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森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

今年も佳境に。。

2013年10月24日 17時10分14秒 | 日記
来週の金曜日~土曜日が今年度の卒業研究発表会ですが、今年のうちのゼミ生は以下の研究に取り組んでいます。残る1週間悔いのないぐらい自己を追い込み奮い立たせ、そして行動してもらいたいと思います。今週末講演ながらみんなのスライドを確認し、最終的な修正をしていきたいと思います。がんばってちょうだい!

「嫌悪・妬みの情動経験が主観的疼痛強度に及ぼす影響」赤口 諒
「Self-touchとOther-touchにおけるラバーハンド錯覚量の相違と身体所有感の錯覚時の脳活動」林田一樹
「視覚的注意における感情喚起が脳活動に及ぼす影響」田中美伎
「サブリミナルプライミングによる自動的な反応選択時の視覚情報処理」小倉洋夢
「他者の視線がワーキングメモリに及ぼす影響」 佐伯莉穂
「広汎性発達障がい児における心の理論と模倣能力」横山みさき
「歩行時における足底弁別課題が立位姿勢バランス及び認知能力に及ぼす影響」坂井理美

Rolling !!

2013年10月11日 11時41分37秒 | 日記
一昨日は旭川帰りのヘビーな生活がたたってか、頭痛の激しさ、身体のしびれなどに悩まされましたが、昨日の夜より軽減してます。一昨日は卒業生が症例の相談に来ており、その話をして、良き方向になんとか導き。。。その後、3回生の最初のゼミでした。5名が新たに加わりましたが、1名が身体知覚、4名が発達と、今度は発達をテーマに多くの研究をスタートするつもりです。みんなの希望をできる限り活かしたいと思います。その後、3時間かけて4回生のゼミを行いました。進捗状況を繰り返し伝えることで、必要な部分とそうでない部分が明確になります。情報をできる限り選択しながら他者に対して発表するという意識を植え付けてもらいたいと思います。写真は今年度の4回生のゼミ生です。彼ら彼女らの手で以下の研究が進んでいます。





「情動と痛み」「アイコンタクトと記憶」「セルフタッチと身体所有感」「サブリミナルと運動」「情動と空間」「模倣抑制と心の理論」「歩行と足底知覚」の計7つの研究が進んでいます。11月1日が発表日になると思います。最大限に努力し、ベストを尽くした形で望んでもらいたいと思います。

さて、私は今日は岡山に向かい、昼夜と教育学の講義をします。今日は人の進化過程における教育の意味について話し、コミュニケーションという手段の獲得と脳の機能の進化について話します。その後、東京に向かい、株式会社医学書院主催2013年度理学療法教員サポートセミナーで話します。以下の内容になると思います。

1本学の神経理学療法学の構造
2情報の取得方法
3基礎と臨床の接点の教授
4私の授業の構造
A 授業内容の理解を促進するために
B 授業参加を引き出すために
C 学ぶ意欲を引き出すために    ①比喩の積極的利用
②多種感覚モダリティの利用    ③記憶システムの機能の応用
④ミラーニューロンシステムの作動 ⑤誤差学習システムの作動
⑥感情の生起

それを終えて新潟に向かい、新潟で痛みと情動の基礎について話します。
今週末も大移動になります。


ニューロリハセミナーを終えて

2013年09月30日 18時50分30秒 | 日記
昨日,一昨日とニューロリハセミナー応用編を開催しました.全国各地から300名を迎え,7講座を提供しました.応募開始10分で定員に達した講座ですが,逆にそれは我々にとって緊張感を与えるものです.報酬価値をどこに設定しようかといつも迷いますが,首尾一貫して,2013年までの論文を含めて多くの情報を伝えようという意識は,4年前にスタートした時から変わりません.

情報過多であることは自己認知していますが,簡単に伝えてわかったと思わせるよりも,その情報を受講した方々が自己の興味に基づいて利用され,それを臨床という行為に変えていただくことを願って情報を多く提供しています.人の興味・関心ごとは環境によって大きく変化しますから.僕の好きな言葉に簡単なものは疑ってかかれ,というものがあります.巷のさまざまな講習会において,結構暴力的に情報を都合のよいようにゆがめている講師(人気)も見かけます.

そして,何よりもこうした情報のシャワースタイルは僕らの好みなのです.好みで有る以上,中々変えられません.行動は感情に支えられていますから...

情報を多くもらえることは,いろんな方向性を想像したり,考えることができます.それが創造性につながるものと思います.ニューロリハビリテーションという概念っは,神経可塑性や運動学習といった狭義な学問・臨床体系でなく,対象者を多面的・多角的にみながら一人の個whole bodyとして見ながら関わることを後押しするものだと思っています.

今回はその意図から,情動で始まり社会性で終わる,そして身体性を含むというプログラムとしました.上肢運動制御や姿勢歩行制御はその枝です.人間復権というリハビリテーションの意味をこのプログラムから考えてもらえればと思います.いずれにしても,皆さんの熱心な受講によって私たちは助けられました.皆さんにお会いできたことを感謝いたします.臨床編でお待ちしております.ありがとうございました.

ニューロリハビリテーションセミナー応用編!

2013年09月28日 09時53分37秒 | 日記


奈良は雲一つない晴天に恵まれました。思い起こせば、昨年は同時期に台風が直撃するということで、急遽プログラムを前倒ししたりしながら、14時前に終わるように変更し、対応した記憶があります。結果オーライなんですが、各地に帰られる皆さんの新幹線等が止まる事なかったようです。1本違えばとまった、との連絡ももらい、我ながら、そのときのうちのメンバーとの意思決定には、一定の評価をしたいと今でも思っています。これこそ不確実性に対応する脳の機能だと思いました。その背景には、最大限の「おもてなし」精神があると思います。オリンピック招致で有名になったこの言葉でありますが、私たちメンバーは昔より日本人のこのおもてなしの心、すなわちこの身体的な脳の機能による他者への配慮は、もっと評価されるべきと思って、いつも議論していました。いや、評価されることを目的としていません、もっと日本人は日本人を尊敬すべきだと思っておりました。他者のために自己が責任をとる(腹を切る)、この武士道精神は代々私たちに脈々と受け継がれています。目先の自己の利益に執着せず、広い心を持ち、優雅に生きる。そういう人生を目指したいものですね。

さて、今回は応用編です。実は、この応用編が肝になります。臨床編に目が奪われがちですが、いかんせん紋切り型になってしまいます。運動麻痺や、USNや、などと。そういう細分化されたことに焦点化する前に、人間とは何か、を今一度考えるのが応用編です。私の著書「リハビリテーションのための神経生物学入門」のベースです。運動を見る前に、その人間をみよ、そして自己を省みて、他者との関係性を考えてみよ、というものです。しかしながら、いかんせん、理解を促進させようと思えば、情動、注意、姿勢などと細分化してしまっています。しかしながら、その根幹の人間のシステムというのは、実は共通なんだ。情動や社会性、はたまた上肢と道具との関係、あるいは身体性というのは、人間の脳ではシステムとして作動しているだ、と想像を膨らませてもらえればと思います。

延べ306ページの資料。7講座あります。1講座で使用するスライドはおそらく100枚程度。そのままおおよそで換算しても1.5日間で700枚の情報量。取捨選択を重ねた結果ですから、この倍以上は作成していると思います。したがって、実質的に1400編ぐらいの読破じゃないでしょうか。これは、前述したように、とても理解を促進しようとしているのか、と矛盾を起こします。しかしながら、我々教育研究者は、世界で公表されているありのままえを伝えたいと共通の認識をしています。わかった、という気持ちにさせるのは実は簡単です。脳は脳をバイアスによって操作することができるからです。錯視に代表されるように、私たちが錯覚として意識を形成しているのと一緒です。しかしながら、わからない、ということを経験させる方が科学の発展のためには、もっと重要なのです。わからないのであれば、その後自分の目で確かめる、この能動的作業を通じて、自己に概念が形成されていくのです。概念は視覚だけでも、聴覚だけも形成されません。自己の行為を通じて形成されていくのです。

いずれにしても、速い講義が展開されると思いますが、自己意識のもと、関心事に焦点化させながら、経験をつくっていってもらいたいと思います。おおよそ研究成果の出典は資料に記載していると思いますから、興味が引かれたものをその後紐解いてみてください。みなさんにとって有意義な2日間となるように。

