鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

鶴丸城とその周辺(2)

2013-01-30 | 史跡

鶴丸城の周辺の史跡です。

 

西郷隆盛が下野して、鹿児島に帰ってから開いた私学校跡です。

 

私学校の石垣に、西南戦争の弾痕が数多く残されています。

 

鶴丸城の隣にある薩摩義士の碑。

 

薩摩藩は、幕府から木曽川治水工事を命じられましたが、工事は困難を極め、84名の犠牲者と40万両を費やして完成させました。

総奉行の家老の平田靭負(ゆきえ)は、犠牲者と工事費の増大の責任をとって自刃しました。

 

城山に登っていく途中に、西南戦争で西郷隆盛が最後に立てこもった西郷洞窟があります。

 

洞窟のあまりの小ささに、観光客はたいてい驚くそうです。

 

西郷さんの像と、トンネルに西南戦争始末記三十六景展示場があります。

 

トンネル内に、西南戦争の絵図が展示されています。

 

さらに登ったところにある石仏十三体です。

谷山の慈眼寺など鹿児島のあちこちに、弘法大師の像88体がありますが、ここにはそのうちの13体があります。

 

石仏の一つです。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴丸城とその周辺(1)

2013-01-28 | 史跡

鶴丸城とその周辺には、史跡が多いので散策しました。

 

城山をバックにした西郷隆盛の銅像。

 

鹿児島市立美術館です。

 

美術館の庭にある「じめさあ」の像。西郷さんの像の裏にあります。

じめさあとは、島津家18代家久の奥方持明院様のことで、器量には恵まれませんでしたが、その人間性が尊敬されたそうです。毎年、化粧する様子がテレビで放送されます。

 

石垣の通り。門は鹿児島県立図書館です。

 

 

鶴丸城の石垣と堀です。

 

鶴丸城跡の大手門。

 

大手門を正面から見る。橋は石橋の大手橋。

 

側面から見た大手橋。

 橋長:15.75m

 幅員:8.18m

 支間数:6桁

 架設年代:文化7(1810)年

 

鶴丸城跡です。今は、歴史資料センター黎明館になっています。

 

黎明館の庭にある篤姫の像。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春の旅

2013-01-26 | エッセイ

大学2年の夏休み、九州1週の一人旅をした。

私の中学では、3年生の修学旅行で九州旅行をするのが慣例だったが、その年は台風で甚大な被害を受け、親に負担をかけられないというので中止になった。

このため、私は鹿児島以外の九州を見たことがなく、ぜひ見てみたいと思ったのだ。

 

貧乏旅行だったので、宿泊にお金はかけられなかった。

福岡では、九州大学の学生寮に行き、1泊100円で泊めてもらった。

私も寮にいたので、そういう制度があることを知っていたのだ。

寝るのは、集会所などの和室の共同スペースであり、そこにいると、学生が自分の部屋に誘ってくれた。

鹿児島の甲南高校出身の3年生だった。

同室の寮生は皆帰省しており、彼一人が残っていた。

同じ鹿児島県人ということもあり、焼酎を飲みながら遅くまで語った。

本当はいけないのだが、空いているベッドに寝ていいというので、そこに寝た。

長崎では、平和公園、グラバー邸、眼鏡橋などの市内観光をして、長崎大学の寮に泊り、夜は稲佐山から夜景を眺めた。

 

当時は、若者の旅行ブームのときであり、リュックを背負って旅をする「カニ族」などという言葉があった。

このときも、多くの若者の旅行者がいた。

中央大学3年生の女子学生と知り合い、雲仙から熊本まで一緒に旅をした。

サングラスをかけた都会的な雰囲気の女性だった。(サングラスを頭に載せた彼女の写真が、私の古いアルバムに貼ってある。)

当時、私の周りには、ファッションでサングラスをする女性などおらず、東京の女は垢抜けていると思った。

 

