2020年が明けた。昨年5月に年号が代わり、令和ニ年である。アパレル業界について言えば、あまりにネガティブな要素が多く、先行きは見通せない。「ITによる効率化が加速」「単価は低下したまま」「増税による購買意欲の減退」「ECからC&C、D2C、C2Mへ」「オフプライスストアの参入」等々。今年も続くであろう不安は、挙げればきりがない。
昨年9月、デイリー新潮に以下のような記事が掲載され、注目を集めた。小島ファッションマーケティングの調査によると、「2017年、衣服の供給量は約28億点だったのに対し、消費量は半分の約14億点。約14億点が余剰在庫となり、過去最高に達した」と。
記事は余剰在庫が増え続ける理由として、「バブル崩壊以降、景気の悪化やファッションへの関心の低下にともない、とにかく価格の高い商品は年を追うごとに売れなくなっています。(中略)アパレル企業が採った対策として、値段の安い服を大量生産&販売することで売り上げを維持、拡大しようとしたのです」と、識者の解説を載せている。
アパレルは昨今、安さを追いかけるあまりに、原価率を圧縮してきた。その結果、同じような企画になってしまい、素材や色、デザインによるテイストはほぼ似通っている。ブランド名は違えど、同質化した商品が店頭に並べば、お客さんは選択肢が限られる。いくら安いからと言って、価格の他に魅力がなければ、何枚も購入しない。余剰在庫が膨れ上がるのは当然である。
年間で14億点もの商品が売れ残っているのは、もはや常軌を逸している。アパレル業界ではこれまで「ABC分析」や「クイックレスポンス」など、経営指南はあまたあった。にも関わらず莫大な余剰在庫を出しているのは、それらが全く機能していないことを意味する。経営論もクソもあったものではない。
記事では詳しく触れてはいないが、どんな商品が大量に売れ残っているかは、細かく分析しなければならない。「原価率の圧縮」「市場ニーズとのギャップ」「慢性的な供給過剰」「膨大なロスの価格転嫁」等々。大量に売れ残るのは何が理由で、どこに問題があるのか。アパレルが平成時代から抱える数々の課題はあまりに重たいが、令和ではこうした構造的な問題からの脱却を宣言する企業の登場が待たれる。
でも、「どこから手を付ければいいのか難しい」が率直のところだろう。ならば、まずは大量生産による売れ残りロスを減らすことから始めるべきないか。イージーな企画で他社も作れるような商品はこれ以上作らないか、減らしていくべきだ。 少しでも余分な在庫を減らすことで、値引き販売が抑えられる。その分を原価に乗せれば、商品のクオリティが上がるから、お客さんが買ってくれる公算は高い。
また、春先の天候不順や夏の猛暑、暖冬などから、従来の企画サイクルでは通用しなくなったのも明らかだから、機会ロスより残品ロスを考えるべきなのだ。これはエンドユーザーだけではなく、卸先の小売店やバイヤーが何より敏感に感じるはずだ。
受注生産に舵を切る勇気
世界的にはエコやSDGsに取り組むアパレルもある。いろんなブランドが乱立し、ファストファッションが幅を利かせる中で、売れ残りロス抑制の実現可能性をいぶかる声は多い。1社が10%でも残品処分を減らせれば、地球環境への負荷は大きく低減する。それが結果的にアパレルの収益を好転させるのだ。
消費者の立場では、ECで商品を購入するようになって20年ほど。そこで切実に感じるのは、自分が欲しくなる上質で高感度な商品は、他の人もそう考えて購入するのか、欠品や完売が多い。しかも、値ごろ感のあるものは、ほとんどプロパーで売り切れている。そんな商品は、メーカー側も売れ筋にはならないと端から生産を抑えている。お客としては中々、手に入れることができず歯がゆい思いをするが、ビジネスとして考えれば残品処分ロスを抑えているのだから、いいことでもある。
やはり、リアル、ネットを問わずに商品を探すお客さんは目が肥えている。だから、どこも作るような売れ筋には飛びつかない。購入するにしても、店頭受け取りなどで商品を確かめて決定している。現物を見て、原価をかけてきちんと企画し、しっかり作った商品かどうかをを見極めている証左だ。そうしたブランドは、小売りにとっては1着当たりの利益は決して多くない。しかし、お客さんはそうした商品を求めているからこそ、売れるのである。
それでも、完売しなければ在庫は残るわけだが、それを解消する究極のビジネステクノロジーが登場した。昨年から多方面で言われている既成服から転換した「C2M(customer to manufactory)」である。直訳すれば、工場からダイレクトに消費者に商品を届けるというもの。現状ではまだメンズスーツを主体としたパターンオーダーに止まるが、英国調やクラシコイタリアなどの基本パターンと、A、B、Yの体形別、3サイズをデジタルデータに落としんでおり、採寸から納品まで1週間の早業で商品を提供する。