メタ認知能力に向けて

2013年09月18日 17時49分54秒 | 日記
今日は午後のすべてを利用して、4年生が実習のときに担当させていただいた症例を通じて、3年生、2年生、1年生に対してレクチャーする会でした。それぞれ2~3名の1年生や2年生、そして3年生に対して、用語や内容をその理解度から使い分けながら説明するというものです。むろん、1年生と3年生は授業の進行度が違うために、同じ資料を用いても、しゃべる内容を変え、そのスピードも考慮しなければなりません。ここにメタ認知能力がいかされるのです。メタ認知能力は社会的行動を支える人間の機能ですが、それは自然に行動し考える自己に加えて、自己の認知や行動をチェックする機能を備えなければなりません。すなわち、モニタリング能力です。しかしながら、これだけではメタ認知能力は完成しません。下級生の視線、表情、理解度の類推などから、その都度状況や対象者にあわせて行動を修正するコントロール能力を養わなければなりません。その際、やはり重要になってくるのはアイコンタクトです。そして、すべてを理解させようという一方向性でなく、向こうからはどのように見えているだろうか、何を感じているだろうか、そして2年前の自分はどうだっただろうかという、他者視点プラス自己の回帰が必要になってきます。こうした能力は患者さんをみたり、学生をみたりする私たちの仕事には直接的に関係します。むしろ効果はここできまるといっても過言ではありません。脳でいうと前頭前皮質だけでなくTPJも大きく関与しています。

そして、もう一つ、現4年生は1年生のときの自分、2年生のときの自分を回帰しながら、あのときは全く理解できていなかったが、今は違う。自己は成長できているのだと、自己を強く自覚することが大切です。そしてその成長は自己の意識だけでなく、他者の援助によってつくられているものだと思うことです。そして1年生は2年生、3年生、4年生になるにつれ、自分がこのように成長して行くのだとイメージしながら、先輩達に尊厳を持つこと、それが技術を伝承して行く心を形成していきます。だから、細かい知識や記憶の形成は、この会の本質的な目的ではありません。なぜなら、リアリティのない記憶に対しては重みづけられないからです。むしろ、この上下の関係による過去–現在–未来の自己の想起を意識できること、この事自体が教育的本質の意味なのです。そこに気づけるか、気づけないか、それがメタ認知能力でもあるかもしれません。教員はファシリテーターなのですが、その教員をみてもそう感じるわけです。

認知科学者とコラボに向けて

2013年09月03日 00時00分55秒 | 日記
明日は認知科学会サマースクールで講演をします。明治大学の嶋田総太郎先生よりお声をかけていただきました。明日はすべて認知科学者の中に乗り込んでいきます。温泉宿に一人で、かつ認知科学者たちと泊まります。

リハビリテーション代表者として認知科学とリハビリテーション科学の接点を考え共同注意となるよう意見交換してきます。私は今でこそ脳の研究者のように思われていますが、もともとはバイオメカニクスを勉強してて、その後は認知科学へとなりました。非線形発達に興味を示し、ギブソンの生態学的視覚論などを勉強し、エコロジカルアプローチに関して文章を書いたときもありました。その後は知覚全般に興味が出てきて、アリストテレスからメルロポンティやゲシュタルトクライスやモルフォロギーへと進みました。もうだいぶ記憶に残っていませんが、久しぶりに昔の本を読んでみたくなっています。明日は慶應の元総長の安西佑一郎先生ともお話できると思います。私が脳の勉強に入るきっかけになった「認知科学の新展開(岩波書店)」は今なお色あせないシリーズです。

スライドは未完成ですが、未完成なまま講演して、コラボを体感してきます。しかしながら、会場は箱根、早朝に奈良をたたないといけません。それが少し憂鬱です。温泉街ですが、仕事なわけです。。。昨日博多から帰り明日は箱根、そして週末は沖縄です。


ペインリハ学会を終えて

2013年09月02日 11時26分39秒 | 日記
金曜より博多に向かい、昨日夜に帰宅してきました。今回はダブルヘッダーということもあり、少し大変でしたね。金曜日、日本ペインリハビリテーション学会の理事会、懇親会に出て、台風の進路を横目に今後のことを建設的に確認できました。あと数年基盤作りとなると思います。次年度に開催することになった第19回日本ペインリハビリテーション学会は9月に大阪で開催する予定です。私が大会長を仰せつかりました。信迫準備委員長をもとに準備をすすめてまいります。懇親会終了後、22時過ぎには翌日一緒に講演する松尾先生のもとに向い、飲み、そして兵庫医大の竹林先生を待ち、信迫氏とともに懇談をしました。1回目の懇親会はしごです。

