鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

天璋院篤姫の史跡:指宿編(2)

2008-01-31 | 史跡
今和泉の屋敷跡近くに史跡があり、観光コースになっています。


屋敷跡の南にある麓集落。
武士が住んでいたところで、石垣や生垣が当時の面影を残しています。


国道を渡って反対側にある今和泉島津家の墓地。
初代から6代目までの当主などが眠っています。
篤姫の実父の忠剛(ただたけ)や兄の忠冬(ただふゆ)もこの墓地に葬られました。


墓地から豊玉媛神社に向かう途中にある田の神(たのかんさぁ)。
若い女性が、田の神と並んで写真を撮っていました。
鹿児島に田の神はたくさんありますが、今や、最も有名な田の神になったかもしれません。


豊玉媛(とよたまひめ)神社。
まつられている神様は、豊玉姫命です。
今和泉家の領主の棟札が残されています。


神社の前には2体の仁王像があります。
阿吽(あうん)の像で、これは向かって右にある「阿像」。
県下でもまれに見る傑作の仁王像で、指宿市の文化財に指定されています。


指宿は菜の花が満開だった。

以上で、篤姫の史跡探訪を終わります。
明日は、小松帯刀の史跡を紹介します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天璋院篤姫の史跡:指宿編(1)

2008-01-30 | 史跡
今和泉島津家が領土としていたのは、指宿市岩本(今和泉)です。
ここにも篤姫関係の史跡があります。


薩摩今和泉駅。
史跡はこの付近に集中しています。


今和泉の屋敷があったのは、今和泉小学校の付近です。
篤姫も、この屋敷にたびたび来ていたそうです。
海岸に松林と石垣が残っており、当時の面影をとどめています。


松林から海岸を望む。
原作で、幼い篤姫がひ弱な兄をかばって、漁師の子供に砂を投げつける場面がありますが、この付近の海岸だったのでしょうか。


屋敷跡の今和泉小学校。


小学校の庭にある井戸の跡。


校舎の前にある手水鉢。
均整の取れた美しい形で、高さ93cm、水を入れる鉢の直径30cm。
篤姫も使っていたのでしょうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天璋院篤姫の史跡:鹿児島編

2008-01-29 | 史跡
NHK大河ドラマの「篤姫」。
なかなか好調なようですね。
篤姫は、ドラマに決まるまで、地元鹿児島でもあまり知名度がありませんでしたが、今はちょっとした篤姫ブームです。
私も、原作者の宮尾登美子さんの講演会を聴きに行ったりして勉強しました。
篤姫の史跡を訪ねてみましょう。


篤姫(幼名、於一(おかつ)または一子(かつこ)とも)は、天保6(1835)年、今和泉島津家の長女として、ここ鹿児島市大竜町の屋敷で生まれ育ちました。
ひ弱な兄と異なり、聡明で活発な女性で、父親が
「この子が男の子であったなら・・・」
と嘆いたそうです。

屋敷跡は大竜小学校の左隣にあり、今も石垣に当時の面影を残しています。
現在、個人の住宅(というかお屋敷)になっています。
原作で、将軍の御台所となるべく、鶴丸城から江戸に向かうとき、実家の前で駕籠の中から家族に別れを告げる場面がありますが、この付近だったのでしょう。


大竜小学校。
西郷隆盛の「敬天愛人」の文字が見えます。


篤姫は、嘉永6(1853)年、島津斉彬の養女となり、ここ鶴丸城で2ヶ月余り暮らしました。
最初の写真の屋敷跡は、ここから約1km北東にあります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の鹿児島料理

2008-01-28 | 食べ物
昨日、ブログの参考にしている本を紹介しましたが、私のブログのもう一つのテーマが「食」。
鹿児島の食の参考にしている本です。


私の鹿児島料理
 著者:今村知子
 発行所:株式会社柴田書店
 発行:1984年
 定価:3500円
カバー写真は、菊花状に並べたキビナゴの刺身。

この本は、福島県に住んでいたとき、偶然書店で見つけ、なつかしくて買ったものです。
本の特徴は、鹿児島の郷土料理、特に島の料理をふんだんに紹介していることです。
私が食べたことのない食べ物もたくさんあります。

著者の今村知子さんは、日本女子大を卒業し、鹿児島市にいずみ調理学院を開いた料理研究家です。
お母さんは種子島の人で、種子島の料理もたくさん掲載しています。


本の中の料理の一つ。
種子島の代表的な食べ物、「ながらめ(とこぶし)の殻焼き」です。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かごしまよかとこ100選

2008-01-27 | Weblog
手元に2冊の本があります。


かごしまよかとこ100選「四季の旅」
かごしまよかとこ100選「浪漫の旅」
 企画・発行:鹿児島県観光交流局観光課
 発行:2007年3月
 定価:各680円

「四季の旅」が、鹿児島の四季の美しい自然を、「浪漫の旅」が、歴史(史跡)を紹介している本です。
鹿児島の自然と史跡・・・
そう、私のブログテーマにぴったりの本なのです。
私もブログネタ探しに利用させてもらっています。

お断りしておきますが、この本を見てブログテーマを決めたのではないんです。
ブログ開設が2006年6月、本の発行が2007年3月。私のほうが早いんです。

プロの写真家が撮ったと思われる美しい写真がふんだんに掲載されており、ありきたりの観光地でないところも紹介されています。
副題に「鹿児島再発見」とあるように、鹿児島のことをもっと知るのに格好の本です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石垣

2008-01-26 | 史跡
これは鶴丸城の石垣ですが、鶴丸城に限らず、お城の石垣を見るたびに感心します。


何に感心するかというと、全ての石をきっちりと隙間なく積んでいることです。
まるでジグソーパズルのように。
この石垣の積み方を想像すると
①石切り場で石を切り出す。当然、このとき一つ一つの石は大きさも形も異なる。
②石を、石垣を積む場所に運搬する。
③一つ一つの石の形を見ながら、どこに積んだほうがいいか判断して積み上げる。
④当然、隙間が出来るから、石を整形して隙間なく積んでいく。

特に③と④の作業が難しそうです。
硬い石ですから、整形といっても時間もかかるでしょう。

石橋のアーチ石も、直方体ではアーチにならないから、片側が狭いはずで、ミリ単位の作業が必要でしょう。
昔の石工の優秀さがわかります。


これは、入来の武家屋敷の石垣。
自然石の玉石の石垣で、これはこれで素朴な味わいのある石垣です。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶏飯

2008-01-25 | 食べ物
鶏飯は、奄美大島の代表的な郷土料理です。
藩の役人が奄美に来たとき、この料理でもてなしたそうです。
鹿児島市にも奄美料理の店があり、そこで食べることができますが、自宅でも時々作ります(妻が)。


我が家の鶏飯。

具材は次のとおりです。
 鶏肉をだし汁で煮て、細かく割いたもの
 卵焼き(錦糸卵)
 干ししいたけを戻して薄切りにしたもの
 漬物(写真は、タクアンをきざんだものだが、パパイヤの漬物があれば、奄美らしくてよい)
 小ねぎをきざんだもの
 この他に、柑橘類の皮をきざんだもの、きざみのりなどを入れるとよい。

丼にご飯を入れ、鶏肉でだしをとったスープ(我が家ではニンニク、ショウガを入れる)をかけていただきます。
するするとのどに入り、食欲がないときでも食が進みます。

材料費がそれほどかからず、その割には珍しくておいしいので、人を招いたときなど供すると喜ばれます。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クロガネモチとソテツ

2008-01-24 | 巨樹・古木
昨日紹介した、鹿児島県立博物館と考古資料館の間の庭に、鹿児島市の保存樹に指定されているクロガネモチの木があります。


クロガネモチ(モチノキ科)
左下に考古資料館が見える。
 幹周り:4.48m
 樹高:14m
 樹齢:約170年
 保存樹第6号
クロガネモチは、あまり大きくなる木ではなく、よく街路樹に植えられています。


秋から春にかけて、非常に長い間、真っ赤な実をつけます。
今も鮮やかな赤い実がなっています。


考古資料館の前にあるソテツ(ソテツ科)。
このソテツは、植物学者 池野成一郎博士(元東京帝国大学教授)が、明治31年、世界で始めてソテツの精子を発見したとき、その研究素材となった貴重なソテツだそうです。


クロガネモチのある庭と道路の間は、池になっており、鯉が泳いでいます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考古資料館

2008-01-23 | 史跡
鹿児島の歴史的建造物を紹介します。


鹿児島県立博物館の考古資料館。

鹿児島市城山町に県立博物館があり、その隣にあります。
この建物は、明治16年、九州沖縄連合共進会のパビリオンとして建てられました。
その後、県立興業館となり国内外の物産を陳列しました。
昭和28年から県立博物館として発足し、昭和56年に考古資料館となりました。

ネオゴシック風の建物で、設計はイギリス人かフランス人といわれています。
県内では、磯の尚古集成館に次いで古い石造建築物です。
鹿児島県産の溶結凝灰岩でできています。


向かって右側の入り口とバルコニー。



考古資料館の隣にある県立博物館。

昭和2年竣工で、県立図書館として利用されてきましたが、昭和55年、図書館が旧七高グランドに移転すると、博物館に転用されました。
大正デモクラシーの様式を取り入れています。
種子島に生息し、昭和21年に絶滅したウシウマの骨格が展示されています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小湊干拓海岸

2008-01-22 | 水辺の風景
小湊干拓海岸は、南さつま市加世田小湊の海岸です。


干拓地の海岸で、直線状の堤防とテトラポッドが並んでいます。


堤防の内側には水路があり、その陸側に広大な干拓地が広がっています。


2002年1月22日未明、ちょうど6年前の今日、この海岸である事件がありました。
マッコウクジラ14頭がこの海岸に座礁したのです。


堤防にある座礁記念碑。

みぞれの降る冷たい日に、テトラポッドの海岸に巨体が打ち寄せ、海を血で染めました。
沖に戻す救出作戦が展開されましたが、その様子は全国に生中継されました。
冷たく波の荒い海で作業は難航を極め、1頭を戻しただけで13頭は亡くなってしまいました。

昔であれば、喜んで食料にしたのでしょうが、今はそういう時代ではありません。
1頭を骨格標本を作るため砂浜に埋め、残りは沖に沈めることにしました。
この作業も難航し、沈め終わったのは2月1日のことでした。


近くの国道226号線沿いの、ふるさと館にあるマッコウクジラの記念像。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする