HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

染め工の夏は続く。

2021-07-07 06:45:27 | Weblog
 コラムタイトルにちなんで博多のことを書こう。7月と言えば例年、博多祇園山笠が幕を開ける(期間は1日〜15日)。男衆が担いで博多の街を疾走する「舁き(かき)山」は、新型コロナウイルスの影響で今年も中止となった。だが、祭りのモニュメント、「飾り山」は、2年ぶりに復活。博多の街角から天神の繁華街まで、14の山がお目見えしている。

 各飾り山はそれぞれテーマ(標題)があり、表側と見送り(裏)で内容が異なる。子供の頃に見た印象では、下川端通りや新天町の飾り山は多くの買い物客の目に触れるため、表は歴史的な事柄、見送りはその年のトレンドをテーマにしていた。

 人気アニメなどは版権があるので簡単にいかないが、筆者が小学生の頃はウルトラシリーズがヒット中で、下川端通りでは「ウルトラセブン」がテーマとなった。1967年だったか。しかも、主人公モロボシ・ダン役の森次浩司(現:森次晃嗣)さんが来福し、山の傍でサイン会を行ってくれた。暑い最中、ウルトラ警備隊の衣装のまま汗だくなりながら、ひたすらサインを書き続けていた様子は、今も鮮明に憶えている。

 博多祇園山笠振興会がよくTBSの人気キャラとタイアップできたと思う。円谷プロや局側との交渉に代理店が絡んだかは、小学生の自分にわかるはずもない。ただ、それだけ山笠のマーケティング効果に期待があったのだろう。その後もテレビ番組に登場したキャラクターがテーマになったし、今年も渡辺通りの飾り山では見送りにアンパンマンが登場している。

 ただ、山笠の醍醐味はやはり舁き山だ。昨年に続き中止になったが、例年なら7月10日から博多の街中を走り始める。10日がウォームアップの「流舁き」、11日早朝が「朝山」、11日午後が他の流のエリアに出ていく「他流舁き」、12日がフィナーレ追い山の予行演習である「追い山ならし」、13日は山笠が博多から福岡に越境する「集団山見せ」、14日が各流のエリアを走る「流舁き」、そして15日早朝がフィナーレ「追い山」となる。

山笠の装束は各流がセンスを競う

 山笠のスケジュールはざっとそんなところだが、このコラムとして押さえておきたいのはやはり山笠の装束、いわゆるオリジナルのウエアやグッズだ。上から手拭い(てのごい)、水法被、腹巻、締め込み、舁き縄、脚絆、地下足袋でフルアイテムとなる。また、舁き山以外の行事に参加する時には「長法被」スタイルが正装となる。



 手拭いは舁き手によって色や柄が異なるが、それは山笠を運営する役職を意味する。若手、いわゆる役なしは一般手拭いで、各流、その年度によって意匠=デザインが変わる。手拭いの色が赤になると山笠の取締役補佐を指し、各町内で認められたものだけが「赤手拭い」を締めることができる。他にも取締、町総代、総務など各役職で色が変わっていく。また、舁き山が走る時に安全確認や運行司令などの役割示すたすきも4種類ある。

 若手はまず赤手拭いを締められるようになることが目標で、同級生の女子が周囲に「あいつが赤手拭いになったとよ」と語ってくれれば、それは山笠とともに年齢を重ね、それなりの経験を元に祭りを取り仕切る立場になったことを意味する。博多の男衆にとってある種のステイタスなのが赤手拭いだ。



 水法被は、各流でも町内ごとにデザインが異なる。筆者は住まいが古門戸町で「大黒流」に所属。幼稚園時代までは町名が「妙楽寺」で、前立てに毛筆系の行書体で「妙」の文字が書き上げされたものを着ていた。1966年に古門戸町に変わり、前立てには「古ノ一」とか「古ノ二」、背中には「古」が使われるようになった。こちら毛筆の書体で掠れ文字(古ノ一)とそうでないもの(古ノ二)があり、デザイン的には甲乙つけがたかった。



 隣の「土居流」はほぼ全町が、紺地に文字を白抜きしたもの。ボトムの締め込みが白や紺、その下につける脚絆や地下足袋が紺だから、コントラストが強く目立つ。子供の頃は、ファッション的にそっちの方がカッコ良く見えて、ずいぶん憧れたものだ。

