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経済気象台:教育再生会議への違和感

2006-12-23 23:48:38 | Weblog

 安部首相の肝いりで創設された教育再生会議が、教員の質向上やいじめ対策を中心に、1月に中間報告を出すそうだ。

 再生会議のこれまでの議論に、筆者は違和感を抱き続けてきた。それは問題が生じた責任を、教師や生徒など個人に帰する傾向が強く見られるからだ。企業において、ある事業や組織が期待した成果を上げられなかった時は、そのトップや担当者の能力と共に、人員、予算、権限、資本装備などインフラが十分整備されていたのかが問われる。航空機の運行や巨大プラントの操業においても、ヒューマンエラーを未然に防ぐシステム上の対策が重視される。

 そのような目で、教育現場を改めて見てみる。能力や信頼に欠ける教員がいることは否定しない。しかし、それ以上に、深刻化するいじめや不安を増大させている生徒、学校における規律の乱れ、学力の低下、保護者の期待に対し、十分な対応が可能なだけの教員、スタッフ、設備、権限が学校に与えられていなかったという問題があると感じるのは筆者だけか。

 財政制約の下で、教師の数は削減され、平均年齢も上昇してきた、カウンセラーもまだ少なすぎる。一方で、進学から生徒指導まで、保護者など周囲の要求はエスカレートし続けている。そのような中で、有能で高い志をもつ教師こそが体力と神経をすり減らし悩んでいる。病気休職中の教員数が過去最高を更新し続けているのは、その現れであろう。

 それなのに、再生会議は教員個人の責任だけを問おうとしているように見える。効率化をはかり保護者など外部の評価を意識することは重要だが、それは教員に対するいじめに容易に転化する。その前に、教育インフラが十分だったのかどうか、さらに言えば、日本の将来を考えるとき、政策の優先順位付けが間違っていないのかどうか、改めて考える必要があるのではないか。(山人)

2006年12月23日朝日新聞朝刊より


Hao Yanrong:中国農村行政組織体制の欠陥(2)

