鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

加治木石を訪ねて(7)桃木野石

2024-05-31 | 史跡

このシリーズの最初に、加治木には二瀬戸石(白石)と桃木野石(黒石)があり、二瀬戸石だけを加治木石と言う、と書きました。

最後は桃木野石とその石切場跡を訪ねます。

 

隈媛神社の前に木田の田の神があります。

 

桃木野石(黒石)でできた神職型の田の神です。1767年に建立されました。

県内の衣冠束帯型座像の中で最も古いものです。

 

端正な顔立ちです。古い田の神ですが、ほとんど風化していません。

 

木田用水を渡って隈媛神社へ行きます。

 

木田用水の上流を望む。江戸時代の1663年、硬い岩盤のトンネルを掘る難工事の末完成しました。

 

参道に、両腕のない仁王像があります。

 

装飾が施された石灯籠。

 

隈媛神社社殿。

隈媛は人吉領主相良家の息女で、島津義弘公夫人でしたが、島津家と相良家が不和となり離縁させられました。隈媛は辺川のほとりで、17日間両家和睦と自分の復縁を祈りましたがかなわず、川に入水自殺しました。

義弘公はこれを哀れみ、宝現寺を建て媛の菩提を弔いました。廃仏毀釈で隈媛神社になりました。

 

桃木野集落へ上がっていく途中の道路脇に岩山があります。

 

桃木野石の石切場跡です。

 

右側の石切場跡。

 

切った跡の線が残っており、石切場跡と分かります。

 

石切場跡を流れる水路。

 

桃木野集落に田の神があります。

 

これも桃木野石のようです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加治木石を訪ねて(6)田の神と加治木肝付氏墓

2024-05-30 | 史跡

加治木石の田の神を訪ねます。

 

加治木石の石切場跡(右の山)の隣にある、加治木のシンボル蔵王岳です。

この山は火山岩頸(がんけい)といい、マグマが火道(マグマの通り道)に入って冷えて固まり、周りの軟らかい地質が浸食されてできた山です。

 

蔵王岳の麓の、イヌマキの古木の横に田の神があります。

 

日木山里の田の神です。

 

加治木石(二瀬戸石)でできています。

袖はたすきでたくし上げられ、左手はシキを支え、右手はメシゲを膝の前に持って、今にも踊り出しそうな田の神舞姿です。

 

微笑みの田の神。天保年間(1830~1843年)頃の石工名島喜六の作と言われています。

 

後ろ姿。

 

隣の石像です。

 

イヌマキの古木。

 

墓地の奥に加治木肝付氏墓があります。

 

石灯籠。

 

美しい加治木石の石灯籠です。

 

これは中央の灯籠部が加治木石。

 

宝篋印塔の加治木肝付氏墓です。肝付氏は加治木の後喜入に移りました。

小松帯刀は喜入の肝付家に生まれ、小松家へ養子にいき、島津家の家老として幕末に活躍しました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加治木石を訪ねて(5)日木山宝塔と石切場跡

2024-05-28 | 史跡

今回は加治木石の石切場跡を訪ねます。

 

正面の山は焼山で、ここに加治木石(二瀬戸石)の石切場がいくつかありました。左の尖った山は、加治木のシンボル蔵王岳。

 

焼山の麓にある日枝神社。鳥居は加治木石でできています。

 

日枝神社社殿。

 

日木山宝塔です。加治木親平夫婦の供養塔とも言われますが、定かではありません。

 

1243年建立の北(大)塔。

 

笠石は加治木石です。

 

梵字。これは加治木石ではありません。

 

1242年建立の南(小)塔。これも加治木石ではないようです。

これらは九州で6番目に古く、鹿児島で2番目に古いそうです。

 

石切場跡へ行きます。

 

石切場跡です。

 

垂直に切り出した石切場跡。

 

垂直の岩壁。

 

