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Porsche Carrera GTS 1964 -- 日本レース界の夜明けの一台。

 

1/12 Porsche Carrera GTS - Porsche 904 winning machine of Japan Gran-Prix 1964. I have once seen actual this special race car in 1968 in the owners house garage. The owner was the winning driver as well as owner of the car. He was a rich doctor’s kid. I was a band player for the garden party and then had a chance to see that. I also recall there were a lot of beautiful bikini girls around the pool.  A historical piece. 

昨年亡くなった式場壮吉氏が1964年の第二回日本グランプリGT-IIクラスで優勝を飾ったポルシェ・カレラGTS(ポルシェ904)の1/12モデル。

雨の予選でクラッシュし、ノーズを破損したため応急処置した跡の黒いテープが再現されている。決勝の生沢徹氏のスカイラインS54Bとの壮絶な死闘は日本レース史上に残る壮絶な戦いとなった。

ポルシェ904のミッドシップの生粋のレースカーの地を這うような走りに対し、腰高の四角い4ドアセダンのスカイラインGTを生沢がテクニック満載の四輪ドリフト走行で追いかけ回す姿は強く観客の印象に残り、いわばあの「スカイライン伝説」の初めの一歩であった。

↓ 生沢徹氏のスカイラインGT(S54B)

実は式場氏と生沢氏は仲良しであり最初だけ抜かせてあげた?とかの密約があったとかなかったとか?いろいろな噂もある。プリンス開発責任者のかの櫻井眞一郎氏はエイとダックスフントのようなもので見た瞬間に勝てるわけないと思ったそうだ。そのプリンスは次の日本GPで打倒ポルシェを果たすべく、日本初のプロトタイプレースカーのR380の開発に至った。

勝った式場氏より負けた生沢氏とスカイラインが日本中に注目されることとなり、そんな結果をのちに式場氏は苦笑いして懐古している。 

さてそんな歴史に残る名車、実は1968年に一度見たことがある。

以前にも触れたが、中学のある夏、式場宅のプール開きにバンドマンで飯付きノーギャラで頼まれた時にのこと。有名な病院の御曹司たる式場氏の家は玄関から邸宅まで坂を登ってしばらく走るような広大な土地にあり、その途中に数台入るガレージがあってロールスロイスなどに混じってその中にこの歴史的一台が入っていた。もともとレースのホモロゲ取得のために110台程度しか作られていないので、日本に多分1台で、ましてや前述のような歴史に残る一台。(後で知ったが実は式場氏が三和を通して購入した一台だったらしい。恐らくスゴイ金額だったと思う。)

クルマを見た感動に一人酔いしれたその後、演奏の準備で現場に行くと、プールにはビキニ美女がワンサカワンサカ!まるでレナウンのCM。

式場氏ったら・・・よりどりみどり黄みどり五月みどり。

ちなみにその式場氏があの欧陽菲菲さんとご結婚なされたのは はるか後のこと。

マネジャー役の先輩のお父さんがあつらえたチョットダサめのボタンダウンのシャツにおそろいのバミューダのユニフォーム。バンドの名前は確か・・・ザ・ジェミニ。(クルマのジェミニはそのころまだないのでそれでなく、アメリカの宇宙飛行計画ジェミニからお父さんが引用。)

演奏曲は主に単純ロックンロール。GSコピーまでマネジャーの趣味嗜好で演奏。

すごいクルマと美女と豪華なケータリングのお食事。夢のような夏の1日でありました。

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