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伝説のFWプスカシュ氏、死去

2006-11-18 01:30:41 | 海外and国内NEWS

元レアル・マドリード所属のハンガリー人ストライカー、フェレンツ・プスカシュ氏が11月17日未明、79歳の生涯を終えました。

死因は、6年前に発病したアルツハイマー病によるものでした。今年の9月中旬には、ブタペスト市内の病院に入院、ここ数日は危篤状態に陥っていました。

プスカシュ氏は、1945年3月2日にブダペストのネプスタディオンで行われたオーストリア戦でハンガリー代表としてデビュー、その試合で初ゴールも飾りました。
プスカシュ氏率いるハンガリーは“マジック・マジャール”と呼ばれ、恐れられていました。1954年ワールドカップでは、西ドイツに対する有利な判定に苦しめられ準優勝に終わりましたが、ハンガリーは優勝に匹敵するチームでした。プスカシュ氏はこの試合でもゴールを決めています。
1956年10月4日に行われたオーストリア戦がプスカシュ氏にとってのハンガリー代表の最後の試合となりました。オーストリア戦に始まり、オーストリア戦で終わったプスカシュ氏の代表記録は、84試合に出場、85得点でした。

プスカシュ氏は、1958~1967年までレアル・マドリードでプレーしていました。
当時のレアル・マドリードの中心選手、ディ・ステファノと共にレアル・マドリードの黄金期を築き上げました。スペイン人からも”パンチョ”・プシュカツの愛称で親しまれました。(パンチョとはスペイン語でお腹の意味)
プスカシュ氏は、レアル・マドリードで6度のリーグ制覇、2度のチャンピオンズカップ優勝を成し遂げました。

選手としては因より、その紳士らしさ、親しみやすさ、優しさで1人の人間としても人気があったプスカシュ氏は、ハンガリーの国民的英雄でした。2001年には、ハンガリー国立スタジアムが「フェレンツ・プスカシュ・スタジアム」と改称されました。

1999年、ガゼッタ・デロ・スポルト紙は、プスカシュ氏を“ミスター・ゴール”に選出。多くのストライカーの中でプスカシュ氏は、ペレよりも上に位置付けられました。
2002年8月21日には、プスカシュ氏を称えてハンガリーvsスペインの親善試合がブタペストで行われ、プスカシュ氏はディ・ステファノ、サンタマリア、マルキートスら旧友との再会を果たしました。
2005年1月19日には、UEFAが”欧州チャンピオン勲章”を授与しました。

ハンガリーの国民的英雄でスペイン人にも“パンチョ”の愛称で親しまれたフェレンツ・プスカシュ氏は、2006年11月17日、死去。享年79歳でした。

謹んでご冥福をお祈りしましょう・・・・。

  



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