HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

セレクトショップに定義はあるのか。

2014-03-24 14:55:54 | Weblog
 3月17日から22日まで開催された「Mercedes-Benz Fashion Week Tokyo 2014-15 A/W」を観覧してきた。注目のデザイナーは何人かいたものの、全部のショーに招待されるわけではないので、観るコレクションは限られる。

 作品自体はどうしても好きなテイストがあるので、評価に主観がこもってしまう。そのため、この場での論述は避けたい。でも、招待客にはファッション系プレスをはじめ、量販するメーカーやレップなどが駆け付けていた。

 デザイナーズブランドをこよなく愛し、顧客に対して地道に販売する専門店バイヤーも多数招待されていた。これは東コレのクリエーション、デザイナーに対する一定の評価を裏付けるものと言える。

 ただ、バイヤーのほとんどが40歳前後で、20代にはカッコいい服は受けないということも浮き彫りにする。特に外国人デザイナーのクリエーションで、その傾向は顕著に見られる。冷静に考えると、全国どこでもイオンモールがあり、都市部の駅ビルでの展開ブランドは決まっている。20代は見るものが限られるので、しょうがないだろう。

 裏を返せば、セレクティングで提案するショップにとって、味の濃い商品は国内外のデザイナーをおいてはあり得ないということ。では、「真のセレクトショップ」とはいかなるものか。 東コレを見ながらつくづく考えた。

 セレクトショップとは、日本語訳で「編集型品揃え専門店」となるが、はっきりした定義で捉えられているわけではない。かつてのトラッド専門店、サロンブティック、レディス専門店などと、どこが違うのか。

 従来の品揃え専門店は、国内アパレル中心に仕入れ、編集するだけだった。オーナーに店舗経営の意思はあっても、世界観やコンセプトが強く反映されるとまではいかなかった。売れなければ、平気でブランドFCに切り替えるところもあったほどだ。

 1976年、ビームスが原宿に「AMERICAN LIFE SHOP BEAMS」をオープンした。この頃から店の方向性や考え方をしっかり決め、インポートを軸にバイヤーの蘊蓄やこだわりを全面に打ち出す店を、セレクトショップと呼び始めたように思う。

 それはユナイテッド・アローズによって、「世界に通用する良い店とは、品揃え、売場環境、販売スタッフ、顧客……のどれもが、望み得る最高のレベルでそれを達成し、実現すること」という概念が打ち出され、際立っていったように感じる。

 ただ、UAにしても英国製やイタリア製を仕入れてはいたが、メジャーなブランドはエクスクルーシブの問題から扱えなかった。同店はそれを逆手に取り、「ブランドではなく、クオリティを優先する」と訴えて、独自のセレクションを確立した。

 それ以降、日本では手を変え品を変え、様々な「自称セレクトショップ」が登場した。「シップス」「ジャーナルスタンダード」「アメリカンラグシー」「WR」「ボールルーム」「アクアガール」「オペーク」「ル・シェル・ブルー」「アーバン・リサーチ」etc.

 しかし、今日では業態の爛熟期に入り、ブランド力を浸透させられない店は、市場から撤退せざるを得なくなっている。元来、セレクトショップとは、展示会でセレクティングした1点もので勝負するはずなのに、商品が少ないと売上げな伸びないという皮肉な結末を迎えたのだ。

 現在、大手の中には母体がメーカーなら、中国製などのチープなショップオリジナルを投入し、小売りでもOEMやODMを咬ませて、PBをどんどん増やしている。ここまで来ると、もはや「仕入れ」で成り立つセレクトショップとは呼べないだろう。

 逆に中小ではバイヤーが海外のトレードショーで買い付けたり、工場まで向いて自分の目で素材を確かめ、ウエアや靴、バッグなどの別注のを仕掛けたり。自店の顧客をきちんと見きわめて、独自に提案するのは中小の方に多い。

 頑にキープコンセプトを貫き、たとえブランドは同じでも編集力や演出技術で、「似て非なる店」を作り上げているところもある。むしろ、そうした業態こそがセレクトショップではないかと思う。

 世界的にはパリの「コレット」「レクレルール」、ミラノの「アントニオーリ」「ビフィー」、米国の「オープニング・セレモニー」「エヴァ」、日本の「ドーバー ストリート マーケット ギンザ・コム デ ギャルソン」などが代表的だ。

 コレットやアントニオーリは、パリやミラノのコレクションを自店のフィルターを通して理解し、顧客に提案するラグジュアリーかつ高感度なショップだ。ブランド名を全面に出すのではなく、店独自の仕入れと編集技術で1つの世界観を見事に表現している。

 ショップオーナーとバイヤー、そして販売スタッフが同じ感性軸でつながるため、顧客に強烈なセレクションイメージを伝えることができるのだ。

 ドーバー ストリート マーケット ギンザ・コム デ ギャルソンは、プライベートブランドを含め、独自のオリジナリティを発揮する業態。クリエーターである川久保怜が別ブランドとコラボした商品を投入するなど、単なるブランドセレクトションにはない高い付加価値も持っている。

 オープニング・セレモニーやエヴァは、クリエーターのエッジの利いた「カッコいい服」をセレクトし、ニューヨークらしく常に新しさを提案し続ける。また、店づくりも虚飾を排したギャラリー的な空間で、服そのものの存在感を際立たせるのが特徴だ。

 こうした世界の代表的なセレクトショップを見てくると、クリエーションであろうが、リアルクローズであろうが、国内外のメーカーから100%仕入れるもので構成されるというフォーマットは共通する。

 また、1アイテムにこだわりをもって作る専業メーカーを中心に、バイヤーが自分の目で確かめ、別注やオリジナルを扱うにしても、顧客への提案に値する商品を仕入れることが、セレクトバイイングだと思う。

 だから、駅ビルやファッションビルに軒を並べる大手の業態がどこまでセレクトショップと呼べるかは疑問だ。第一、店舗が10店以上になれば、バイヤーがいちいち顧客の顔を浮かべながら仕入れることなんてできない。

 それをきちんと行っていたならば、ビームスやユナイテッド・アローズでの産地や品質の偽装問題も起こらなかったはずだ。純然たるセレクトショップの解釈からは、多店舗化するバーニーズ・ニューヨークやロンハーマンも、ズレて来ているような気がする。

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