2006-12-23 10:50:43 | 中国異論派選訳
3、中国農村の活路は国の農村に対する管理方式を改めることにある

 世界的に見ると、農村の社会発展と近代化の主な道筋は2つある。一つめは、農村コミュニティに新たな経済関係と経済力が出現し、この力の発展が農村全体の近代化を後押しする。二つめは、国家がまず都市において工業化を完了させ、その後農村に投資を振り向けるか農村人口を都市に吸収する。しかし、中国の場合、この二つの道はどちらも実行しがたい。まず、中国は後発の発展途上国として、近代化は文化と政治の問題として輸入されたものであり、社会基層には近代化の動力が欠けている。つぎに、農村の地域は広く、人口が多いので、都市や国家の力だけでは農村を発展させることは難しい。中国農村の発展の困難は今日に始まったことではない。近代(中国共産党の欽定史学では1840年のアヘン戦争から1919年の五四運動までを近代とする)以降、中国農村は一貫して「危機――緩和、再危機――再緩和」というサイクルのプロセスであった。1930年代、学術界では「中国農村の活路はどこにあるのか」というテーマで論争が展開され、それを通じて鄭庄秋を代表とする「農業工業化」と呉景超、陳序経を代表とする「都市工業化」の二つのプランが提起された。しかし、どちらのプランも、当時の条件のもとでは実質的な意義を持ち得なかった。
 中国の現実から見ると、農村の状況は3種類のモデルに概括できる。第一モデルは、広東省珠江デルタ地域を代表とし、改革開放以降、大量に外資が流入し、工場を建設し、迅速な工業化を実現した。第二モデルは、江蘇省、浙江省を代表とするモデルで、改革後も農村のもともとの集団経済が残り、「村組織」の政治的機能が退化してからも、地域の経済実体(郷鎮企業)の代表となり、農村集団経済の発展を通じて、地域が工業化の道に乗った。第三モデルはもっとも普遍的なものであり、改革後集団経済が解体し、「村組織」の機能が弱体化し、一般農民は再び小規模経営農家となり、数ムーのわずかな耕地を耕すか、あちこちに出稼ぎに行くか、家に閉じこもっている。近代的大工業・大経済組織の前では、彼らはほとんど発展のチャンスがない。中国の広範な農村のこのような普遍的状況は、個人の努力だけでは、小規模自作農が近代化の道に乗ることは、非常に長く困難なプロセスだということを示している。
 農村社会経済の発展をどのように推進するか、現在の中国学術界には主に2種類の見方がある。最初の観点は、現在の農村経済発展の阻害要因は改革の不徹底にあるとする。政府は多くの計画経済時代の権力を握ったままであり、農民の経営活動に干渉を続け、権力を濫用して農民の収入を浪費し続けているというのである。よって、農村発展の活路はさらに農村体制の改革を進め、政府の農村社会活動に対する統制を減らすことである。第二の観点は、後発近代化国家の発展は政府の計画と指導なしにはできないとする。この観点に立つ学者が引用するのがアメリカの政治学者ハンティントンの理論である。つまり、近代化過程にある超大型社会の農村の発展は、政府の農村における改革と組織発展の能力に依存するとする。この一派の学者は中国の農村社会活動における各種の無秩序状態を、農村の発展は郷鎮政府の権力と機能の拡大から着手すべきであり、現在の国家の農村権力は郷までであるから、次に「村組織」も国家行政権力組織に組み込むことにより、国家の農村に対する管理と支配を強化すべきであるとする。理論的に言えば、どちらの観点にも根拠はある。しかし、現実には、どちらの主張も実施されたら、新たな問題を引き起こす。
 1949年以降の経験によれば、農村コミュニティの発展と農村基層組織の構造と性質は密接な関係がある。その基層組織とは過去の村級組織、今日では郷鎮級組織である。現在国家が農村に設置している郷鎮級の組織は3つに分けることができる。一つめは、専業的な経済実態、たとえば信用社・電力などの部門と公司である。二つめは、県に所属する各部門の農村における派出機構、たとえば工商・税務・司法・土地管理などの部門である。三つめは郷鎮政府である。これらの機構のうち、郷鎮政府の機能がもっとも整っており、権力ももっとも大きい。共産党委員会・政府・人民代表大会・規律検査委員会・共産主義青年団・婦女連合会などの機構や社会団体がそろっており、政治・経済・文化・教育などの機能すべてを含んでいる。農民がこれほど膨大な組織を扶養しているのであるから、農村発展の課題も郷鎮政府が担うべきである。しかし、事実が証明するところでは、現在の郷鎮政府は主に行政管理に名を借りて、農村から各種資源を取り立て、官僚機構の幹部職員の需要を満たすのみで、農村発展という根本的な問題については積極的な役割を果たしてこなかった。
 マックス・ヴェーバーの官僚体制に関する分析によると、すべての官僚化された組織は、組織であれ個人であれ、みな形式主義と上級への服従を原則とし、いかなる社会の組織・計画・激励・動員能力も持たない。それは組織メンバーの事業心と原動力に反対し抑圧する。社会と経済の発展には経済的成功のために奮闘する精神が必要なのだが、これは正に官僚組織が持ち合わせていないものである。膨大かつ権力に制限のない官僚組織の存在は、必然的に農村社会経済発展の活力を抑圧することになる。
 南村郷の農民と「村組織」および「村組織」と郷政府との関係の分析を通じて、現在の中国の郷鎮レベルの組織には2つの特徴があることが見て取れる。第1に、郷鎮幹部個人の角度からであれ、郷政府組織の角度からであれ、郷鎮レベルの機構は農村の発展の成否にいかなる責任も負わない。土地請負以降、経済発展の責任はすでに孤立した小規模自営農に移った。郷鎮政府は農村コミュニティの発展を計画する必要はないし、郷鎮政府の権限は主に管理・費用徴収・罰金の徴収などである。第2に、権力の集中と効果的な監督メカニズムの欠如と、それに加えて農民の教育が低く、砂のような状態にある(団結しない)ことにより、郷政府があたかも正当であり合法的であるようなふりをして、郷鎮組織と幹部個人の増収を図り、農民の負担を重くすることをとどめることができない。無責任化と権限濫用のほかに、郷鎮政府と県所属の各部門の派出機構、そのような機構は合計すると30余りに上るが、それぞれが小さな利益集団を形成している。各部門がそれぞれの権限と利益を争い、責任をなすりつけ合い、かつ、自らの権力を利用して農民を食い物にし、農民の利益を侵奪する。中国農村はかつて高度に発達した農業文明を育んだ東方文化の沃土であるが、ここ十年余りの各行政勢力の非常な搾取の下で、正に枯れあがった川床になろうとしている。そして未来の発展の重圧を担う力もなく、農民が自らの家族の生存と再生産を維持することさえも非常に困難になっている。
 農村基層組織のこの性質により、中国農村の発展は二重の困難に直面している。第一の困難は郷鎮共産党政府システムの中にある。この困難は2つの意味がある。その一、国家が大量の農村に関する政策と行政目標を郷鎮政府に担わせ、いわゆる「上には千本の糸、下には一本の針」状態になっている。郷鎮政府は上級政府が下ろしてくる各種の任務の対応に忙殺されている。その二、郷鎮政府は国家行政装置の一部として、現在の政治メカニズムの下での郷鎮幹部の主な目標は昇進である。そして大多数の郷鎮幹部の能力は低いので、農村社会発展の重責を担う能力はない。たとえ少数の能力ある者がいたとしても、体制の強い束縛を受け、能力を発揮できない。第二の困難は農村自体にある。その一、もし政府の組織・計画・支援がなく、小規模自営農の努力だけであれば、現有の観念と経済レベルのもとでは、農民の発展の前途は限られている。その二、もしも政府の権力と機能を拡大すれば、現在の体制のもとでは、それは政府の官僚的行為の追求と業務外の利益追求に走るであろう。「にんにく郷」や「タバコ郷」、「キュウリ郷」などにみられるように、それは結局より大きな経済的社会的災難をもたらすに過ぎない。
 南村郷調査が明らかにした中国農村発展が直面する困難から見て筆者が思うに、現在の農村の発展のカギは、国家の農村に対する管理の強化か国家の農村に対する規制の緩和かではなく、国家権力がいかなる体制と方式をもって農村を管理するかである。現在の農村発展が直面する問題を克服するには、体制と管理方式の二つの面から農村権力中心である郷鎮政府機構を改革しなければならない。行政官僚が農村を押さえつけるという現状を農村コミュニティ内のエリートが農村を自主管理するように変えなければならない。このような改革を通じてのみ、農村の未来の経済と社会の発展に新たなチャンスを提供できるであろう。

