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SOCCER NISUTA

なせば成る!!!!
レアル・マドリードについて書いていきます。

9.11から7年

2008-09-11 21:46:01 | レポート


今日で9.11アメリカ同時多発テロ事件から7年の月日が経ちました。

7年前の2001年9月11日火曜日、東部夏時間午前8:46、日本時間午後9:46。ニューヨークのマンハッタン島にひときわ高く聳え立っていたワールド・トレード・センター(北タワー)にアメリカン航空11便がほぼ最高速度で突入、11便は乗員乗客は勿論、機体は原型をとどめないほどズタズタになった。
北タワーは現代の旅客機の尋常ではない速度の攻撃を受け、僅か1時間42分で崩壊、それはツインタワーの28年の歴史が終わったとともに、9.11テロ終了を示していた。
北タワーは9.11の始まりと終わりの瞬間を人々の心に刻み込ませ、テロという形で生涯を終えた。

南タワーはユナイテッド航空175便の攻撃を受けてから56分で崩壊、最初に突入した北タワーよりも早々と歴史に幕を下ろした。

戦時下ではない、国も国民も誰も予期していないときに攻撃された…アメリカ人にとっては真珠湾攻撃以来の“騙まし討ち”しかも今回は国民を狙っての攻撃、このことにアメリカ人は激怒し、ブッシュが行ったアフガン、イラクへの攻撃を支持、そして泥沼化するとブッシュ批判…。もしも泥沼化しなかったらどうなったのか?ブッシュは9.11直後のときのように、支持率90%の大統領として大統領職を退くことになったのか?

9.11は『9.11ジェネレーション』の著者岡崎玲子さんが語るように、アメリカが世界と足並みを揃えることのできる転換期だったのに戦争行為に走り、反対を表明したフランスなど(欧州)には耳も貸さなかった。
今年11月の大統領選挙では、9.11後世界に(更に)嫌われてしまった(特に中東方面)アメリカを国内問題も含めて再生させてくれる大統領が選ばれるのを祈るしかない。

9.11で亡くなった全ての人に追悼を…。

9.11の映画
再会の街で
9.11で妻子を亡くした男チャーリーと、大学時代ルーム・メイトだった医師で妻子がいるものの家庭内で悩みを抱えている男アランがニューヨークで偶然再会し、それぞれの問題に向き合っていくストーリー。

DC911
まるでブッシュが理想の大統領像そのままのよう。
実際の映像も含まれていることからも完全にフィクションではないようです。
貿易センターにブッシュが訪れたとき(この部分はノンフィクション)、救助活動(もう3~4日経ってるから別の活動かも)にあたっていた人々は「USA」と叫び、復讐を誓っていたのが印象的でした。

動画
World Trade Center


ハリー・ポッターシリーズ完結

2008-07-26 21:25:24 | レポート

世界で旋風を巻き起こしたハリー・ポッターシリーズ最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』が本国イギリスで発売されてから1年と2日後の7月23日に日本語翻訳版で発売されました。

今回の作品、前6作品の伏線と共に、この作品自体に出てきた様々な伏線を最後の数章で回収しています。
この第7巻が出る以前にハリポタのラストについて推測した本がいくつか出ていましたが、ほぼその推測の通りでした(これはハリーの運命に関することではなく、ジェームズの他にリリーを愛した人物がいたというところ)。個人的にいうと驚くべきどんでん返しではありませんでした(そういう推理本を読んでいたからかも知れません)。

回収しきれていない伏線もあります(神秘部のベール、神秘部の開かずの扉)(これはネタバレ?)。最終章はちょっと不満でした。でも第33章~第35章は最高です。どんでん返しのために上巻の冒頭でちょっとしたトリックも使っていました。
第33章~第35章を読むときは、それまでの6巻をさらっと復習してから呼んだ方がいいかもしれません。
とにもかくにも、ハリー・ポッターはこれで終わりです。まだ読んでない人は【完】という文字に向けて、読み終わった人は【プリベット通り四番地の住人ダーズリー夫妻は…】というところから再び始めましょう!!まったく違う物語が見えてくるかもしれません。


2007年 月表

2007-12-31 18:20:10 | レポート
2007年 丁亥
平成19年
イスラム暦:1427年12月11日 - 1428年12月21日
ユダヤ暦:5767年4月11日 - 5768年4月22日

■1月
・スロベリアがユーロ通過導入。(1日)
・タイのバンコクで連続爆弾テロ。(1日)
・ブルガリア、ルーマニアがヨーロッパ連合(EU)加盟。(1日)
・ジェラルド・R・フォード元アメリカ合衆国大統領の国葬挙行。(2日)
・ギリシャのアテネでアメリカ大使館にロケット弾が打ち込まれ爆発。(12日)
・24 TWENTY FOUR シーズン6が米で放送開始。(14日)
・サッカー元ドイツ代表セバスティアン・ダイスラーが引退表明。(16日)
・2006年UEFAベストイレブンが発表。(19日)
・ヒラリー・クリントンが2008年アメリカ合衆国大統領選挙出馬表明。(20日)
・サッカー元ドイツ代表イェンス・ノヴォトニーが引退表明。(22日)
・ミシェル・プラティニが欧州サッカー連盟(UEFA)会長選挙に勝利。(26日)
・ロナウド、レアル・マドリードからACミランに移籍。(30日)

■2月
・アメリカフロリダ州オーランドで竜巻が発生、19人が死亡(2日)
・地球温暖化の影響で100年後には約2億人が難民となるという予測をIPCCがパリで発表。(2日)
・アメリカの通商代表部が中国貿易で違反行為をしているとして世界貿易機関 (WTO) に提訴。(2日)
・サッカー、イタリア・セリエAのシチリア・ダービーで暴動が発生。警官1人が死亡、1人が重症、100人以上が負傷。(2日)
・イラク、バクダッドでイラク戦争後、最悪の自爆テロによって130人以上が死亡、300人以上が負傷。 (3日)
・バラック・オバマが2008年アメリカ合衆国大統領選挙出馬表明。(10日)
・アメリカ、ユタ州ソルトレークシティで男がライフルで5人死亡させる。警察は男を射殺した。(12日)
・文部科学省が国公立大学2次試験の最終出願倍率が1990年のセンター試験導入以来初めて5倍を切ったことを発表。(20日)
・ジョン・マケインが2008年アメリカ合衆国大統領選挙出馬表明。(28日)

■3月
・ヨーロッパ、アフリカで皆既月食が観測される。(4日)
・インドネシアのスマトラ島中部でマグニチュード6.3の地震が発生。(6日)
・インドネシアのジョグジャカルタでガルーダ・インドネシア航空のボーイング737型機が着陸失敗。乗客乗員140名のうち49人死亡。(7日)
・サッカー、レアル・マドリードが06-07欧州CL敗退。(7日)
・アメリカがサマータイムに突入。(11日)
・ロシアでツポレフ134旅客機が墜落、乗客乗員5人死亡、約50人負傷。(17日)
・2010FIFAワールドカップの予選参加エントリー数が歴代最多の204ヶ国に。(30日)

■4月
・ソロモン諸島で、マグニチュード8.0の大地震発生。20人以上死亡。(2日)
・アメリカ政府が中国における知的財産権侵害について世界貿易機関 (WTO) に提訴。(10日)
・バージニア州のバージニア工科大学でアメリカ合衆国史上最悪となる銃乱射事件発生。32人死亡、15人負傷。犯人の韓国人学生は自殺。(16日)
・アメリカテキサス州ヒューストンのNASAで男が男女2人を人質に取り、人質の男1人を射殺して犯人の男も自殺。(20日)
・エチオピアのソマリ州で、「中国石油化工」が武装集団に襲われ、74人死亡。 (25日)
・サッカー元イングランド代表、アラン・ボールが死去。(26日)
・台湾が北京オリンピック聖火リレーの受入拒否を表明。(26日)

■5月
・アメリカ合カンザス州で大規模な竜巻発生。9人死亡。(4日)
・カメルーンのドゥアラで、乗客乗員115名を乗せたケニア航空のボーイング737-800型旅客機が離陸直後墜落。乗員乗客の安否不明。(5日)
・ジョーダナ・ブリュースターが結婚。(6日)
・ニコラ・サルコジがフランス大統領選挙当選。(6日)
・中国政府がアメリカに輸出したペットフードに毒物が混入していたことを認める。(8日)
・ニコラ・サルコジがフランス大統領就任。(15日)
・NASAの人工衛星によって南極の氷河が、米カリフォルニア州の面積(約41万平方キロメートル)に匹敵するほど広範囲で溶けていたことが判明。(15日)
・06-07欧州CL決勝戦がアテネで行なわれ、ACミランがリヴァプールを2-1で下し優勝。(23日)

■6月
・サッカー、レアル・マドリードが06-07リーガ・エスパニョーラ優勝。(17日)
・イギリスのグラスゴー国際空港で自動車を使用したテロ発生。(30日)

■7月
・グアテマラシティで2014年冬季オリンピック開催都市決定。開催地はロシアのソチ。(4日)
・サッカーアジアカップ2007開催、史上初4ヶ国共同開催。(7日)
・コパ・アメリカ2007決勝戦、ブラジルが優勝。(15日)
・イタリアのサッカー選手、フランチェスコ・トッティが代表引退。(20日)
・ハリー・ポッターシリーズ、最終巻が世界同時発売。(21日)
・サッカーアジアカップ2007決勝戦、イラクが初優勝。(29日)

