これから夏に近づくと半袖を着る機会が増え、手首のアクセサリーが目立ってくる。願掛けで数珠なんか付けている男性は意外に多く、こればかりは性別、年齢は関係ないようだ。ただ、筆者は多汗症のため、夏場に時計やアクセサリーを付けると、汗でびじょびじょになり、実にうっとうしい。かといってメタルベルトは汗で皮脂が付着するため、掃除が面倒だ。
レザーベルトは汗染みで劣化が激しく、2〜3年でかん部分の革が切れてしまう。しかも、電池交換の度に時計屋さんから「機械が多少錆びていますが、水仕事が多いですか」と、聞かれる始末。だんだん「汗っかきなもんで」と応えるのが億劫になり、ベルトも電池も交換しないまま、手頃な時計に買い替えるようになった。
それでも、携帯電話やスマートフォンを持ってからは、腕時計自体ほとんど付けなくなっている。腕時計を付けていた時でも、ラグジュアリーブランドには全く縁がなく、ぜいぜい高くてもミラノで買った「リトモ ラティーノ」や「パスクワーレ ブルーニ」くらいだ。
バブル時代に代官山のスーパープランニングが発売したアンティーク風を買ったが、後でそれがロレックスのオイスターを模したものだと知った。同時期に付けていたセイコーアルバのウレタンベルトは、イタリアのウブロをコピーした感じだった。高級ブランド風のデザインが気に入ったのは、後にも先にもこの2つだけである。
今から15年くらい前には「デカ時計」が流行した。米国ブランドのTIMEXやGUESSが外国人の腕に合わせて作ったのか、それとも精巧なメカが必要ないからなのか。その辺はよくわからないが、筆者は手首が細いので、これらも不釣り合いだった。
ただ、パリを訪れた時、たまたま文字盤のデザインで目を引いたのが、全く無名ブランドのデカ時計だった。結局、買わずに帰国すると逆に欲しくなり、ネットで調べて取り寄せた。家族へのお土産にしようと40cm、45cmの2種類、3点を購入したが、「ベルトがダサい」と言われ、キャビネットにしまったままにしていた。
一昨年、久し振りにそれらを引っ張り出して、自分で革を切ってベルトを付け直した。自分としてはこれが意外に気に入り、夏でも出張時には付けるようになっている。というのも、雑貨店がセレクトするミニマルな腕時計を見ると、トレンドが来ているように感じるからだ。
コンランショップやリビング・モティーフ、タムレスコンフォートなんかのショーケースには値ごろな腕時計が並んでいる。価格は2〜3万円程度とそれほど高くなく、ファッションウォッチの感覚で身につけられる。筆者にはそっちの方が合っている。
4月2日付けの繊研PLUSも「ロンドンデザイン、スイスメイドの優れもの(https://senken.co.jp/posts/mwakatsuki43)」というタイトルで、ミニマルなウォッチを取り上げていた。
ロンドン通信員の若月美奈氏が記事中で、「一昔前までは腕時計は服や靴と同じく必需品だったが、スマホを持つようになってからは、なくてもいいものになってしまった。友人たちも同様で、使っていた時計が壊れたり、デザインが古臭く感じたりしてそのまま新しいものを買わずにノーウォッチがフツーになってしまった人がほとんどのようだ」と、書いている。
どうやら腕時計を付けなくなったのは汗かきの筆者だけでなく、スマホを利用する人々全般に共通のようだ。
一方で、若い子の間ではアクセサリー感覚で腕時計を身に着ける傾向もあり、選ぶポイントはやはりウエアと同様にデザインのようである。そんな流れをフォローするかようにヨーロッパから値ごろ感のあるミニマルなウォッチが生まれているわけだ。どうやらトレンドになりつつあるのは間違いないだろう。
ムーブメントはスイスメイドがあるわけだし、日本製のクオーツも技術移転している。ラグジュアリーブランドならケースからオリジナルでデザインし、職人さんが磨き上げて形にしていくが、ミニマルなウォッチならケースは円形のまま、表面処理もクロム仕上げか、ヘアラインで十分である。
サイズのみメンズ、レディスの2〜3種類用意すれば、あとは文字盤のデザインだけ行えば良い。機能も時間がわかればいいので、クロノグラフのような複雑なメカは必要ない。いたってシンプルな構造だから、メーカーからムーブメントさえ供給してもらえば、ファッションやグラフィックの延長線で企画開発できるのだ。ファッションデザイナーなら、ベルトのデザインや用いる革にこだわるかもしれない。
ラグジュアリーブランド、宝飾品の一部としてのドレスウォッチとは一線を画するスタイリッシュな腕時計というコンセプトだ。バブル期にも「ポルシェデザイン」のような時計が露出していた。しかし、キャッシュフローが旺盛な中ではロレックスやオメガ、コルムといった高級時計の前にメジャーになりにくかったのである。