美しい黄色味を帯びた加治木石です。

この先に主たる石切場だった二瀬戸の石切場跡がありますが、地形が急で道もないため、妻には無理だと思い、ここまでにしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加治木石を訪ねて(4)精矛神社

2024-05-26 | 史跡

精矛(くわしほこ)神社へ行きます。

 

鳥居は加治木石でできています。

 

参道の石燈籠も加治木石です。

 

二の鳥居も加治木石。

 

大河ドラマ「西郷どん」撮影風景の写真があります。

 

階段を上がって神社へ行きます。

 

精矛神社社殿。島津義弘を祀る神社です。

 

社殿の前に、加治木石でできた立派な石灯籠が二つあります。

 

御神木のクスノキです。

 

鳳山和尚が、島津義弘に従い文禄の役に従軍した時、朝鮮から持ち帰った石臼です。

 

この手水鉢も持ち帰ったものです。

 

義弘公ゆかりの小径。加治木名物が並んでいます。

 

このシリーズ2回目に出てきた、護国神社の欄干橋に付けられていた擬宝珠のレプリカです。

 

新しいトイレにも加治木石が用いられています。今は採掘していないのに、よく手に入ったものです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加治木石を訪ねて(3)八坂神社他

2024-05-25 | 史跡

八坂神社へ行きます。

 

神社前の通りの石塀は加治木石です。

 

正面から見た石塀と神社。

 

鳥居も加治木石です。

 

立派な石灯籠があります。

 

これも美しい加治木石(二瀬戸石、白石)です。

 

境内の恵比寿神祠。明治23年の建立で、商工業者、漁業者の守護神です。

 

これは桃木野石(黒石)でできています。

 

網掛川河口近くの左岸にある恵比寿神祠です。

 

加治木石(白石)でできています。

 

屋根部。

 

中の恵比寿様。

 

隣の石灯籠です。

 

美しい加治木石の石灯籠。

 

網掛川河口付近の左岸にある石積み護岸。これも加治木石です。

女性をここに案内している年配の男性がいて、その人によると、姶良市が舗装のためこれを撤去する計画があり、反対運動が起きて保存されることになったそうです。

 

案内板の、対岸から見た石積み護岸の絵です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加治木石を訪ねて(2)加治木島津家屋形跡

2024-05-24 | 史跡

加治木島津家屋形跡へ行きます。

 

 

柁城(だじょう)小学校の石垣です。

 

石垣は加治木石(二瀬戸石)でできています。形が違う石を、隙間なく積む技術には感心します。

 

屋形風の校門も加治木石でできています。

柁城小学校、護国神社、加治木高校を含むこの付近一帯が加治木島津家屋敷跡で、島津義弘が晩年を過ごしたところです。

 

隣の護国神社です。

 

ここの石垣も加治木石です。

 

護国神社の鳥居と社殿。

 

鳥居も加治木石です。

 

護国神社社殿。前に対の石灯籠があります。

 

美しい加治木石の石灯籠

 

境内にある石橋の欄干橋です。前は堀に架けられており、擬宝珠があったので擬宝珠橋と呼ばれました。

 

横から見た欄干橋。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加治木石を訪ねて(1)石蔵

2024-05-22 | 史跡

姶良市加治木町で採掘された加治木石という石があります(今は採掘されていない)。二瀬戸に石切場があったので二瀬戸石とも言います。

石蔵などの建物、石垣、石塀、石灯籠、鳥居などに幅広く用いられました。加治木にあるこれらの石造物や石切場跡を訪ねるまち歩きをしました。

 

加治木郷土館(右)と図書館(左奥)です。

 

庭に多くの石造物があります。左は田の神。

 

中央は鬼面(魔除け)、両側は仁王像です。

 

郷土館の入口に加治木石が使われています。

 

加治木石は、火砕流堆積物が固まってできた溶結凝灰岩です。薄い黄色味を帯びた色合いが美しく、気泡が多いため断熱性や保湿性があり、建築材料として優れています。

 