■8月
・アメリカのミネソタ州ミネアポリスでミシシッピ川にかかる橋が崩落、死者多数。(1日)
・中華航空120便が那覇空港で爆発炎上、乗員乗客全員無事。(20日)
・07-08リーガ・エスパニョーラ開幕。(25日)
・第11回IAAF世界陸上選手権大阪大会が開催。(25日)
・サッカースペイン代表のアントニオ・プエルタ・ペレスが死去。(28日)

■9月
・第11回IAAF世界陸上選手権大阪大会が閉幕。(3日)
・オーストラリアのシドニーでAPEC首脳会議開催。(9日)
・9.11同時多発テロから6周忌。(11日)
・スマトラ島の南部沖で大地震。(12日)
・日本の安倍首相が内閣総理大臣辞任。(12日)
・07-08欧州CL開幕。(18日)
・日本の福田康夫が内閣総理大臣に就任。(26日)

■10月
・アメリカのオハイオ州クリーブランドのサクセス工業高等学校で銃乱射事件。(10日)
・パキスタンでブット元首相を狙った爆弾テロ、136人死亡。(19日)
・アメリカのカリフォルニア州南部の大規模な山火事発生。(20日)
・24 TWENTY FOUR シーズン7の予告映像が解禁(25日)
・2014FIFAワールドカップ開催国がブラジルに決定。(30日)
・イングランドが2018FIFAワールドカップ開催国に立候補。(31日)

■11月
・1月13日に放送開始予定の24 TWENTY FOUR シーズン7の放送が全米脚本家協会(WGA)のストライキの影響で無期限延期。(7日)
・ロンドンとユーロトンネルを結ぶ高速鉄道路線CTRL開業。(14日)
・ユーロ08本大会出場国決定。(21日)
・24 TWENTY FOUR シーズン6のDVD-BOXが日本で発売。(22日)

■12月
・カカが2007バロンドール受賞。(2日)
・07-08欧州CL決勝T出場チーム決定。(12日)
・元サッカー選手の中田英寿がFIFA親善大使に任命される。(14日)
・レアルがバルサに勝利して07-08リーガ・エスパニョーラの冬の王者に。(23日)

9.11.2001Ⅳ

2007-09-11 23:28:05 | レポート


9.11後の出来事

9.11同時多発テロ発生
2001年9月11日に9.11テロ発生、12日に国際連盟がテロ非難決議を採択。
欧米諸国やイラン、パキスタン、インド、日本などの国々もテロを非難。
尚、アメリカは9.11の実行犯をアルカイダと断定したが今だ決定的な証拠は出ていない(アルカイダは犯行声明を出しているため、出す必要性がないともいえる)。
ディック・チェイニー米副大統領は証拠があるとしながらも2007年9月現在、提示されていない。

炭素菌事件
2001年10月5日、フロリダ州の新聞社に届いた郵便物から炭素菌に感触した男性が死亡。
その後も炭素菌が郵便物で送られる事件が発生、5人死亡、20人が感触した。
9.11に触発された者の犯行とされているが、犯行は不明である。
この事件を受けて2002年6月12日、ブッシュ米大統領の著名でバイオテロ対策法案が成立した。

米国愛国者法
9.11を受けて2001年10月26日に成立された。
米一般市民に対し電話の盗聴、電子メールの傍受などができるようになった。また、ビザの発給や入国審査が以前より厳しくなりつつある。
正式名称は「テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統一し強化する2001年法」
2006年5月には、テロに関与したとして外国人を連行し、拷問した。このことでこの法案は批判され始めている。

アフガニスタン侵攻
9.11をアルカイダの犯行と判断したアメリカは、アルカイダのリーダー、オサマ・ビンラディンが潜伏しているアフガニスタンのタリバン政権に引き渡しを要求。タリバンが拒否したため2001年、アフガニスタンに侵攻した。(対テロ戦争)

アメリカ国民の恐怖
2001年11月12日に ニューヨーク東部のクィーンズ地区に旅客機が墜落。乱気流による事故だったが、テロの影響もあり。厳戒態勢が敷かれた。その数年後、小型機が事故でニューヨークのビルに突撃した時にも厳戒態勢が敷かれた。9.11前のアメリカでは考えられないことだった。

イラク戦争
2002年1月29日、ブッシュ大統領は、北朝鮮、イラン、イラクを悪の枢軸と発言。その後、アメリカは国際連盟の支持なしに2003年3月19日に「イラクの自由作戦」を実行。
戦争の口実は、イラクが大量破壊兵器を保有しているためとしていたが、2004年10月には大量破壊兵器が存在しないことが判明した。
2003年12月13日には、当時のイラク大統領サダム・フセインを拘束、2006年12月30日には死刑が執行された。
アメリカでは、この死刑執行の映像を真似した子供が死亡する事故が相次いだ。(対テロ戦争)

テロ事件
9.11後、アメリカを支持した国へのテロ攻撃が続いた。
2002年6月、アルカイダが、2002FIFAワールドカップでのテロ攻撃を計画したがが、日本のイスラム信者が少ないために中止された。

2002年10月12日、インドネシアのバリ島南部の繁華街クタで自動車が爆発し、202人が死亡した。
2003年8月、インドネシアのジャカルタで爆発テロが起こり12人死亡。
2004年にはオーストラリア大使館で爆発テロが起こり9人死亡。2005年10月1日には2ヵ所で自爆テロが起こり20人が死亡した。
すべてのテロにイスラム過激派ジェマ・イスラミアが関与したとされている。

2003年3月11日、AM7:36~7:40の間にスペインの首都マドリードの3つの駅で爆発が起こった。
192人が死亡、2000人が負傷した。事件後、アルカイダが犯行声明を出した。
この列車テロ事件はスペイン選挙の直前で、このテロがきっかけで政権が交代。スペインはイラクから軍を撤退させ、アルカイダの目的が果たされた感がある。

2005年7月7日、AM8:50にイギリスの首都ロンドンの地下鉄内で3ヵ所同時に爆発が起こった。実行犯(4人で自爆テロ)を含む56人が死亡した。
事件後アルカイダを名乗るグループが、イギリスと同じくイラクに軍を派遣しているデンマーク、イタリアに撤退しないと同じ事が起きるというメッセージを送った。
当時のイギリスの首相ブレアは、テロに屈しないと声明を発表した。
このテロ事件後、無実のブラジル人男性が駅内で警官に射殺される事件が起きた。警官は座っているブラジル人男性を至近距離から射殺。監視カメラでブラジル人男性に不審な行動はなかったが、射殺した警官は「改札を飛び越えた」「自爆する可能性があったので撃った」と意味不明な説明をした。

2007年現在、アフガニスタン,イラクでのテロ(主に自爆)で当地の民間人、米兵、海外の記者、ボランティア員が亡くなっている。

2007年9月5日、ドイツで自動車爆弾同時テロを計画していたイスラム信者のドイツ人2名、トルコ人1名が逮捕された。

2007年9月8日、オサマ・ビンラディンが声明を発表。
ビンラディンは「アメリカ人は皆イスラム信者になるべき」と発した。
専門家は「米国民に対するイスラムへの改宗要求は、米国をターゲットとしたアルカイダの攻撃を暗示する。預言者(ムハンマド)は敵を攻撃する前、敵に対してイスラム教を信奉するよう求めていた」と語り9.11から6年目の今年、新たなテロの可能性が浮上した。
今年は6年前と同じく11日は火曜日、新たなテロが起きないよう祈るばかりである…。


9.11.2001Ⅲ

2007-09-11 22:59:05 | レポート


9.11の詩

Do not stand at my grave and weep
(私の墓の前で泣かないでください)
私の墓の前で泣かないでください
私はそこにはいません、わたしは眠りません
私はふきわたる千の風
私は雪上のダイヤモンドのきらめき
私は豊穣の穀物にそそぐ陽光
私はおだやかな秋雨
貴方が朝の静けさの中で目覚めるとき
私は翔け昇る上昇気流となって
弧を描いて飛ぶ静かな鳥たちとともにいます
私は夜に輝くやさしい星々
私のお墓に佇み嘆かないでください
私はそこにはいません、私は死ななかったのです

Do not stand at my grave and weep
I am not there; I do not sleep.
I am a thousand winds that blow,
I am the diamond glints on snow,
I am the sun on ripened grain,
I am the gentle autumn rain.
When you awaken in the morning's hush
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there; I did not die.

作者未詳とされている詩で、タイトルが無いために最初の行を通称とした。
第2次世界大戦直前にメアリー・フライが友人マーガレット・シュワルツコップ(ドイツ系ユダヤ人)の母親が亡くなったときに書いたものとされる説が有力とされている。
2002年の9.11テロ、1周忌のグラウンドゼロでの追悼式で父親を亡くした11歳の少女が朗読した。

If I Knew It Would Be the Last Time
(最後だとわかっていたなら)
あなたが眠りにつくのを見るのが 
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 
最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがえたことも やり直す機会が
いつも与えられている

「あなたを愛している」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もし それがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

If I knew it would be the last time
That I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly
And pray the Lord, your soul to keep.

If I knew it would be the last time
That I see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss
And call you back for one more.

If I knew it would be the last time
I'd hear your voice lifted up in praise,
I would video tape each action and word,
So I could play them back for one more.

For surely there's always tomorrow
To make up for an oversight,
And we always get a second chance
To make everything right.

There will always be another day
To say our "I love you's",
And certainly there's another chance
To say our "Anything I can do's?"

But just in case I might be wrong,
And today is all I get,
I'd like to say how much I love you
And I hope we never forget,

Tomorrow is not promised to anyone,
Young or old alike,
And today may be the last chance
You get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow,
Why not do it today?
For if tomorrow never comes,
You'll surely regret one day,

That you didn't take that extra time
For a smile, a hug, or a kiss
And you were too busy to grant someone,
What turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today,
And whisper in their ear,
That you love them very much and
You'll always hold them dear.

ノーマ・コーネット・マレックという女性が10歳で亡くなった息子サムエルに捧げた詩。1989年に発表され9.11追悼式で朗読された。ノーマ・コーネットは2004年、末期癌により64歳でこの世を去りました。
日本では9.11で亡くなった消防士が書いたものと勘違いされていた。


9.11.2001Ⅱ

2007-09-11 22:03:05 | レポート


2001年9月11日は21世紀初の大事件となりました。
このテロで87ヶ国の人々を含む2973人(ワールド・トレード・センター崩壊で亡くなった人数は正確とはいえない)の死者が出ました。このテロは、アメリカはもちろん日本などでも生中継され、ワールド・トレード・センターへの2機の激突は全世界の人が目撃しました。

2973人の死者が出ましたが、これは消防士と警察の無用な争いのせいともいえます。ワールド・トレード・センターの屋上にはヘリポートがありましたが、1993年ワールド・トレード・センター爆破事件で警察がヘリで28人を救出、このことに激怒した消防がこの救助活動を非難したため非常口に鍵が掛けられてしまったのです。
8年後、この警察と消防の争いのせいで掛けられた鍵によって非常口の前で無念の死を迎えた人が何百人かいました。飛行機が激突した階より上階にいた人々は、成すすべなくタワー崩壊(崩壊前に飛び降りた人もいた)と共に亡くなったのです…。

アメリカは9.11後、報復としてアフガニスタン空爆、大量破壊兵器廃棄の名目でイラク戦争を行いましたが、このことでアメリカ国内では9.11陰謀論が持ち上がり政府への不信感を強めた他、イラク戦争に参戦したスペインで列車爆破テロ事件が、イギリスでもテロが起きました。
9.11から6年が過ぎた今も、終戦したイラクで無差別テロによって米兵が次々と亡くなっています。

一方でワールド・トレード・センター跡地には崩壊時に残された十字架状の鉄骨「鉄骨の十字架」がたてられ、2010年代にフリーダム・タワーが建つ予定です。フリーダム・タワーは完成後、“ワールド・トレード・センター”という名称を継続して使うようです。
フリー・ダムタワーはアメリカ独立の年1776年にちなんで1776フィートとする模様。(これは崩壊したワールド・トレード・センターより高く、完成すれば再びニューヨーク 一、アメリカ一高い建造物となるが、建物部分は70階と崩壊したワールド・トレード・センターより少ない)

9.11の影響で放映延期になった主な映画
■コラテラル・ダメージ
題名からして延期対象。
■スパイダーマン
映画本編でWTCが出る他、CMでは映画本編と関係ないシーンが撮られていて、そこにWTCが出ている。内容はある組織が金を盗み、ヘリコプターで逃亡しようとするも、スパイダーマンが作ったWTCのツインタワーの間の蜘蛛の巣に捕まるというもの。

ワールド・トレード・センターが出てくる主な映画
■インデペンデンス・ディ
エイリアンの宇宙船がニューヨークに迫ったとき。エイリアンが攻撃後も一部損壊したワールド・トレード・センターが出てくる。
■メン・イン・ブラック
ウィル・スミスにトミー・リー・ジョーンズがメン・イン・ブラックに入るかどうか考えろというシーン。エイリアンの出産シーンでも出てくる。
■ディープ・インパクト
津波がニューヨークを襲うシーン。インデペンデンス・ディ同様破壊されなかった。
■ミュンヘン
ラストのラヴナーと上官のシーン。

9.11の文書
9.11ジェネレーション --米国学中の女子高生が学んだ「戦争」
お勧めです。9.11後、アメリカ(国民)がどう変わったかが分かります。別売りのレイコ@チョート校もお勧め。

9.11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
アメリカン航空11便がワールド・トレード・センター、ノースタワーに突撃したPM8:46~ワールド・トレード・センター2棟が完全崩壊するまでの1時間42分の様子を伝えています。ビル内にいた352人の証言の他にビル外の様子も伝えています。
残念ながら読み難い構成(登場人物が多い、2棟どちらの様子を伝えているかよく分からないなど)になっていますが、読んでおいて損はありません。

