思いつくまま

みどりごを殺す「正義」はありや?
パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

「中華人民共和国」と民主主義は二律背反

2005-08-16 16:09:35 | 雑感
中国では、1979年以降経済体制は非常に大きな改革がなされ、とりわけ1992年以降大幅に市場経済化したが、市場経済を支える基本原理であるはずの民主化に向けての政治体制の改革は1989年以降ストップしてしまっている。この間に行われたことであげることができるとすれば、1995年に人民代表大会選挙権を農民戸籍住民の1票の重さが非農民戸籍住民の8分の1だったのを4分の1にしたこと!(選挙法12条)と、政府行政組織ではなく、自治組織である村の村長を共産党の指名から村民選挙に変えたことぐらいである(1998年村民委員会組織法)。それでも、村の実権は任命制の村共産党書記に握られている。
政治体制改革はなぜ進まないのだろうか。それは、1989年の天安門事件における民主化推進派の弾圧以降の愛国心教育の推進と軌を一にしている。
共産党は1979年までは革命の輸出路線をとり、その精神的支柱は毛沢東式共産主義であった。1979年に文革派が敗北し、近代化派が権力を握ると、経済発展に重点をおき、一定の成果を上げたが、近代化の足かせとなったので、国民統合の象徴としての毛沢東式共産主義は揺らぎ、共産党の内外に経済改革に見合う政治体制改革の要求が高まった。その中には、政治的安定を重視しシンガポールのリークアンユー政権やチリのピノチェト政権あるいは韓国のチョンドファン・ノテウ政権のような開発独裁型政治体制を目指すものから一気に民主主義体制の実現を要求するものまで、さまざまな主張があった。
それが、1989年の胡耀邦の死をきっかけにした民主派の政治的自由を求める運動(焦点は言論の自由の保障だった)を弾圧することによって、共産党は党内民主改革派を排除し、開発独裁の道を選び取った。そこで、精神的支柱とされたのは愛国心である。

中国共産党の学生弾圧が世界中に報道された結果、ペレストロイカでソ連の監視が緩み、体制が弛緩していた東欧諸国において、東欧共産主義政権崩壊のドミノ倒しが起こる。それが、さらにソ連に影響し、ソ連の民主化と解体へといたる。
ソ連はロシア帝国の広大な植民地を継承した植民地帝国であったが、中華人民共和国も同様に大清帝国の広大な植民地を継承した植民地帝国である。
中国は1989年に開発独裁型国家として、その国民統合の精神的支柱を共産主義から、愛国心に転換したが、その後の天安門事件の世界への余波は愛国心教育を強化する必要性を一層共産党指導部に確信させた。
なぜなら、民主化が植民地帝国の解体を招くのを目の当たりにしたからである。しかし、愛国心の強調は一方で、国内の少数民族に自らの独自性を自覚させ、分離へ向けた力としても働く可能性がある。とりわけ、言論の自由や政治的民主主義の普及は少数者の声が社会に反映されることになり共産党にとって極めて危険である。当然、富国強兵を目指す共産党にとって、民主化は国家の弱体化以外の何物でもないので、手をつけられるはずもない。
現在中国共産党は学校教育やマスコミを使った愛国心教育の一環として「中華民族」の創設=少数民族の漢族への同化を大々的に進めている。

中華人民共和国人、とりわけ漢民族中国人の近年の対日イメージの悪化も、このような中国共産党の愛国心の強調の結果と見ることができるが、日本人の中国イメージも1989年以降一貫して悪くなっている。そして、日本の学校教育現場における「日の丸」、「君が代」の強制など、復古主義的な動きと全く同じ性質のことが中国でも同時期に起こっている(学校における制服、朝礼、国旗掲揚、国歌斉唱、軍事教練の導入など)ことは実に興味深い。世界はみなシンクロしている。あざなえる縄の如し。

「中華人民共和国」の「人民共和国」とは人民民主主義専制(共産党独裁)の政治体制をとることを意味する。中国で共産党独裁が放棄されたら、東欧諸国やモンゴルのように国名も変わらざるをえない。その意味でも「中華人民共和国」と民主主義は二律背反である。では、戦後民主主義憲法体制の「日本国」は「民主主義」政治体制のもとでどこまで排外主義的、人権抑圧的になれるのだろうか?ある程度までいったら「大日本帝国」に改名するのだろうか?