加治木石(二瀬戸石)の壁の前に、桃木野石でできた田の神があります。1762年造立の神像型田の神で、あごひげがあります。このタイプは小林方面から伝わったそうです。

桃木野石は、二瀬戸石とは別の火砕流堆積物の溶結凝灰岩で、加治木の桃木野に石切場がありました。二瀬戸石を白石、桃木野石を黒石と言います。二瀬戸石だけを加治木石と言い、桃木野石はそう言わないようです。

 

図書館の裏に、加治木石でできた石蔵があります。

 

重厚な入口。郷土館の館長さんに案内していただきましたが、今は使っていないそうです。

 

美しい壁。

 

凹凸をつけてカットし、独特の美しさを出しています。

 

上部。庇が張り出した凝った造りです。

 

石蔵の裏は柁城(だじょう)小学校で、校庭にセンダンの巨木があります。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国分広瀬の潮遊池

2024-05-20 | 水辺の風景

霧島市国分広瀬の潮遊池を紹介します。

 

潮遊池のほとりにある住吉大明神です。

 

正面より見る。神社は石祠です。

 

隣にある小村新田干拓記念碑。この付近は江戸時代末期の干拓地です。

 

石碑の前にある、いかめしい顔の像。

 

神社の前の井戸から湧水しています。自噴しているのでしょうか。

 

潮遊池です。向こうの海とは堤防で仕切られています。

ここで毎年8月16日、ハンギリ出しという盆の精進落とし行事が行われます。

 

ハンギリとは馬の飼葉桶のことで、これと孟宗竹を組み合わせたいかだに乗り、投網でエッナ(ボラの子)を捕る伝統行事です。最近はエッナが捕れなくなっているそうです。

 

池の周囲の松は、1755年に薩摩義士が宝暦治水工事の完成を祝い、薩摩から取り寄せて植えた松の子孫です。木曽三川千本松原を愛する会が、種から育てたものを贈りました。

 

里帰りの松。

 

隣の潮遊池。ここの松も里帰りの松です。

 

堤防から見た潮遊池です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一石双体の田の神

2024-05-18 | 田の神

いちき串木野市の一石双体の田の神を3つ紹介します。

一石双体の田の神というのは、一つの石に二つの田の神が彫られているもので、串木野と川内に多いです。

 

 鏑楠(てきなん)の一石双体(並立)の田の神です。

 

小高いところで、周囲に田んぼはありません。

 

右が男性、左が女性です。1842年の建立です。

 

男性はメシゲとお椀を持っています。

 

女性は手振錫杖(神楽で使う鈴のように音がでるもの)を持っています。

 

南方神社に並立鳥居があります。

 

鳥居の前に、福薗の田の神があります。1862年の建立です。

 

男性はメシゲとお椀を持っています。

 

女性は手振錫杖を持っています。

 

河内の田の神です。

 

左が男性、右が女性です。

 

男性は大きなメシゲを抱えており、女性は笏を持っています。建立は1860年です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内山田の鼻んす

2024-05-16 | 史跡

霧島市隼人町内山田の鼻んすを紹介します。

 

鼻んすは用水路のトンネルのことです。

江戸時代の1711~1716年に、新田開発のため造られた宮内原用水で、天降川上流の水天渕から取水しています。

 

鼻んすとは鼻の穴のことで、形が似ていることからそう呼びます。

 

2連アーチトンネルにしているのは、トンネルが崩れるのを防ぐためです。

今はコンクリートやモルタルで補強していますが、元は素掘りトンネルだったでしょう。

 

右のトンネル。

 

左のトンネル。アーチ部はモルタルで覆っているだけです。

 

下流を望む。

 

上流から見たものです。平成14年の道路建設で一部削られましたが、消滅を免れました。

 

上流から見た近景。江戸時代の土木技術を知る貴重な遺産です。

 

上流を望む。この上流に鹿児島神宮があり、その前を流れています。

天降川の水天渕の取水口はこちらです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする