鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

加治木まち歩き(5)霧島八坂神社他

2020-05-31 | 史跡

森山家住宅から網掛川へ行きます。

 

加治木石の石塀の通りを歩きます。

 

前の写真の右にある霧島八坂神社です。

 

社殿。

 

中の神輿。

 

境内にある中浜の恵比寿神祠。明治23年、加治木の商工業者が建立したもので、加治木石(桃木野石)で造られています。

 

鯛が彫られています。

 

八坂神社の隣にも鳥居があります。

 

加治木石の石灯籠。

 

石柱の武家門の家があります。

 

網掛川左岸に出ました。恵比寿神祠です。

 

加治木石(二瀬戸石)を用いた優美な「流れ造り」です。

 

中の恵比寿様。

 

石灯籠。

 

網掛橋から網掛川河口を望む。

 

右岸にある網掛地蔵。昔、漁師が網を入れると地蔵が入っていたので、川のほとりに安置しました。その後、島津義弘が加治木で亡くなると、後継者の島津家久は鹿児島へ移り、その時地蔵も天文館通りへ移されました。今の地蔵角付近がそうです。

なお、網掛川の名前の由来は、この網掛地蔵だそうです。

 

この地蔵様は、向江町の人たちが1795年に新しく造ったものです。

加治木まち歩きを一休みします。

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加治木まち歩き(4)森山家住宅

2020-05-30 | 史跡

前回の性応寺の近くに、森山家住宅があります。

 

森山家住宅。国登録有形文化財です。

 

外から見た土蔵。森山家は、江戸時代から明治時代に鋳物業で栄えた豪商です。

 

立派な門です。

 

門を入ると、左に土蔵があります。

 

反対から見た土蔵。

 

主屋。1854年に亡くなった森山伊助が「加治木鍋屋元祖」で、3人の息子が鋳物業を継ぎました。これは二男家で、明治37年に建てられました。

 

屋根にしゃちほこが二つあります。

 

右のしゃちほこ。

幕末には、集成館の大砲鋳造にも貢献したそうです。

 

庭です。

 

たのか

田の神があります。

 

石灯籠。

 

平面図。左上の門から入りました。

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加治木まち歩き(3)菅原神社の大楠

2020-05-28 | 巨樹・古木

菅原神社へ行きます。

 

神社の前のイチョウです。

 

桁橋を渡って社殿へ行きます。

 

横から見た桁橋。池に水はありません。

 

池の石造物(石灯籠の台?)。

 

二つ目の桁橋を渡ります。

 

菅原神社社殿。菅原道真を祀る神社です。

 

御神木の大楠。加治木で一番古くて大きい木です。

 根回り:12m 

 樹高:25.5m

 樹齢:約470年

 

下部。

 

上部。

 

菅原神社から国道10号を渡ると性応寺(しょうおうじ)があります。

 

お堂。与謝野鉄幹の父は、明治14年、本願寺鹿児島別院の加治木説教所(現在の性応寺)の僧侶として赴任し、9歳の鉄幹も父に従い、1年余りを加治木で過ごしました。

 

鐘楼。

 

土台は、美しい色合いの加治木石でできています。

 

鉄幹が住んでいた時植えたタブノキです。

 

下部。樹齢約140年です。

 

昭和4年、鉄幹晶子夫婦は加治木を訪れ、歌を詠みました。その歌碑です(タブノキは右奥)。

 老の身の 相見て嬉し をさなくて 加治木の寺に 植ゑしたぶの木  寛

 加治木なる 五つの峰の波形の 女めくこそ あはれなりけり  晶子

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加治木まち歩き(2)加治木島津家屋形跡

2020-05-26 | 史跡

柁城(だじょう)小学校の隣にある加治木島津家屋形跡へ行きます。

 

加治木島津家屋形跡。高い石垣や天守を持たない屋形風の建物群でした。

写真の標語は、薩摩藩の郷中教育の教えです。

 

加治木石でできた石垣。1607年、島津義弘は帖佐平松からここへ移り住み、晩年を過ごしました。

 

護国神社があります。

 

拝殿。

 

本殿。

 

池の桁橋。

 

横から見る。池に水はありません。

 

手水鉢。

 

ソテツ。後ろは加治木高校で、ここも屋形でした。

 

屋形跡から線路を超えて進むと、曽木家の門があります。曽木家の祖先が、島津義弘から軍功として拝領した飯野城の大手門でした。

 

茅葺屋根はカバーがされています。

 

木を重ねて前後にずらした薩摩藩特有の腕木門です。

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加治木まち歩き(1)郷土館

2020-05-24 | 史跡

姶良市加治木のまち歩きをしました。スタートは郷土館の道路反対にある観光用駐車場です。

 

石柱の門の家。

 

加治木郷土館です。

 

前の写真の左に見える旧日本館。昭和12年建築で、国登録有形文化財です。

 

庭に石造物がたくさんあるので見ていきます。これは仁王像(阿像)。

 

吽像。いずれも廃仏毀釈で腕が欠けています。

 

鬼神面。魔除けのためのものと考えられています。

 

鳳山軒亀墓。亀の背に乗った碑です。

 

田の神。

 

別の田の神。あごひげがあり、このタイプは宮崎県小林から伝わったそうです。1762年の建立です。

 

庚申石灯籠。

 

上に「見ざる、言わざる、聞かざる」の像があります。

 

石風呂。右の石風呂には、水があふれた時、薪に水がかからないような溝があります。

 

郷土館の道路向かいにある柁(かじ)の木伝説の大楠跡。

神話でイザナギノミコトとイザナミノミコトの子ヒルコノミコトは、3歳になっても足腰が立たず、子供を船に乗せて天上から流しました。船の舵が加治木の海岸に流れ着き、芽を出して大きくなりました。それが「かじき」の名のおこりだそうです。

 

加治木石の石垣の横を進みます。左は柁城(だじょう)小学校。

加治木石は気泡が多く、断熱性や保湿性があり、建築材料として優れています。

 

屋形のような柁城小学校の門。

隣に加治木島津家屋形跡があるので、次回訪ねます。

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上津貫の田の神他

2020-05-22 | 田の神

南さつま市加世田の田の神を2体紹介します。

 

上津貫にある上津貫の田の神です。集落の中にあります。

 

正面より見る。

 

右手にメシゲ、左手にお椀を持っています。建立は1815年です。

 

顔のアップ。笠状のシキを被っています。

 

石のワラヅトを背負い、その下に本物のワラヅトを三つ背負っています。

 

内山田にある田の神です。国道270号の内山田橋の上流右岸にあります。

 

国道を向いて立っています。

 

長袖の僧衣姿で、シキを被り両手で鍬を持っています。

 

両手にお金が・・・

 

田の神舞か雨乞い用の太鼓状のものを背負っています。建立年代は18世紀中ば頃と考えられています。

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切目王子神社のアコウ

2020-05-20 | 巨樹・古木

垂水市軽砂にある切目王子神社のアコウを紹介します。

 

神社の前にあるアコウの全容。

 

斜めになったアコウです。

 

正面(鳥居)から見る。

 

階段より見る。

 

気根が支えになっています。

 

アコウの下から錦江湾を望む。写真ではわかりませんが、開聞岳が見えます。

 

下部。

 

神社側より見る。

 

上部。

 

社殿。ここには次の伝説があります。

ここ軽砂で生まれた美女大宮姫は朝廷に仕え、中大兄皇子の妾后姫(きさき)になりました。切目王子が生まれましたが、他氏族の妬みを買い、迫害の手が追ってきたので親子は軽砂に身を隠しました。

645年、中大兄皇子は中臣鎌足と一緒に曽我一族を滅ぼし、天智天皇となりました(大化の改新)。切目王子親子は再び朝廷に呼び戻されました。

 

隣の祠。

天智天皇が崩御すると、弟の大海人皇子は天智天皇の子大友皇子一族を滅ぼし、天武天皇となりました(壬申の乱)。天智天皇勢力の切目王子親子は再び軽砂に帰ってきました。親子の不運を悲しんだ村人が神社を建て、御霊を祭ってきました。

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金山小学校跡と有川夢宅墓

2020-05-18 | 史跡

枕崎市の金山小学校跡を紹介します。

 

金山小学校跡の校門。かつて、近くに鹿篭(かご)金山がありました。

 

昭和52年建設の校舎。明治24年開校、平成26年3月閉校です。

 

校庭。

 

校庭のイチョウ。

 

「参壱七四健児の夢の跡」の碑。卒業生が3174名です。

 

池に桁橋が二つあります。

 

石灯籠と桁橋。

 

近くにある大山祇神社です。

 

社殿。

 

有川夢宅墓。

鹿篭金山は天和年間(1681-1684)年に有川夢宅によって発見され、山ヶ野金山・芹ヶ野金山に並ぶ三金山の一つでした。

 

有川夢宅堂。

 

有川夢宅の像。

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錦江湾公園のバラ

2020-05-17 | 植物

今年も、鹿児島市の錦江湾公園へバラを見に行きました。

 

コロナウイルス緊急事態宣言も解除されて、まずまずの人出でした。満開で見ごろでした。

 

隣の動物園は、5月末まで閉園予定です。

 

真っ赤なスカーレットポニカ(フランス)。

 

少し緑がかった緑光(日本)。

 

赤紫のノヴァーリス(ドイツ)。

 

黄色いアンドレグランティエ(フランス)。

 

いろは(日本)。

 

純白のつる新雪(日本)。

 

ローゼンドルフシュパリースホップ(ドイツ)。

 

るる(日本)。

 

斜面の上からバラ園を見る。

 

ディープボルドー(ドイツ)。

 

隣のポピー園です。

 

赤いポピー。

 

ピンクのポピーが混じっています。

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花渡橋と新下木屋の滝

2020-05-16 | 石橋

前回の南さつま市加世田の下木屋の滝から、花渡川を下流へ行くと花渡橋(けどばし)があります。

 

右岸から見た花渡橋。集落の生活道路です。

 

花渡橋から下流を見る。先に新下木屋の滝があります。

 

下流から見た花渡橋(高隈橋、高熊橋)。

 橋長:10.2m

 幅員:3.5m

 架設年代:明治28年頃(現地の案内板には大正5年建設とある)

 

下流から見た近景。

 

左岸部。

 

上流より見る。

 

アーチ部。

 

滝の下流右岸から、河床へ下りることができます。

 

花渡橋と新下木屋の滝のツーショットです。

 

河床から見た新下木屋の滝。二つに分かれています。

 

右岸側の滝。

 

折れ曲がった左岸側の滝。

 

花渡川を上流へ行くと、久木野橋があります。右岸から見たもので、向こうは久木野小学校跡です。

 

下流から見た久木野橋。

 橋長:10.3m

 幅員:3.5m 

 架設年代:明治40年

 

上流より見る。

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