今日は67年目の終戦記念日。
父から何度も聞かされたのは、
1945年3月10日の東京大空襲の後、
勤労動員に向かう途中、
浅草(現在の松屋付近)で、
多くの黒焦げの死体を踏まないように歩き(「悪いから」と)、
黒焦げの死体が転がる中でも、
平気で弁当を食べていたという話だ。
戦場に行かれた方は特にそうだが、
国内にいても、生きているのが奇跡に近い人は沢山いるだろう。
私の父も、ちょっとしたタイミングの「ズレ」で命拾いしたという。
米軍機による昼間の爆撃の後、
友人の飛び散った肉片や腕を見ながら、
そんなことを実感したという。
今日、会った母方の伯父は、
中国戦線で数十回の戦闘を体験。
弾丸が身をかすめる中、
「もう死ぬ」と思った刹那、頭に浮かんだのは、
「母親に会ってから死にたかった・・・」。
なぜか父親のことは思い浮かばなかったという。
若き日の大陸での過酷な軍隊生活のため(?)、
90歳を超えた今でも元気だ。
靖国神社で英霊の御霊に祈りをささげるのも立派な行為だろう。
が、それよりもまず、身近な自分の両親をはじめ、
戦争を生き延びてきた、今は亡き祖父母たちへの感謝が大切と私は考える。
身近な家族・親族、さらにはご先祖さまへの感謝の念を持たずして、
ご立派な「理念」とやらを振りかざし、「国を想う」のはどうかな? と。
まして、「親が泣くような」政治活動なんてね。。。
今日は「戦後民主主義」について、
私より上の年代(団塊世代)の知識人である、
内田樹の見解を紹介させていただく。
10代後半の頃、何もわからんのに、
「戦中派」とともに「戦後民主主義」にも楯突いてた自分だったが、
その意味・意義をはっきりさせておいたほうがいい。
そして、少なくとも私が言うより、
内田の論をそのまま引用させていただいたほうが、
伝わりやすいし、説得力があるからね(笑)。
「疲れすぎて眠れぬ夜のために」。
とてーも長いけど引用させて頂く。
戦後の日本の復興を担ったのは、明治生まれの人たちです。
だってそうでしょう。ぼくの父は明治四十五年生まれですが、その父は敗戦の年にようやく三十三歳です。まだ白面の青年です。ということは、敗戦直後において政治経済や文化的な活動を実質的に牽引していたのは、明治二十年代、三十年代生まれの人々だったということです。
明治二十年生まれということは、漱石の『三四郎』の年頃の人たちです。三四郎は敗戦の年にまだ五十代なのです。今のぼくの年ですよ。
夏目漱石が四十九歳で亡くなったので、ぼくたちはその小説の主人公たちもまた大正年間に死に絶えたと思い込んでいますけど、漱石だって生きていれば敗戦の年にまだ七十八歳なのです。今の瀬戸内寂聴や佐藤愛子より若いんです。
みんなが忘れているのは、戦後の奇跡的復興の事業をまず担ったのは、漱石が日本の未来を託したあの「坊っちゃん」や「三四郎」の世代だということです。この人たちは日清戦争と日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌と辛亥革命とロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度成長の時代まで生きたのです。
そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。
ぼくは一九五〇年代は子どもでしたから、その世代の人たちのエートスをまだかすかに覚えています。小学校の先生や、父親たちの世代、つまりあのころの三、四十代の人はほとんどみんな従軍体験があって、戦場や空襲で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていた人たちなのです。だから、「戦後民主主義」はある意味では、そういう「戦後民主主義的なもの」の対極にあるようなリアルな体験をした人たちが、その悪夢を振り払うために紡ぎ出したもう一つの「夢」なのだと思います。
「夢」というと、なんだか何の現実的根拠もない妄想のように思われるかもSれませんが、「戦後民主主義」はそういうものではないと思います。
それは、さまざまな政治的幻想の脆さと陰惨さを経験した人たちが、その「トラウマ」から癒えようとして必死に作り出したものです。だから、そこには現実の経験の裏打ちがあります。貧困や、苦痛や、人間の尊厳の崩壊や、生き死にの極限を生き抜き、さまざまな価値観や体制の崩壊という経験をしてきた人たちなのですから、人間について基本的なことがおそらく、私たちよりはずっとよく分かっているのです。
人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。
戦後日本の基本ルールを制定したのは、その世代の人たちです。
(中略)「戦後民主主義」が虚構だということをよく知っていたのは、たぶん「戦後民主主義」を基礎づけた当の世代です。それが虚構でしかないことを彼らは熟知していました。ほとんど歴史的な支えを持たないような弱々しい制度であるからこそ、父たちの世代は本気になって、それを守ろうとしたのです。
ぼくたちは父たちの世代が作り上げた虚構の中に産み落とされました。そして、それを「自然」なもの、昔からずっとあるもの、だから、どれほど裏切っても、傷つけても、損なわれないものだと思って育ってきました。
だから、「目線が近い」のです。
(中略)ぼくたちの民主主義は、ある世代が共同的に作り出した脆弱な制度にすぎません。ちょうど映画のオープンセットの建物のように、表だけあって、裏には何もないのです。それを守るためには、それが「弱い制度」だということを十分に腹におさめておかねばなりません。
(中略)民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。
「民主主義ではない制度」はいくらもありえます。成員が民主主義社会を「信じるふりをする」という自分の責務を忘れたら、ぼくたちの社会は別の制度に簡単にシフトするでしょう。民主主義というのは、そのことを知っている人たちの恐怖心に支えられた制度です。
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黒焦げの死体が転がる中でも、
平気で弁当を食べていたという話だ。
戦場に行かれた方は特にそうだが、
国内にいても、生きているのが奇跡に近い人は沢山いるだろう。
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米軍機による昼間の爆撃の後、
友人の飛び散った肉片や腕を見ながら、
そんなことを実感したという。
今日、会った母方の伯父は、
中国戦線で数十回の戦闘を体験。
弾丸が身をかすめる中、
「もう死ぬ」と思った刹那、頭に浮かんだのは、
「母親に会ってから死にたかった・・・」。
なぜか父親のことは思い浮かばなかったという。
若き日の大陸での過酷な軍隊生活のため(?)、
90歳を超えた今でも元気だ。
靖国神社で英霊の御霊に祈りをささげるのも立派な行為だろう。
が、それよりもまず、身近な自分の両親をはじめ、
戦争を生き延びてきた、今は亡き祖父母たちへの感謝が大切と私は考える。
身近な家族・親族、さらにはご先祖さまへの感謝の念を持たずして、
ご立派な「理念」とやらを振りかざし、「国を想う」のはどうかな? と。
まして、「親が泣くような」政治活動なんてね。。。
今日は「戦後民主主義」について、
私より上の年代(団塊世代)の知識人である、
内田樹の見解を紹介させていただく。
10代後半の頃、何もわからんのに、
「戦中派」とともに「戦後民主主義」にも楯突いてた自分だったが、
その意味・意義をはっきりさせておいたほうがいい。
そして、少なくとも私が言うより、
内田の論をそのまま引用させていただいたほうが、
伝わりやすいし、説得力があるからね(笑)。
「疲れすぎて眠れぬ夜のために」。
とてーも長いけど引用させて頂く。
戦後の日本の復興を担ったのは、明治生まれの人たちです。
だってそうでしょう。ぼくの父は明治四十五年生まれですが、その父は敗戦の年にようやく三十三歳です。まだ白面の青年です。ということは、敗戦直後において政治経済や文化的な活動を実質的に牽引していたのは、明治二十年代、三十年代生まれの人々だったということです。
明治二十年生まれということは、漱石の『三四郎』の年頃の人たちです。三四郎は敗戦の年にまだ五十代なのです。今のぼくの年ですよ。
夏目漱石が四十九歳で亡くなったので、ぼくたちはその小説の主人公たちもまた大正年間に死に絶えたと思い込んでいますけど、漱石だって生きていれば敗戦の年にまだ七十八歳なのです。今の瀬戸内寂聴や佐藤愛子より若いんです。
みんなが忘れているのは、戦後の奇跡的復興の事業をまず担ったのは、漱石が日本の未来を託したあの「坊っちゃん」や「三四郎」の世代だということです。この人たちは日清戦争と日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌と辛亥革命とロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度成長の時代まで生きたのです。
そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。
ぼくは一九五〇年代は子どもでしたから、その世代の人たちのエートスをまだかすかに覚えています。小学校の先生や、父親たちの世代、つまりあのころの三、四十代の人はほとんどみんな従軍体験があって、戦場や空襲で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていた人たちなのです。だから、「戦後民主主義」はある意味では、そういう「戦後民主主義的なもの」の対極にあるようなリアルな体験をした人たちが、その悪夢を振り払うために紡ぎ出したもう一つの「夢」なのだと思います。
「夢」というと、なんだか何の現実的根拠もない妄想のように思われるかもSれませんが、「戦後民主主義」はそういうものではないと思います。
それは、さまざまな政治的幻想の脆さと陰惨さを経験した人たちが、その「トラウマ」から癒えようとして必死に作り出したものです。だから、そこには現実の経験の裏打ちがあります。貧困や、苦痛や、人間の尊厳の崩壊や、生き死にの極限を生き抜き、さまざまな価値観や体制の崩壊という経験をしてきた人たちなのですから、人間について基本的なことがおそらく、私たちよりはずっとよく分かっているのです。
人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。
戦後日本の基本ルールを制定したのは、その世代の人たちです。
(中略)「戦後民主主義」が虚構だということをよく知っていたのは、たぶん「戦後民主主義」を基礎づけた当の世代です。それが虚構でしかないことを彼らは熟知していました。ほとんど歴史的な支えを持たないような弱々しい制度であるからこそ、父たちの世代は本気になって、それを守ろうとしたのです。
ぼくたちは父たちの世代が作り上げた虚構の中に産み落とされました。そして、それを「自然」なもの、昔からずっとあるもの、だから、どれほど裏切っても、傷つけても、損なわれないものだと思って育ってきました。
だから、「目線が近い」のです。
(中略)ぼくたちの民主主義は、ある世代が共同的に作り出した脆弱な制度にすぎません。ちょうど映画のオープンセットの建物のように、表だけあって、裏には何もないのです。それを守るためには、それが「弱い制度」だということを十分に腹におさめておかねばなりません。
(中略)民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。
「民主主義ではない制度」はいくらもありえます。成員が民主主義社会を「信じるふりをする」という自分の責務を忘れたら、ぼくたちの社会は別の制度に簡単にシフトするでしょう。民主主義というのは、そのことを知っている人たちの恐怖心に支えられた制度です。
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