Hao Yanrong:中国農村行政組織体制の欠陥(1)

2006-12-23 10:48:42 | 中国異論派選訳
中国農村行政管理体制の欠陥
南村調査を通じた中国の郷・村基層組織の現状分析
(『当代中国研究』2006年第1期、通巻92期)
郝晏栄(ハオ・イエンロン)
河北省社会科学院哲学研究所

訳注:この雑誌に発表されたのは今年であるが、書かれた時期は90年代と思われる。
原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/
e/58a6c9ef3fd5d38b5b3c2859fa87ee2b

1、南村基層組織と村民との間の関係
2、「村組織」と郷政府との関係
3、中国農村の活路は国の農村に対する管理方式を改めることにある

 中国農村改革はすでに20年にわたる。80年代の改革初期、中国農村経済は一時大きく発展した。しかし、今日では農村の貧窮と発展の遅れが、再び全社会が注目する問題になっている。農村経済と社会の発展を推進し、農村の負担を減少させるには、まず中国農村がどのような問題に直面しているのかを知らなくてはならない。本文は河北南部のある郷(仮称「南村郷」)に属する二つの村の基層組織の解析を通じて、村民自治組織が農村の発展においてどのような役割を果たしているのかを、また郷鎮政府の行政モデルにはいかなる弊害があるのかを分析することを通じて、中国農村の直面する二重の困難とこの困難から脱するためになすべき郷鎮政府改革を指摘する。

