鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

京泊天主堂跡

2020-01-31 | 史跡

前回の薩摩川内市の長崎堤防から、川内川を下流へ行きます。

 

川内川河口大橋の下流左岸にある久見埼港です。秀吉の朝鮮出兵の時、島津義弘の軍が出港した軍港でした。向こうの川内川右岸の小高いところに京泊天主堂跡があります。

 

川内川河口付近の右岸にある京泊です。人家裏の丘の上(アンテナの右)に京泊天主堂跡があります。

 

人家の横の小道を進みます。ここから180mです。

 

山道を登っていきます。

 

階段を上がったところに京泊天主堂跡があります。

 

この教会の歴史は、1601年、領主島津家久がフィリピンとの交易を願ってマニラのドミニコ会へ書簡を送り、甑島へ招いたことに始まります。

 

反対より見る。1602年、ドミニコ会の宣教師一行が甑島の長浜へ到着しました。1607年、宣教師フランシスコ・デ・モラレスは、家久の許可を得て、宣教の困難な甑島から京泊へ移り、ここに教会を建てました。

 

木に下がった十字架。ここの教会には、宣教師が9名いたそうです。

 

手水鉢が残っています。

 

太神宮の碑。

 

川内川が見えます。京泊港は薩摩藩の重要な河口港であり、フランシスコ・ザビエルは鹿児島から平戸へ向かうとき、この港から出港したと伝えられています。

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長崎堤防

2020-01-30 | 史跡

薩摩川内市の長崎堤防を紹介します。

 

高江町長崎の川内川左岸に、長崎堤防があります。高江地区は川内川の潮が入る入江状の低水地で、米がとれないところでした。

 

薩摩藩主島津光久は、小野仙右衛門を普請奉行に任じ、この地の干拓事業を命じました。工事は1679年に着工し、1687年に完成しました。

 

しばしば洪水に襲われ、築いては流され、また築くという難工事でした。

 

仙右衛門は、のこぎりの刃状の堤防を考案し、やっと川内川の激しい水流を抑えることができました。

 

新しい樋門と長崎堤防。樋門は洪水時に川の水が陸側に侵入するのを防ぐものです。

 

のこぎりの刃状の突起は7か所あります。

 

ある夜、「娘を人柱にたてよ。その流れに沿って築堤しよ」と告げる不思議な夢を見た仙右衛門は、愛娘の袈裟を人柱にし、そのお告げの通り、のこぎりの刃状に築堤して工事はうまくいった、と伝えられています。

 

長崎堤防から、河口に架かる川内川河口大橋を望む。

 

最初の写真の右に見える水神碑。

 

裏の碑文。

 

堤防上にある碑。神の文字が見えます。

 

左岸側の水田地帯を望む。長崎堤防により開発された新田は3平方キロメートルに及びます。

次回は、川内川河口付近にある京泊天主堂跡を紹介します。

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ロウバイ他

2020-01-28 | 植物

花の少ない今の季節の花です。

 

ロウバイ(蠟梅、ロウバイ科)の花。

 

いい香りを漂わせています。

 

蝋細工のような花。

 

鹿児島市中山町の、ふれあいスポーツランドの梅園です。

 

紅梅。

 

マルバシャリンバイ(丸葉車輪梅、バラ科)の花が咲いていました。花期は4~5月です。

 

今は実の季節です。

 

ナルトサワギク(鳴門沢菊、キク科)。帰化植物で、最近あちこちで見かけ、花の時期が長いです。

 

池があります。

 

クレソン。白和えにして食べます。

 

さいせい橋。ごみの焼却灰に粘土を混ぜて作ったリサイクルレンガでできています。

ふれあいスポーツランドには、河津桜が咲き始めていました。

 

自宅の椿。岩根絞りです。

 

1本の木に、絞りと赤の2種類の花が咲きます。

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新田神社の大樟

2020-01-26 | 巨樹・古木

降来橋から、参道の階段を登って新田神社社殿へ行きます。

 

途中にある「がらっぱ大明神」。川内川は河童伝説があります。

 

この参道の周囲にクスノキの巨木がたくさんあります。

 

階段の横のクスノキ。

 

御神木の新田神社の大樟(クス)です。

 幹周り:9.9m

 根回り:13.3m

 樹高:20m余り

 樹齢:650~800年

 

根元は空洞化しています。

 

別の角度より見る。

 可愛(え)の山の 樟(くす)の大樹の幹半ば うつろとなれど 広き陰かな 与謝野鉄幹

 

上部。

 

新田神社社殿。

 

社殿の前に子だき狛犬があります。安産に霊験があると言われています。

 

神社の隣にある可愛山陵(えのみささぎ)へ行きます。

 

前の写真に見えるクスノキの巨木です。

 

根元は大きく空洞化しています。

 

可愛山陵。ニニギノミコトを祀る陵で、宮内庁が管理しています。

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新田神社「降来橋」

2020-01-24 | 石橋

薩摩川内市の新田神社へ行きました。

 

参道の手前にある新降来橋です。

 

新降来橋の下流側。

 

新降来橋の上から参道を見る。向こうの小さな石橋が降来橋です。

 

降来橋。

 橋長:8m

 幅員:5m

 架設年代:明治25年

 

神社側から見た降来橋。向こうが新降来橋です。

 

降来橋の下流側。

 

上流側。

 

親柱と擬宝珠です。

 

参道の階段を登って神社へ行きます。

 

前の写真の左に見える西門守神社。

次回は、新田神社の大樟を紹介します。

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中津野の田の神他

2020-01-22 | 田の神

田の神を3体紹介します。

 

南さつま市金峰町中津野にある中津野の田の神です。後ろは工事中の道路です。

 

建立は1777年です。

 

顔は風化し、右手にメシゲ、左手にお椀を持っています。

 

広々とした田園風景を眺めています。

 

日置市吹上町の吹上温泉にある田の神です。

 

左手にメシゲを持っています。

 

微笑んでいるように見えます。

 

道の向こうが吹上温泉街です。

 

吹上町上和田にある上和田の田の神です。明治23年の建立です。

 

右手に鍬、左手にメシゲを持っています。

 

背中にワラヅトを背負っています。

 

道路の向こうの田園風景を眺めています。川の上流(左)に、1月6日に紹介した石橋の立神橋があります。

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ハヤトウリ

2020-01-20 | 食べ物

ハヤトウリは熱帯アメリカ原産で、1917年に鹿児島に渡ってきたため、隼人瓜の名前があります。しかし普及せず、今では野生化しています。

 

斜面のハヤトウリ。ツルは枯れていますが、実はまだ硬いです。

 

木に伸びてぶら下がったハヤトウリ。鹿児島では、このようは風景がよく見られます。

 

収穫しました。

 

皮をむいて二つに切ったところです。

 

浅漬けを作りました。スライスにして、塩とシシトウをまぶします。

 

重石をして2~3日置きます。

 

ハヤトウリの浅漬け。淡白でシャキシャキした食感です。

 

スライスしたものを、3日くらい天日干しします。

 

しんなりしたところで、味噌漬けにしました。

 

味噌の風味がし、シャキシャキした食感もあります。

他に、サラダ、煮物、炒め物などに調理できます。

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西郷南洲翁来遊の碑

2020-01-18 | 史跡

日置市吹上町の吹上温泉にある、西郷南洲翁来遊の碑を紹介します。

 

吹上温泉入口です。

 

吹上温泉の案内。

 

温泉でお酒を飲む西郷さん。

西郷隆盛は、明治3年、4年、7年の三度に渡ってここを訪れました。明治7年には40日余り逗留して温泉に入り、猟を楽しみました。

 

吹上温泉街。

 

山道を少し登るとこの案内があり、ここから左へ80m進みます。

 

碑が見えてきました。

 

西郷南洲翁来遊之碑。昭和2年に建てられ、建碑式には西郷の子菊次郎も出席しました。

 

碑文は東郷平八郎の揮毫です。

 

下の碑文。

 

碑を背にすると、先が少し開けています。

 

木の間から吹上温泉街が見えます。

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岸岐と慈遠寺跡

2020-01-16 | 史跡

種子島の西之表旧港付近の史跡です。

 

西之表旧港付近を望む。左が港の入口で、ここに築島と岸岐(がんぎ)があります。左の石積みが築島です。

 

旧港。新港がフェリーと高速船乗り場で、ここは漁港です。

 

港の入口を望む。右の石積みが築島、左が岸岐(新波戸)です。

 

築島のところから岸岐を見る。

 

築島。安永・天明年間(1772~1789年)に築かれました。

 

岸岐。

種子島領主・種子島久道の正室である松寿院(島津斉宣二女)が、藩主から1200両の援助を得て、1862年に完成しました。松寿院は、この他に大浦川の川直し、平山の塩田の三大土木事業を行い、女の殿様と呼ばれました。

 

港の近くにある八坂神社です。

 

ここに慈遠寺がありました。鉄砲伝来の時、南蛮人の宿坊になり、また、フランシスコ・ザビエルが布教を終えて日本を去る時の最後の地がここでした。

 

八坂神社社殿。

 

慈遠寺の文字が刻まれた手水鉢。慈遠寺は廃仏毀釈で廃寺となり、唯一残る遺物です。

 

慈遠寺跡顕彰碑。

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種子島への海

2020-01-14 | 水辺の風景

鹿児島港から種子島への海の風景です。ガラス越しの撮影で、画質が悪いものがあります。

 

夜明け前の高速船乗り場です。

 

桜島の右(高隈山地)から朝日が昇ります。左は屋久島行きのフェリー。

 

朝日を浴びた鹿児島市街地を右に見て進みます。

 

奄美航路の船です。

 

指宿沖の知林ヶ島。

 

開聞岳。右は竹山と、海から突き出た岩峰は俣川洲(またごし)です。

 

種子島の西の馬毛島。米軍の訓練施設候補地として話題になっています。

 

西之表港に入港しました。ロケットの形の灯台です。

 

西之表港の高速船乗り場です。

 

西之表港(新港)。フェリーはここへ接岸します。

次回は、西之表旧港付近の史跡を紹介します。

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