福昌寺跡
2008-01-04 | 史跡
福昌寺跡は、鹿児島市池之上町にあります。
福昌寺は、1394年島津家7代元久が建てた寺で、島津氏歴代の菩提寺でした。
明治2年の廃仏毀釈により廃寺となりました。
廃仏毀釈は、鹿児島県では徹底的に実施され、ほとんどの寺が廃止されました。
それは薩摩の藩主の菩提寺でも同じでした。
現在、跡地は玉龍高校となっており、隣に墓地だけが残っています。
福昌寺跡の入り口。
島津義弘など、歴代藩主の墓が並んでいます。
亀の背中に乗った石碑。
1500人の修行僧がいた大きな寺で、フランシスコ・ザビエルと親交のあった東堂忍室和尚や、西郷隆盛、大久保利通を悟した無参和尚など、多くの名僧を出した寺でした。
福昌寺は、1394年島津家7代元久が建てた寺で、島津氏歴代の菩提寺でした。
明治2年の廃仏毀釈により廃寺となりました。
廃仏毀釈は、鹿児島県では徹底的に実施され、ほとんどの寺が廃止されました。
それは薩摩の藩主の菩提寺でも同じでした。
現在、跡地は玉龍高校となっており、隣に墓地だけが残っています。
福昌寺跡の入り口。
島津義弘など、歴代藩主の墓が並んでいます。
亀の背中に乗った石碑。
1500人の修行僧がいた大きな寺で、フランシスコ・ザビエルと親交のあった東堂忍室和尚や、西郷隆盛、大久保利通を悟した無参和尚など、多くの名僧を出した寺でした。