小売り側は在庫を持たず受注生産できるので、ロスを出さない。お客さんは自分で素材やデザインを選べるので、納得いくスーツが購入できる。何より価格に売れ残りロス分が転嫁されていないから、自分の体形にあったものを値ごろな価格で入手できる。一般のアパレルや小売りにもこうした仕組みが少しずつ浸透していくのではないかと思う。
デザイナーが考えた構図をサイズ別の基本パターンに落とし込むこと。これはデジタル化が図られるようになった。つまり、布帛アイテムは反つぶしだからサンプルのみ作って、あとはお客さんから受注をとって生産すれば、売れ残りロスは抑えられる理屈になる。ニットではすでに基本のデザイン、色、素材を決めて、後はお客さんがそれらの中から自由に選んでセーターをオーダーする仕組みができ上がっている。一般の布帛アイテムにも導入されるのは、そう遠くないと思う。
アパレル=量産=売上げという化石のような理屈から決別する。受注生産に舵を切る勇気をもつこと。そんな新しいビジネスモデルを確立できて、お客さんに認められたところが、世界をリードしていくのかもしれない。少なくとも前向きに考えていくことが業界全体を活性化させるのではないか。令和2年はそんな糸口をつかむ年にしたいものである。
服が人の心を豊かにする
一方で、こうした仕組みを「ファッション文化」の側面から考えていくことも必要だ。どうしてもビジネスで考えると、コストだの、効率だの、ロスだのといった要件が絡んで来る。それでは中々、前に進めない。だから、カネが絡む売上げや儲けを抜きにした「文化」として捉え、自由な発想の「もの作り運動」を起こしてもいいのではないかと思う。
人は誰しも想像する。「こんな服があったら、着てみたいな」。そんな夢を国や業界を挙げて叶えてあげるプロジェクトとでも言おうか。一例として、小学生から中学生、高校生、専門学校、大学生、大学院生、そして主婦やOL、マチュア、シニアと年齢や階層別に「こんな服が着てみたい、作ってみたい」という「企画アイデア」を募集する。その中から選考の上に採用された企画に添って実際の服に仕上げるのだ。
ポイントは応募者が考えたアイデアや特長を「糸」から「染め」「テキスタイル」「資材」「加工」「縫製」まで服づくりの各工程で際立たせること。例えば、小学生ならアニメのキャラクターが着るような服を着てみたいと思う。それはそれでいい。そこで、素材がエナメル系なのか、動き回っても窮屈に感じないストレッチ系か、はたまた通気性を持たせるのか。いろいろ試作しながら企画者本人に試してもらい、本当に面白くて、カッコ良くて、着やすい服を完成させていくのだ。
これが大学院生レベルになると、素材開発からしてみたいのではないか。例えば、縫製を必要としない=端切れが出ない究極の服の開発とかだ。3Dプリンターで、繊維屑を吹き付けて作る服もあるかもしれない。縫わないでいいシームレスのウエアを開発したい学生もいるだろう。メーカーが一緒に参画して開発し、国は補助金を出せばいい。実際、米国のMITとFITではすでに研究が進んでいる。
シニアになれば、ユニバーサルデザインも考えられるが、終末を迎えるとなれば、自分が若かりし頃、お金がなくて買えなかった服を死ぬ前に一度着てみたいとのメモリアルクローズもあるかもしれない。着やすくて、動きやすくて、体温調整も効くといった機能性に加え、「着心地がいい」「カッコいい」「お洒落」などのエモーショナルな要素がプラスされて、服は文化の一部となる。
こうした夢や自己実現に対し、各工程に携わる企業が全面的にバックアップすることで、それぞれがもつ技術や技能がクローズアップされると思う。そのプロセスは継続してネットで公開すればいい。「本当に着てみたい服を作るには、これほどの企業や人々の助けがいるんだ」。服が人間の技と英知が生んだテクノロジーで生産されていくことを多くの人々が認識すれば、アパレル業界が今一度見直されるはずだ。
それは低コストで安く作ることが企業や働く人、持てる技術をいかに疲弊させているか。SDGsという流れに対し、自戒をこめて見つめ直すきっかけにもなる。服を作りたい側も、服を作る側も、本当に納得いくものに出会えてこそ、ファッションが多くの人を喜ばせ、心を豊かにするという文化的な一面に気づくのだ。こうした取り組みや活動が実現できてこそ、新しい時代に相応しいファッション文化が醸成されるのではないかと思う。
「また、夢のようなことを言って」と。いや、初夢では終わらせない気概があってこそ、もの作りの楽しさや達成感が味わえる。それが文化であり、ファッションの良さだ。ビジネスとは別の次元で考えながら、携わる人々の苦労や力を改めて見つめ直す1年にしないといけないと思う。
昨年9月、デイリー新潮に以下のような記事が掲載され、注目を集めた。小島ファッションマーケティングの調査によると、「2017年、衣服の供給量は約28億点だったのに対し、消費量は半分の約14億点。約14億点が余剰在庫となり、過去最高に達した」と。
記事は余剰在庫が増え続ける理由として、「バブル崩壊以降、景気の悪化やファッションへの関心の低下にともない、とにかく価格の高い商品は年を追うごとに売れなくなっています。(中略)アパレル企業が採った対策として、値段の安い服を大量生産&販売することで売り上げを維持、拡大しようとしたのです」と、識者の解説を載せている。
アパレルは昨今、安さを追いかけるあまりに、原価率を圧縮してきた。その結果、同じような企画になってしまい、素材や色、デザインによるテイストはほぼ似通っている。ブランド名は違えど、同質化した商品が店頭に並べば、お客さんは選択肢が限られる。いくら安いからと言って、価格の他に魅力がなければ、何枚も購入しない。余剰在庫が膨れ上がるのは当然である。
年間で14億点もの商品が売れ残っているのは、もはや常軌を逸している。アパレル業界ではこれまで「ABC分析」や「クイックレスポンス」など、経営指南はあまたあった。にも関わらず莫大な余剰在庫を出しているのは、それらが全く機能していないことを意味する。経営論もクソもあったものではない。
記事では詳しく触れてはいないが、どんな商品が大量に売れ残っているかは、細かく分析しなければならない。「原価率の圧縮」「市場ニーズとのギャップ」「慢性的な供給過剰」「膨大なロスの価格転嫁」等々。大量に売れ残るのは何が理由で、どこに問題があるのか。アパレルが平成時代から抱える数々の課題はあまりに重たいが、令和ではこうした構造的な問題からの脱却を宣言する企業の登場が待たれる。
でも、「どこから手を付ければいいのか難しい」が率直のところだろう。ならば、まずは大量生産による売れ残りロスを減らすことから始めるべきないか。イージーな企画で他社も作れるような商品はこれ以上作らないか、減らしていくべきだ。 少しでも余分な在庫を減らすことで、値引き販売が抑えられる。その分を原価に乗せれば、商品のクオリティが上がるから、お客さんが買ってくれる公算は高い。
また、春先の天候不順や夏の猛暑、暖冬などから、従来の企画サイクルでは通用しなくなったのも明らかだから、機会ロスより残品ロスを考えるべきなのだ。これはエンドユーザーだけではなく、卸先の小売店やバイヤーが何より敏感に感じるはずだ。
受注生産に舵を切る勇気
世界的にはエコやSDGsに取り組むアパレルもある。いろんなブランドが乱立し、ファストファッションが幅を利かせる中で、売れ残りロス抑制の実現可能性をいぶかる声は多い。1社が10%でも残品処分を減らせれば、地球環境への負荷は大きく低減する。それが結果的にアパレルの収益を好転させるのだ。
消費者の立場では、ECで商品を購入するようになって20年ほど。そこで切実に感じるのは、自分が欲しくなる上質で高感度な商品は、他の人もそう考えて購入するのか、欠品や完売が多い。しかも、値ごろ感のあるものは、ほとんどプロパーで売り切れている。そんな商品は、メーカー側も売れ筋にはならないと端から生産を抑えている。お客としては中々、手に入れることができず歯がゆい思いをするが、ビジネスとして考えれば残品処分ロスを抑えているのだから、いいことでもある。
やはり、リアル、ネットを問わずに商品を探すお客さんは目が肥えている。だから、どこも作るような売れ筋には飛びつかない。購入するにしても、店頭受け取りなどで商品を確かめて決定している。現物を見て、原価をかけてきちんと企画し、しっかり作った商品かどうかをを見極めている証左だ。そうしたブランドは、小売りにとっては1着当たりの利益は決して多くない。しかし、お客さんはそうした商品を求めているからこそ、売れるのである。
それでも、完売しなければ在庫は残るわけだが、それを解消する究極のビジネステクノロジーが登場した。昨年から多方面で言われている既成服から転換した「C2M(customer to manufactory)」である。直訳すれば、工場からダイレクトに消費者に商品を届けるというもの。現状ではまだメンズスーツを主体としたパターンオーダーに止まるが、英国調やクラシコイタリアなどの基本パターンと、A、B、Yの体形別、3サイズをデジタルデータに落としんでおり、採寸から納品まで1週間の早業で商品を提供する。