 締め込みは、いわゆる褌である。山を舁く間はずっと勢水(きおいみず)をかけられるため、ずぶ濡れになっても緩まないように厚手の綿が使われる。色はほとんどが白だが、紺もある。相撲のまわしほどではないが、やや生成りがかった分厚いものもあり、締めるとそちらの方が緩みにくいと感じた。まあ、なぎら健一が唄った「悲惨な戦い」のような光景は、まずないのでご安心を。

 舁き縄は山笠を担ぐ時に舁き棒にかける。背丈によっても変わるが、140cm程度だ。今は市販もされているが、子供の頃は町内会の重鎮が荒縄を使い、ライターの火で炙って形を整え手作りしてくれた。脚絆はすねをガードするもので、地下足袋は山を舁く時にしっかり足元を固定する。足の裏にゴム底がつき、親指と残りの二股に分かれており、地面に吸い付くので踏ん張りも効く。非常に機能的な履き物と言える。

 明治期にそれを開発したのが福岡久留米で創業した日本足袋。後のアサヒシューズで、ここからタイヤメーカーのブリヂストンが分社化した。つまり、地下足袋は明治期に使用され始めたことになり、770年余りの歴史を持つ山笠では、比較的新しいアイテムということになる。


染め織りが魅せる意匠はまさにアート

 こうしてみると、山笠の装束は機能性を持ちながら、ファッションとしても権威や主張、粋さを併せ持つ。日頃は巷のアイテムにあれだけ「ダサい」とか、「カッコ悪い」と言いたい放題の自分も、山笠では決してそうは感じないから不思議だ。やはり伝統の素材が使われ、紺屋や織物の技に裏打ちされたもの。それが男衆の心意気を掻き立てるとでも言おうか。文化としてのファッションは洋の東西を問わず、ダサくはないということだろう。

 また、法被のカッコ良さは文字や文様のデザイン、染めによるところもある。通常、祭半纏では、背中の文字がほぼ中央にレイアウトされるケースがほとんど。ユニクロ淺草のオープンで東京力車に提供されたものがいい例だろう。ところが、水法被では白地の場合、各町内を表す文字はほとんど右下がりの斜めに配置される。文字の大きさにもよるが、法被の後身ごろに収まらないほど(文字が切れる)大胆なレイアウトもある。

 土居流のように白抜き文様は連続柄が特徴だ。図柄は単純な市松模様から地区名の漢字を意匠化したように見えるものまで。柄のルーツは諸説あるとは思うが、規則正しく繰り返されるのは博多織の献上柄の影響もあるのか。水法被は着物のように用尺は必要ないのだが。

 知り合いのカメラマンが撮った写真を見ても、男衆の後ろ姿を切り取るアングルはベストショットが多い。大胆な書きあげ文字、白抜きされた文様が描かれた水法被はずぶ濡れになっても、こしのある素材がしっかりと体に馴染み、山笠に賭ける思いを映し出すからだ。

 筆者は子供の頃からこうした文字のタイプフェイスや文様のレイアウトに触れたことで、グラフィックやファッションの仕事をする上で、少なからず表現面に影響していると思う。今見ても、法被のカリグラフィーや連続的な図柄はデザイン的に完成度が高いと思うし、子供の頃にそれらに触れたことは勉強になったと思う。

 水法被の染めは各流でいろいろだ。白地に紺の文字で書き上げるタイプは、捺染(なっせん)、ハンドスクリーンになる。染める文字や文様をナイロン織りのメッシュ状に製版し、その型枠に張ったメッシュの上に染料をおいてスクイージーで伸ばしてく方法だ。土居流の染め抜きはおそらく、ネガポジ状の版を使っているのか。長法被は染め抜きというより、久留米絣なので、紺と白の糸による織物だと思われる。

 捺染は一枚一枚手で生地に刷り込んでいく方法で、書き上げ文字の場合は文字の部分だけ紗の状態で残す。現在では文字や文様もコンピューターのCADデータでストックされているだろうし、作業もやりやすくなっているのではないか。余分な糊や染料を洗い落とさずに済むのなら、環境にも優しい。

 舁き山は中止となったが、博多山笠の歴史は1000年、1500年と続いていく。その中で、手拭いや法被といった染めの技術も近代化しながら受け継がれていくと思う。先日、従来比で水の使用量を減らせる低浴比染色機も開発されたとのニュースを目にした。伝統の祭りを陰で支える染め工さんたちの暑い夏は続きそうだ。
 

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