The FLAG イシュー、今回のテーマは「あの広告覚えてる?」について、書くことにする。
The FLAGが投げかけている「ユーザのインパクトを残すには、ビジュアル訴求が重要になってきました」のは、何も今さら始まったことではない。
筆者はプレスプロモーションの仕事をしていく中では、いろんな広告から学んできた。そこで、今でも脳みその片隅に焼き付いている広告ビジュアルをあげながら、背景にあるものを探ってみたい。
ファッションの広告ビジュアルを注意してみるようになったのは、大学生になった頃からだろうか。
授業の行き帰りに見かける駅貼りポスター、百貨店の懸垂幕、新聞や雑誌の広告などだ。もともとグラフィックデザインにも興味があったので、だんだん注意して見るようになった。
渋谷に出かける度にパルコのポスターは見ていたが、それほど印象にも記憶にも残っていない。むしろ、自宅でじっくり見られる新聞広告の方が、今でも脳裏に焼き付いているものが多い。
業界で仕事をしている今、改めて当時の新聞広告を振り返ると、アパレルメーカーがダイレクトに広告を出稿するというより、大手百貨店がブランドの「ハコ」をアピールするものが主流だったように思う。
百貨店の新聞広告と言えば、70年代後半は伊勢丹がリードしていた。派手な広告で一時代を築いたセゾングループが台頭する前だ。伊勢丹はアパレルメーカーとの取引関係から、Calvin Kleinの広告キャンペーンに力を入れており、それが印象に残っている。
コピーライターの土屋耕一氏を起用した一連のシリーズで、広告枠は新聞の10段ほどのスペースを割き、目立つビジュアルとキレのあるコピーが躍った。
ビジュアルの元となるアートディレクションには、ファッションシューティングの旗手、アーサー・エルゴート、カメラマンの吉田大朋や細谷秀樹が参画。今振り返っても、彼らが撮る写真なくしては成り立たなかったように思う。
キャッチコピーは憶えているだけでも、「キャリア・ウーマンにあたる日本語って、なんでしょう。」「パリは、産油国の王妃たちにまかせて。ニューヨークを見つめてみよう。」「着る男は、作った男。」。当時はこんな作風がプレゼンに通ったようだ。
「本家のCalvin Kleinは、どんな広告を作っているのだろうか」。一介の大学生はますます好奇心をそそられ、開港2年目でまだ厳戒態勢が続く成田空港から、ニューヨークに飛び立つまでになった。
現地に着くや、タイムズスクエアのビルボードで目にしたのが、ブルック・シールズがモデルを務めた「Calvin Klein Jeansの広告」だ。「Between me and my Calvins Nothing.」は、当時100ドルを超える高級ジーンズ以上に衝撃的だった。
Calvin Kleinは、ニューヨークコレクションで双璧を成していたNorma Kamaliとともにニューヨークタイムズでも積極的に広告キャンペーンを打っていて、日本でいう15段広告は当たり前のように出稿していた。
タイムズ紙には、Calvin Kleinはアートディレクションを手掛けるブルース・ウェーバーによって、「大人にかなりのインパクトを与えた」「イメージは鋭く、賢く、セクシーで、いつも論争を巻き起こす」と書かれていたのを憶えている。
これは「Calvin Kleinなどの広告が掲載された新聞をぜひ持って帰らないと」と思い、電話帳と揶揄されるニューヨークタイムズの日曜版を購入した。だが、1週間分ほどの束は意外に嵩張り、成田の税関職員にずいぶん怪訝な顔をされてしまった。
新聞広告は日本で大型コピーを取り、額装してしばらく部屋に飾っていたものだ。それからも公私で度々ニューヨークを訪れるようになり、90年代半ば現地で仕事をした頃は、Calvin KleinはMD戦略をカジュアルにシフトし、広告ビジュアルも一新された。
広告で一躍注目の的となったアイテムが「ブリーフ」や「ショーツ」と、チープ路線に転じた「CK Jeans」である。
アートディレクターには、バーニーズなんかでキャスティングの巧さを誇ったニール・クラフトが就任したことで、モデルには全米大人気のラッパー、マーキー・マーク(俳優のマーク・ウォルバーグ)やスウィフトモデルのケイト・モスが起用された。
タイムズスクエアのビルボードでは、ブリーフ姿で上半身ムキムキの男性モデルが街行くニューヨーカーの前で堂々と股間をさらす。さしずめ日本ならどうだろうか。ここまでやると、どこかの団体がJAROにクレームを付けるのではないか。卑猥すぎると。