その後も、タグホイヤーなど中価格帯の腕時計がスポーツ選手なんかを広告塔にプロモーションされた。ファッションコングロマリットが傘下に収めるブランドウォッチでは今も派手な広告展開が行われているが、それに飛びつくのは中国の富裕層くらいだろう。
成熟した日本では一時的に株価が上がり、売却益で小金を得た層がステイタスを誇るために購入するくらいで、お金を持たない多くの若者が一点豪華主義で高級時計を購入する環境はない。だから、腕時計もファッション雑貨の感覚で仕掛けた方がメジャーになりやすいと思う。
ファッションウォッチはヨーロッパが先行している。価格帯も下は数千円から上は数万円と実に幅広い。繊研PLUSの記事にあるように「様々な機材が揃った試作や組み立てを行う工房で、空気清浄機が設置され、3Dプリンターを使ってサンプルも制作している」というから、それほど高機能な生産設備は必要ないようだ。
女性向けには雑貨やアクセサリー、男性向けにはステーショナリーの延長線。そういった表現が適切かもしれない。そろそろスマートフォン(スマートウォッチを含む)市場も頭打ち、とすれば、再びアナログな腕時計のマーケットに薄日が射す可能性はある。成熟した中でマスを目指す商品開発は容易ではないが、雑貨やアクセ、ステーショナリーのベクトルなら攻められるのではないか。
雑貨の展示会に行くと、ケースもベルトも手作り感覚の腕時計を見かけるが、ここで言うのはあくまでケースもベルトもカチッとしたスタイリッシュなウォッチのことである。サイズやデザインのバリエーションを増やしてシリーズ展開し、コレクターズアイテムとしての販売機会も増やせそうな予感もする。まずはファッショングッズとして付けたくなる腕時計の復活だろうが。
セレクトショップも商品開発の点でSPAとの差別化は難しくなっている。ウエアは量産化によるコスト吸収で荒利確保ばかりが横行し、誰でもできる政策ゆえに優位性は失われている。仕入れという原点に立ち返るなら、腕時計などの小物が注目されていいはずだ。
こうした瞬間にも本場では次々と新しい時計が生み出されている。意外だが、セイコーも見本市でミニマルな腕時計を発表している。車で言うところのコンセプトカーで市販はされてはいないが、これも非常にスタイリッシュでカッコいい。
日本にはクオーツという技術がある。それを生かしながら、ファッションデザインの感性で腕時計というマーケットを再創造するのも、面白いのではないかと思う。
レザーベルトは汗染みで劣化が激しく、2〜3年でかん部分の革が切れてしまう。しかも、電池交換の度に時計屋さんから「機械が多少錆びていますが、水仕事が多いですか」と、聞かれる始末。だんだん「汗っかきなもんで」と応えるのが億劫になり、ベルトも電池も交換しないまま、手頃な時計に買い替えるようになった。
それでも、携帯電話やスマートフォンを持ってからは、腕時計自体ほとんど付けなくなっている。腕時計を付けていた時でも、ラグジュアリーブランドには全く縁がなく、ぜいぜい高くてもミラノで買った「リトモ ラティーノ」や「パスクワーレ ブルーニ」くらいだ。
バブル時代に代官山のスーパープランニングが発売したアンティーク風を買ったが、後でそれがロレックスのオイスターを模したものだと知った。同時期に付けていたセイコーアルバのウレタンベルトは、イタリアのウブロをコピーした感じだった。高級ブランド風のデザインが気に入ったのは、後にも先にもこの2つだけである。
今から15年くらい前には「デカ時計」が流行した。米国ブランドのTIMEXやGUESSが外国人の腕に合わせて作ったのか、それとも精巧なメカが必要ないからなのか。その辺はよくわからないが、筆者は手首が細いので、これらも不釣り合いだった。
ただ、パリを訪れた時、たまたま文字盤のデザインで目を引いたのが、全く無名ブランドのデカ時計だった。結局、買わずに帰国すると逆に欲しくなり、ネットで調べて取り寄せた。家族へのお土産にしようと40cm、45cmの2種類、3点を購入したが、「ベルトがダサい」と言われ、キャビネットにしまったままにしていた。
一昨年、久し振りにそれらを引っ張り出して、自分で革を切ってベルトを付け直した。自分としてはこれが意外に気に入り、夏でも出張時には付けるようになっている。というのも、雑貨店がセレクトするミニマルな腕時計を見ると、トレンドが来ているように感じるからだ。
コンランショップやリビング・モティーフ、タムレスコンフォートなんかのショーケースには値ごろな腕時計が並んでいる。価格は2〜3万円程度とそれほど高くなく、ファッションウォッチの感覚で身につけられる。筆者にはそっちの方が合っている。
4月2日付けの繊研PLUSも「ロンドンデザイン、スイスメイドの優れもの(https://senken.co.jp/posts/mwakatsuki43)」というタイトルで、ミニマルなウォッチを取り上げていた。
ロンドン通信員の若月美奈氏が記事中で、「一昔前までは腕時計は服や靴と同じく必需品だったが、スマホを持つようになってからは、なくてもいいものになってしまった。友人たちも同様で、使っていた時計が壊れたり、デザインが古臭く感じたりしてそのまま新しいものを買わずにノーウォッチがフツーになってしまった人がほとんどのようだ」と、書いている。
どうやら腕時計を付けなくなったのは汗かきの筆者だけでなく、スマホを利用する人々全般に共通のようだ。
一方で、若い子の間ではアクセサリー感覚で腕時計を身に着ける傾向もあり、選ぶポイントはやはりウエアと同様にデザインのようである。そんな流れをフォローするかようにヨーロッパから値ごろ感のあるミニマルなウォッチが生まれているわけだ。どうやらトレンドになりつつあるのは間違いないだろう。
ムーブメントはスイスメイドがあるわけだし、日本製のクオーツも技術移転している。ラグジュアリーブランドならケースからオリジナルでデザインし、職人さんが磨き上げて形にしていくが、ミニマルなウォッチならケースは円形のまま、表面処理もクロム仕上げか、ヘアラインで十分である。
サイズのみメンズ、レディスの2〜3種類用意すれば、あとは文字盤のデザインだけ行えば良い。機能も時間がわかればいいので、クロノグラフのような複雑なメカは必要ない。いたってシンプルな構造だから、メーカーからムーブメントさえ供給してもらえば、ファッションやグラフィックの延長線で企画開発できるのだ。ファッションデザイナーなら、ベルトのデザインや用いる革にこだわるかもしれない。
ラグジュアリーブランド、宝飾品の一部としてのドレスウォッチとは一線を画するスタイリッシュな腕時計というコンセプトだ。バブル期にも「ポルシェデザイン」のような時計が露出していた。しかし、キャッシュフローが旺盛な中ではロレックスやオメガ、コルムといった高級時計の前にメジャーになりにくかったのである。
その後も、タグホイヤーなど中価格帯の腕時計がスポーツ選手なんかを広告塔にプロモーションされた。ファッションコングロマリットが傘下に収めるブランドウォッチでは今も派手な広告展開が行われているが、それに飛びつくのは中国の富裕層くらいだろう。
成熟した日本では一時的に株価が上がり、売却益で小金を得た層がステイタスを誇るために購入するくらいで、お金を持たない多くの若者が一点豪華主義で高級時計を購入する環境はない。だから、腕時計もファッション雑貨の感覚で仕掛けた方がメジャーになりやすいと思う。
ファッションウォッチはヨーロッパが先行している。価格帯も下は数千円から上は数万円と実に幅広い。繊研PLUSの記事にあるように「様々な機材が揃った試作や組み立てを行う工房で、空気清浄機が設置され、3Dプリンターを使ってサンプルも制作している」というから、それほど高機能な生産設備は必要ないようだ。
女性向けには雑貨やアクセサリー、男性向けにはステーショナリーの延長線。そういった表現が適切かもしれない。そろそろスマートフォン(スマートウォッチを含む)市場も頭打ち、とすれば、再びアナログな腕時計のマーケットに薄日が射す可能性はある。成熟した中でマスを目指す商品開発は容易ではないが、雑貨やアクセ、ステーショナリーのベクトルなら攻められるのではないか。
雑貨の展示会に行くと、ケースもベルトも手作り感覚の腕時計を見かけるが、ここで言うのはあくまでケースもベルトもカチッとしたスタイリッシュなウォッチのことである。サイズやデザインのバリエーションを増やしてシリーズ展開し、コレクターズアイテムとしての販売機会も増やせそうな予感もする。まずはファッショングッズとして付けたくなる腕時計の復活だろうが。
セレクトショップも商品開発の点でSPAとの差別化は難しくなっている。ウエアは量産化によるコスト吸収で荒利確保ばかりが横行し、誰でもできる政策ゆえに優位性は失われている。仕入れという原点に立ち返るなら、腕時計などの小物が注目されていいはずだ。
こうした瞬間にも本場では次々と新しい時計が生み出されている。意外だが、セイコーも見本市でミニマルな腕時計を発表している。車で言うところのコンセプトカーで市販はされてはいないが、これも非常にスタイリッシュでカッコいい。
日本にはクオーツという技術がある。それを生かしながら、ファッションデザインの感性で腕時計というマーケットを再創造するのも、面白いのではないかと思う。