1、南村基層組織と村民との間の関係

 南村郷一分村は人口1860人で、現在の村基層組織(以下「村組織」)は1994年上級政府が定めたもので、村共産党支部書記、村民委員会主任(村長)、共産党支部委員11人で構成される。村支部書記の秦礼的は「村組織」ですでに20年以上仕事をしている。三分村の人口は1400人余り、現在の支部書記郝喜軍は十代のころから農業に従事し、生産隊長や生産大隊民兵中隊長を経て、今では三分村の第三世代基層組織の責任者である。

(1)「村組織」の日常業務と村民の評価
 一つの「村組織」の日常業務は大きく二つに分類できる。一つは村民が出してくる問題の処理、もう一つは上級政府の与えた任務をこなすことである。しかし、村民委員会の成績について、村民と「村組織」の評価は全く異なる。たとえば、「村基層組織は村民のためにどんな問題を解決しているか」という質問について、大部分の村民は調査者に、村幹部はしょっちゅう村民の家を訪問するが、その目的は金の要求か無償労役の要求かであると述べている。しかし、村幹部自身は、村民のために多くのことをやっていると思っている。たとえば、現役軍人家族や戦死者家族の状況報告をして救済金を受取る。困窮過程の状況を報告して、救済金を受け取る。さらには、災害報告、相隣紛争の調停、住宅建築用地の配分などなど。多くの場合、村民が村幹部に持ち込む相談は公務ではない。例えば、ある家で夫が出稼ぎに出て何年も帰ってこないので、妻が再婚を望んだとき、村支部書記は夫の親族に頼まれて、探しに行ったり、尋ね人広告を出したりした。また、ある村民のバイクが村外で没収されたら、村支部書記に取り戻してもらうよう頼みに来る。ときには「村組織」も村民の委託により村内の公務を行う。たとえば、1999年村で湛水被害が出たとき、村民は集団で村支部書記の家に来て、税の減免のために、上級政府に災害報告をするよう求めた。また、村内の高圧電線が数百メートルにわたって盗まれたときも、村民は村支部書記に、県の公安局(警察署)に訴えて盗まれた電線を取り戻すよう求めた。
 これら委託を受けたり、義務を履行したりする以外にも、「村組織」は一部の公共資源を握っている。我々が調査過程で目にしたのは主に住宅用地分配の権力である。法律規定上、住宅用地分配の権力は上級の土地管理部門にあるが、県と郷の土地管理部門の農村土地資源に対する理解は観念的な数字のレベルにとどまり、村の土地について具体的に計画管理する能力はない。そこで、農村の住宅建設用地配分の権力は実際には村民委員会に委ねられる。この権力の移譲はかつて「村組織」に多くの儲けの機会を与えた、しかし、県・郷土地管理部門の権力が農村基層にまで及んでくるに伴って、このような儲けの機会は少なくなった。

(2)郷政府の農民に対する費用労役徴収と「管理」
 実際には、郷政府やそれより上の各級政府部門が要求する費用労役の村民からの徴収こそが「村組織」の主な業務である。土地請負制の実施により、農民と国家の関係は変化し、それが郷政府の権力をある程度制限することとなった。そこで、郷政府は別の面から権力の「損失」を埋めようとし、その一つが「村組織」に対する管理と統制の強化である。
 筆者は調査中に「村組織」が郷政府の指示する多くの「任務」を担っているということを発見した。たとえば、毎年第1四半期には以下の「任務」が「村組織」に下される。第一項、「事実婚」と「早婚」の調査。郷政府は各村の人口総数に基づき、比率により員数を分配し、「村組織」は必ず員数分の事実婚と早婚人数を探し出し、郷政府に十分な罰金を納めなければならない。第二項、計画出産の四半期全数調査。各村は一定数の人口流産手術をしなければならない。たとえば、三分村には1400人いるので、比率に基づき8人の員数が配分される。員数に一人欠けるごとに、郷政府は「村組織」に2500元の罰金を科す。第三項、人頭税の徴収。本来徴税は税務部門の権限であるが、郷政府は徴収すべき税が十分に徴収できていないと考え、そこで、一人当り12元のノルマで各村に対して追加「徴税」する。この郷政府が勝手に決めた徴税を村民は「人頭税」と呼んでいる。「村組織」も郷政府も合法的な徴税証明書を発行できないために、この費用徴収は村民の抵抗に遇っている。そこで、最後には「村組織」は信用社から金を借りてこの「人頭税」を納めざるをえない。第四項は、「ゆとりある村(原語「小康村」英訳はwell-off village)検査」で、検査基準は15項目にも達し、どの項目も具体的な数字の基準がある。例えば一人当り収入が1300元以上の家が村民総戸数の80%以上、一人当り集団経済収入(村財政収入)1000元、学齢人口小学校入学率99%以上・在学率(中退しない率)99%以上・卒業率97%以上、「村文化建設」基準による村図書室は1000冊以上の蔵書、毎年5種類以上の新聞雑誌を定期購読し、3箇所の運動施設、3種類以上の運動設備、他にも住宅・用水・電気・道路・緑化・診療所および「村組織」整備、計画出産などの必須達成目標がある。

(3)農民が負担する各種の税金・負担金
 筆者が調査した一分村と三分村はいずれもすでに「ゆとりある村」になっているが、すべての指標を達成しているわけではない。実のところ、郷政府のいわゆる「指標達成」はまじめに行われてはおらず、一番の関心は「村組織」がどれだけの税・負担金を上納するかである。第1四半期の任務が終わる前から、第2四半期の「夏季買上金留保」工作が始まる。郷政府は上級政府が割り当てた任務を各村に割り振る。各村はそれに基づき、計画表を作り、任務を各戸に割り振る。一分村で私が見た前年の夏季買上金留保表の中の、趙常華という名の村民(請負耕地2.1ムー)の納めるべき夏季買上金留保は次のようなものだった。
 「村留保金」合計97元(内訳は、公共積立金42.2元、福祉資金18.3元、管理費36.5元)。「郷徴収金」合計169.9元(内訳は、教育費54.8元、産児制限費8.2元、軍人優待慰問費11.9元、民兵訓練費11.9元、道路修理費8.2元、衛生費4.6元、税金70.3元)。その総計は266.9元だった。
 夏季は農民が各種費用を納める主な季節である。一分村は1800人余りいるが、県と郷政府に上納する「夏季買上金留保」は以下のとおりである。公共積立金(使用目的は圃場灌漑・植樹造林・生産用固定資産購入・集団経営企業設立資金と定められている。農民承担費用和労務管理条例より。以下同)25,296元、福祉資金(使用目的は五保戸扶養・困窮家庭補助・合作医療保健およびそのた集団福利事業)12,648元、管理費(使用目的は村幹部報酬と管理支出)25,296元、無償労働分現金払い(無償労働の割当があり、それに参加しない場合現金を納めなければならない)3,720元、積立労働分現金払い(無償労働と同様)5,580元、教育費(小中学校の教育費。農村部の基礎教育費は国・省・県は負担しない。)39,774元、産児制限費5,692元、軍人優待慰問費8,220元、民兵訓練費2,530元、道路整備費5,672元、衛生費3,162元、小計126,480元、税金48,150元。「村組織」がこれをまとめた冊子を食糧供出所に持っていくと供出所は、各項目の徴収金を農民が売った穀物の費用(買上金)から差し引く(留保する)。