でも、筆者からみると、不思議といやらしさを感じさせない。そこがCalvin Kleinのビジュアル表現の秀逸さであり、斬新でギリギリの路線を行くからこそ、広告表現として伝える力を増すのだと思う。
こうしたファッションにおけるビジュアル表現の豊かさは、米国ブランドならではなのだろうか。
ファッションの広告ビジュアルでいちばん大切なことは、いかにインパクトのあるものを作るかだ。その点で考えると、米国、特にニューヨークファッションの広告ビジュアルは、パリやミラノのブランドより秀逸と感じる。
ただ、90年代は同じ米国でも、GAPのビジュアルも見逃せない。全米規模で展開した広告戦略は当時としては画期的なもので、今ではユニクロやH&Mも同じ手法をとる「インディビジュアル・オブ・スタイル」である。
媒体もファッション誌ではなく、メジャーな週刊誌やスポーツ専門紙、バス停のアドボードなどを使用。撮影のシチュエーションは、白のホリゾントをバックに1人または数人の著名人がモデルとなって、GAPのウエアを着ているカットだ。
モデルにはハリウッドスターからミュージシャン、スポーツ選手、一般の学生やナイトクラブの歌手、作家までが起用された。そして、それぞれのビジュアルには、商品価格が記載された点も大きな特徴だろう。
アートディレクションも、米国ファッション界で活躍するピーター・リンドバーグ、アニー・リーボヴィッツ、ハーブ・リッツといった写真家、カメラマンが担当した。
タートルネックのカットソーとツータックのチノパン、レザージャケットと胸ポケットの付いたTシャツ、純白のシャツとジーンズ。どれもおろしたての新品というより、着古したお気に入りのアイテムという感じだ。
こうした広告表現には、「GAPは老弱男女が着られて、思い思いの着こなしを楽しめ、日々の暮らしに欠かせないアイテムである」とのメッセージが込められている。日本の広告のような「レトリックなコピー」表現もない。
ビジュアルからは「マスプロダクトでも、着る人間の個性によって、着こなしは画一化しないんですよ」とのストレートな思いが伝わってくる。どこかのSPAの社長兼会長が言っているのと同じことを、GAPははるか前から実践してきたのである。
では、なぜ米国ブランドの広告ビジュアルが目を引くのだろうか。一言で説明するのは難しいが、ファッションが生まれた歴史や土壌と関係があると思う。
欧州のファッションは階級社会の中で生まれ、オートクチュールやプレタポルテの高級服を中心にしたクリエイティビティと職人技の中で、ブランドが育っていった。
だから、多くのビジュアル表現が高級服を買うお客さんを意識し、教会やホテル、遺跡などムードのある「シチュエーション」を重視している。
ところが、米国ブランドはGAPやLEVI'Sに代表にされるように、誰もが着こなせる(階級無し=資本主義的)カジュアルウエアが中心だ。
裏を返せば、どんなメーカーでも進出しやすく、それだけ競争が激しいため、差別化するためには「マーケティング」や「プロモーション」の力が必要になる。
結果として、アートディレクターやカメラマンなど優秀な広告クリエーターも育っていき、彼らによってインパクトのあるビジュアルが作られていくのだと思う。
2000年以降は、売上げが鈍化し経営的に厳しくなった欧州ブランドもそれに気づき、デザインからアングロサクソン系のクリエーターに任せるようになった。もちろん、広告づくりまでも米国の企業に依頼するようになっている。
トム・フォードやマーク・ジェイコブスは米国人、故アレキサンダー・マックイーンは英国人。彼らがクリエイティブディレクターとして商品デザインだけでなく、広告づくりも携わっていたのは、「ビジネスマインドもつアングロサクソン系だから」というのも否定はできないと思う。
まあ、ユニクロが売れている点を販促面から分析すれば、米国企業が得意とするインディビジュアルによる戦略が貢献しているのは、言うまでもないだろう。
特に日本人はブランドが大好きだし、インパクトのあるビジュアルに弱い。日本で買えるのに海外旅行に出かけてもわざわざ同じブランドショップを訪れ、さらにインターネット通販でもフォロー買いしてしまう。
それは派手なビジュアルの背景にある安心感がそうさせているのだと思う。ブランドネームとプロモーションは相乗効果を生み、お客の来店を促すようにショップの付加価値も高めていく。