翌日はセンスタイル様の主催の講演を午前中2時間半にわたり行い、そのバトンを松尾、竹林、信迫の三氏に渡して、会場を後にしました。信迫氏も一旦後にして、翌年のための開場下見です。沖田実大会長の講演になんとか間に合い、その後、東京大学の住谷先生の講演の司会をさせていただきました。その内容は認知神経科学からみた疼痛医療であり、疼痛患者の体部位再現の問題から始まり、モーターコマンドと感覚情報の解離、空間無視とCRPS患者の類似的現象、そしてそのメカニズム、自己中心空間の問題や身体イメージの障害など、最新のillusory line やmental number bisectionなどの話題もふまえて、お話いただきました。こう考えると、疼痛患者は、もともとは脳にダメージがないにもかかわらず、結果として脳損傷と似たような機能不全を来していることから、慢性化から脱却できないと認識することができ、最終的には運動麻痺の神経メカニズムや高次脳機能障害の神経メカニズムが適応できるわけで、したがって、脳損傷者に対応したリハビリテーションの適応となることはサインスから考えて間違いないと思う訳です。出力系と入力系の食い違いを考え治療を考える。これが新しい疼痛医療の考え方でしょうね。なぜなら、身体局在の疼痛が主たる問題ではないわけですから。それはあくまでも結果にすぎません。ある神経メカニズムについて彼と共通認識をもてたことは、今後の研究の方向性を意識づけることができました。特別講演後、講師のみなさま、関係各位と懇親会を行い、その後20時にはセンスタイルの方に向かいました。そこではセンスタイルの国中代表をはじめ、講演を終えた松尾氏、そして翌日に講演を控えた竹林氏と楽しい懇親を行うことができました。竹林氏の方向性やいくつかの治療にみえる適応性や問題点を共通認識することができました。彼の翌日の講演が聴く事ができず残念でしたが、まだうちで呼ぶ事ができればと思います。ただ聴くだけでなく、インタラクションしないと彼も成長できないと思いますし、我々も成長できません。その後、ペインリハ学会で発表している前岡先生や出版社、書店の方々もお見えになり、遅くまで飲む事になりました。2回目の懇親会はしごです。

日曜日は一般演題等を聴きながら、原稿を修正するといった時間を過ごすことができました。また午後には、整形外科、心療内科、心療内科看護部、リハから慢性疼痛にどのように関わるかを考えるシンポジウムをきき、特に心療内科の看護部からの現象を概念化していく作業に感銘を受けました。有意義な時間を過ごすことができました。患者の病態を現象からとらえる、そんな当たり前のことが、治療法優先だとなかなかできないのも実情です。考え、考え、考え、そしてストラテジーを考案する、そこが基本だと思います。

さて、一般演題の中からうちの研究室の今井亮太君が優秀賞に選ばれました。私も知らされておらず、突然のことで、うれしい思いになりました。努力は裏切りません。彼には院に入ってからは厳しく接していますが、それにへこたれる事なく、毎日臨床、そして臨床研究にうちこんでもらっています。遊ぶ時間を削減してもやる意味があると思います。是非とも将来的に疼痛リハビリテーションを引っ張って行く一人になることを希望しています。長崎大のメンバー等といい意味でのライバルが出てきて、うれしい限りです。疼痛グループでは、昨年の信迫氏の優秀賞、ならびに運動器疼痛学会での優秀賞、そして今年は大住君の日本疼痛学会での優秀論文賞、そして今回と勢いにのっていますね。他のグループもこれに次いでください。

さて、私はまた明日より箱根です。日本認知科学会でディスカッションしています。司会は明治大の嶋田先生(身体性の空間、時間の一致・不一致で有名な)です。どういうコラボになるか楽しみです。学術振興会議理事長の安西先生など、著明な認知科学者がいらっしゃるということなので、緊張するか、私自身楽しみです。しかし、肉体はぼろぼろです。

ヘロヘロ、カラカラなり。。

2013年08月25日 23時14分42秒 | 日記
今日はいつもより20分早く新幹線に乗ることができたので、21時前に帰ることができました。10時から16時まで講演し、21時に帰宅。毎度のことながらヘビーです。こればっかりは慣れないのです。3時間講演までならなんとか持つのですが、その後の2時間は声がかすれ、よろけ、足元がままらないときが多々です。けれども、5時間聴く側もそれ相応のエネルギーとなり、彼ら彼女らの視線から、自分も行動が創発されます。講演はライブです。インタラクションです。

本日は大脳の連合野と高次脳機能、なぜ人間は連合野を発達させてきたのか、から始まり、USNの注意障害説を話し、身体性を図式とイメージに分け、その評価を示すとともに、もう一つに分類である所有感と主体感に分け、それぞれの神経メカニズムを説明し身体失認、病態否認がなぜおこるのかを説明しました。その後、USNを下頭頂小葉ー視床ー下前頭回のネットワークの破綻、そして、下頭頂小葉ー上縦束ー下前頭回のネットワークの破綻の二つのパターンにわけ、治療介入の区別を話しました。前者は感覚・運動障害を強く伴いますが、後者は強くそれが出現しません。前者は方向性注意ネットワークの問題から内部空間に対してもアプローチしないといけません。いわゆる運動麻痺への治療介入です。後者は空間性注意の問題ですから外部空間をどのように認識させるか、アッセンディング、ディッセンディングをどのように治療デザインするかです。また側頭葉の問題である物体中心空間やTPJの問題である自己と他者の区別の問題にもふれ、最終的には空間性注意(情動;辺縁系、エラー・矛盾:前帯状回を含めた)と方向性注意(右空間での運動の偏り)から臨床をデザインすることの重要性を説明しました。またプリズム順応の視点から小脳と頭頂葉の機能的連結(逆モデルなど)に関して話し、その効果を神経メカニズムから話しました。失行の方は現象を下前頭回、下頭頂小葉の機能的差異から分類し、模倣を無意味、有意味にわけ、右半球優位、左半球優位性を話、セマンティックな分類を求めることが脳梁を通じて左へ情報が移動することを説明しました。また道具操作においてはCIP-AIP-PMの神経ネットワークを説明し、物品操作における知識と操作の違いを説明し、二つの物品を行為の視点から関連づけることの重要性、すなわち、道具の選択性がそのネットワークを組織化する上で重要であることを説明しました。特に、commonよりもnovelなtoolにより影響を受けることも付記しながら。あとはオンライン、オフラインによる道具操作の違い、そして物体固有の動詞と共通の動詞の違いを伝え、道具使用の運動ネットワークと概念・意味ネットワークの共通基盤を説明し、本質的なST-OT-PTのチームアプローチが必要であることをときました。その後、旧来の観念失行は遂行機能障害に位置づけられる理由をワーキングメモリ機能から説明し、評価をどうしていくかを伝えました。治療はストラテジー訓練、ジェスチャー訓練を取り上げました。情報は多岐にわたりましたが、幹は理解できたのではないかと思います。時間がおしましたが、その後、PFCの機能であるワーキングメモリ機能、社会的認知・行動のトピックスを伝え、finishしました。

皆さんの臨床を後押しできた!できたかな?と思っていますが、また情報を利用しどういう場合はどういう現象が起こるか、自分の目で体で感じ解釈していってもらいたいと思います。講演、論文の情報も大切ですが、自分の体でおこる情報はもっと大切ですから。

母の命日におもう

2013年08月22日 17時34分10秒 | 日記
今日は母親の命日である.小学生の時より母一人で私を育ててきた.いや何も言わずに見守ってきたという方がしっくりくる.ふまじめな高校生~専門学校時代もだまって見守ってくれた.60歳で逝ったが今生きていれば65歳.この5年間.私の身体機能は下降しはじめたが,知性や感情コントロールは成長したかな.5年前は機能回復を追い求めて母親の治療がどうあるべきか心底考え,主治医と口論になったり,担当セラピストに叱咤したりしていたが,今もしそれだとすると,もっとゆっくり楽に接してたと思う.そんな姿を見せたかったね.なんか後付けだと思うけど,今思うと前頭葉も頭頂葉も機能せず,言葉もほとんど発せずの母親だったけど,辺縁系は作動して,「あんた,がみがみ言いなや」っていう表情をしていたもんな.ま,後付けだけどね.もっと楽しく逝かせたかったな.それが心残り.それを思うと涙腺がゆるんでしまうけど,心の中にはずっと生き続けているわけで.それが人間のたくましさ(伝承)なんだろう.

