鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

玉里邸庭園(2)

2011-06-30 | 史跡

玉里邸庭園の続きです。

  

茶室。 

 

茶室の中。 

 

茶室から見た池です。 

 

茶室の前に、1枚ものの大きな石橋があります。 

 

茶室前の石橋と、池の石橋のツーショット。 

 

キリシタン燈籠。 

島津斉興の娘「勝姫」がひそかに拝んだとされており、形、デザインともに変わっています。

 

水道高枡。約150年前の水道施設です。 

 

石燈籠と石橋。 

 

巨石。磯の海岸から運んだそうです。 

 

 タイサンボク(モクレン科)の古木もあります。樹齢約180年。

鹿児島市指定保存樹です。

 

ちょうど花が咲いていました。気品のある大きな白い花です。 

(撮影日:6月25日)

 

 玉里邸の近くに伊敷病院があり、その裏にお由羅屋敷跡があります。

島津久光の母、由羅が住んでいた屋敷です。薩摩藩のお家騒動、お由羅騒動の元になった女性です。

民家になっていますが、庭園はそのままだそうです。

 

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玉里邸庭園(1)

2011-06-28 | 史跡

鹿児島市玉里町にある玉里邸庭園が一般公開されるようになったので、行ってきました。

鹿児島女子高校の敷地内にあります。

玉里邸庭園は、平成19年7月、国の名勝に指定されました。

 

玉里邸庭園は、島津斉興が天保6年(1835年)に造った大名庭園です。

これは黒門で、明治20年の島津久光の国葬の時に造られました。 

 

黒門の脇の石塀。左に鹿児島女子高校があります。 

 

黒門。 

 

黒門の前の通りは、久光の棺を福昌寺に運ぶために造られた道路で、国葬道路といいます。

5月18日、マロニエを紹介した道路です。 

 

黒門を入ると、正面に石敢當があります。 

 

下御庭の鶴の池。 廻遊式庭園です。

なお、上御庭の亀の池は女子高の校庭にあり、一般公開されていません。

 

池に建つ朝鮮燈籠。 

 

中島との間に架かる石橋。 

 

前の石橋を正面から見たものです。 

 

池に張り出した石橋もあります。 

 

 石燈籠。江戸時代末から明治にかけて造られた、さまざまな形の石燈籠があります。

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加治木郷土館の田の神他

2011-06-26 | 田の神

訪ねたのは以前ですが、田の神を3体紹介します。

 

 加治木に加治木郷土館があり、そこの庭にある田の神です。

 

 日木山里の田の神に似ています。

田の神舞の姿です。

 

 国分下井の乙宮神社境内にある田の神です。

国分南小の西にあります。 

 

 体つきがちょっと変わっています。

 

 乙宮神社。

還暦記念の碑がたくさんあり、地域の人が還暦を迎えたらお参りをする神社のようです。

 

 前の田の神から、県道を北へ行くと、国分山下町に久満崎(くまさき)神社があり、そこにある田の神です。

 

  首は補修されており、首から上が変わった形をしています。

 

 久満崎神社。

昔は、国分郷の総社だったそうです。

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読書クラブ

2011-06-24 | エッセイ

高校生の時、週1回、全員参加の部活動があり、私は読書クラブというのに入った。

顧問の国語教師が指定する本を読むだけで、先生がその作品の解説をするでもなく、読書感想文を書いたり述べ合ったりするでもない、実に気楽なクラブだった。

そのとき読んだ本を挙げると・・・

 

「小僧の神様」

ご存知、志賀直哉の名作である。

ちなみに、志賀直哉を小説の神様というのは、この作品から来ている。

短編集だったので、他に「城の崎にて」、「清兵衛と瓢箪」などの名作に触れることができた。

 

「風車小屋だより」

作者のドーデが、プロヴァンスの廃屋となっていた風車小屋に住み着き、南フランスの美しい風景や村人から聞いた物語を、パリに住む友人たちに書き送るという短編集である。

この中に「アルルの女」がある。ドーデはその後、これを基にした戯曲を書き、ビゼーが曲をつけて広く知られる作品となっている。

「星」という作品は、ある羊飼いの思い出話である。

男は若いとき、山の上でひとり暮らして羊の番をしていたが、主家のお嬢さんに憧れていた。

月2回、食料を運んでもらうのだが、ある日、いつも運んでくれる人が都合で来れなくなり、お嬢さんがラバに乗って運んできた。

お嬢さんは帰って行ったが、川が増水して渡れなくなり、羊番の小屋に泊まることになった。

若者は火を焚いて暖め、お嬢さんと並んで座り、星空を眺めて星座の名前や物語を語ってあげた。

やがて肩に重みを感じたが、お嬢さんが眠くなって頭を乗せてきたのだった。

若者は、空から美しい星が落ちてきて肩に止まったのだと思った・・・

 

これらの作品は、名作といわれるものであり、国語教師が高校生に読ませたいというのはわかる。

 

少し意外だったのは、遠藤周作の「おバカさん」。

遠藤周作はこのあと「わたしが・棄てた・女」、「沈黙」などの作品を書き、狸狐庵のぐうたらシリーズがヒットして、日本を代表する作家となるのだが、当時は「高校生に読ませたい名作の作家」という評価はまだなかったのではないかと思う。

「おバカさん」はフランスから日本へやって来た、風采の上がらない青年ガストンが主人公である。

お人よしで、要領が悪く、人の世話ばかりしているおバカさんで、「わたしが・棄てた・女」や「沈黙」の主人公と共通する、キリスト教を背景にした小説だった。

私は、このあと多くの遠藤作品を読むこととなる。

 

何の気なしに入った読書クラブだったが、私のその後の読書人生に、多少なりとも影響を与えたのだった。

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山川の史跡

2011-06-22 | 史跡

山川の史跡を巡りました。

 

 さつまいもとザビエル上陸の地です。

1705年、前田利右衛門が琉球からさつまいもをこの地に持ち帰りました。

また、1549年、ザビエルが上陸したのもこの付近だとされています。

 

 前の写真のすぐ前が漁港になっています。

山川の史跡巡りは、山川石を巡ることでもあります。 

これは正龍寺の仁王像。

 

左の 阿像。

 

右の吽像。 

 

御仮屋跡の石塀で、これも山川石です。

今の指宿市山川支所です。 

 

 山川支所にある山川石のガマ。

 

山川石の塀と石敢當。 

 

山川薬園跡。薩摩藩の薬草園で、1659年に開園しました。

レイシ・ハズ・キクコ・カンラン・リュウガンなどが植えられていました。

 

 唯一残るリュウガン(ムクロジ科)の古木(樹齢300年以上)。

明治の終わりまでは、東京の島津邸へ献上されていました。

今も実がなるそうです。

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山川港

2011-06-20 | 水辺の風景

指宿市の山川港の風景です。


五人番のところから眺めた山川港。
海底火山の噴火で出来た天然の良港です。
砂嘴の形状が鶴のくちばしに似ていることから、江戸時代には「鶴の港」と呼ばれていました。


ウィキペディアより)
空から見たらそれがよくわかります。


砂嘴の先端付近から湾奥を望む。

ザビエルのキリスト教伝来や、前田利右衛門のさつまいも伝来の上陸の地といわれています。


漁港の風景。
この付近に、ザビエルや前田利右衛門が上陸したそうです。



魚市場の岸壁です。


カツオの水揚げがされていました。


番所鼻。砂嘴の先端です。
江戸時代は番所が置かれ、港を守っていました。


前の写真のアップ。
大正12年には、ここが陥没するという事件が起きたそうです。
次回は、山川の史跡を訪ねます。

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一之宮神社

2011-06-18 | 史跡

鹿児島市郡元にある一之宮神社を紹介します。
中郡小学校の隣にあります。


一之宮神社。
御祭神は天照皇大神です。


社殿の骨格は明治30年の建築です。
太平洋戦争で焦土と化した鹿児島市中心部では、現存する唯一の木造社殿だそうです。



境内には多くのクスノキの古木があり、街中で鎮守の森を形成しています。

これらのクスノキは、鹿児島市の保存樹に指定されています。



社殿の後ろにある御神木のクスノキ。


境内にある弥生式住居跡の史跡。
昭和25年、竪穴式住居跡4基が発見されました。


竪穴式住居跡。
集会所と見られる住居跡は、直径6mだそうです。


力石と桜の古木。
力石は、昔の若者が肩まで担いで力を競った石で、重さ106キログラムです。

 

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西之表のガジュマルと誠の碑

2011-06-16 | 巨樹・古木

種子島の西之表にあるガジュマルの巨木を紹介します。


東町公民館の近くにあるガジュマルです。
クワ科で、主に種子島以南に分布する亜熱帯植物です。


前の写真の反対から見た根元。
樹齢150年です(と書いてある看板が古いから、160年以上かも)。


見事な気根が垂れ下がっています。


西之表市役所の門のところにも、2本の大きなガジュマルがあります。
昔はここが正門でしたが、今は反対側になっています。
このガジュマルは、昭和32年、高さ2mの枝を挿し木して現在に至っているそうです。
50数年しかたっていませんが、成長が早いです。


向かって右のガジュマル。


向かって左のガジュマル。

西之表の町から南へ行くと、古田地区に鹿之峯という集落があります。
種子島の高台にある山中で、文字通り鹿が出る峯です。
ここに、誠の碑という石碑があります。

誠の碑の公園。


種子島を守備していた第13573部隊600名が、終戦時、1年半に渡る島民との心の絆と平和希求の証として、大きな自然石に「誠」の文字を刻んだものです。


「誠」の文字。
何年か前、戦友たちがここに集まったそうです。

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金峯山の岩屋観音

2011-06-14 | 史跡

南さつま市金峰町の金峯山にある岩屋観音を紹介します。


金峰町のシンボル金峯山(636.3m)。
かつては修験霊場として山伏が修行を行っていたそうです。
この山の中腹に岩屋観音があります。


道の駅きんぽう木花館にある木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の像。美女だったんですね。
木花咲耶姫は、ここ阿多の地の娘で、そのひ孫が神武天皇だそうです。
金峯山は、神話のふるさとでもあります。


車道からの登り口。


杉木立の山道を登って行きます。


山道の終点に大きな岩の壁があり、下に祠があります。


祠のうしろに岩屋(洞窟)が見えます。


岩に大きな割れ目があり、その下が岩屋となっています。


胎内のような岩屋の内部。小さな祠が祭られています。
ここは山伏の修行の場だったのでしょう。

このような岩屋観音はあちこちに見られ、山の中の洞窟は信仰の場となっているようです。

 

 

 

今日の絵手紙。

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アンズ

2011-06-12 | 食べ物

長野に住んでいたとき、アンズの花がきれいだったので、鹿児島の自宅の庭にアンズの木を植えました。 

 3月中ごろ、アンズの花が咲きました。庭で花見が出来ました。

 

  6月上旬、アンズが実りました。

最近、実の付きが悪かったのですが、人工授粉をしたのがよかったのかもしれません。

 

梅よりも大きいです。 

 

 収穫です。

 

 オレンジ色のアンズ。

生食はせず、加工品として利用します。

 

 アンズ酒を作りました。作り方は梅酒と同じで、ホワイトリカーにアンズと氷砂糖を入れ、冷暗所で数ヶ月置きます。

 

 

アンズジャムも作りました。

 

 これは、カリンジュースです。去年の秋、自宅のカリンで作ったもので、果肉を取り出しました。

あめ色のおいしいジュースが出来ました。のどにいいです。

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