本郷にかかる、どこにでもあるようなつまらない橋。青柳さんは、30年位前に、ここで「出版の仕事でもしてみようかこ
」と思った。近くにある真砂図書館で、ノンフィクション系の小説を借りて、ここで読みながら、そんな事を。あれは、大学2年の時。オリジナル曲も増えて、「もっと気の利いた歌を作るには、文学みたいなものにも触れなきゃな」なんて思っている頃だった。すべての発想は、音楽基点。しかし、編集者の仕事も長くなった。いくつもの会社の倒産も経験した。そして、相変わらす、懐は寒い。あの時の選択は、正しかったのだろうか。?(笑)。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
」と思った。近くにある真砂図書館で、ノンフィクション系の小説を借りて、ここで読みながら、そんな事を。あれは、大学2年の時。オリジナル曲も増えて、「もっと気の利いた歌を作るには、文学みたいなものにも触れなきゃな」なんて思っている頃だった。すべての発想は、音楽基点。しかし、編集者の仕事も長くなった。いくつもの会社の倒産も経験した。そして、相変わらす、懐は寒い。あの時の選択は、正しかったのだろうか。?(笑)。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信