スローライフは永遠に

2013年08月21日 16時04分49秒 | 日記
少しだけ体調戻ってきたかな.休むことは全くできていなく,たんたんと猛スピードで仕事を進めるだけなんですが,持久力がほとんどなし.すぐに倒れてしまい,だましだましで仕事を続ける数日.日曜日の5時間講演後,急に来てしまいました.

さて,一昨日は教育学部の岡本先生,古川先生とともに,多くの発達障害といわれている(?)お子さん,そしてそのお母さんと話すことができました.私たちの知識と彼ら彼女らの現象がまさにマッチする時々がおこり,いろんな仮説が創発されました.お母さんたちの知識は相当です.これは我が子を思う結果だと思います.けれども,悲観的ではなく,むしろそれを受け入れ,そしてそれを楽しむ意識を垣間見ることができ,これこそリハビリテーションの進む道,そして私たちがこれから積極的に進めようとするソーシャルニューロリハビリテーションの在り方だと強く思うことができました.まさにお母さんの脳は当事者研究なのです.知識あふれるお母さんから紡錘状回をとることができますか?と言われた時は,そんじょそこらの医師などよりも相当に知識があるなあと思いました.彼女たちの口ぐちには医師(狭い範囲の方ですからあしからずご了解ください.すべてを意味しているのではありません)は診断するだけで,なにもその時々の現象について明解な答えがないとのことでした.子どもたちの言動や行動を肯定しつつ道徳を教育することの大切さがわかりました.今いう発達障害と言う枠組みはある観察者の視点でつくられたものなのですから.その視点が変われば,世の中の人みんな発達障害になるかもしれないし,そうでなくなるかもしれない.狭義の社会性といわれる縛りにとらわれすぎてしまうと,本質的な現象の意味を解読できなくなると僕は思います.

昨日,今日と院生の研究プレゼンを聞きながら修正作業に入っています.かなり厳しいことを言っていますが,厳しいことをいうことは,まだまだその研究が原石であり,磨けばもっと美しくなることを前提にいっているわけです.自分の研究を愛すること.そして統計に翻弄されず,生のデータを昼夜問わず見比べ,何か言えないか,新しいことはないか,と睨め続けること.これにつきます.先行研究に引っ張られすぎな面が否めません.研究は人のすること.データはもちろん改ざんしてはいけませんが,データの解析をどのようにするかは,その研究者に委ねられています.だから,それそのものは,バイアスなのです.だから,すべてを信じべからず,なのです.いずれにしても,まだまだ足りない.執念が足りない.結果を導く執念である.研究論文になればあたかもスマートに見えてしまうが,それまでのプロセスは猛烈に泥臭いのである.それが研究だと僕は思います.

さて,僕の方は深夜にニューロエシックスの原稿を書きはじめましたが,相当な体調不良のため,思うように進まず歯がゆい思いをしながら,寝ては書き,書いては寝てを繰り返しています.この原稿はまだ100字程度ですが,ある程度の骨格は決まりました.「生きて死ぬ私」生物として生まれてきた以上,これは避けては通れません.ある意味,リハビリテーションの本質とは何かを考え始めました.欠損があること,欠陥があること,不自由があること,それが負なのか?ということが揺らぎ始めてきたのです.だから,BMIにしろ,脳刺激にしろ,身体刺激にしろ,これらのある意味サイボーグ視点,エンハンスメント視点を生物学的範疇でその意味を捉えなおしています.この意識をもつことは狭義の医学的な医療ではご法度なのですが,社会学,人類学の範疇で捉えるとこういった意識は大切であると思います.いずれにしても,色んな治療がありますが,所詮人類の発達の幹においては,その幹になることはできず,枝でしかないと思っています.

私の単著の改訂作業はその後になります.いや科研費研究のあとかな.すみません.編集長・・・最近は思うように進まずです.加齢なのかどうかはわかりません.スローライフに切り替えたいと心底思い始めてきています.うちの研究グループもそういう意識のもと,お茶をしながら研究を,と本気で思っているのです.