詩仙堂Shisen-dou と平八茶屋Heihachi chaya 平成丁酉29年水無月10日
現在詩仙堂と呼ばれているのは、正しくは凹凸窠(おうとつか)であり、詩仙堂はその一室である。
凹凸窠(おうとつか)とは、でこぼこした土地に建てた住居という意である。
名の由来は、中国の漢晋唐宋の詩家36人の肖像を狩野探幽に描かせ、図上に各詩人の詩を石川
丈山自ら書いて四方の壁に揚げたことより呼ばれる。
石川丈山は、儒学に比して漢詩の地位の低かった江戸初期に、詩作をもっぱらとした点で特異な存在であり、祖父以来徳川家康に仕えて武名があり,丈山もその幕下にあったが,大坂の役に軍令を犯したため退けられて京都に閑居。藤原惺窩 (せいか) に学んで詩名が高く,「日東の李杜」と称された。寛永 18 (1641) 年59歳で、比叡山のふもとの一乗寺村に詩仙堂を築いて悠々自適の生活をおくり,後水尾上皇の召にも応じなかった。書や画にも巧みであった。主著『覆醤 (ふしょう) 集』 (71) ,
隷書、漢詩の大家で、わが国における煎茶(文人茶)の開祖である。中国の漢詩の名人である杜甫・李白に匹敵するほどの出来栄えと絶賛されています。丈山の没後、ここは曹洞宗のお寺として残されました。36詩人とその詩を選定したのは、寛永18年59歳の時、36歌仙に倣ったもので、林羅山の意見も求めた。建造物は後に寛政年間、多少変更を見たが、天災地変の難を免れ、庭園と共に往時をそのままに偲ぶことができる。
さつき
富岡鉄斎
■詩仙堂の見どころ
丈山は漢詩をつくるだけでなく、庭づくりの名手としても有名。丈山の手がけた庭園は京都市内にも数ヵ所あり、詩仙堂の庭も丈山自ら手がけた庭園です。庭園には四季折々の花々や木が植えられ、季節ごとに異なる表情を楽しむことができます。おすすめは、5月下旬に赤紫色の花を咲かせる「サツキ」。嘯月楼(しょうげつろう:3層の建物)の1階から眺める「サツキ」が特に素晴らしく、この景色を目的に多くの観光客が押し寄せます。皐月と嘯月楼
11月頃の紅葉の時季の眺めも見事なのだとか。
■「ししおどし」発祥の地
当時、詩仙堂が建てられた場所は山のふもとにあり、夜中に頻繁に出没するイノシシや鹿を追い払うために「ししおどし」が考案されました。イノシシたちはその音に驚き、畑を荒らさなくなったのだとか。また、静寂の中でコーンと竹が石を打ちつける響きは、隠居生活を送る丈山の慰めとなったといわれており、彼がつくる庭には「ししおどし」が設置されるようになりました。それがいつしか全国に広まったといわれています。
■丈山の壁語録
■ 茶室
☆ 平八茶屋
いきなりの鱧(はも)料理にびっくり。ブロシャーに頼山陽、岩倉具視、夏目漱石(門に出てくる)、北大路魯山人の「とろろ屋の主粘って60年 商売繁盛 子孫繫栄」という18代の還暦祝いの『書』が、
今も家宝として残っているという。
鮎 天ぷら とろろかけ麦ご飯
私も皆さまも、大満足でした。
次は、旧三井家下鴨別邸へ行きました。
お読み下され 感謝致します。
現在詩仙堂と呼ばれているのは、正しくは凹凸窠(おうとつか)であり、詩仙堂はその一室である。
凹凸窠(おうとつか)とは、でこぼこした土地に建てた住居という意である。
名の由来は、中国の漢晋唐宋の詩家36人の肖像を狩野探幽に描かせ、図上に各詩人の詩を石川
丈山自ら書いて四方の壁に揚げたことより呼ばれる。
石川丈山は、儒学に比して漢詩の地位の低かった江戸初期に、詩作をもっぱらとした点で特異な存在であり、祖父以来徳川家康に仕えて武名があり,丈山もその幕下にあったが,大坂の役に軍令を犯したため退けられて京都に閑居。藤原惺窩 (せいか) に学んで詩名が高く,「日東の李杜」と称された。寛永 18 (1641) 年59歳で、比叡山のふもとの一乗寺村に詩仙堂を築いて悠々自適の生活をおくり,後水尾上皇の召にも応じなかった。書や画にも巧みであった。主著『覆醤 (ふしょう) 集』 (71) ,
隷書、漢詩の大家で、わが国における煎茶(文人茶)の開祖である。中国の漢詩の名人である杜甫・李白に匹敵するほどの出来栄えと絶賛されています。丈山の没後、ここは曹洞宗のお寺として残されました。36詩人とその詩を選定したのは、寛永18年59歳の時、36歌仙に倣ったもので、林羅山の意見も求めた。建造物は後に寛政年間、多少変更を見たが、天災地変の難を免れ、庭園と共に往時をそのままに偲ぶことができる。
さつき
富岡鉄斎
■詩仙堂の見どころ
丈山は漢詩をつくるだけでなく、庭づくりの名手としても有名。丈山の手がけた庭園は京都市内にも数ヵ所あり、詩仙堂の庭も丈山自ら手がけた庭園です。庭園には四季折々の花々や木が植えられ、季節ごとに異なる表情を楽しむことができます。おすすめは、5月下旬に赤紫色の花を咲かせる「サツキ」。嘯月楼(しょうげつろう:3層の建物)の1階から眺める「サツキ」が特に素晴らしく、この景色を目的に多くの観光客が押し寄せます。皐月と嘯月楼
11月頃の紅葉の時季の眺めも見事なのだとか。
■「ししおどし」発祥の地
当時、詩仙堂が建てられた場所は山のふもとにあり、夜中に頻繁に出没するイノシシや鹿を追い払うために「ししおどし」が考案されました。イノシシたちはその音に驚き、畑を荒らさなくなったのだとか。また、静寂の中でコーンと竹が石を打ちつける響きは、隠居生活を送る丈山の慰めとなったといわれており、彼がつくる庭には「ししおどし」が設置されるようになりました。それがいつしか全国に広まったといわれています。
■丈山の壁語録
■ 茶室
☆ 平八茶屋
いきなりの鱧(はも)料理にびっくり。ブロシャーに頼山陽、岩倉具視、夏目漱石(門に出てくる)、北大路魯山人の「とろろ屋の主粘って60年 商売繁盛 子孫繫栄」という18代の還暦祝いの『書』が、
今も家宝として残っているという。
鮎 天ぷら とろろかけ麦ご飯
私も皆さまも、大満足でした。
次は、旧三井家下鴨別邸へ行きました。
お読み下され 感謝致します。