それがお客の主観に委ねられた曖昧なものであっても、結果的に売れていることを考えると、そういうことなのだろう。
個人的には、欧州ブランドの広告ビジュアルも嫌いではない。中でもアルマーニでは、制作スタッフは撮影の前にロケ地の雰囲気に親しみ、これから始まるストーリーの中に入って、アルマーニの雰囲気を身につけ行くと聞いたことがある。
Photoshopでの加工、Illustratorによる版下づくりと、その後の制作スケジュールなんてお構い無し。何とも悠長なフィニッシュワークだが、だからこそ一般人には近寄り難いブランドの世界観ができ上がり、プレテージ性が高まるのである。
使い捨てのカジュアルブランドにはないクオリティと品格と優雅さ。パースがかかって抜け感のあるビジュアルでそれを見事に訴えているところが、キングオブミラノと言われる所以だろうか。
欧州ブランドと言えるかどうかわからないが、コムデギャルソンの広告表現も気になる。こちらは商品写真を使う方がきわめて少ない。それでいて、ファッションイメージをずっと引っぱり続けているのが凄いのひと言だ。
販促媒体のSixにも商品カタログ的な掲載はほとんどなかった。むしろ、服以外のアーチスト作品をクローズアップすることで、自社のブランドイメージに昇華させる手法をとってきた。
90年代に起用されたアートディレクター、マルク・アトランは、香水のパッケージデザインを担当した。それは日本よりも海外において、ブランドを取り巻くパッケージや包装資材で見事な世界観を生み出し、川久保玲氏の要求に見事に答えたのである。
ディスプレイもインパクトがあった。パリのリッツホテルの階段を使い、透明のプラスティックケースに入れた香水をロゴ入りのビニール袋に入れて並べた手法は、大胆かつ繊細で宿泊客の度肝を抜いたのは言うまでもない。
それがそのまま広告ビジュアルにもなっていた。アーチスト作品をエディトリアルすることで、お客に対しブランドイメージを連想させる手法は、ビジュアル表現の系譜として引き継がれたと言えるだろう。
筆者がコムデギャルソンに引かれるのは、商品そのものより、それを取り巻く一つも二つの捻った素材使い。広告ビジュアルもその一つで、そこに生きづく独特の感性が好きだからである。
The FLAGが投げかけている「ユーザのインパクトを残すには、ビジュアル訴求が重要になってきました」のは、何も今さら始まったことではない。
筆者はプレスプロモーションの仕事をしていく中では、いろんな広告から学んできた。そこで、今でも脳みその片隅に焼き付いている広告ビジュアルをあげながら、背景にあるものを探ってみたい。
ファッションの広告ビジュアルを注意してみるようになったのは、大学生になった頃からだろうか。
授業の行き帰りに見かける駅貼りポスター、百貨店の懸垂幕、新聞や雑誌の広告などだ。もともとグラフィックデザインにも興味があったので、だんだん注意して見るようになった。
渋谷に出かける度にパルコのポスターは見ていたが、それほど印象にも記憶にも残っていない。むしろ、自宅でじっくり見られる新聞広告の方が、今でも脳裏に焼き付いているものが多い。
業界で仕事をしている今、改めて当時の新聞広告を振り返ると、アパレルメーカーがダイレクトに広告を出稿するというより、大手百貨店がブランドの「ハコ」をアピールするものが主流だったように思う。
百貨店の新聞広告と言えば、70年代後半は伊勢丹がリードしていた。派手な広告で一時代を築いたセゾングループが台頭する前だ。伊勢丹はアパレルメーカーとの取引関係から、Calvin Kleinの広告キャンペーンに力を入れており、それが印象に残っている。
コピーライターの土屋耕一氏を起用した一連のシリーズで、広告枠は新聞の10段ほどのスペースを割き、目立つビジュアルとキレのあるコピーが躍った。
ビジュアルの元となるアートディレクションには、ファッションシューティングの旗手、アーサー・エルゴート、カメラマンの吉田大朋や細谷秀樹が参画。今振り返っても、彼らが撮る写真なくしては成り立たなかったように思う。
キャッチコピーは憶えているだけでも、「キャリア・ウーマンにあたる日本語って、なんでしょう。」「パリは、産油国の王妃たちにまかせて。ニューヨークを見つめてみよう。」「着る男は、作った男。」。当時はこんな作風がプレゼンに通ったようだ。
「本家のCalvin Kleinは、どんな広告を作っているのだろうか」。一介の大学生はますます好奇心をそそられ、開港2年目でまだ厳戒態勢が続く成田空港から、ニューヨークに飛び立つまでになった。
現地に着くや、タイムズスクエアのビルボードで目にしたのが、ブルック・シールズがモデルを務めた「Calvin Klein Jeansの広告」だ。「Between me and my Calvins Nothing.」は、当時100ドルを超える高級ジーンズ以上に衝撃的だった。
Calvin Kleinは、ニューヨークコレクションで双璧を成していたNorma Kamaliとともにニューヨークタイムズでも積極的に広告キャンペーンを打っていて、日本でいう15段広告は当たり前のように出稿していた。
タイムズ紙には、Calvin Kleinはアートディレクションを手掛けるブルース・ウェーバーによって、「大人にかなりのインパクトを与えた」「イメージは鋭く、賢く、セクシーで、いつも論争を巻き起こす」と書かれていたのを憶えている。
これは「Calvin Kleinなどの広告が掲載された新聞をぜひ持って帰らないと」と思い、電話帳と揶揄されるニューヨークタイムズの日曜版を購入した。だが、1週間分ほどの束は意外に嵩張り、成田の税関職員にずいぶん怪訝な顔をされてしまった。
新聞広告は日本で大型コピーを取り、額装してしばらく部屋に飾っていたものだ。それからも公私で度々ニューヨークを訪れるようになり、90年代半ば現地で仕事をした頃は、Calvin KleinはMD戦略をカジュアルにシフトし、広告ビジュアルも一新された。
広告で一躍注目の的となったアイテムが「ブリーフ」や「ショーツ」と、チープ路線に転じた「CK Jeans」である。
アートディレクターには、バーニーズなんかでキャスティングの巧さを誇ったニール・クラフトが就任したことで、モデルには全米大人気のラッパー、マーキー・マーク(俳優のマーク・ウォルバーグ)やスウィフトモデルのケイト・モスが起用された。
タイムズスクエアのビルボードでは、ブリーフ姿で上半身ムキムキの男性モデルが街行くニューヨーカーの前で堂々と股間をさらす。さしずめ日本ならどうだろうか。ここまでやると、どこかの団体がJAROにクレームを付けるのではないか。卑猥すぎると。
でも、筆者からみると、不思議といやらしさを感じさせない。そこがCalvin Kleinのビジュアル表現の秀逸さであり、斬新でギリギリの路線を行くからこそ、広告表現として伝える力を増すのだと思う。
こうしたファッションにおけるビジュアル表現の豊かさは、米国ブランドならではなのだろうか。
ファッションの広告ビジュアルでいちばん大切なことは、いかにインパクトのあるものを作るかだ。その点で考えると、米国、特にニューヨークファッションの広告ビジュアルは、パリやミラノのブランドより秀逸と感じる。
ただ、90年代は同じ米国でも、GAPのビジュアルも見逃せない。全米規模で展開した広告戦略は当時としては画期的なもので、今ではユニクロやH&Mも同じ手法をとる「インディビジュアル・オブ・スタイル」である。
媒体もファッション誌ではなく、メジャーな週刊誌やスポーツ専門紙、バス停のアドボードなどを使用。撮影のシチュエーションは、白のホリゾントをバックに1人または数人の著名人がモデルとなって、GAPのウエアを着ているカットだ。
モデルにはハリウッドスターからミュージシャン、スポーツ選手、一般の学生やナイトクラブの歌手、作家までが起用された。そして、それぞれのビジュアルには、商品価格が記載された点も大きな特徴だろう。
アートディレクションも、米国ファッション界で活躍するピーター・リンドバーグ、アニー・リーボヴィッツ、ハーブ・リッツといった写真家、カメラマンが担当した。
タートルネックのカットソーとツータックのチノパン、レザージャケットと胸ポケットの付いたTシャツ、純白のシャツとジーンズ。どれもおろしたての新品というより、着古したお気に入りのアイテムという感じだ。
こうした広告表現には、「GAPは老弱男女が着られて、思い思いの着こなしを楽しめ、日々の暮らしに欠かせないアイテムである」とのメッセージが込められている。日本の広告のような「レトリックなコピー」表現もない。
ビジュアルからは「マスプロダクトでも、着る人間の個性によって、着こなしは画一化しないんですよ」とのストレートな思いが伝わってくる。どこかのSPAの社長兼会長が言っているのと同じことを、GAPははるか前から実践してきたのである。
では、なぜ米国ブランドの広告ビジュアルが目を引くのだろうか。一言で説明するのは難しいが、ファッションが生まれた歴史や土壌と関係があると思う。
欧州のファッションは階級社会の中で生まれ、オートクチュールやプレタポルテの高級服を中心にしたクリエイティビティと職人技の中で、ブランドが育っていった。
だから、多くのビジュアル表現が高級服を買うお客さんを意識し、教会やホテル、遺跡などムードのある「シチュエーション」を重視している。
ところが、米国ブランドはGAPやLEVI'Sに代表にされるように、誰もが着こなせる(階級無し=資本主義的)カジュアルウエアが中心だ。
裏を返せば、どんなメーカーでも進出しやすく、それだけ競争が激しいため、差別化するためには「マーケティング」や「プロモーション」の力が必要になる。
結果として、アートディレクターやカメラマンなど優秀な広告クリエーターも育っていき、彼らによってインパクトのあるビジュアルが作られていくのだと思う。
2000年以降は、売上げが鈍化し経営的に厳しくなった欧州ブランドもそれに気づき、デザインからアングロサクソン系のクリエーターに任せるようになった。もちろん、広告づくりまでも米国の企業に依頼するようになっている。
トム・フォードやマーク・ジェイコブスは米国人、故アレキサンダー・マックイーンは英国人。彼らがクリエイティブディレクターとして商品デザインだけでなく、広告づくりも携わっていたのは、「ビジネスマインドもつアングロサクソン系だから」というのも否定はできないと思う。
まあ、ユニクロが売れている点を販促面から分析すれば、米国企業が得意とするインディビジュアルによる戦略が貢献しているのは、言うまでもないだろう。
特に日本人はブランドが大好きだし、インパクトのあるビジュアルに弱い。日本で買えるのに海外旅行に出かけてもわざわざ同じブランドショップを訪れ、さらにインターネット通販でもフォロー買いしてしまう。
それは派手なビジュアルの背景にある安心感がそうさせているのだと思う。ブランドネームとプロモーションは相乗効果を生み、お客の来店を促すようにショップの付加価値も高めていく。
それがお客の主観に委ねられた曖昧なものであっても、結果的に売れていることを考えると、そういうことなのだろう。
個人的には、欧州ブランドの広告ビジュアルも嫌いではない。中でもアルマーニでは、制作スタッフは撮影の前にロケ地の雰囲気に親しみ、これから始まるストーリーの中に入って、アルマーニの雰囲気を身につけ行くと聞いたことがある。
Photoshopでの加工、Illustratorによる版下づくりと、その後の制作スケジュールなんてお構い無し。何とも悠長なフィニッシュワークだが、だからこそ一般人には近寄り難いブランドの世界観ができ上がり、プレテージ性が高まるのである。
使い捨てのカジュアルブランドにはないクオリティと品格と優雅さ。パースがかかって抜け感のあるビジュアルでそれを見事に訴えているところが、キングオブミラノと言われる所以だろうか。
欧州ブランドと言えるかどうかわからないが、コムデギャルソンの広告表現も気になる。こちらは商品写真を使う方がきわめて少ない。それでいて、ファッションイメージをずっと引っぱり続けているのが凄いのひと言だ。
販促媒体のSixにも商品カタログ的な掲載はほとんどなかった。むしろ、服以外のアーチスト作品をクローズアップすることで、自社のブランドイメージに昇華させる手法をとってきた。
90年代に起用されたアートディレクター、マルク・アトランは、香水のパッケージデザインを担当した。それは日本よりも海外において、ブランドを取り巻くパッケージや包装資材で見事な世界観を生み出し、川久保玲氏の要求に見事に答えたのである。
ディスプレイもインパクトがあった。パリのリッツホテルの階段を使い、透明のプラスティックケースに入れた香水をロゴ入りのビニール袋に入れて並べた手法は、大胆かつ繊細で宿泊客の度肝を抜いたのは言うまでもない。
それがそのまま広告ビジュアルにもなっていた。アーチスト作品をエディトリアルすることで、お客に対しブランドイメージを連想させる手法は、ビジュアル表現の系譜として引き継がれたと言えるだろう。
筆者がコムデギャルソンに引かれるのは、商品そのものより、それを取り巻く一つも二つの捻った素材使い。広告ビジュアルもその一つで、そこに生きづく独特の感性が好きだからである。