このシリーズの最初に、加治木には二瀬戸石(白石)と桃木野石(黒石)があり、二瀬戸石だけを加治木石と言う、と書きました。
最後は桃木野石とその石切場跡を訪ねます。
隈媛神社の前に木田の田の神があります。
桃木野石(黒石)でできた神職型の田の神です。1767年に建立されました。
県内の衣冠束帯型座像の中で最も古いものです。
端正な顔立ちです。古い田の神ですが、ほとんど風化していません。
木田用水を渡って隈媛神社へ行きます。
木田用水の上流を望む。江戸時代の1663年、硬い岩盤のトンネルを掘る難工事の末完成しました。
参道に、両腕のない仁王像があります。
装飾が施された石灯籠。
隈媛神社社殿。
隈媛は人吉領主相良家の息女で、島津義弘公夫人でしたが、島津家と相良家が不和となり離縁させられました。隈媛は辺川のほとりで、17日間両家和睦と自分の復縁を祈りましたがかなわず、川に入水自殺しました。
義弘公はこれを哀れみ、宝現寺を建て媛の菩提を弔いました。廃仏毀釈で隈媛神社になりました。
桃木野集落へ上がっていく途中の道路脇に岩山があります。
桃木野石の石切場跡です。
右側の石切場跡。
切った跡の線が残っており、石切場跡と分かります。
石切場跡を流れる水路。
桃木野集落に田の神があります。
これも桃木野石のようです。