goo blog サービス終了のお知らせ 

鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

異人館

2025-07-19 | 史跡

前回の仙巌園駅から、近くの異人館へ行きました。

 

旧鹿児島紡績所技師館(異人館)です。

1865年、英国に密航した五代友厚など薩摩義士は、蒸気機関や紡績機械を買い付けました。

ここは、日本初の西洋式紡績工場の操業を指導するために、英国から招かれた技師たちの宿舎でした。

 

正面より見る。江戸時代末期の1867年竣工のコロニアル様式の建物です。

設計は英国人ですが、施工は地元の職人なので、在来の建築技術も取り入れられているそうです。

 

玄関から正面に桜島が見えます。当時の技師たちもこの景色を眺めたことでしょう。

 

ビデオで鹿児島紡績所の歴史などを放映しています。招かれた技師は7名でした。

 

復元大幅機。薩摩藩による初の国産織機を復元したものです。

当時は水車を動力にしていましたが、これはモーターで動くようになっています。

 

左が縦糸と横糸、右が織った布です。少し織ったところで織れなくなり、原因がわからないそうです。

今の技術が昔の技術にかなわないということでしょうか。

 

1階の回廊。コロニアル様式はイギリスの植民地における建築様式で、開放的な造りになっています。

 

2階の中央廊下です。正面がバルコニー。

 

バルコニーから桜島を望めます。

 

家具です。技師たちが紅茶でも飲んだのでしょう。

 

技師の居住部屋で、ベッドもあります。

 

2階のベランダで4面にあります。左奥が仙巌園です。

 

近くにある紡績所址の碑。

日本の近代的紡績はここから始まり、富岡製糸場など全国へ広がりました。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北郷家墓地

2025-06-30 | 史跡

薩摩川内市平佐町の北郷家(ほんごうけ)墓地を紹介します。

 

階段の上に墓地があります。

北郷家初代資忠(すけただ)は島津氏四代忠宗の子で、日向の北郷院(ほんごういん、今の都城市)に封ぜられました。

 

1595年、十代時久は都城から宮之城へ、三男三久(みつひさ)は平佐に封ぜられ、平佐北郷家初代となりました。

鹿児島の島津一族の墓の中でも立派な墓が並んでおり、突き当りが三久の墓です。

 

中央が三久の墓。

 

三久の墓は、ひときわ大きな石屋の中にあります。

 

中の五輪塔も大きくて立派です。

 

隣の石灯籠。

 

窓は三日月と満月の形です。

 

四代忠昭の墓。このような歴代領主や夫人の墓がたくさんあります。

 

六地蔵塔もあります。

 

上の六地蔵。

 

一段上がった所の墓。ここには五輪塔が多く、八代から十五代の墓があります。

 

隣の南方神社へ行きます。途中に咲いていたハナショウブです。

 

南方神社(諏訪神社)の鳥居。

 

社殿。本殿はこの中にあります。

 

本殿です。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重久麓(2)

2025-06-15 | 史跡

霧島市国分の重久麓の続きです。

 

ここをまっすぐ進み、念仏寺跡へ行きます。

 

新しい墓に混じって、念仏寺跡の墓があります。

 

念仏寺は大隅一の寺として威勢をふるいましたが、廃仏毀釈で破壊されました。

 

赤い祠。

 

中に立派な仏像があります。

 

多くの古い墓があります。

 

比較的新しい墓です。これらの墓は江戸末期生まれの人が多いです。

 

念仏寺跡から戻って進むと、武家屋敷跡があります。

 

立派な武家門です。

 

右側より見る。

 

さらに進むと、右に田の神があります。

 

右手にメシゲ、左手にお椀を持った田の神舞姿の田の神です。

 

田の神の奥に武家屋敷跡が見えます。

 

武家屋敷跡の前の通り。

 

正面から見た武家門。

重久麓は、地頭仮屋跡、寺跡、武家屋敷跡があり、麓の景観が残されています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重久麓(1)

2025-06-14 | 史跡

霧島市国分の重久麓を歩きました。

 

地頭仮屋跡です。

 

右に東襲山(ひがしそのやま)小学校跡の碑があります。

 

小学校跡が地頭仮屋跡です。

 

いろいろな碑があります。左は亡師亡友之碑。

 

さらに進むと学問神社があります。神社の正面は鳥居に対して90度を向いています。

 

社殿。御祭神は菅原道真です。

 

奥に慈恩寺跡の石仏があります。

 

1782年建立の石仏。僧侶が、廃仏毀釈から守るため地中に埋めていたもので、完全な形で残っています。

昭和25年、東襲山中学校建設中に地中から発見されました。

 

多くの古い墓が残っています。

 

立派な五輪塔もあります。

 

麓を歩きます。正面が武家屋敷跡です。

 

庭に立派なイヌマキがあります。

 

石垣が続く武家屋敷前の通りです。

 

立派な武家門があり、江戸時代の雰囲気が残されています。

 

白壁の蔵。

 

右側から見た通り。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢切馬頭観音堂他

2025-06-12 | 史跡

霧島市霧島田口の史跡を3つ紹介します。

 

矢切馬頭観音堂です。この中に馬頭観音があります。

 

鍵がかかって中に入れないため、入口から写したものです。

 

馬頭観音が3体あります。頭の上に馬の顔が乗っています。

 

隣の畜魂碑です。

 

畜魂碑。家畜を大切にしてきたことがわかります。

 

馬頭観音堂から南へ行くと、道路脇に案内板があります。

 

稚児石坂の宝篋印塔の案内板です。

 

宝篋印塔。子供の供養塔と考えられています。

 

田口地域公民館の前にある辻堂の五輪塔です。

 

案内板。

 

古い五輪塔。上の二つは欠損していると書いてあるので、別のものを乗せたのでしょう。

 

隣にある石臼。人が手で回すには大きいので、下の穴に木の突起をつけ、水車の歯車で回したものと考えられます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北埠頭と新波止・一丁台場

2025-05-26 | 史跡

帆船の日本丸を見学してから、北埠頭を散策しました。

 

北埠頭の展望台です。

 

展望台から桜島を望む。右は前回の日本丸。

 

反対側を望む。正面は桜島フェリー桟橋、左は鹿児島水族館です。

 

自航式有人潜水艇「はくよう」です。1971年に建造され2013年まで活躍しました。最大水深300m。

 

正面より見る。錦江湾で、火山性噴気の「たぎり」やサツマハオリムシを撮影しました。

 

桜島フェリー桟橋です。

 

桜島へ向かうフェリー。

 

新波止です。幕末に築かれた石積み防波堤で、ここに砲台がありました。

 

前の写真の海側です。

 

ここの石積み防波堤は、明治初期の一丁台場です。左が北埠頭で、鹿児島水族館があります。

防波堤の穴はイルカの出入り口で、ここでイルカウォッチングができます。

 

北埠頭との間に架かる橋と一丁台場の石積み防波堤。

 

前の写真の右の防波堤です。

 

一丁台場の先端部です。

 

先端部と鹿児島水族館。

 

北埠頭(左)と南埠頭の間に見える桜島。

 

南埠頭にある鹿児島旧港北防波堤灯台です。昭和9年建造で、昭和61年北防波堤は埋め立てられましたが、ここに保存されました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

串木野麓(2)

2025-05-23 | 史跡

いちき串木野市の串木野麓の続きです。

 

串木野城跡を下り、南方神社へ行きます。

 

一の鳥居をくぐって階段を上がります。

 

二の鳥居と神社。

 

南方神社社殿。本社は長野県の諏訪大社です。

 

内部。

 

逆鉾があります。

 

石管水道へ行きます。途中の石柱の門の家です。

 

石管水道です。石垣の上に並べられています。

 

下が個々の石管で、上が縦に並べたものです。引水のため、地下1mのところに、全長110mに渡って埋まっていました。

 

もう一面の石管水道。設置年代は幕末から明治初期です。

 

近景。凹凸の面をつなぐようになっています。穴をあけるのは大変だったでしょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

串木野麓(1)

2025-05-22 | 史跡

いちき串木野市の串木野麓を歩きました。

 

麓の案内板のあるところからスタートです。正面は長谷場純孝誕生地の碑です。

長谷場は安政元年(1854年)麓に生まれ、東京で西郷隆盛と親交がありました。西郷が下野すると鹿児島に帰り、私学校に入って西南戦争に従軍しました。その後政治家になり、衆議院議長を3回、文部大臣を1回務めました。

 

屋敷跡は空き地になっています。向こうの宅地の上が串木野城跡です。

 

奥へ進むと石垣があります。この上が御仮屋跡です。

 

石垣に沿って歩きます。

 

右に武家門の家があります。

 

旧入来邸です。今も人が住んでいます。

 

庭に立派なイヌマキがあります。

 

反対から見たイヌマキ。江戸時代からのものです。

 

武家門の向かいに、串木野城跡入口の案内板があるので、ここを上がります。

 

空堀跡です。

 

土塁跡。

 

平坦な曲輪跡。建物があったり、兵士が集合した場所です。

 

城跡から麓を見る。手前の家の所が御仮屋跡、中央左の空き地が長谷場純孝誕生地です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久住阿弥陀山磨崖仏

2025-05-19 | 史跡

薩摩川内市久住町の久住阿弥陀山磨崖仏を紹介します。

 

案内標識。この50m左の山にあります。

 

案内板です。

 

山の岩壁に磨崖仏が彫られています。

 

中央部。彫られた時代は南北朝時代と考えられています。

 

大日如来、阿弥陀如来、薬師如来などの梵字です。

この時の領主は入来院重門で、戦勝祈願で彫ったと考えられています。

 

左側。苔で覆われてよく見えません。

 

右側にも何か彫られています。

 

近くの日枝神社です。

 

日枝神社社殿。

 

宝篋印塔などの石塔があります。

 

道路向かいにあるスダジイの巨木です。

 

大きく枝を広げた上部。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野供養塔群

2025-05-12 | 史跡

指宿市開聞の上野供養塔群を紹介します。

 

上野神社です。

 

上野神社社殿。

 

境内の小山に石塔群があり、入口にソテツがあります。これらの石塔群は、上野どんの墓と言われます。

 

入口の五輪塔。上野どんは、平家の落人と言われます。

 

高さ150cmの方柱供養塔婆。県下では他に見られないそうです。

 

上の像。

 

小山の上の五輪塔群。中央の2基は上野城主で、夫婦の墓とのことです。

 

近くの観音堂です。

 

六地蔵塔が二つあります。

 

上の六地蔵。

 

もう一つの六地蔵塔です。

 

上の六地蔵。

 

観音堂です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする