5月中旬、アパレルメーカーのワールドが直営の500店舗を閉鎖し、全体の15%にあたる10~15の不採算ブランドを廃止すると発表した。
大手アパレルと言えども、構造的なファッション不況からは抜け出せず、大胆なリストラ策を講じなければならなくなったと言うことである。
経済紙誌系メディアは、かつてのワールドについて「1990年代に入って成長が加速、特にビジネスフォーマットをSPAに転換し、百貨店やSCに売場を確保したことが成長の原動力になった」と伝えている。
それが「リーマンショック以降は、1世帯当たりの被服費支出額が2007年には12,933円だったものが、11,983円に減少するなど、財布の紐が固くなった」こと。
また、「ユニクロのような低価格業態の台頭で、 中価格帯中心のワールドに恩恵は届かない」ことが、不振の原因と分析している。
被服費支出が1000円くらい減少したからと言って、それがワールドが低迷しだした大きな要因とは思えない。ただ、百貨店やSCへのショップ展開が同質化競合を生み、高級品もなく値ごろ感もないワールドは、不採算店を増やしてしまったのは確かだろう。
つまり、いつの間にか量産した中途半端なブランドを消化するだけの出店戦略に陥ってしまったということである。
ネット販売という新たな販路拡大も力不足と言われる。もはやファッションビジネスでは当たり前で、ブランドによってはそれが主力のものもある。こうした戦略への遅れが売上げアップの芽を削いでいるということだろうか。
それも量産在庫の単なる消化チャンネルに過ぎないと見れば、販路拡大することがかえってブランド価値を下げ、陳腐化を招く恐れもあると、個人的には思うのだが。
経済系メディアの論調は、会計レポートや現状を分析し、不振要因を読み取るだけだか。もう少し、ワールドが不振に陥った元凶を考えてみたい。
そもそも、ワールドとはどんなアパレルなのか。これまで受け継がれて来たDNAを見ると、不振脱却のヒントが見いだせるかもしれない。
アパレルメーカーとはファッション衣料を企画製造し、小売店に卸販売する企業を差す。それらを取引先で分類すれば、専門店系アパレル、百貨店系アパレル、量販店系アパレルとなる。
ワールドはもともと専門店系アパレルの部類に入り、繊維や製造産地を背景として神戸に本拠を置き、全国各地の「高級ブティック」と取引して成長した。
いわゆる中高年のお金持ち女性を顧客にもつファッション専門店で、ワールドはそうしたお客をメーンターゲットに上質でリッチ感のあるコンサバ&エレガンスのファッションを提供し、売ってもらってきたのだ。
そうした戦略が日本の高度成長とうまくシンクロし、アパレル、またブランドとしてワールドのステイタスを築いていったと言ってもいいだろう。
「ルイ・シャンタン」のようなブランドはショップ化し、販売力のある専門店にFC経営を任せることで拡大した。一方、「リザ」という小売り業態も開発し、自社ブランド編集による直販体制を整えて、百貨店や商店街への展開にも乗り出したのだ。
営業スタイルは取引先を対象に展示会を行い、商品を仕入れてもらう。従来はその頻度が春夏、秋冬の年2回だった。バイヤーは半年以上前にオンシーズンに何が売れるかを決めて、商品を発注しなければならなかったのである。
ところが、ワールドとは対極をいくDCブランドの登場、ラルフ・ローレンやジョルジオ・アルマーニなどインポートの進出、ヤング向けのセレクトショップやストリートファッションの市場創出等々、ファッションマーケットは時代とともに成熟した。
当然、選択肢が増えてお客の嗜好は多様化し、いろんなテイストの出現で目は肥えていく。マーケットが成熟する中では、大手アパレルと言えど、お客が求める商品を短サイクルで作っていかないと、成り立たなくなったのである。
ワールドがメーンの取引先であった地方の高級ブティックは、市場に成熟により次第に勢いを失っていった。あるものはヤングブランドなどのFC運営に切り替え、あるものは取引条件がゆるい弱小アパレルにシフトしていった。
もっとも、経済系メディアは報道しないが、地方の小売り専門店では、こんな光景がずっと繰り広げられていたのである。
お客:「こんど、PTAがあるから、お洒落なワンピースがほしい」
販売員:「これがいいですよ。メーカーは◯◯◯◯だし」
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お客:「これ、いただくわ。でも、今、お金がないから、来月でいい?」
販売員:「ええ、お得意さんですから…」
ある種、酒販店の商売とも似た部分があるだろうか。酒屋はお客の自宅に酒やビールを届け、空瓶を受け取りに行く時に「ツケ」を回収するスタイル。それをカバーし、現金収入を得るための手段が法律の間をついた角打ちだったとも言えるが。
まあ、ファッション専門店でも、顧客商売として「掛け売り」が行われていたのは事実だ。あるいはクレジットカードがまだインプリンターを利用している時代、購入限度額に達したお客の伝票を1ヵ月先送りしていた店も、あったくらいである。
販売員は売上げがほしい、店側も大目に見る。だが、メーカーに支払う現金はない。景気が良ければ、2~3店舗でそうした問題があっても、全体収益の範囲内でカバーすることはできた。
ところが、成長が鈍化すると、そのしわ寄せはもろアパレルメーカーが被ることになる。営業マンが地方の専門店に集金に行くと、オーナーがレジをあけて「今、お金が無いのよ」と、露骨に言われたという話を聞いたのは一度や二度ではない。
相手は高級ブティックと言えど、中小零細の小売業者。売掛金が回収できずに、焦げ付いたのはニュースにならずとも、相当数に及んでいたのではないか。
こうした状況下で、ワールドは卸部門を縮小する一方、オペークやアクアガールのようなSPA複合型、SPAバイイング型のセレクトショップを開発したが、大半のブランドは完全SPAへと舵を切っていった。
というか、アパレルとして商品を確実に現金化していくには、自社で商品を企画製造し、自社の店舗で販売するというシステムが手っ取り早かったということである。
店頭の情報はPOSによって企画デザイン部門にフィードバックされ、売れている商品はQRですばやくフォローできるから、収益を上げられる。当然、すべて自社ライン上で売上げ管理ができるので、売掛金の回収には困らないし、焦げ付きの心配もない。
こうしてワールドはそれまで手薄だった百貨店市場に食い込み、また値ごろなファミリー向けや雑貨といった業態で、SCにも販路を広げていったのである。
でも、それは卸出身のワールドに販売力が付いたという意味ではない。販売員派遣専門会社まで作ったにしても、販売員という人間は簡単に育たないし、システムが顧客を増やすわけでもない。
小売りのファッション専門店には、代々小売りをやり続けた中でしか培かえない技量があり、その延長線上でお得意さん、固定客、顧客が生まれていくのだ。
百貨店との取引は商品を買い取らない消化仕入れであり、派遣販売員の給料や返品分のコストが価格に転嫁される。さらに長引く不況で、百貨店は売価の低下させるが利益を確保したいがために、アパレルは原価率を圧縮せざるを得なくなっていった。
こうした手法をとる中で、素資材の調達やアジア生産でのコストダウンが助長されるようになり、専門店系アパレル時代と比べると、商品のクオリティも下がっていった。ワールドもこれに近い状況だったはずである。
一方、ワールドは小売り進出で内装費や保証金などの出店コストも嵩んだはずだ。にも関わらず、販路拡大による売上げ増を真の販売力と過信し、収支のバランス感覚が麻痺していったのではないか。今頃になって、不採算店と言い出すのは、あまりに遅過ぎる。
SPAシフトの代償もある。小売りに注力するため、アパレルとしての上質なものづくり、プレステージ性をもつブランド開発、商品のリッチ感が弱体化したことだ。一部はオペークやアクアガールで展開されてはいるが、ファッションとして目立つほどではない。
大半のブランドがSPAにシフトし、POSとQR頼みのビジネスが主導されていく中、そうした商品を購入していたお客は見過ごされ、次第に上顧客の離反を招いたのは否めない。これらすべてがリストラに踏み切らざるを得なかった元凶ではないだろうか。
ワールドの主要顧客だった層は高齢化し、シーズン毎に高級服を買うお客は確実に減っている。ただ、マスマーケットではなくなっているが、まだまだファッションにこだわりをもつ60代、50代は全国各地に存在する。
オペークは丸の内、大阪、京都、広島の4店舗のみ。上質な商品を求めるお客は全国に点在するわけだから、ネットとは違ったアプローチでコンタクトできないものか。
店舗閉鎖やブランド廃止だけなら、それは負の戦略である。少なくとも収益を回復するには、売れて利益が取れる商品を生み出さなくてはならない。
SPAを続けるにしても、「今のファッションはつまらない」と感じている洋服好きの意見に耳を傾けるくらいのことは必要だ。でなければ、もともと小売りをよく知らずに入った袋小路から抜け出すことは容易ではないと思うからである。
バブル崩壊、平成不況、リーマンショックと、景気の低迷はあれど、売れているブランドはある。決して効率に走らず、確かな商品を少しずつ作って売り、確実に利益をとっていく意思が脈々と受け継がれているアパレルブランドは存在する。
小売り側はクレジット審査が厳しくなっている。レジを通さないと、商品は持ち出せない。もう過去の商慣習は通用しないということである。であれば、アパレルにとっての与信環境は改善されているはずだ。
専門店系アパレルの復権とは言わないまでも、そのDNAがワールドの中に少しでも残るのなら、少しずつ増殖することはできないものか。そこから具体的に正の戦略として何をなすべきかが、見えてくるかもしれない。
大手アパレルと言えども、構造的なファッション不況からは抜け出せず、大胆なリストラ策を講じなければならなくなったと言うことである。
経済紙誌系メディアは、かつてのワールドについて「1990年代に入って成長が加速、特にビジネスフォーマットをSPAに転換し、百貨店やSCに売場を確保したことが成長の原動力になった」と伝えている。
それが「リーマンショック以降は、1世帯当たりの被服費支出額が2007年には12,933円だったものが、11,983円に減少するなど、財布の紐が固くなった」こと。
また、「ユニクロのような低価格業態の台頭で、 中価格帯中心のワールドに恩恵は届かない」ことが、不振の原因と分析している。
被服費支出が1000円くらい減少したからと言って、それがワールドが低迷しだした大きな要因とは思えない。ただ、百貨店やSCへのショップ展開が同質化競合を生み、高級品もなく値ごろ感もないワールドは、不採算店を増やしてしまったのは確かだろう。
つまり、いつの間にか量産した中途半端なブランドを消化するだけの出店戦略に陥ってしまったということである。
ネット販売という新たな販路拡大も力不足と言われる。もはやファッションビジネスでは当たり前で、ブランドによってはそれが主力のものもある。こうした戦略への遅れが売上げアップの芽を削いでいるということだろうか。
それも量産在庫の単なる消化チャンネルに過ぎないと見れば、販路拡大することがかえってブランド価値を下げ、陳腐化を招く恐れもあると、個人的には思うのだが。
経済系メディアの論調は、会計レポートや現状を分析し、不振要因を読み取るだけだか。もう少し、ワールドが不振に陥った元凶を考えてみたい。
そもそも、ワールドとはどんなアパレルなのか。これまで受け継がれて来たDNAを見ると、不振脱却のヒントが見いだせるかもしれない。
アパレルメーカーとはファッション衣料を企画製造し、小売店に卸販売する企業を差す。それらを取引先で分類すれば、専門店系アパレル、百貨店系アパレル、量販店系アパレルとなる。
ワールドはもともと専門店系アパレルの部類に入り、繊維や製造産地を背景として神戸に本拠を置き、全国各地の「高級ブティック」と取引して成長した。
いわゆる中高年のお金持ち女性を顧客にもつファッション専門店で、ワールドはそうしたお客をメーンターゲットに上質でリッチ感のあるコンサバ&エレガンスのファッションを提供し、売ってもらってきたのだ。
そうした戦略が日本の高度成長とうまくシンクロし、アパレル、またブランドとしてワールドのステイタスを築いていったと言ってもいいだろう。
「ルイ・シャンタン」のようなブランドはショップ化し、販売力のある専門店にFC経営を任せることで拡大した。一方、「リザ」という小売り業態も開発し、自社ブランド編集による直販体制を整えて、百貨店や商店街への展開にも乗り出したのだ。
営業スタイルは取引先を対象に展示会を行い、商品を仕入れてもらう。従来はその頻度が春夏、秋冬の年2回だった。バイヤーは半年以上前にオンシーズンに何が売れるかを決めて、商品を発注しなければならなかったのである。
ところが、ワールドとは対極をいくDCブランドの登場、ラルフ・ローレンやジョルジオ・アルマーニなどインポートの進出、ヤング向けのセレクトショップやストリートファッションの市場創出等々、ファッションマーケットは時代とともに成熟した。
当然、選択肢が増えてお客の嗜好は多様化し、いろんなテイストの出現で目は肥えていく。マーケットが成熟する中では、大手アパレルと言えど、お客が求める商品を短サイクルで作っていかないと、成り立たなくなったのである。
ワールドがメーンの取引先であった地方の高級ブティックは、市場に成熟により次第に勢いを失っていった。あるものはヤングブランドなどのFC運営に切り替え、あるものは取引条件がゆるい弱小アパレルにシフトしていった。
もっとも、経済系メディアは報道しないが、地方の小売り専門店では、こんな光景がずっと繰り広げられていたのである。
お客:「こんど、PTAがあるから、お洒落なワンピースがほしい」
販売員:「これがいいですよ。メーカーは◯◯◯◯だし」
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お客:「これ、いただくわ。でも、今、お金がないから、来月でいい?」
販売員:「ええ、お得意さんですから…」
ある種、酒販店の商売とも似た部分があるだろうか。酒屋はお客の自宅に酒やビールを届け、空瓶を受け取りに行く時に「ツケ」を回収するスタイル。それをカバーし、現金収入を得るための手段が法律の間をついた角打ちだったとも言えるが。
まあ、ファッション専門店でも、顧客商売として「掛け売り」が行われていたのは事実だ。あるいはクレジットカードがまだインプリンターを利用している時代、購入限度額に達したお客の伝票を1ヵ月先送りしていた店も、あったくらいである。
