期待し、希望を持つ。これこそが社会を動かす原動力になるのではないでしょうか。私の最後のスライドに欲求や役割の意味を呈示したのはそこにあります。回復の原動力を今一度考え直そうじゃありませんか。それは発達の原動力でもあります。

一方、科学は局在からコネクティビティ、そしてシングルブレインから、ソーシャルブレインに移行しています。前者は個体脳、後者は個体間脳の研究です。これらは研究方法の違いはあれども共通しているのは、システムとして捉えている点です。前者は自己の行為(過去-現在–未来)の比較でもありますが、後者は自己―他者の行為(過去–現在–未来)の比較でもあります。患者の注意障害一つとっても、その両方から捉える必要があります。個体内のネットワークの問題なのか、はたまた自分との関係性による問題なのか。後者は今までのリハビリテーションの評価にはありません。全人的アプローチといいながら、そこの視点が決定的に抜け落ちていたわけです。自己の脳を俯瞰する能力を身につける。これは医療者にとって重大なテーマであると思います。

我々も皆様から色々なご意見を頂戴し、修正すべきところは修正していくつもりです。しかしながら、我々にも心(信念)があります。そして自らの感情を含んだもっと賢い意思決定を用いて物事を捉え、修正しなくてもよいものは、そのまま放置します。どうでもよいこと(あくまでも他者のエゴ)は流れに身を任せるだけです。そこで一喜一憂してしまえば、流れを止めてしまうことになります。

その一方で、やはり歩み寄りの姿勢こそが共同注意を起こして行きます。職場環境等もソーシャルブレインの視点から一度捉え直すことこそ、リハビリテーションサービスをよきものに変化させていくと僕らは強く思っています。チームとしての挑戦する脳を求めます。そうすれば最近接領域を上手くつくることができると思います。

いずれにしても、4年目を迎えたニューロリハセミナーも大事な我々の生活の一部になってきました。この事業を基盤に次年度はさらなる事業を展開し、学術論文1本では起こすことができない「幸福感」を社会に提供できればと思っています。そのためには私たち自身の学術論文ももちろん必要になりますし、様々な演出を考え、感情(よきもあしきも)を起こすプラットフォームになればと思っています。大人は抑制する脳ですが、残念ながら感情をも抑制してしまう嫌いがあります・・・ 

来年もセミナーを含め、畿央大学ニューロリハビリテーション研究センターをよろしくお願いいたします。

次年度はセミナー受講経験者を対象にフォーラムを4月13日(日)に開催します。間もなく当ホームページに応募告知がされると思います。いよいよ「高次脳機能学部門」「身体運動制御学部門」「社会神経科学部門」「発達神経科学部門」から実際の症例を検討(臨床推論)していきます。

一方、セミナーは6月14日,15日(基礎編)、9月27日、28日(応用編)、12月6日、7日(臨床編)、2月21日、22日(研究編)に開催します。4月2日が応募開始となる予定です。いくつか新しい試みを考えています。皆さんのお越しを心よりお待ちしております。

畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター


距離感

2013年11月28日 19時57分13秒 | 日記
ちょっと息抜き。。先ほど夕方の会議終了後から、脳を学ぶ(改訂版)の原稿を書いています。第1部の原稿は原稿用紙30枚ほどでしたが、第2部は原稿用紙100枚超えそうです。第2部の6割ほどは前の原稿が生きていますので、一気に書き上げています。残るは第3部になります。第3部は「脳と社会」と題して、メタ皮質機能を取り上げます。これはすべて書き下ろしになります。自己と他者、言語、イメージ、模倣、アナロジー、メタファー、コミュニケーション、学習なんかになると思います。構想もまだですので、年内にある程度目処をつけ、年明け完成・送信となるでしょう。修士論文の校閲と共存させながら、進めていきます。

昨日は4年生のゼミの卒業研究発表おつかれさま会でした。今年の発表はどれもGOODでした。論文化しないとね。広く知ってもらうためにも。この会は3年生が準備してくれました。場所も良かったです。いつも学生が利用している駅の近辺の店はあまり良くないのですが、ここは料理の質が良かったです。学生は舌がこえていないので、飲み放題というのにすぐ反応し、料理が適当で単価が少なくてもごまかされることから、ある意味「この質は何?」って思う時がありますが、昨日は安くてうまかったです。

3年生の研究もぼちぼち方向性が決まりつつあります。写真は3年生のゼミ生です。良き方向にみんなで進んでいきればと思います。昨日は身体イメージ、模倣発達に関連する論文が古野君と北村さんが取り上げました。この部屋で検討するのもこの年代が最後になります。



5月31日ニューロリハ研究センターが竣工予定です。6月からはそっちに移動です。研究者同士の物理的な距離が近ければ近いほど、科学研究のクオリティが高いと報告されています。執筆者全員が同じ建物内にいる状況で書かれた論文は、執筆者が別々の建物にいた研究論文に比べ引用数が平均で45%多いと示されています。私たちニューロリハ研究グループは、同じ建物どころか、同じ部屋に移動します。個室研究室は注意の集中は高めますが、新たな創発を起こすのにはきわめて不都合な構造です。洒落たカフェのような研究センターを考えていますが、どこまでそれを大学がくんでくれるか、雇用面も含めて用意周到に練り上げないといけません。そのためには事業計画を相当に考える必要があります。現在10以上の事業を考えていますが、この舵をなんとか取りたいと考えています。40代半ばから終盤はこの仕事を完成させます。



ニューロリハ研究センターが入る棟、2F部分までコンクリが入り始めています。早くシャンパンで乾杯したいもんです。住み心地(居住空間)は研究を進めて行く上でも大変重要です。