救助犬ベア-9.11ニョーヨーク、グラウンド・ゼロの記憶
映画、ワールド・トレード・センターにも多くの犬が球状活動に関わったことが読み取れるシーンが出てきますが、これはその中の1匹の記録です。

9.11の映画
ワールド・トレード・センター
オリヴァー・ストーンとニコラス・ケイジがタッグを組んだ映画。
ワールド・トレード・センターに飛行機が激突する映像はありませんが、低空で飛ぶ飛行機の音、飛行機の陰がニューヨークの町を多い、そして激突の振動が響き渡る…ある意味、激突する映像よりショッキングです。そして、書類が舞い散り、人が飛び降り、炎上するワールド・トレード・センターを下から見下ろす映像はまるでそこにいるかのような臨場感でショックより倍増させます。
私は冒頭で在りし日のワールド・トレード・センターが映った段階で胸が苦しくなりました。

ユナイテッド93
ユナイテッド航空93便の様子をリアルタイムで映像化した作品。
映画ワールド・トレード・センターと違い2機目がワールド・トレード・センターに突撃する映像が出てくる他、管制塔、軍などの混乱振り、ユナイテッド93での乗客とテロリストのやり取りなどが臨場感たっぷりに描かれていて自分もそこにいるような感覚に陥ります。

動画
Remembering 9.11.01


9.11.2001Ⅰ

2007-09-11 21:46:06 | レポート


今日で9.11同時多発テロから6年が経ちました。

2001年9月11日
AM7:54  アメリカン航空11便(ボーイング767)がボストンを離陸
AM8:14  アメリカン航空11便がハイジャックされる。同時にユナイテッド航空175便(ボーイング767)がボストンを離陸
AM8:20  アメリカン航空77便(ボーイング757)がワシントンを離陸。
AM8:23  アメリカン航空11便が進路をニューヨークに変更。(この数分後にユナイテッド航空175便がアメリカン航空11便を目撃)
AM8:42  ユナイテッド航空93便(ボーイング757)が41分遅れでニューヨークを離陸。
AM8:43  ユナイテッド航空175便がハイジャックされ、進路をニューヨークに変更。
AM8:46  アメリカン航空11便がワールド・トレード・センター、ノースタワーに突撃し爆発・炎上。離陸から52分でテロ発生。(日本時間9月11日(火)PM9:46)
AM8:50  アメリカン航空11便が追突してから4分後にアメリカン航空77便がハイジャックされ、進路を東に変更。
AM9:03  ユナイテッド航空175便がワールド・トレード・センター、サウスタワーに突撃し爆発・炎上。アメリカン航空11便が追突してからわずか17分後のことでした。(日本時間9月11日(火)PM10:03)
AM9:27  ユナイテッド航空93便がハイジャックされ、進路を南へ。4機全てがハイジャックされる。
AM9:30  ブッシュ大統領がテロ後初の声明発表。
AM9:38  アメリカン航空77便がペンタゴンに突撃し爆発・炎上。(日本時間9月11日(火)PM10:38)
AM9:40  連邦航空局が全米の航空システムを閉鎖(第2次世界大戦後初)。
AM9:45  ニューヨーク証巻取引所が取引を停止。
AM9:55  ブッシュ大統領がエアフォース・ワンに搭乗。(テロから逃れるために空を飛び回る)
AM9:57  ユナイテッド航空93便の乗客がコクピット奪還を目指す。
AM9:59  ユナイテッド航空175便突入後56分でワールド・トレード・センター、サウスタワーが崩壊。(日本時間9月11日(火)PM10:59)
AM10:03 ユナイテッド航空93便がペンシルバニア州シャンクスヴィルに墜落。(日本時間9月11日(火)PM11:03)
AM10:28 アメリカン航空11便突入後1時間42分、サウスタワー崩壊後29分でノースタワーが完全崩壊。(日本時間9月11日(火)PM11:28)
AM10:45 ワシントンのすべての連邦ビルから職員避難。
PM12:36 ブッシュ大統領がテロ後2度目の声明発表。
PM1:27 ワシントンに非常事態宣言
PM1:45  アメリカ海軍が空母を2機ニューヨーク沖に緊急出動させる。
PM3:20  ブッシュ大統領がようやく地上へ。
PM5:20  ワールド・トレード・センター第7ビルが完全崩壊。
PM7:00  ブッシュ大統領がホワイトハウスへ。
PM7:15  アシュクロフト司法長官が航空機4機のハイジャックを確認。
PM8:30  ブッシュ大統領がテレビ演説。