(4)「村組織」の農村コミュニティにおける作用
 調査結果からみると、「村組織」の民衆統制能力はどんどん弱くなっており、農村の公的生活における影響はますます小さくなっている。たとえば、「村組織」は井戸掘り、整地、生産計画などの経済事務を管理しなくなっている。また村民の慶弔行事、家の建替えに関与しなくなっている。「村組織」が農村の公的生活から退出した後は、その空白の一部は村民の自発的行為によって埋められている。たとえば、土地請負が始まったときは、分割された土地は細かく散らばっており、一家の請け負った土地は3~5ムーに過ぎないのに、7~8箇所にも分割されており、耕作に不便だった。そこで、村民たちは私的な交換を通じて、小さな土地を大きくまとめ、耕作の便宜を図った。他にも、井戸掘り、電線架設、耕作方式の改良など、いずれも民間の自発的な行為であり、基本的に「村組織」の関与はない。農民は文化活動の面ではより多くの自主性があり、宗族と家族活動の再活発化はその一例である。
 南村は郝氏が中心で、以前はここに大きな郝氏の祖廟があったが、文化大革命のときに壊されてしまった。数年前、村民たちが県の宗教局の許可を受けて、資金を集めて祖廟を再建した。廟に祭られているのは郝氏の初めに山西省洪洞県から移民してきた祖先である。毎年旧暦の正月15日と7月15日、廟の前で祖先の祭礼が行われる。しかし、黄宗智が『華北農民の経済と社会の変遷(華北的小農経済和社会変遷、2000年中華書局)』に書いているように、南方の農村と比べると北方農村の宗族観念は比較的淡白である。南村では、一部の宗教儀式と活動が復活したとはいえ、族長・族規はなく、また宗族の財産もない。宗族行為は完全に自発的なものであり、その活動も一種の儀式にすぎない。村民の帰属意識を満足させる以外の社会的機能はもたない。
 現在の南村の村民活動の中で、「村組織」の影はほとんど見られないし、宗族の影もほとんど見られない。生産計画、企業設立、建物の新築、冠婚葬祭などの活動において、隣近所・友人・家族・親戚の役割はほとんど同じ程度の重要さをもつ。そこからも、孤立分散し、有機的連携が欠けるという北方農民社会の基本的特徴が見て取れる。この特徴は国家権力が農村に浸透する有利な条件であり、国家権力の農村に対する支配が弱まっても、その権力の空白を埋める別の勢力が出てくるわけではない。

2、「村組織」と郷政府の関係

 農村改革は「村組織」と村民の関係のほかに、もうひとつの重要な内容として「村組織」と上級政府との関係の調整をもたらす。

(1)「村組織」機能の弱体化、郷政府権力の膨張
 筆者は調査を通じて「村組織」の社会統制機能の衰弱と共に、郷政府の組織と権力が大幅に膨張したことを発見した。改革以前の人民公社機関は通常10数人の常勤職員であったが、現在、南村郷の共産党委員会と郷政府の常勤職員は100人あまりになっている。共産党委員会、郷政府、郷人民代表大会、共産党規律検査委員会、共産主義青年団委員会、派出所、裁判所、銀行、土地管理部門、租税徴収部門、産児制限部門などの部門があり、いずれも県政府の組織にならって設置されている。この他にも農村管理のいくつかの特別な部門がある。「村組織」の大部分の業務は郷政府の要求に従わざるをえない。
 南村郷政府は20余りの行政村を管理する。機能から見れば、このように多様な機能のそろった郷政府は、完全に独立して農村コミュニティ管理の任務を担えるはずであり、村レベルの行政組織を必要としないはずである。では、なぜ郷政府の下にさらに「村組織」を設立したのか? これは完全に郷政府側の必要からである。郷政府の下に「村組織」を設立することで、郷政府の権力を増やせるだけでなく、郷政府の事務と責任を軽減することもできるからだ。
 「村組織」の自治を行うようになってから、郷政府と「村組織」との関係は一体どのようなものなのか? 調査を通じて明らかになったところでは、南村郷の「村組織」は名目は村民自治だが、その支配権は村民の手にはなく、上級政府が握っている。「村組織」が把握する資源はわずかであり、その権力基盤も薄弱であるから、上級政府の支援に頼らざるをえない。もちろん、このような依存は郷と村の双方の組織の共同の需要に基づく。郷政府は「村組織」が郷政府に経済上の支援(費用と労働徴収の代行)を提供することを必要とし、「村組織」は郷政府の権力の後ろ盾を必要とする。「村組織」の人事任免権は、村民選挙によるものもあれば、郷政府の任命によるものもある。いずれの場合も、「村組織」はほとんどの場合郷政府の指導に従わなければならない。三分村の村主任の話によれば、郷政府はいつでも彼らを「指図する」ことができる。会議を開かせ、任務を割り振り、賞罰を加えることができる。規定によれば、村が徴収する留保金(公共積立金・福祉資金・管理費)は、いずれも「村組織」の専用経費である。しかし、南村郷では郷徴収金だけでなく村留保金もすべて郷政府に納めなければ成らない。そのあとで、郷政府が状況に基づき「村組織」に留保金の一部を返還するのである。
 「村組織」に対する支配を強めるために、南村郷政府はすべての行政村に1名の郷幹部を配置し、長期間村に住まわせ、各村の基本動向を監視している。調査期間中、たびたび「村組織」幹部から、郷政府の締め付けがきつすぎて、村の業務がやりにくいという嘆きを聞いた。筆者が彼らに、村の状況に基づき、郷政府のやり方に異議を申し立てられないのか?と聞いたところ、「そんなことできるわけがない」と一分村の村主任は言った。「郷政府はおれたちの言うことなんか全く聞かない。それどころか、意見をしたら党規則、政府規則で処分されるのが落ちだ」。より重要なのは、もしも「村組織」が郷政府の「指図」に従わないとか郷政府が与えた任務を達成できなければ、郷政府は直ちに「村組織」責任者の首をすげ替えるということだ。