阿蘇では、関西の私立大学2年の男と知り合いになった。

彼は、奈良○○ホテルの御曹司であり、ぼんぼんだった。

種子島育ちの貧乏学生の私とは対照的だったが、そんな彼が、なぜか私と一緒に旅をしたいと言い、自分はすでに済ませていたにもかかわらず、私の阿蘇観光につき合ってくれた。

一緒に別府まで行った。

私の宿が決まっていない、と言うと、自分の泊るホテルに泊ろう、と言う。

ホテル代は4千円だった。当時、安い宿なら千円以下で泊れた時代である。

その安宿代さえ節約している私にとって、4千円の出費は痛かったが、なけなしの金をはたいてホテルに泊った。

おまけに、夜は温泉街でストリップ見学につき合わされた。

 

別府観光をした後、彼と別れ、私は宮崎に向かった。

寮で同室の1年先輩が、宮崎市の実家に帰省していたので、そこに泊めてもらった。

ここでは御両親の歓迎を受け、豪華な夕食をご馳走になった。

あくる日は、先輩の案内で宮崎県内を見て回った。

別府での散財とは逆に、宮崎では1銭も使わず観光できたのだった。

 

このような旅は、今、したいと思ってもすることができない。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮ケ浜のアコウ

2013-01-24 | 巨樹・古木

指宿市宮ケ浜の報国神社にある日本一のアコウは、これまでも紹介しましたが、再訪しました。

 

報国神社とアコウの木。

 

アコウは、社殿のすぐ手前にあります。社殿と比べて大きさがわかると思います。

 

アコウ(クワ科)の全容。

 幹周り:14.6m

 幅:20m

 樹齢:約300年

多くの木が寄生しています。海上から目立ち、昔から船頭さんが航行の目印にしたそうです。

 

前の写真の反対から見たもの。

 

中部。

 

根元。

 

左が今まで見たアコウです。これより小さいですが、右にもアコウがあります。

 

右のアコウ。これもかなり大きな木です。

 

根元。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

維新ふるさと館

2013-01-22 | 施設

鹿児島市加治屋町の維新ふるさと館を紹介します。

 

甲突川左岸にある維新ふるさと館。

 

入口を入ったところです。

 

武家門があり、中に下級武士の生活が展示されています。

 

薩摩琵琶です。

 

薩摩藩が建造した日本初の様式軍艦「昇平丸」の模型です。船印として「日の丸」を掲げました。

 

西郷隆盛の顔。大久保利通の顔もあります。

 

再現された大奥。

左が、大河ドラマ「篤姫」で篤姫役の宮崎あおいが着た衣装、右が和宮役の堀北真希が着た衣装です。

 

2分の1の模型のポンドカノン砲。多くの大砲が磯の集成館で造られました。

 

薩摩切子です。これも集成館で造られました。

維新ふるさと館

 年中無休

 開館時間:9時~17時

 入館料:大人300円 小人150円

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

維新ふるさとの道

2013-01-20 | 史跡

鹿児島市加治屋町は、西郷隆盛、大久保利通を初めとする明治維新の偉人を多く生んだところです。

そこにある「維新ふるさとの道」を紹介します。

 

高麗橋を上流から望む。

石橋でしたが、今は石橋記念公園に移設されています。

 

高麗橋から上流を望む。写真右側(甲突川左岸)が維新ふるさとの道です。

 

維新ふるさとの道入口。

 

甲突川沿いの道は桜並木になっており、多くの歌碑が並んでいます。

 

再現された武家屋敷。

二つ屋と呼ばれる住居形態で、格式を重んじる「おもて」と、日常生活の「なかえ」がつながった造りです。手前が台所などがある「なかえ」。

 

武家屋敷内部。こちらは「おもて」です。

 

甲突川上流を望む。右の建物は維新ふるさと館。

 

西郷隆盛誕生の地の碑。

 

大久保利通生い立ちの地の碑。

誕生の地は甲突川下流の右岸側ですが、西郷さんのすぐ近くで育ちました。

 

大久保利通の銅像。

次回は、維新ふるさと館を紹介します。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

養母の田の神他

2013-01-18 | 田の神

日置市東市来町の田の神を4体紹介します。

 

元養母にある養母の田の神です。2体の田の神があります。

鹿児島県指定有形民俗文化財です。

 

表情ははっきりしません。両手でシャクを持っています。

像立は1769年です。

 

右下にある田の神。

2体とも、袖が立派です。

 

後姿。田んぼを見つめています。

 

県道仙名伊集院線の牟田口バス停近くにある田の神です。

12月22日に紹介した鉾前田橋跡の架橋記念碑の脇にあります。

 

頭と体に白いものがくっついています。

 

餅です。豊作のお礼なのでしょうか。

 

本物のワラヅトを背負っています。

 

県道養母長里線の田代バス停近くにある田の神です。

 

自然石に彫られ、右手にメシゲを持っています。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諸正岳

2013-01-16 | 風景

日置市伊集院町飯牟礼の諸正(もろまさ)岳に登りました。

 

茶畑の向うの諸正岳(301.4m)。

 

登山口。

案内板に従って右の道を行くと、人家の庭に入っていきます。牛小屋の脇を通って登山道に行きます。

 

杉林と孟宗竹の間を通っていきます。

 

あちこちに植物の名前を書いた標識があり、自然観察にいいです。

 

広葉樹の坂道を登っていきます。

 

看板がたくさんありました。地域の子供が植樹をして、名前を書いて立てています。

 

30分で諸正岳山頂に到着です。

右の木の下の白い箱にはノートがあり、登山者の名前を書くようになっています。

 

山頂からの眺め。伊集院の町や、遠く三重岳などが望めます。

 

先ほど通った茶畑です。白い柱は防霜用のファンです。

 

桜島も望めます。ちょうど噴火していました。

 

山頂近くで見たアオキ(青木、ミズキ科)の青い実。もうすぐ真っ赤な実になります。

諸正岳は、低山でハイキング気分で簡単に登れる山ですが、その割には山頂からの眺めがいいです。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石橋記念館

2013-01-14 | 施設

石橋記念公園内にある石橋記念館を紹介します。

 

石橋記念館。

 

館内から窓越しに、西田橋と桜島が望めます。

 

石橋の歴史や建造に関するさまざまな展示があります。これは石切り場の作業の様子。

 

石の加工場の様子です。

 

さまざまな道具を使って加工しています。右は石を割っているところ。

 

木製アーチの上にアーチ石を並べていきます。

 

武之橋の基礎構造です。梯子胴木の上に基礎石を乗せます。

甲突川の石橋の撤去作業を見ましたが、梯子胴木は最近切り出したように新鮮でした。

 

前の写真の上部。最上段から左右にアーチを組んでいきます。

 

西田橋の高欄です。

 

歴代の西田橋の擬宝珠です。

石橋記念館

 開館時間:9時~17時(7月、8月は19時まで)

 入館料:無料

 休館日:毎週月曜日、12月31日~1月2日

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石橋記念公園

2013-01-12 | 石橋

鹿児島市の石橋記念公園は、これまでも紹介しましたが、正月明けに再訪しました。

甲突川五石橋のうち、新上橋、武之橋が平成5年鹿児島豪雨で流失し、残る西田橋、高麗橋、玉江橋がここに移設されました。

 

右岸側から見た西田橋。

現役時代は幹線道路にあり、多くの車が通っていました。

 

上流から見た西田橋。

 橋長:49.5m

 幅員:6.2m

 架設年:1846年

 

アーチの中の桜島。

 

西田橋の上部。向こうは、西田橋御門。

 

西田橋御門側から見た西田橋。

 

高麗橋です。これも幹線道路にありました。

 

上流から見た高麗橋。

 橋長:54.9m

 幅員:5.4m

 架設年:1847年

 

下流より。

 

玉江橋です。

 

上流左岸から見た玉江橋。

 橋長:50.7m

 幅員:4.0m

 架設年:1849年

 

上流より。一番左のアーチは見えません。

これらの石橋は移設されていますが、水の上に架かっているのがいいです。

 

甲突川五石橋を架橋した岩永三五郎の像。

次回は、石橋記念館を紹介します。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする