鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

山ケ野金山跡(4)

2019-02-19 | 史跡

住居跡の石垣から坂道を登っていきます。

 

右が夢想谷に行く道、左下が火入れ坑に行く道です。

 

火入れ坑です。硬い岩盤は火を焚いてもろくして掘り進んだため、この名があります。

 

坑口。この辺一帯が、一番金の産出したところです。

 

中には水が溜まっています。少し進むと、たて坑があり、永野からの大坑道につながっているそうです。

 

元の道に戻って進むと、右に賽の神があります。

 

賽の神(道祖神)です。

 

夢想谷に行く峠近くに、とじ山坑があります。写真左にも2つの坑道があり、計4つの坑道があります。

 

前の写真の右の坑口です。

 

中をのぞくとたて坑があり、垂直の坑道が見えます。

 

正面の横坑。

 

さらに進むと二つの坑道が見えます。

 

前の写真の右の坑口。

 

内部。4つの中で一番大きいです。

 

峠から左下の道を進むと、夢想谷へ行きます。

 

右の広場は江戸ケ谷千軒跡です。千軒とは鉱夫の住居で、山ケ野金山に5か所あったそうです。

 

前の写真に見える坑口。

 

内部。

 

徳源社です。山ケ野金山の創業主、島津久通(徳源公)を祀る神社です。

 

碑が建っています。

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山ケ野金山跡(3)

2019-02-18 | 史跡

御座所跡から山ケ野小学校跡へ行きます。

 

普請方跡です。

 

石風呂と五右衛門風呂がありました。

 

石風呂の中です。焚口の金属が残っています。

 

石橋を渡って山ケ野小学校跡へ行きます。

 

下流から見た石橋。

 橋長:4.63m 

 幅員:2.42m

 架設年代:不詳

 

上流より見る。

 

山ケ野小学校跡の石垣。お城の石垣のように立派です。

 

山ケ野小学校跡です。

 

校舎の一部が残っています。明治12年創立で、昭和46年閉校です。

 

校庭の横のセンダンの巨木。山ケ野の歴史を見てきたことでしょう。

 

校庭から山ケ野集落を望む。

 

御座所後に戻り、石垣の集落を山側へ行きます。

 

石塀がありますが中は廃屋です。

 

フランス人鉱山技師ポール・オジェ宅跡。明治10年に招かれましたが、いろいろ困難な問題があって明治13年に解雇しました。

 

精錬所跡。広い敷地で石垣などが残っています。蒸気で杵を動かして精錬していました。

明治40年、永野に電力による精錬所が完成し、ここは操業を停止しました。

 

自稼掘坑跡。近代的な坑道が整備されるまで、鉱脈を掘り進めるたぬき掘りが行われ、運搬、排水、通風に苦労しました。このような小さな坑道が千以上あるそうです。

 

斜面に立派な石垣が残っています。

 

住居跡です。中は荒れており、井戸が残っていました。

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山ケ野金山跡(2)

2019-02-17 | 史跡

山神社を後にして歩きます。

 

紅白の椿が咲いていました。

 

石垣の道を進みます。

 

山先役宅跡です。山先役は、山の操業や町の運営に携わった人です。

 

武家門。

 

門の屋根のしゃちほこ。風格があります。

 

立派な石蔵があります。

 

山ケ野金山奉行所跡です。

 

御座所(御仮屋)跡。島津藩主が来たとき、御座所となったところです。

 

門を進むと、右にモミの木の巨木があります。

 

モミの木の巨木。

 

イヌマキの古木もあります。樹齢300年以上だそうです。

 

山ケ野ふれあい交流館です。ここで、金山の歴史に詳しい地元の方に会って、案内していただきました。

 

中に、郷土資料展示室があります。

 

昔の写真などが展示されています。

 

トロッコ電車。薩摩坑口というのは、隣のさつま町の永野金山のことで、山ケ野金山と坑道でつながっていました。

 

金鉱石です。昔の掘削ズリには、金が入っているものがあるそうです。金鉱石を一ついただきました。

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山ケ野金山跡(1)

2019-02-16 | 史跡

霧島市横川町の山ケ野金山跡を散策しました。

山ケ野金山は、1640年、宮之城領主島津久通によって発見され、昭和28年(1953年)に閉山されました。多い時は2万人が住んでいたそうです。

 

金山口屋(関所)跡。無手形のもの、金の密売、キリシタンなどを取り締まりました。

 

刑所(牢屋)跡。

 

田町遊郭跡。九州三大遊郭と言われ、6軒の遊女屋があったそうです。今は田んぼになっています。

 

右は石橋、中央はえびす堂です。

 

えびす堂。

 

石橋の夷橋です。

 橋長:6.42m

 幅員:3.35m

 架設年代:不詳

 

上流から見た夷橋。

 

夷橋から上流を望む。川は、天降川の源流になります。

 

堰から落ちる滝です。

 

立派な門とイヌマキのある家があります。

 

郷士門です。中の家は廃屋になっています。

 

2枚前の写真に見える山ケ野橋です。

 橋長:4.26m

 幅員:2.06m

 架設年代:不詳

 

右岸から見た山ケ野橋。

 

山ケ野橋を渡ったところが護念寺跡です。

 

石塔などが残っています。

 

さらに上流へ行くと、山神社があります。

 

山神社社殿。

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ホヤ

2019-02-14 | 食べ物

今回は宮城の食です。鹿児島市伊敷台のAコープで、宮城県の海産物販売展がありました。

仙台に6年間住んでいたので、懐かしくて行きました。

 

Aコープいしき店。

 

宮城県産地直送のコーナーです。多くの海産物の冷凍食品や加工品がありました。

 

中でもホヤの加工品がたくさんありました。仙台にいるとき、ホヤはよく食べました。

 

ホヤの乾物。

 

チラシがありました。ホヤは赤い色で突起があり、少しグロテスクです。皮をむいて中の身を生で食べることが多いです。

 

タラ白子。

 

生食用のホヤを買いました。

 

ほやフライです。

 

金華さば塩麴漬も購入しました。

 

生食用のホヤときゅうり、ワカメの酢の物。これが最も一般的な食べ方です。

鼻にツンと来る刺激臭があり、好き嫌いが別れる食べ物ですが、好きな人にはたまりません。

 

ホヤフライ。生ほどではないですが、ホヤの風味があります。

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川路利良誕生地

2019-02-12 | 史跡

鹿児島市の三重岳から下りて、皆与志小学校の近くにある川路利良誕生地へ行きました。

 

小学校を右に見て進むと、道路左に川路利良誕生地があります。

 

入口のカイヅカイブキの古木。

 

川路利良は、1834年、鹿児島市皆与志町で生まれました。16歳で藩に出仕し、片道12kmの道を通ったそうです。

 

1年間のヨーロッパ視察を終え、新しい警察制度の創建に尽力し、東京警視庁の初代長官として大警視に任命されました。

 

鹿児島に帰郷した西郷隆盛とたもとを分かち、西南戦争では官軍の抜刀隊として薩軍と戦いました。

大河ドラマ「西郷どん」でも、最後に薩軍と戦うシーンがありました。

 

皆与志小学校に寄りました。

 

二宮金次郎の像があります。

 

今は珍しいです。

 

この地区は棒踊りの伝統芸能があるらしく、校舎の壁画に描かれています。

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三重岳(2)

2019-02-10 | 風景

鹿児島市の三重岳登山の続きです。

 

鳥居のところから山道を登り、峠に着きました。

 

向こうに牧神の碑があります。

 

牧神の碑です。江戸時代に、前回紹介した牧場で、馬の放牧が行われていたと思われます。

 

手水鉢。文政四年(1821年)と、奉納者の前田という姓が見えます。

 

この碑には明和二年(1765年)と、江田、有川の姓が刻まれています。

 

山頂まで1000mです。ここから下りになります。

 

広葉樹の斜面を下りて行きます。

 

鞍部に着きました。

 

再び急な斜面を登っていきます。

 

緩やかな斜面になりました。頂上まで5分です。

 

樹木には名前が貼られています。

 

三重岳山頂(486.4m)に着きました。三角点があります。周囲に木が生えており、展望はあまりよくないです。

 

鹿児島市吉野方面と桜島が望めます。反対側には、木々の間に八重山が見えます。

 

先ほどの鞍部に下りてきました。来る時は右の道を下りてきましたが、左へ行き林道を通って帰ります。

 

林道を通って、鳥居の所へ帰りました。

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三重岳(1)

2019-02-08 | 風景

鹿児島市の三重岳(486.4m)に登りました。

 

皆与志小学校の北に皆与志農村広場があり、ここから歩きました。

 

三重岳自然遊歩道になっています。

 

スダジイの巨木の横を歩きます。しばらく舗装道路が続きます。

 

アオキ(青木、ミズキ科)の実。

 

ガマズミ(スイカズラ科)の実。

 

モウソウチクの横を歩きます。

 

峠に着きました。三重岳はここを右へ行きます。左に大きなタブの木があります。

 

大きなタブの木。

 

タブの木の向こうは牧場です。姿は見えませんが、牛を放牧しています。

 

峠から右へ行き、三重岳山頂を目指します。

 

少し行くと広場があり、駐車場やトイレがあります。

 

広場から鹿児島市街地を望む。

 

林道開設記念碑です。

 

右下が林道で、ここからも三重岳に行けますが、牧神の碑を見るため鳥居へ進みます。

ここから本格的な登山道です。

 

鳥居をくぐると水道やかまどがあり、キャンプ場になっています。かまどは最近使った跡はありません。

 

山道を登っていきます。峠に牧神の碑があります。

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フラワーパークかごしま

2019-02-06 | 植物

指宿市山川のフラワーパークかごしまへ行きました。

 

入口の前にあるアコウの巨木です。

 

園内に入ってすぐのところにある滝とラン。

 

屋内庭園。とても暖かく、ランやブーゲンビリアなど南国の花が咲き乱れています。

 

ラン。

 

クリスマスローズ。

 

フラワーハートリング。

 

展望台です。

 

展望台からの眺め。対岸に山川砂蒸し温泉があります。

 

竹山と、海から出ている岩峰は俣川洲(またごし)です。

 

イズノオドリコは5分咲くらいでした。オオシマサクラとカンヒザクラの自然交配種です。

 

青空に映えるイズノオドリコ。

 

アップ。

 

ポピーと開聞岳。

 

パンジー。

 

カンヒザクラは見ごろでした。

 

トックリキワタの実です。

一足先に春を感じました。

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伊集院まち歩き(4)

2019-02-04 | 史跡

護国神社から坂を登って、城山(じょうやま)公園へ行きます。

 

城山公園。一宇治城跡で、伊集院氏と島津氏が居城としました。

 

前の写真の左に、フランシスコ・ザビエルの像があります。

ザビエルは、1498年、ここで領主の島津貴久と面会し、布教の許可を得ました。

 

井戸の跡です。今は水がありませんが、昔はあったのでしょう。

 

山頂の城跡。桜の名所です。

 

山頂に「島津貴久ザビエル会見の地」の碑があります。

 

近景。

 

城跡から伊集院の町と桜島を望む。

 

城山公園から下りて、神之川大橋を渡ります。

 

橋から上流を望む。

 

橋を渡って右に、平野二郎国臣の歌碑があります。

平野は福岡の勤王の志士で、島津久光に討幕を勧めようと、有馬新七の協力を得るため伊集院に滞在しました。

 

しかし討幕の決起にはならず、国臣が涙をのんで伊集院を去るとき詠んだ歌です。

 我胸の燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすし桜島山

 

平野国臣の肖像画。

 

さらに進むと、左に有馬新七誕生地の碑があります。

 

有馬新七誕生地の碑。新七のことは、まち歩き(2)で紹介しました。

 

跨線橋を渡り、スタート地点の徳重神社へ戻りました。

左の電柱のある道が旧鹿児島本線で、手前に、まち歩き(1)で紹介したレンガトンネルがあります。

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