(2)「村組織」の支配力衰弱
 全体的に見ると、「村組織」は農民にたいしては人民公社時代のような生産大隊幹部の社員に対する強制命令式の任務割り振りを行うことは不可能である。しかしまた、郷政府が「村組織」を管理するやり方で業務を行うこともできない。「村組織」は国家権力を行使するのであり、配置の上では上級政府が割り振った任務ではあるが、「村組織」は国家権力の化身ではなく、国家権力の基層における「代理人」の役割を演じているにすぎない。その身分は多重的である。国家権力を行使するときは、それは国家権力の代理人である。それが村民サービスを行うときは、村民の代理人である。村民が彼らの手配に従わないときは、一般的には、彼らは県あるいは郷の力を動員して解決するしかない。さまざまな農民からの資金徴収と無償労働割当が完遂できるのは、主に農民が国家権力に服従するからである。よって、「村組織」は必ず、郷・県両級の政府権力の支持を政治的後ろ盾にしなければならない。指摘しておかねばならないのは、全国的範囲見ると、地域によって「村組織」の権力と支配能力には大きな違いがあるということである。一部の「村組織」は、ほとんど支配能力がない。一部の「村組織」、たとえば河南省の南街村、江蘇省の華西村などは、その権力と支配力は人民公社時代の生産大隊の権力を超えるほどである。そのことから、「村組織」の権力はその組織形態によるのではなく、むしろそれが掌握する経済的資源によることがわかる。一部の「村組織」には、ほとんど集団資産がなく、村留保金さえも郷政府に持っていかれる。「村組織」がいかなる資源も掌握していなければ、村民に対する支配力もなくなる。一部の村では、土地請負が始まってからも、「村組織」が、荒れ山・原野・林木・鉱山など一部の集団資産を掌握している。このような「村組織」は、大きな権威があり、農民を支配することができる。しかし、数から見ると、権威と支配力を持った「村組織」は少ない。
 改革が農村社会と権力構造に重大な変化と影響を与えたことを、学術界は未だ十分に理解し重視していないことは明らかである。たとえば、すでに「村組織」は実際的な政治的意義を持っていないにもかかわらず、多くの人がいまでも熱心に「村組織」の民主選挙と民主的意思決定の重要性について議論している。郷鎮政府がすでに農村コミュニティの大部分の権力を抑えているにもかかわらず、研究者は郷鎮政府の役割と権能についてはほとんど注意を払っていない。南村郷の現状の中国農村における普遍的意義に基づき、以下に農村の社会経済発展が直面する新たな問題について検討する。