以前、中国共産党の民族主義キャンペーンの反映として、中国で出版されている外来語辞典から日本語由来の説明が消えたことを書いた(ような気がする)。具体的には1984年に出版された『漢語外来語詞典』(上海辞書出版社)には日本語訳からの借用であることが明記されているのに、2001年出版の『近現代漢語新詞詞源詞典』(漢語大詞典出版社)では、日本語からの借用の事実が一切触れられていないことである。この2つの辞書の出版のあいだには、1989年の天安門事件とその後の中国共産党の民族主義(自称「愛国主義」)キャンペーンがあった。
ところで、中国共産党は独裁政権樹立以降は少数民族の自立的傾向を極端に嫌っていたが、1979年以降は文革期の少数民族弾圧・同化政策に対する反省からか、漢民族の同化主義に対しても批判的に扱うようになった。その具体的表現が漢民族の民族主義に対する「大漢族主義」あるいは「大民族主義」という批判的評価である。これにたいしては、一方で少数民族の自立を求める傾向に対する「地方民族主義」という批判的評価が対応している。この三つの言葉は1978年の『現代漢語詞典第一版』(商務印書館)にはまだ載っていないが、1983年の第二版には載っている。それが、1989年の天安門事件をはさんだ1996年の第三版では「大漢族主義」という言葉が消えている。しかし、いちおう2005年の第五版においても未だ「大民族主義」という言葉は削られていない。もちろん「地方民族主義」はしっかり残っている。
しかし、驚いたことに、国家語言工作委員会肝いりで、2004年に出版された『現代漢語規範詞典』(外語教学与研究出版社・語文出版社)では、「大民族主義」という言葉も消えて、ただ「地方民族主義」が残るのみである。この辞書はコーパスの出現頻度に基づき語彙を選択し、かつそれからこぼれた語彙も必要なものは補ったということであるが、そこで「大民族主義」が採用されなかったことの意味は、共産党が統制する中国国内の新聞雑誌・テレビラジオからこの言葉を使わなく、あるいは使わせなくなったということと、辞書の編纂者が本来対になって使われていた一方の「地方民族主義」だけを残すことを意図的に選んだという、2つのことを意味する。結局は共産党にとって「大民族主義」(もちろん「大漢族主義」も)は今日では抹消すべき言葉になったということであろう。
この流れを見ると、中国共産党の排外的な民族主義政策は新聞紙上や教科書に現れる見えやすい現象だけでなく、基礎的な言語学の分野にまで、広く深い影響を与えつつあるようだ。
ところで、中国共産党は独裁政権樹立以降は少数民族の自立的傾向を極端に嫌っていたが、1979年以降は文革期の少数民族弾圧・同化政策に対する反省からか、漢民族の同化主義に対しても批判的に扱うようになった。その具体的表現が漢民族の民族主義に対する「大漢族主義」あるいは「大民族主義」という批判的評価である。これにたいしては、一方で少数民族の自立を求める傾向に対する「地方民族主義」という批判的評価が対応している。この三つの言葉は1978年の『現代漢語詞典第一版』(商務印書館)にはまだ載っていないが、1983年の第二版には載っている。それが、1989年の天安門事件をはさんだ1996年の第三版では「大漢族主義」という言葉が消えている。しかし、いちおう2005年の第五版においても未だ「大民族主義」という言葉は削られていない。もちろん「地方民族主義」はしっかり残っている。
しかし、驚いたことに、国家語言工作委員会肝いりで、2004年に出版された『現代漢語規範詞典』(外語教学与研究出版社・語文出版社)では、「大民族主義」という言葉も消えて、ただ「地方民族主義」が残るのみである。この辞書はコーパスの出現頻度に基づき語彙を選択し、かつそれからこぼれた語彙も必要なものは補ったということであるが、そこで「大民族主義」が採用されなかったことの意味は、共産党が統制する中国国内の新聞雑誌・テレビラジオからこの言葉を使わなく、あるいは使わせなくなったということと、辞書の編纂者が本来対になって使われていた一方の「地方民族主義」だけを残すことを意図的に選んだという、2つのことを意味する。結局は共産党にとって「大民族主義」(もちろん「大漢族主義」も)は今日では抹消すべき言葉になったということであろう。
この流れを見ると、中国共産党の排外的な民族主義政策は新聞紙上や教科書に現れる見えやすい現象だけでなく、基礎的な言語学の分野にまで、広く深い影響を与えつつあるようだ。