販売員は売上げがほしい、店側も大目に見る。だが、メーカーに支払う現金はない。景気が良ければ、2~3店舗でそうした問題があっても、全体収益の範囲内でカバーすることはできた。
ところが、成長が鈍化すると、そのしわ寄せはもろアパレルメーカーが被ることになる。営業マンが地方の専門店に集金に行くと、オーナーがレジをあけて「今、お金が無いのよ」と、露骨に言われたという話を聞いたのは一度や二度ではない。
相手は高級ブティックと言えど、中小零細の小売業者。売掛金が回収できずに、焦げ付いたのはニュースにならずとも、相当数に及んでいたのではないか。
こうした状況下で、ワールドは卸部門を縮小する一方、オペークやアクアガールのようなSPA複合型、SPAバイイング型のセレクトショップを開発したが、大半のブランドは完全SPAへと舵を切っていった。
というか、アパレルとして商品を確実に現金化していくには、自社で商品を企画製造し、自社の店舗で販売するというシステムが手っ取り早かったということである。
店頭の情報はPOSによって企画デザイン部門にフィードバックされ、売れている商品はQRですばやくフォローできるから、収益を上げられる。当然、すべて自社ライン上で売上げ管理ができるので、売掛金の回収には困らないし、焦げ付きの心配もない。
こうしてワールドはそれまで手薄だった百貨店市場に食い込み、また値ごろなファミリー向けや雑貨といった業態で、SCにも販路を広げていったのである。
でも、それは卸出身のワールドに販売力が付いたという意味ではない。販売員派遣専門会社まで作ったにしても、販売員という人間は簡単に育たないし、システムが顧客を増やすわけでもない。
小売りのファッション専門店には、代々小売りをやり続けた中でしか培かえない技量があり、その延長線上でお得意さん、固定客、顧客が生まれていくのだ。
百貨店との取引は商品を買い取らない消化仕入れであり、派遣販売員の給料や返品分のコストが価格に転嫁される。さらに長引く不況で、百貨店は売価の低下させるが利益を確保したいがために、アパレルは原価率を圧縮せざるを得なくなっていった。
こうした手法をとる中で、素資材の調達やアジア生産でのコストダウンが助長されるようになり、専門店系アパレル時代と比べると、商品のクオリティも下がっていった。ワールドもこれに近い状況だったはずである。
一方、ワールドは小売り進出で内装費や保証金などの出店コストも嵩んだはずだ。にも関わらず、販路拡大による売上げ増を真の販売力と過信し、収支のバランス感覚が麻痺していったのではないか。今頃になって、不採算店と言い出すのは、あまりに遅過ぎる。
SPAシフトの代償もある。小売りに注力するため、アパレルとしての上質なものづくり、プレステージ性をもつブランド開発、商品のリッチ感が弱体化したことだ。一部はオペークやアクアガールで展開されてはいるが、ファッションとして目立つほどではない。
大半のブランドがSPAにシフトし、POSとQR頼みのビジネスが主導されていく中、そうした商品を購入していたお客は見過ごされ、次第に上顧客の離反を招いたのは否めない。これらすべてがリストラに踏み切らざるを得なかった元凶ではないだろうか。
ワールドの主要顧客だった層は高齢化し、シーズン毎に高級服を買うお客は確実に減っている。ただ、マスマーケットではなくなっているが、まだまだファッションにこだわりをもつ60代、50代は全国各地に存在する。
オペークは丸の内、大阪、京都、広島の4店舗のみ。上質な商品を求めるお客は全国に点在するわけだから、ネットとは違ったアプローチでコンタクトできないものか。
店舗閉鎖やブランド廃止だけなら、それは負の戦略である。少なくとも収益を回復するには、売れて利益が取れる商品を生み出さなくてはならない。
SPAを続けるにしても、「今のファッションはつまらない」と感じている洋服好きの意見に耳を傾けるくらいのことは必要だ。でなければ、もともと小売りをよく知らずに入った袋小路から抜け出すことは容易ではないと思うからである。
バブル崩壊、平成不況、リーマンショックと、景気の低迷はあれど、売れているブランドはある。決して効率に走らず、確かな商品を少しずつ作って売り、確実に利益をとっていく意思が脈々と受け継がれているアパレルブランドは存在する。
小売り側はクレジット審査が厳しくなっている。レジを通さないと、商品は持ち出せない。もう過去の商慣習は通用しないということである。であれば、アパレルにとっての与信環境は改善されているはずだ。
専門店系アパレルの復権とは言わないまでも、そのDNAがワールドの中に少しでも残るのなら、少しずつ増殖することはできないものか。そこから具体的に正の戦略として何をなすべきかが、見えてくるかもしれない。