  ワールド・トレード・センター崩壊直後のニューヨーク・マンハッタン

ハイジャックされた4機とワールド・トレード・センター
■アメリカン航空11便(ボーイング767)
・ボストン発ロサンゼルス行き。
・乗客77名、乗員11名、主犯モハメド・アタを含むテロリスト5名(全員死亡)
・ワールド・トレード・センター、ノースタワーに突撃。

■ユナイテッド航空175便(ボーイング767)
・ボストン発ロサンゼルス行き。
・乗客52名、乗員9名、テロリスト5名(全員死亡)
・ワールド・トレード・センター、サウスタワーに突撃。

■アメリカン航空77便(ボーイング757)
・ワシントン発ロサンゼルス行き。
・乗客54名、乗員6名、テロリスト5名(全員死亡)
・ペンタゴンに突入。

■ユナイテッド航空93便(ボーイング757)
・ニューヨーク発サンフランシスコ行き
・乗客34名、乗員7名、テロリスト4名(全員死亡)
・ペンシルバニア州シャンクスヴィルに墜落



■ワールド・トレード・センター(世界貿易センタービル)
・日系アメリカ人のミノル・ヤマサキの建築で1966年から1973年の間に作られた。

・1973年にノースタワーが、1973年にサウスタワーが完成、1973年4月4日に落成式典が挙行された。

・完成後のワールド・トレード・センターの建築評論家の評価は悪く、近くで見たときの威圧感からニューヨーク市民からはあまり歓迎の声は聞かれなかったが、遠くから見たときは印象深く映るため、自由の女神と共にニューヨークのシンボルとなった(自由の女神の背後に聳え立つ画は何度か撮影され、9.11のときも炎上するワールド・トレード・センターが自由の女神と共に映る画が撮影された)。

・1993年2月26日、テロリストによってノースタワー地下駐車場でバンを使っての爆発事件が発生、6人が亡くなり1040人が負傷しました。テロの実行犯は8年後に9.11を起こしたアルカイダで、ノースタワーを倒してサウスタワーの崩壊を狙っていましたが、爆弾の威力はタワーを倒すほどではなく、たとえ威力が数倍でもタワーは倒れないと調査で証明されました。その後、ワールド・トレード・センターはセキュリティーを強化して“最も安全なオフィス”と呼ばれるようになりました。

・2001年9月11日、テロリストによって武器化されたアメリカン航空11便がノースタワーに、続いてユナイテッド航空175便がサウスタワーに突撃。その後サウスタワーが崩壊、続いてノースタワーも完全崩壊して28年5ヶ月と7日間の歴史に幕を下ろしました。


    在りし日のワールド・トレード・センター


02/6.18 日本vsトルコ、回想録

2007-06-18 20:02:59 | レポート

2002年6月18日PM3:30。グループリーグを2勝2分けで通過して決勝トーナメント進出を決めた日本。相手はグループCでブラジルを苦しめたトルコ。場所は宮崎スタジアム。
日本のフィリップ・トルシエ監督はどういう訳か、グループリーグでいいプレーを見せていた柳沢敦、鈴木隆行のコンビを外し、今大会1分もプレーしていない西澤明訓と本来は中盤の選手である三都主アレサンドロ(アレックス)をトップに起用しました。

前半戦、日本はワールドカップで始めて味わう“勝利しかない”一発勝負の方式ということもあり相手の出方を見守ります。
一方のトルコは積極的に攻めて日本陣内にどんどん入り込んで行きます。守る日本、攻めるトルコの図式が出来あがった前半11分、日本はバックパスでトルコの攻撃を止めようとしますが、中田浩がまさかのパスミスでコーナーキックに。そして迎えた前半12分、左からのコーナーキックを打点の高いユミト・ダバラに決められて0-1。トルコ先制。その後アレックスがフリーキックからゴール枠を直撃するシュートを放ちましたがトルコの牙城は崩せず。前半はそのまま終了。

後半戦、1点リードされた日本は積極的に攻め、何度か西澤が得意のボレーシュートで狙いますが、明らかに精度を欠いたボレーは尽く枠外へ。その他にもチャンスをありましたが、後にこの大会の活躍が認められてバルセロナに移籍したGKルストゥに阻まれてゴールならず。
後半終了間際、ゴール前でフリーキックを得た日本は小野伸二の右足に懸けますが、ボールは無常にもトルコDFにクリアされて勝負あり。ピエルジ・コッリーナ主審のホイッスルが鳴り、45,666人のサポーターが見守る中、雨が降りしきるピッチで日本が散りました。この試合を最後にトルシエジャパンは解散しました。

決勝トーナメント1回戦
日本0-1トルコ

2002FIFAワールドカップ通算成績
2勝1分け1敗 得点:5 失点:3 ベスト16

 



以上、5年前の今日でした


02/6.14 チュニジアvs日本、回想録

2007-06-14 19:27:41 | レポート

2002年6月14日PM3:30。ここまで1勝1分けでグループH首位を走る日本は、大阪長居陸上競技場で最下位のチュニジアと対戦。日本は勝つか引き分けで、チュニジアは2点差以上の勝利で決勝トーナメント進出という条件の下、太陽が照りつけるピッチで戦いました。

前半戦、2点取らなければならないチュニジアは第1戦で同点ゴールを決めた鈴木隆行、第2戦でアシストをした柳沢敦をマークしますが、積極的に攻撃を仕掛けることはありませんでした。日本はそんなチュニジアを得意のパスワークで積極的に攻めたて試合を支配。ゴールこそ奪えなかったものの、日本優勢で試合は後半戦へ。

後半戦、日本のフィリップ・トルシエ監督が柳沢と第1戦、第2戦でゴールを上げた稲本潤一に代えて森島寛晃と市川大輔を投入。
後半3分、この采配が日本に先制点をもたらします。市川スローインから中田英寿、鈴木と繋がり、最後は森島がゴール。森島のファーストタッチがチュニジアゴールに決まり0-1。日本が先制点を上げて初の決勝トーナメント進出を近づけます。
ゴール後も日本の優勢は続き、チュニジアは日本特有の気候に苦しめられて運動量が減っていきます。チュニジアの体力も限界に近づいた後半30分、市川のセンタリングを中田英がタイビングヘッドで決めて0-2。相手ディフェンスの踵に唇をぶつけながらもシュートした中田英の気迫溢れるプレーによって、日本が決勝トーナメント進出をほぼ手中に収めました。

その後、チュニジアも意地の反撃を開始しますが、宮本恒靖を中心とした守備陣が抑えこみゴールを許しません。後半39分、決勝トーナメントのことも考えてか、トルシエ監督は中田英を下げて小笠原満男を投入。その小笠原は一度ロングシュートを放ちますがゴール枠を超えてワールドカップの舞台でのプレーを終えました。
試合はこのまま終了。45.213人の前で日本が首位で決勝トーナメント進出を決めました。

グループH第3戦
チュニジア0-2日本
ベルギー3-2ロシア

グループH最終順位
1位 日本      勝ち点:7 得点:5 失点:2 得失点差3
2位 ベルギー  勝ち点:5 得点:6 失点:5 得失点差1
3位 ロシア     勝ち点:3 得点:4 失点:4 得失点差0
4位 チュニジア 勝ち点:1 得点:1 失点:5 得失点差-4

                    


以上、5年前の今日でした。


02/6.09 日本vsロシア、回想録

2007-06-09 21:45:17 | レポート

2002年6月9日PM8:30。埼玉で勝利を収めた日本は舞台を横浜に移し、グループH首位のロシアと対戦しました。

第1戦、誰もが敗北を覚悟した展開の中で鈴木、稲本のゴールによってベルギーと引き分けた日本は、グループHの大本命であるロシア相手に攻守ともに互角の戦を披露。
ベテランのオノプコをはじめ、背の高い守備陣で望んだロシアのディフェンスに苦しめられた日本でしたが、負傷した森岡に代わりに入った宮本恒靖を中心とする日本守備陣もロシアの猛攻を押さえ込み、前半は0-0

後半戦、開始6分。中田浩のパスを柳沢敦がトリッキーなプレーで稲本潤一にパス、オフサイドギリギリにところから抜け出した稲本のシュートがロシアの牙城を崩して1-0。ワールドカップの舞台で日本が先制点をマークしました。
一方、1点決められたロシアはその後怒涛の攻撃を仕掛けますが、第1戦の反省を活かし一歩引いて守る日本の守備陣はロシアの攻撃をシャットアウト。一度、楢崎正剛が抜かれ無人のゴールに決められそうになりますが、ロシアフォワードの体がついていかず、難を逃れます。
日本も中田英寿を中心に攻め、一度中田英の強烈なミドルシュートでロシアゴールを脅かしましたがゴールならず。両者一歩も引かずに試合は進み、90分の死闘が終わった段階でスコアは1-0。第1戦より多い66.108人が横浜国際総合競技上に集った試合で日本がワールドカップ初勝利を飾りました。

尚、この試合の翌日にロシアサポーターと日本サポーターが飲食店で暴動騒ぎを起こしたことが判明しました。

グループH第2戦
日本1-0ロシア
チュニジア1-1ベルギー

グループH第2戦順位
1位 日本     勝ち点:4 得点:3 失点:2 得失点差1
2位 ロシア     勝ち点:3 得点:2 失点:1 得失点差1
3位 ベルギー  勝ち点:2 得点:3 失点:3 得失点差0
4位 チュニジア 勝ち点:1 得点:1 失点:3 得失点差-2

  



以上、5年前の今日でした。