小売り側は在庫を持たず受注生産できるので、ロスを出さない。お客さんは自分で素材やデザインを選べるので、納得いくスーツが購入できる。何より価格に売れ残りロス分が転嫁されていないから、自分の体形にあったものを値ごろな価格で入手できる。一般のアパレルや小売りにもこうした仕組みが少しずつ浸透していくのではないかと思う。
デザイナーが考えた構図をサイズ別の基本パターンに落とし込むこと。これはデジタル化が図られるようになった。つまり、布帛アイテムは反つぶしだからサンプルのみ作って、あとはお客さんから受注をとって生産すれば、売れ残りロスは抑えられる理屈になる。ニットではすでに基本のデザイン、色、素材を決めて、後はお客さんがそれらの中から自由に選んでセーターをオーダーする仕組みができ上がっている。一般の布帛アイテムにも導入されるのは、そう遠くないと思う。
アパレル=量産=売上げという化石のような理屈から決別する。受注生産に舵を切る勇気をもつこと。そんな新しいビジネスモデルを確立できて、お客さんに認められたところが、世界をリードしていくのかもしれない。少なくとも前向きに考えていくことが業界全体を活性化させるのではないか。令和2年はそんな糸口をつかむ年にしたいものである。
服が人の心を豊かにする
一方で、こうした仕組みを「ファッション文化」の側面から考えていくことも必要だ。どうしてもビジネスで考えると、コストだの、効率だの、ロスだのといった要件が絡んで来る。それでは中々、前に進めない。だから、カネが絡む売上げや儲けを抜きにした「文化」として捉え、自由な発想の「もの作り運動」を起こしてもいいのではないかと思う。
人は誰しも想像する。「こんな服があったら、着てみたいな」。そんな夢を国や業界を挙げて叶えてあげるプロジェクトとでも言おうか。一例として、小学生から中学生、高校生、専門学校、大学生、大学院生、そして主婦やOL、マチュア、シニアと年齢や階層別に「こんな服が着てみたい、作ってみたい」という「企画アイデア」を募集する。その中から選考の上に採用された企画に添って実際の服に仕上げるのだ。
ポイントは応募者が考えたアイデアや特長を「糸」から「染め」「テキスタイル」「資材」「加工」「縫製」まで服づくりの各工程で際立たせること。例えば、小学生ならアニメのキャラクターが着るような服を着てみたいと思う。それはそれでいい。そこで、素材がエナメル系なのか、動き回っても窮屈に感じないストレッチ系か、はたまた通気性を持たせるのか。いろいろ試作しながら企画者本人に試してもらい、本当に面白くて、カッコ良くて、着やすい服を完成させていくのだ。
これが大学院生レベルになると、素材開発からしてみたいのではないか。例えば、縫製を必要としない=端切れが出ない究極の服の開発とかだ。3Dプリンターで、繊維屑を吹き付けて作る服もあるかもしれない。縫わないでいいシームレスのウエアを開発したい学生もいるだろう。メーカーが一緒に参画して開発し、国は補助金を出せばいい。実際、米国のMITとFITではすでに研究が進んでいる。
シニアになれば、ユニバーサルデザインも考えられるが、終末を迎えるとなれば、自分が若かりし頃、お金がなくて買えなかった服を死ぬ前に一度着てみたいとのメモリアルクローズもあるかもしれない。着やすくて、動きやすくて、体温調整も効くといった機能性に加え、「着心地がいい」「カッコいい」「お洒落」などのエモーショナルな要素がプラスされて、服は文化の一部となる。
こうした夢や自己実現に対し、各工程に携わる企業が全面的にバックアップすることで、それぞれがもつ技術や技能がクローズアップされると思う。そのプロセスは継続してネットで公開すればいい。「本当に着てみたい服を作るには、これほどの企業や人々の助けがいるんだ」。服が人間の技と英知が生んだテクノロジーで生産されていくことを多くの人々が認識すれば、アパレル業界が今一度見直されるはずだ。
それは低コストで安く作ることが企業や働く人、持てる技術をいかに疲弊させているか。SDGsという流れに対し、自戒をこめて見つめ直すきっかけにもなる。服を作りたい側も、服を作る側も、本当に納得いくものに出会えてこそ、ファッションが多くの人を喜ばせ、心を豊かにするという文化的な一面に気づくのだ。こうした取り組みや活動が実現できてこそ、新しい時代に相応しいファッション文化が醸成されるのではないかと思う。
「また、夢のようなことを言って」と。いや、初夢では終わらせない気概があってこそ、もの作りの楽しさや達成感が味わえる。それが文化であり、ファッションの良さだ。ビジネスとは別の次元で考えながら、携わる人々の苦労や力を改めて見つめ直す1年にしないといけないと思う。